第38話 陰キャ、海を堪能する ースケベすぎるだろ、その水着ー

 電車に揺られること約一時間。

 俺たちは海に到着した。


「うわー! 海だ! 海!」


 浅葱がはしゃぎながら駆け出す。

 その姿が、まるで子供みたいだった。


「久しぶりの海ね」

「私も! 練習ばっかりだったから嬉しい!」


 瀬良先輩の落ち着いた声、不知火先輩の無邪気な笑顔。

 そのコントラストが目に眩しくて、俺は少しだけ遠くから見つめていた。


「じゃあ、着替えに行こうか」


「うん!」


 三人が更衣室へ向かっていく。

 俺も男子更衣室へ足を向けた。


「……緊張するな」


 心臓がやけにうるさい。

 普段はクラスの女子の露出すら目に入らない俺だが、今日ばかりは違う。

 だって――水着だぞ。

 リアルイベントだぞ。

 陰キャの人生において、これは“奇跡の祭典”レベルの出来事だ。


 ……落ち着け。深呼吸だ。

 変な期待するな俺。紳士的であれ。

 (でもできれば眼福タイムは長めに欲しい)


 俺は一人、そんな自己ツッコミをしながら着替えを終え、海辺で待つことにした。


 ※ ※ ※


 潮風に吹かれながら待つこと数分。

 波の音がリズムを刻み、遠くでカモメが鳴いている。

 ――こんなに“前奏が長い”のも、たぶん心の準備時間だ。


「おまたせー!」


 浅葱の声が弾んだ。

 振り向いた瞬間、俺の脳がフリーズした。


 浅葱はオレンジのビキニ。

 健康的で、陽光に映える肌。笑顔が眩しくて、

 ――あ、ダメだ、目が泳ぐ。


 不知火先輩は白のビキニ。

 しなやかな腹筋、引き締まった脚。さすがスポーツ女子。

 (あの肩のライン、反則だろ)


 そして瀬良先輩は黒のワンピース型。

 上品で露出は少ないのに、逆に想像力が刺激される。

 (ちょっとした首筋の見え方だけでここまで色っぽいって何?)


 俺は内心で何度も叫びながら、かろうじて人間の言葉を絞り出した。


「み、みんな……似合ってます……!」


「ふふ、ありがとう」

「高一くん、顔真っ赤」

「嘘が下手ね」


 ――三方向からの女子トーク集中砲火。

 あ、これあかん。完全に羞恥プレイだ。

 でも……最高だ。

 (人生、こういう瞬間のために頑張ってる気がする)


「じゃあ、泳ぎましょうか」

「おーっ!」


 三人が走り出す。

 太陽の下で弾む声と笑顔。

 俺は心の中で誰にも聞こえない感想をこぼした。


「……尊い。夏、尊い」


 ※ ※ ※


 海で遊ぶこと数時間。

 浅葱に水をかけられ、仕返ししたら不知火に助太刀され、

 最終的に瀬良先輩に頭からバケツをかけられるという理不尽な結末。


 でも――楽しかった。

 笑い声と潮騒が混ざって、まるで夢みたいだった。


「疲れた〜」

「でも、楽しかったね」

「ええ。久しぶりにこんなに遊んだわ」


 三人がパラソルの下で笑う。

 その光景を見て、俺はふと呟いた。


「……俺、変わったな」


 昔の俺なら、絶対ここにいなかった。

 日差しも人混みも苦手で、SNSで海の写真見て終わり――そんな人間だった。

 でも今は、砂浜の上で、誰かと笑ってる。


「高一くん?」

「あ、何でもないです」

「なんか、いい顔してたわよ」

「いい顔、ですか」

「ええ。青春してる顔」


 瀬良先輩の言葉に、少しだけ胸が熱くなる。

 (青春……それ、今まで縁がなかった単語だな)


 ※ ※ ※


「ねぇ、スイカ割りやろうよ!」


 浅葱の声に、不知火先輩がすぐ反応した。


「いいね! やろうやろう!」

「じゃあ、高一くんが最初ね」

「は!? 俺!?」

「男の役目でしょ?」

「……分かりました」


 目隠しされ、棒を渡される。

 足元の砂の感触と、耳元で響く三人の声。

 ――いや、距離感近い。声のトーンが甘すぎる。

 (今だけちょっとだけでいい、方向ミスって当たるなら柔らかい方でお願いします)


「もっと右!」

「いや左!」

「前前!」


 叫びながらも混乱しつつ、俺は振り下ろした。


 パカーン!


「割れた!」

「すごい!」

「高一くん天才!」


 目隠しを外すと、見事にスイカが真っ二つ。

 拍手と笑い声が弾ける。


 俺は思わず笑ってしまった。


「やったね!」

「じゃあ、みんなで食べよう!」


 四人で囲んだスイカは冷たくて甘くて、

 その一口がやけに幸福だった。


「美味しい……」

「うん、美味しいね」


 口の中に広がる甘さよりも、胸の奥の温かさの方が強かった。

 ――ああ、俺、今ちゃんと“生きてる”んだなって思う。


 風が頬を撫でる。

 三人の笑い声。

 陽光が揺れる水面。


 全部が、俺の中で宝物みたいに光っていた。


「……この瞬間が、ずっと続けばいいのに」


 心の奥で、誰にも聞こえない声が漏れた。


 夏の海。

 三人の笑顔。

 そして俺のどうしようもない煩悩も含めて――

 この記憶は、きっと一生忘れない。

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