第45話 陰キャ、武の女王の試合を見る ー果てしない戦いー

 翌日、土曜日。

 

 俺は体育館の前で立ち尽くしていた。


「……なんで俺、ここにいるんだろう」


 自問自答する。答えは出ない。

 

 いや、出てるけど認めたくない。


 体育館の入り口からは、バスケットボールの音が聞こえてくる。キュッキュッという靴の音。ドリブルの弾む音。そして、歓声。


「……うるせぇ」


 陰キャの俺にとって、この喧騒は地獄だ。

 

 人が多い。声が大きい。空気が熱い。全てが苦手だ。


「高一くーん!」


 背後から声がした。

 

 振り向くと、浅葱と瀬良先輩が歩いてくる。


「おまたせ!」


「……待ってないけど」


「嘘だ〜。絶対待ってたでしょ」


 浅葱がニヤニヤしている。

 

 その笑顔が、妙にムカつく。


「で、入らないの?」


 瀬良先輩が体育館の入り口を見る。


「……入るけど」


「じゃあ、行きましょう」


 三人で体育館に入った。


 ※ ※ ※


 体育館の中は、予想通りの地獄だった。


 人、人、人。

 

 観客席はほぼ満席。応援の声が響き渡る。バスケ部の保護者らしき人たち、他校の生徒たち、そして――。


「うわ、人多すぎ……」


 浅葱が呟く。


「これが大会というものよ」


 瀬良先輩は慣れた様子だ。


 俺たちは何とか空いている席を見つけて座った。

 

 観客席の硬いベンチ。周りの熱気。全てが居心地悪い。


「……帰りたい」


 小さく呟いた。


「ダメだよ! 不知火先輩、楽しみにしてたんだから!」


 浅葱が俺の腕を掴む。

 

 その手が、妙に強い。


「……分かってるよ」


 俺は諦めた。


 その時、コートに選手たちが出てきた。

 

 青いユニフォームのチーム。それが不知火先輩のチームだ。


 そして――。


「……っ」


 息を飲んだ。


 不知火先輩が、コートに立っている。

 

 ポニーテールに結んだ髪。引き締まった表情。そして、自信に満ちた眼差し。


 いつもの爽やかな笑顔とは違う。

 

 今の不知火先輩は――戦士だった。


「かっこいい……」


 浅葱が感嘆の声を漏らす。


「ええ。優花、試合の時は別人のようになるのよ」


 瀬良先輩が微笑む。


 俺は――何も言えなかった。

 

 ただ、不知火先輩の姿に見入っていた。


 ピッ!


 笛の音が響く。

 

 試合が始まった。


  ※ ※ ※


 試合開始から、不知火先輩は圧倒的だった。


 ドリブルで相手を抜く。華麗なパスを通す。そして――。


 シュッ!


 3ポイントシュートが綺麗に決まった。


「すごい!」


 浅葱が歓声を上げる。


「さすがね」


 瀬良先輩も感心している。


 俺は――黙って見ていた。


 不知火先輩の動きは、美しかった。

 

 無駄がない。迷いがない。全てが計算されているかのような動き。


「……かっけぇ」


 思わず呟いた。


 前半が終わる頃には、不知火先輩のチームが20点差をつけていた。

 

 完全に一方的な試合だ。


「不知火先輩、すごいね!」


 浅葱が興奮している。


「ええ。これが優花の実力よ」


 瀬良先輩が誇らしげに言う。


「……ああ」


 俺も素直に頷いた。


 その時、不知火先輩が観客席を見上げた。

 

 そして――俺と目が合った。


 不知火先輩が、笑った。

 

 いつもの爽やかな笑顔。


 そして、手を振ってきた。


「……っ」


 恥ずかしい。周りの視線が痛い。


「高一くん、手振り返さないの?」


 浅葱がニヤニヤしている。


「……振らねぇよ」


「えー、せっかく不知火先輩が振ってくれたのに」


「うるせぇ」


 俺は顔を背けた。

 

 でも――少しだけ、嬉しかった。


 ※ ※ ※


 後半も、不知火先輩の独壇場だった。


 相手チームは必死に食らいつくが、不知火先輩のチームは余裕だ。

 

 最終的には、40点差で圧勝。


 ピッ、ピッ、ピー!


