第12話「朱音の過去」

 祭りの翌日。

 怪異出現の報もなく、朔夜の修行も朱音と健人の勉強も終わり、午後を穏やかに過ごす。

 いつの間にか、朱音をはさんで健人と朔夜が座るのが日常になっている。

「――こうやってページをめくるの」

「なるほど。この一つのスマートフォンの中に何冊もの書籍が入るのですか」

 朱音が電子書籍の読み方を教えると、朔夜はすぐ覚えてくれた。

 朱音の端末にインストールされているのはほとんどがマンガだ。

「こっちの世界にもマンガってあるのかな?」

「あるにはありますが、こんなにクッキリした絵で物語が展開するものは珍しいです。そちらの世界でもマンガの中だと私たちが使う霊力のような力で戦ったりするのですね」

 朱音のお気に入りのマンガは主にバトルものだ。中には『霊力』という言葉が出てくるものもある。

「正義のために戦いたいって気持ちは、きっとどこの世界の人にもあるんだよ」

 朱音の世界と朔夜の世界、その二つ以外にも異世界は存在するのかもしれない。異世界の数がいくつであれ、人々の心の根底にある考えは共通なのだと思う。

「昨日の戦いも見事でした。朱音様は本当に勇敢ですね。なにか強い信念がおありなのでしょうか?」

 朔夜の口から素朴な疑問が出た。

 無意識にではあるが、この質問を待っていた。これに答えない訳にはいかない。

「あたしね、ヒーローになりたいんだよ」

 単なる友達には深い事情まで話していないが、この夢を語るのは好きだ。

「ひーろーというのは、確か……」

「ああ、英雄って意味」

 この世界の住人にも分かるよう言い直す。朔夜なら朱音の貸したスマートフォンで自主的に調べてくれるかもしれないが。

「かっこいいでしょ? あたし、ずっとそういうのに憧れててさ、だからこっちの世界に来て誰かを守るために戦えて幸せなんだよ」

 ヒーローの女版ならヒロインということになるが、それだとヒーローに助け出されるお姫様のようなイメージになってしまう。朱音はそんなものには死んでもなりたくなかった。そう死んでも。

「朱音様がヒーローというものにこだわる理由……お聞きしてもよろしいでしょうか? それとも他人が踏み入ってよい話ではないでしょうか」

 朔夜は察しがいい。たったこれだけのやり取りで、朱音に特別な事情があると気付くとは。

「ううん。朔夜君はもう他人じゃないから話すよ」

「ナツミ、もう吹っ切れたのか……?」

 健人が、いつになく心配そうな声で尋ねてくる。

 おそらく健人は、朱音がヒーロー願望を口にする度、過去に縛られているのだと感じていたのだろう。過去の出来事が関わっているのは事実だ。

「あたしを誰だと思ってんの。いつまでもくよくよしてる訳ないでしょ」

 健人に強気で答えたあと、朔夜に対して語り始める。

「あたしにはけいっていう弟がいたの」

 脳内には、幼いままの弟の顔が浮かぶ。邪なところが全くない無垢な笑顔だ。

「桂はすごく頭がよくて、お父さんたちもすごく期待して勉強ばっかりさせてた。でも、それだけじゃつまんないだろうと思って、あたしが外に連れ出してよく原っぱで遊んでた」

 朱音はもはや遠く感じるようになった過去を振り返りながら話を続ける。

「そんな時のことだよ。でっかい野犬に襲われてさ、あたしは逃げるのに必死で桂がついてきてるか確認できてなかった。あたしが逃げ切ったあと、大人に探してもらったら桂は生きてたけど、かまれてひどいケガしてて、それから少しした頃、傷から入った菌が原因で死んじゃった」

 実質的に、朱音は弟を見捨ててしまったのだ。

 もちろん悪気はなかった。それでも、桂が入院して以降は自責の念にさいなまれ続けていた。桂が死んだ直後は、それこそあとを追って死ぬことすら考えた。

「あの子、入院してから一度もあたしのこと責めなくて。それがあたしには余計つらくて。桂の葬儀が終わった時に決めたんだ。誰かを犠牲にして生き残るような人間じゃなくて、誰かを助けるために死ねる人間になろうって」

 話していると、自分でも意外なほど感傷的になっていた。

 しかし、今は前を向いているつもりだ。誰かの助けとなることを目指せるようになっているのだから。

「前に朱音様のことを姉と呼んでもいいと言っていただきましたが……私にその弟御の代わりが務まるのでしょうか……?」

 朔夜がおずおずと尋ねてくる。

 オトウトゴというのが聞き慣れない表現だったが、たぶん弟を丁寧にした言葉だ。

「あ、代わりって言ったら失礼だけど、朔夜君のことも本当の弟みたいに思ってるよ」

 そう答えた上で、自分の意志を強く表明する。

「大切な人に勉強以外の楽しみを知ってもらいたいのは今も一緒。だから、なにかが起こってもあたしが守る。朔夜君は安心してあたしについてきて」

 同じ過ちは繰り返さない。そのために強さを求めてきたのだ。

「朱音様……! さぞつらい思いをされたことでしょう。それなのに、ありがとうございます。そのお心遣いだけで救われます。私も人生を楽しんでいいのだと」

 朔夜は瞳を潤ませている。朱音に悲しい過去があったこと、それが理由で優しくしてもらえていること、そうしたことがない交ぜになって朔夜の心が動かされているのだろう。

 朔夜が朱音に対して全幅の信頼を寄せる一方で、健人はやや心許なそうにしている。

「つっても、まだ危なっかしいからな、無茶しすぎないように俺が見ててやる必要もあるんだけどな」

 これが健人だけで元の世界に帰るかどうか迷っていた原因だろうか。憎まれ口を叩いていても、健人が朱音を大切に思っているのは間違いない。

「実は、私にも姉――兄上からしたら妹に当たる人――がいたのですが、怪異との戦いで命を落としてしまいました」

 朱音の話を聞いた朔夜は自身の過去も明かし始めた。

「兄上は『弱いから死んだ。それだけだ』なんておっしゃっていますが、本当は心を痛めていることだと思います。姉は霊力が高くなく、卯月家においてお荷物のように見る方もいましたが、とても勇敢で優しい人でした」

「朔夜君……」

 弟を失った朱音に、姉を失った朔夜。どちらも家族を失っていたとは。

「朱音様が頼りになる方だということは信じております。ただ、無理をなさって姉のようにはならないでください。そのためにも、健人様にはそばについていていただきたいというのが私の願いです」

 朔夜の願いもまた切実なものだ。

 朱音が、朔夜の姉の二の舞を演じたら、朔夜の信頼を大きく裏切ることになる。

「俺も朔夜の世話にはなってる。そういう頼みなら聞かない訳にいかないな」

 朔夜と健人も仲良くなっている。どうせなら、今後もこの三人で生活していきたいものだ。

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