第7話 特別な重荷と普遍の安堵
健太は、焚き火の炎を見つめ直した。
「でも僕、やっぱりコールマンが好きなんですよ。機能が優れているのはもちろんですが、父の502も、健太さんのスポーツスター2も、**炎がいつも『あるがまま』**なんです。
安定していて、誰でも扱える。あの、ロマンに満ちたストーブも素晴らしいですけど、ボクにはコールマンが合っていると思うんです。
道具は、使う人間にあるがままの炎を与えてくれるのが、本当の強さだと思うんです。」
貞時の言葉は、健太の心に確かに伝わった。
特別を追い求め、失敗し、罰の味を味わった自分。そして、安定を求め、**「秘密の懺悔」**としてコールマンを選んだ自分。
健太は、焚き火の炎を見つめた。あの時の、あの炎上した炎はオレンジ色で暴れた。
その後の焚き火は、悔しい匂いで灰色の色調に見えた。
しかし、今目の前にある炎は、ただ薪が燃えるありのままの光と熱だ。
「コノちゃんの言う通りだ。俺は、道具に『特別な俺』を認めさせようとしすぎてたのかもしれない。道具に厳しさを求めて、結果的に、自分自身を苦しめてた。」
貞時は、静かに頷き、カップを傾けた。
焚き火の火力が安定すると、二人は夕食の準備に取り掛かった。
貞時がクーラーボックスから厚切りの赤身肉を取り出し、健太は焚き火台の燃え盛る炎の上に頑丈な鉄板を置いた。
鉄板が充分に熱せられるのを待つ。
そろそろかな?
健太はそう言うと、鉄板に少量の水をかける。
水は瞬時に蒸発せず、小さな水玉になって勢いよく転がった。
「完璧だ。」
健太は呟き、肉を置く直前に、挽きたての塩胡椒を振りかける。
健太は肉を置く直前に、挽きたての塩胡椒を振りかける。
ジュウウッ!
肉が熱い鉄板に触れる豪快な音が響き、香ばしい煙が勢いよく立ち上る。
**「ああ、これですよ。この音!」**貞時が缶ビールを開けながら言った。
肉が焼けるのを待つ間、健太はアルミホイルに包んだじゃがいもや玉ねぎを、焚き火台の隅の熾火エリアに置いてじっくりと熱を通し始めた。
特別な調理器具は使わない、極めてシンプルなメニューだ。
ミディアムレアに焼きあがった肉を、2人はナイフとフォークで分け合った。
豪快な肉の旨味と、焚き火の煙の香りが、健太の心をさらに解放する。
ビールを飲み、肉を食べながら、会話は自然ととりとめのないものに変わっていった。
仕事の愚痴、健太は、真衣や子どもたち、貞時は、父とのエピソード、次に行ってみたいキャンプ場のこと。
「火を見ると心が開けるから不思議ですね。上司である健太さんは、いつも職場では厳格ですが、今隣にいるリラックスされた健太さんを見ていると、僕も肩の力が抜けます」と貞時が笑う。
「そうかもね。この火のせいだろうな。ここで見てる炎は、ありのままを受け入れてくれるから、素直になれるよ。」
健太は、ふと、スポーツスター2を庭で磨いている時に、子どもたちが声をかけてきたことを思い出した。
「実はさ...庭でストーブ磨いてたら、子どもたちが寄ってきて。
『パパ、これでココア飲みたい!』って言われてさ。
道具の価値は、誰かに認められることでも、特別な炎を灯すことでもないんだなって、初めて分かったんだ。」
健太の**「特別な憧れ」(エマ・ストーン=依真)と、真衣の「特別な情熱」(リーアム・ニーソン=理愛夢)が、「家族という普通な特別」**に昇華していた事実に、健太はようやく気づき始めたのだ。
薪が燃え尽きて、焚き火台には赤い熾火だけが残り、あたりがしんとした静寂に包まれた頃。
貞時が「肉とビールのおかげで、今日はよく眠れそうです」とあっさり言ってテントに入った後も、健太はしばらく熾火(おきび)を眺めていた。
その炎は、健太の長年の「特別」と「普通」の境界線を溶かす「中和剤」**となっていた。長らく味わうことのなかった、心の平穏だった。
翌朝。
健太はテントのジッパーを開け、茶臼山の冷たい朝の空気を吸い込んだ。
隣のツーリングドームから顔を出した貞時と、静かに目を合わせた。
「健太さん、おはようございます。」
「コノちゃん、おはよう。よく眠れたかな?」
貞時は、昨夜の深い会話とぐっすり眠れた安堵で、清々しい笑顔だった。
「はい、ぐっすり眠れました!」
健太は頷いた。
「よし。昨夜はコノちゃんが肉を用意してくれたから、朝ご飯の支度はオレがするよ。」
貞時は、健太の気遣いに対し、飾らない言葉で返した。
「ありがとうございます!じゃあお言葉に甘えて。そしたらコーヒーは僕が淹れますね。」
二人は、昨夜の深い会話を経て、より親密で落ち着いた空気に包まれていた。
彼はためらいなくスポーツスター2を取り出し、ポンピング。静かで力強い、変わることのない青い炎が立ち上る。朝の光に照らされても、その炎は普遍的な安定の証として揺るがなかった。
隣で貞時も湯沸かしの為に、スポーツスター2に点火し、二つのストーブが全く同じ、普遍的な青い光を放った。
健太は、この「同じ炎」が、自分の「特別な孤独」を溶かし、「普遍的な安定」という仲間に入れてくれたような気がした。
健太は、手際よくスポーツスター2の上にホットサンドメーカーを乗せた。
食パンの間にチーズやハムを挟み、両面を丁寧に焼き上げる。
やがて、**「カリッ」**と小気味良い音を立てて、完璧な焼き色のホットサンドが完成した。
朝食は、サクサクのホットサンドと、貞時が淹れた挽きたてのコーヒー。
特別なメニューではないが、安定と安堵の味がした。貞時も、そのシンプルな美味しさに目を細めた。
「最高に美味しいです、健太さん。コーヒーも上手く淹れられたと思います!」
「ああ、美味いよコノちゃん。こういうシンプルなのが一番美味いんだよ。」
食後、二人は協力して食器を片付け、互いのテントと道具を黙々と撤収し始めた。
昨日と違い、そこには急ぐ様子もなく、確かな達成感と静かな満足感だけがあった。
全ての荷物をPCXとランクル70に積み終えると、二人は改めて向かい合った。
撤収を終え、別れ際。
「コノちゃん、ありがとう。楽しかった。君のおかげで、大事なことに気づけた気がするよ。」
「いえ!健太さんのおかげで、父の言葉の意味を深く理解できました。またご一緒しましょう。コールマン、お互い大切に使いましょうね!」
貞時は屈託のない笑顔でそう言った。
健太の**「秘密の懺悔」が、貞時という「光」によって「安定への第一歩」**として祝福されたように感じられた。
健太はPCXに乗り、心置きなく「聖域」から「普通の日常」へ戻る道を選んだ。
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