第3話

「まったくあいつらぁ! ろくな事しかしやがらねぇときてやがる! 」


 その日の夜がまともにやってくるとは、あの修羅場とも思えた終幕からは思いもつかなかった。


 興業の片付けも終わりほうほうの態で逃げ込んできたのは、いつもの通り彼らの基地でもある雑風斎の長屋であった。


「誰だ、あいつらぁ小屋ん中に連れ込んだのぁ」

「平次です~」


 狭い雑風斎の部屋で車座になった一団の前に揃えられたのは少々の酒と塩に味噌、そして申し訳ばかりのお漬物。

 調子よく吠える雑風斎に睨まれて横を向きながらこうこを口中に放り込んだのは、あの小屋の呼び込み係であった。


「こら、てめぇ何横を向いていやがる。首が前向かねぇなら骨接ぎ行け」

「いや、少しは学のありそうな御仁を入れておかねぇと、先生の業がまた”ただの興業”で終わっちまうんじゃねぇかって思ったんですよ」

「それがあの上方に行っちまった学者センセの弟子筋じゃあ、意味がねぇだろうがっ! 」


 先輩格に一喝されて首をすくめた平次を鼻でわらって雑風斎は指先の味噌をなめた。


「あの御仁にはとっことんつっこまれたもんだったが、惜しいかな、肝心なことが何一つわかりもしやしなかった。

上方へ行かれたと聞いた時にゃあなんとかかの御仁の器の範疇で活躍してもらいてぇもんだと思ったもんだったが、せめて残していった愚にもつかねぇ弟子どもをなんとかしつけていってもらいたかったんだがなぁ! 」

「あれほど雑風斎先生が手間暇かけて調整した奇跡の業を手品と言い放つは口惜しくて仕方がありませんな」


 一同の中でもかなり年かさの、どこぞの大店の古株番頭とでもいったかのような男が、皆が胡坐で車座になって江戸っ子らしく湯呑酒一つ飲むのにも肘が相手にあたりそうになる中、正座のまま湯呑を両手をそえてちびりちびりと飲みながらぼそぼそと話し始めた。


「あれほどギヤマン球に封じ込めた”線”をこしらえるのにどれほど江戸中の鍛冶屋を駆けずり回ったことか。ギヤマン球の中すら”気”を吸い出してあるものとわかった者がどれほどいたか……」

「まぁ、観客の連中には”ああ、照らしたな”ぐらいわかりゃあ上々ってなもんでしょ。それすらも認めねぇ連中と比べてみりゃあ、素直なもんだってんだ」


 平次の灸兵衛へのつっこみに苦笑しながらも、他の者は口々に今日の客筋について論評し始めた。


「ごひいき筋の旦那さんからはお誉めの言葉を頂戴したぞ。ただ……あの方はなんでもお誉め下さるから理解にまで至っておられるかなぁ……」

「まぁ、ほとんど”光ったな””もう少し長いとよいが”ぐらいのもんでしたな。2,3人あの仕掛けについて食いつくものがいてもいいがと思っていたんですが……」

「あの一団追い返すのにどれだけ苦労したと思ってるんですか~。そっちに行っていればいやと言うほど食いつかれてましたよ」

「世に新しいものが受け入れられるのに時間がかかるのぁ、いつものことだろうよ」


 片頬だけで笑う雑風斎に、一味は納得したかのように一様に頷いた。


「どこぞの蘭学者の先生がぼやいていたそうですよ。西洋の人々が普通に理解できる代物を、なぜ理解しようとしないのか。日の本の基準だけではわからぬことがあるのだ……とかなんとか」

「ちっちぇえ、ちっちぇえよ。まだまだ人にゃあ思いもつかぬ事など、この世にはたんとあるってぇのになぁ。目の前にドンと置きでもしなけりゃあ、そういう奴らにはわからねぇのか……。ああ……なるほど……」


 それまで鬼のように言いたい放題言っていた雑風斎が何事か納得したかのように口ごもると、まるでネズミの声でも聞きつけた猫たちのように、長屋に集まっていた連中の顔がびくんとそちらに向き直った。


 手文庫の中から紙と硯を用意しだし墨をするころになると、雑風斎の目はもはや目の前の連中ではなく、心の奥の新しい着想に夢中になっていることぐらい周りの目には明らかになっていた。


「遠くの景色が目の前に現れるとなると蜃気楼だ。蜃気楼の成り立ちがこうであるからには……それをエレキテルで代用し……」


 偉丈夫の体格の背中を丸めて紙上に没頭している姿に、それまで奔放な怒りをぶつけられていた一味は心からの安堵のため息をついた。


「何があろうとすぐに次の計画にお繋げなさる。これが我等の雑風斎様だよ」


 平次が感に堪えないかのように呟くのに、雑風斎を除く部屋の人々総てが頷いた。

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