 終了の笛が鳴った。


「やったー!」


 浅葱が立ち上がって拍手する。


「素晴らしかったわね」


 瀬良先輩も拍手している。


 俺も――小さく、拍手した。


 不知火先輩は、チームメイトとハイタッチしている。

 

 その笑顔が、キラキラと輝いていた。


「……圧勝、か」


 言った通りだった。

 

 不知火先輩は、本当に最強だった。


「さ、不知火先輩に会いに行こうよ!」


 浅葱が俺の手を引く。


「え、ちょ、待て――」


 抵抗する間もなく、俺はコートの近くまで連れていかれた。


 ※ ※ ※


 コートの脇。

 

 不知火先輩が、タオルで汗を拭いていた。


「優花!」


 瀬良先輩が声をかける。


「由良! 浅葱ちゃんも! それと――」


 不知火先輩の視線が、俺に向いた。


「高一くんも! 来てくれたんだ!」


 満面の笑みで駆け寄ってくる。


「あ、ああ……お疲れ様」


「ありがとう! 見てくれた?」


「見た。すごかったよ」


 俺は素直に答えた。


「でしょ? 私、最強だから」


 不知火先輩は自信満々に胸を張る。

 

 その姿が――本当にかっこよかった。


「約束通り、圧勝したよね」


「ああ……完璧だった」


「じゃあ、約束のご褒美、あげないとね」


 不知火先輩がニヤリと笑う。


「ご褒美……?」


 俺は首を傾げた。


「うん。ちょっと待ってて」


 不知火先輩はそう言って、ベンチの方に走っていった。


「……何するつもりだ?」


「さあ? でも、楽しみね」


 瀬良先輩が意味深に笑う。


「私も気になる!」


 浅葱も期待している様子だ。


 数秒後、不知火先輩が戻ってきた。

 

 手には――ペットボトルが握られている。


「はい、これ」


 俺にペットボトルを差し出す。


「……スポーツドリンク?」


「うん。私が飲もうと思ってたやつ」


「え、それなら先輩が飲めばいいじゃないですか」


「ううん。高一くんにあげる」


 不知火先輩は笑顔で言う。


「これが、来てくれたご褒美」


「……これだけ?」


「え、不満?」


「いや、不満じゃないけど……もっとすごいもの想像してた」


「ふふ、何想像してたの?」


 不知火先輩がニヤニヤする。


「べ、別に何も!」


 俺は慌てて否定した。


「じゃあ、これで満足でしょ?」


「……まぁ、ありがとうございます」


 俺はペットボトルを受け取った。

 

 その時、不知火先輩が耳元で囁いた。


「ちなみに、これ……私が一口飲んだやつだから」


「――は!?」


 俺は思わず大声を出してしまった。


「間接キス、ってやつだね」


 不知火先輩は悪戯っぽく笑う。


「ちょ、そ、それは……」


「嫌だった?」


「い、いや……嫌じゃないけど……」


 顔が熱い。完全に赤くなっている。


「ふふ、可愛い反応」


 不知火先輩は満足そうに笑った。


「優花、高一くんをからかいすぎよ」


 瀬良先輩が呆れたように言う。


「いいじゃん。可愛いんだもん」


「可愛くないです!」


 俺は必死に否定した。


「えー、可愛いよー」


 浅葱も便乗してくる。


「可愛くない!」


 三人は笑っている。

 

 俺は――恥ずかしさで死にそうだった。


「……帰りたい」


 小さく呟いた。


「ダメだよ。これから打ち上げがあるんだから」


「打ち上げ!?」


「うん。みんなでご飯食べに行こうよ」


 不知火先輩が提案する。


「私も賛成」


「私も!」


 瀬良先輩と浅葱も賛成した。


「……俺の意見は?」


「却下」


 三人の声が重なった。


「……はい」


 俺は諦めた。


 こうして、俺の休日は――また賑やかなものになった。


 でも――悪くない。

 

 そう思ってしまう自分がいた。


「……完全に毒されてるな、俺」


 そう呟いて、俺は苦笑した。

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