第44話 陰キャ、マイライフの終わりを告げる ー俺ってもう主人公じゃね?ー

 いつもの空き教室。いつもの落ち着いた空気。心を落ち着かせたい俺にとってエデンと呼べるような場所。

 

 薄暗い廊下の奥、人の気配がない静寂。ここだけが、俺の心を安らかにしてくれる唯一の聖域だった。


 そんな場所に、当たり前のように陣取る浅葱と不知火先輩。


 はて? 俺の安息の地は一体何処へ?


 窓から差し込む昼の光が、二人の姿を照らしている。浅葱は相変わらず明るい笑顔で弁当箱を開けており、不知火先輩は足を組んで優雅におにぎりを頬張っている。


 ……完全に居座ってるじゃねぇか。


 そんなことを思いながら、俺は諦めた様子で自分の席に座り、弁当を取り出した。

 

 包み布を解く。蓋を開ける。

 

 相変わらず我が母上が作る料理の腕前――見栄えは最高だ。

 

 色鮮やかな卵焼き、艶やかに炊かれた白米、丁寧に詰められたおかずの数々。まるで料理雑誌から抜け出してきたような完成度だ。


「わぁ! 今日も美味しそう! 高一くんの弁当!」


 浅葱が目を輝かせて覗き込んでくる。


「ホントだ、めちゃくちゃいいじゃん!」


 不知火先輩も興味津々といった様子で身を乗り出してくる。

 

 二人の視線が俺の弁当に集中している。なんだこの圧は。


「……見てないで食べろよ」


 俺は二人の視線を無視して、黙々と箸を動かした。

 

 卵焼きを口に入れる。ふわっとした食感と、ほんのり甘い味が口いっぱいに広がる。

 

 唐揚げを頬張る。外はカリッと、中はジューシー。完璧だ。

 

 白米を掻き込む。炊きたての香りが鼻腔をくすぐる。


 そして、数分で俺はそれを完食した。


 美味かった。めちゃくちゃ美味かった!


「わ、高一くん。食べるの早っ」


 浅葱が驚いたように目を丸くしている。


「陰キャたるもの、食事やトイレは素早く行うのが陰キャ、孤独孤高を極めた者の流儀だ」


 俺は得意げに言った。

 

 自分でも意味のわからないことを言っている自覚はある。


「それ流儀って言うか……ただの早食いじゃない?」


 不知火先輩がツッコミを入れる。


 その時――。


 ガラッ。


 空き教室の扉が開かれた。

 

 廊下からの光が差し込み、シルエットが浮かび上がる。

 

 そこから入ってきたのは、瀬良先輩だった。


 相変わらずの落ち着いた美貌。黒髪が揺れ、制服を完璧に着こなしたその姿は、まるで雑誌のモデルのようだ。オーラが違う。格が違う。

 

 神かよこの人。


 そんなことを思っていた時、瀬良先輩は無言で俺の隣に座った。

 

 椅子を引く音。座る時の衣擦れの音。

 

 そして――距離が、近い。


「あ、あの? 瀬良先輩?」


 俺は恐る恐る声をかけた。


「なにかしら?」


 瀬良先輩は涼しい顔で答える。

 

 まるで、ここに座るのが当然かのように。


「なにゆえ、この教室に?」


「……一人だと寂しいからよ」


 瀬良先輩は少しだけ視線を逸らして答えた。

 

 その横顔が、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。


「へ〜、瀬良先輩でもぼっちになる時なんてあるんですね!!」


 浅葱が無邪気に言った。


 その瞬間――。


 ドスッ!


 鈍い音が空き教室に響いた。


「げほっ!」


 瀬良先輩からのボディーブローが俺の腹部に炸裂した。

 

 いや、なんで俺!? 言ったの浅葱だろ!?

