第2話
天窓から入る日の光の中、芝居小屋の中はそれなりの人出であふれていた。
帯となった日の光に照らし出される緞帳が拍子木とともに上がるその奥に、舞台上に見えるはかの人物と布に覆われたその眼前の台、それだけである。
固唾をのんで見守る善男善女を睥睨するかのように見下ろすのは、肩幅広く背も人並み以上、がっちりした骨格の偉丈夫で、人並みともいえるその面相には、何やら人好きのするようないたずら者の笑みが現れていた。
そしてその前に鎮座するは何やら黒光りする繻子と思われる一枚布で覆われた台であり、その上には聴衆の心までわしづかみにしかねない逞しげな手がしっかりとのせられている。
「さてご聴衆、闇をご存じですかな? 」
固唾をのんで見守る聴衆に投げかけられた第一声は心地よい落ちついた声音で、そのまま腹の底までしみとおるような思いがした者も幾人かいたことだろう。
「夜の闇、心の闇。
特に夜の闇はこの世の開びゃく以来一日を昼と共に配下に収め、我等の生の半分を不可視のものとしていることはよくご存知のこと。
闇は我等を取り囲み”ここは我らの領域、人のあるところにあらじ”と囁き、人は闇の中震えつつも朝の到来を待つしかない身となり下がるところでありました。
だが、人はそれに抗い、火を、灯明を、行燈を、提灯を作り”我等もまたここにあるもの”と声を上げ続けてきたのであります。
そして今! 」
雑風斎はいきなり勢いよく目の前の台上の布をその手ではぎ取った。その下から現れた代物に観客は一斉に感嘆の声を上げた。
雑風斎の興業ではすでに恒例となっているらしい、その磨き抜かれた本体が艶やかに光を反射するエレキテル。
そしてそこからのびた線がたどり着くのは職人によって彫り上げられた燭台の上、天からの光をその身に浴びて輝くギヤマン球が取り付けられている。
雑風斎は観客よりあがった心からの感嘆の声に満足げにうなづくと、浪曲師もかくやとばかりの朗々とした声を響かせた。
「人はさらに一歩を闇に向かって踏み出す! それがこの、”エレキテル陰火発生装置”にござる! 」
力強く言い放った雑風斎に皆が手も折れよとばかりに拍手を送った。
……壇上からはあえて手を動かさず、苦々しげに顔をそむける一団が見えたかもしれない。
ではとばかりに雑風斎が左右に視線を投げかけると、パタンと乾いた音とともに小屋内は闇に満たされた。
一瞬声を上げた者もいたが、大部分はこれより披露されるその「奇跡」を今か今かと待ち望んでいる。
カラカラと、ゴーゴーと音が鳴り始める。
ギヤマン球の中の仕掛けが灯明ぐらいの明るさを放ちだしたのに、観客の中から感嘆の声が上がり出す。
壇上の雑風斎の姿が少しずつ見え始める。
雑風斎の手は忙しくエレキテルのレバーを操り、それに従いギヤマン球の中の灯心は命あるもののように脈打ち始めている。
そしてその手の動き速まるとともに強風のようなエレキテルの唸りも耳を聾せんばかりとなり、ギヤマン球内の灯りもまた輝きを放ちはじめ……。
そして一瞬世界が白くなった。
観客は大慌てで目を覆う。
ギヤマン球が真昼のごとくに小屋内を照らし出したのだ、と思うころにはその奇跡の代物は輝きを失い、再びあたりは闇に覆われていた。
観客が口々にため息をつく中、大慌てで芝居小屋の天窓が開けられたらしい。お天道様の落ちついた光が中に差し込むにつれ、ため息は安堵の声に変わっていった。
「予想よりも限界点に至るのが少々早かったようだ。しかし、小屋内を真昼のごとく照らし出したは僥倖」
台上に手をつき、挑みかかるかのような笑みで雑風斎が観客に問いかけた。
「今回の試技、成功と存ずるがいかがでありましょうや」
合点がいった客席のあちらこちらから拍手が起こり、それに呼応するかのようにやっと理解に至った他の客席へと少しずつ広がり、最終的には割れんばかりの大喝采へと繋がっていった……のだが。
「待たれい! 」
入口でひと悶着あったあの一団だと観客が気がつくころには、それらはその場で全員立ち上がり怒号を開始していた。
「かのような手品を”実験”と称すは片腹痛いわ! 」
「そうとも! 」
「そうだ! 」
「客の目を晦ますのがせいぜいのくせして大学者を気取るとは恥を知れ! 」
「かの機器の原理を我等にも理解できるように説明せよ! さもなくばその”大学者”の看板を降ろしていただこうか! 」
「かまわぬ! あの目くらましの機器を押収し、我等の手でその欺瞞を暴いてくれるわ! 」
「お、お待ちください! 」
口々にわめきたてながら壇上に上がろうとする者と、それを必死に抑えようとする者たちによる混沌によって、小屋の座席はもう何が何やらわからぬ状態。
「幕だ! 幕! 」
少し怒ったように雑風斎の口から出た言葉に応じるかのように、目の前の緞帳が降ろされ、かの”天下一の大実験”は幕となった……。
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