 

 胃の中のものを吐き出しそうになった。視界が歪む。呼吸ができない。

 

 とても痛かった、とだけ残しておこう。


「ご、ごめん……高一くん……」


 浅葱が申し訳なさそうに謝っている。

 

 お前が謝るんかい。


「ふふ、手が滑ったわ」


 瀬良先輩は涼しい顔で微笑んでいる。

 

 絶対わざとだろ。


 俺が腹を押さえてうずくまっている時、不知火先輩が口を開いた。


「ねえ、高一くん」


 爽やかな声。だが、どこか真剣な響きがある。


「明日、私のバスケの大会、見に来てよ」


「へ?」


 俺は顔を上げた。

 

 不知火先輩が、真っ直ぐに俺を見ている。


「高一くんに見てもらいたいんだ。私が圧勝するところ」


 なんとも気合いの入った言葉だ。

 

 その瞳には、自信と期待が混ざり合っている。

 

 いや、それが言えるほどの実力を彼女は持っているのだろう。だから俺をこうやって誘っている。


「へぇ、意外と強気なんですね。外した時、大恥かきますよ?」


 俺は少し意地悪く言った。


「かかないよ。私、最強だから」


 不知火先輩は自信満々に胸を張る。

 

 その姿が、妙に眩しい。


「どこぞの最強先生の言葉を入れるのやめてください」


「それで、どうするの? 来るの?」


 不知火先輩が期待を込めた目で見てくる。

 

 その視線が、少しだけプレッシャーだ。


「はい――行きません!」


 俺はキッパリと断った。


「「「え!?」」」


 三人の声が重なった。

 

 空き教室の空気が、一気に凍りついた。


 窓から差し込んでいた光さえも、冷たく感じる。


 当たり前だろ。俺の貴重な休日を、たとえ不知火先輩の試合を見るためだけに潰すのは無粋がすぎるだろ。

 

 俺には俺の予定――いや、正直何もないけど――がある。


「えー、じゃあ高一くんに来てくれたら、良いことしてあげようと思ったのに……ざーんねん!」


 不知火先輩が少し残念そうに、でもどこか楽しそうに言った。

 

 その笑顔が――。


「行きマース! 超行きマース!」


 俺は即答で手のひらを返した。


 馬鹿だ。俺は馬鹿だ。

 

 変な期待をして、変な答え方をしてしまった。完全にチョロい。陰キャのプライドどこ行った。


 まぁいい、少しでも小説のネタにもなるかもしれないからな。

 

 そう自分に言い訳をする。


 そんなことを思いながら、ふと両隣を見ると――。


 不機嫌な視線がふたつ。


 左側、浅葱は「コイツまじで?」とでも言いたげな呆れ顔。

 

 右側、瀬良先輩は「お前を殺す」とでも言いたげな冷ややかな視線。

 

 空気が、重い。息苦しい。


 あれ? 俺、特大の地雷踏んだ? 俺、死ぬのか?


「ねぇ、高一くん」


 瀬良先輩の声が、低く響く。


「ひゃ、ひゃい!」


 俺は思わず変な声を出してしまった。

 

 背筋が凍る。


 瀬良先輩の視線は、こちらを睨んでいるようで睨んでいないような、微妙な角度だ。

 

 だが、確実に怒っている。それは分かる。


「高一くんが行くなら、私も行くわね」


 その声は、静かだが有無を言わさぬ圧力があった。


「あ! 私もー!」


 浅葱も即座に便乗した。

 

 その表情は、さっきまでの呆れ顔から一転、満面の笑みだ。


 な、なんで毎回こうなるんだよ!

 

 俺の孤独孤高ストーリーはどうなってるんだよ毎回!


 窓の外を見る。青い空が広がっている。

 

 その空が、今日はやけに遠く感じた。


 こうして俺は、不知火先輩のバスケ試合を見に行くことになった。

 

 しかも、三人揃って。


 はぁ、俺のマイライフ、さらばだ。


 俺は深いため息をついた。

 

 その音が、静かな空き教室に小さく響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る