第11話「祭り」

 病室に少女の声が響く。

『なんであたしじゃなくてケイなの!? なんでケイが死ななきゃいけないのよ!? 悪いのはあたしなのに!』

 少女はベッドに寄りかかりながら、冷たくなった幼い少年の手を握っている。

 周囲の大人たちは、少女になにも声をかけることができずにいた。


 布団の中で目を覚ますと、涙がつたっていた。

 場所は卯月家の自室だ。厳密には自分のものではないのだが、朔夜の好意で自由に使わせてもらっている。

(ああ……あの夢か。乗り越えたと思ってたんだけど、あたしも人のことを言えないか……)

 昨日女中に説教したせいか、自分のトラウマを呼び覚ましてしまったようだ。

 涙の跡をしっかり消した上で、朔夜たちと食事。

「ナツミ、おまえ表情が暗くないか? 唯一の取り柄までなくなったのか?」

 健人から皮肉まじりに心配された。

「私も気になりました。なにか悩みがおありでしたら聞かせていただけませんか?」

 朔夜は一切まじり気のない心配をしてくれる。

「いや、悩みとかないよ。それよりさ、執事? みたいな人がお祭りとかなんとか言ってなかったっけ?」

 朱音が明るく振る舞いながら尋ねると、朔夜が複雑そうにしながらも詳しいことを教えてくれた。

「はい。怪異から町が守られていることに感謝する祭りです。といっても、神仏への感謝はもう建前だけで、実際にはみんなで楽しく盛り上がろうという話ですね」

 祭りというものの実態は朱音の世界とそう変わらないか。それなら楽しそうだ。

「へえ。いいね、そういうの。あたしも行こうかな。もちろん朔夜君も行くよね?」

 否定されることはないと思っていたが、意外にも朔夜は首を横に振った。

「行ってみたい気持ちはあるのですが、そうもいかない事情がありまして」

「へ……? なんで?」

「なにせ大勢人が集まりますから、それに乗じて悪事を働く者が多いのです。自分で言うのもなんですが、貴族という立場ですと狙われる危険が大きいということで参加に反対されてしまうのです」

 朔夜は控えめな態度を取っているが、貴人には違いない。悪人の脅威からは遠ざけるのが道理といえよう。

「反対って、家の人たちとか白夜様とか?」

「そうですね。私にもしものことがあっては卯月家に仕えてくださっている方々全員に迷惑をかけてしまいます。それに兄上も内心では私を案じてくれているのでしょう」

 朔夜が自身の責任を重んじているのは分かった。だが、朱音には納得のいかない点がある。

「怪異からみんなを守ってるのって、神様仏様じゃなくて実際には朔夜君たちでしょ? それなのに参加できないなんて……」

 むしろ主役として扱われるべきではないのか。いくら形骸化しているといっても、これでは祭りの趣旨と矛盾している。

「私は特に気にしていません。屋敷の中で丁重に扱っていただいているのですから」

 朔夜はなんら不満をこぼすこともなく話を続ける。

「朱音様と健人様はご自分の身を守れるでしょうから参加されても大丈夫だと思います。お帰りになってから感想を聞かせていただければ」

 こうして殊勝な人間ばかり損をするのは朱音の信条にも反する。朱音自身は主張の激しい人間でも、自分が得をしていればそれでいいというほど利己的ではないつもりだ。

「そうだ! あたしがつきっきりで朔夜君を守るのはどうかな!? あたしがいれば最強の護衛なんだから大丈夫だよ」

 朱音と健人は自分の身を守れるから行っても問題ない。ならば、朱音が自分以上に朔夜の身を優先すれば安全は確保できることになる。

「朱音様が……そんなに私のことを……」

 朔夜の目に輝きが宿ったように見える。

「俺も世話になってる立場だからな、祭りに行くなら護衛は引き受けるぞ。同心たちも巡回してるはずだし、そこまで危険じゃないだろ」

 健人も朱音に同調してくれた。

「それにこいつバカだけと、『守る』って決めたことにだけは責任持つからな。信頼していいんじゃないか」

 バカは失礼だが事実。守るべき相手から信頼されるだけの責任感を持っていると評価されているのなら、朱音にとって十分だ。

 あとは、朔夜が同意してくれるか。危険にさらされる恐れがあるのは彼なのだから、決定権は彼にある。

「どうしましょうか……」

「それとも、あたしにまとわりつかれたら迷惑かな?」

 朔夜も朱音と同じ年頃の男子。異性との関係にデリケートな感情を抱いておかしくない。

「そんなことはありません! そうではなくて、朱音様たちが危険なのでは、と」

「気にしなくていいよ。朔夜君を狙う悪い奴なら、どのみちあたしがやっつけるんだから」

 朱音を嫌がっているのではないようで一安心。

「そういうことでしたら、私も朱音様たちとお祭りに行ってみたいです」

「じゃあ決まりだね!」


 祭り当日。

 朱音と健人は借りている和服をそのまま着ていくことにした。朔夜の護衛も務めるので、腰には刀剣を差している。

 朔夜は、もしもこういった機会があった時のために用意された浴衣があるとのことで、着替えてから卯月家の門で朱音たちと合流した。念を入れて、朔夜も弓矢は携行している。

 朔夜の浴衣は、男物ながらきらびやかに花の柄が入っており、彼自身の美しさをより引き立てている。

「おおっ! 朔夜君、浴衣似合うね!」

 朱音は思わず感嘆の声を上げる。

「そ、そうですか? 朱音様にそう言っていただけると……」

 愛らしい顔で照れる朔夜を見ていると、もっとほめなければという気持ちが湧いてくる。

「うんうん、似合ってる。似合ってるよ」

「『似合ってる』以外ないのかよ。語彙力どうした」

 同じ言葉ばかり繰り返していることを健人に指摘された。

「むしろ朔夜の方が、ナツミの着物見て『凛々しい』とか『戦う姿が様になる』とか気の利いたこと言ってたくらいじゃねーか」

 そこを突かれると反論できない。本来称賛に値するのは朔夜の方だというのに。

「私は……朱音様にほめていただけたらそれだけでとてもうれしいです」

「ほら、朔夜君はうれしいって。こういう時は『似合う』って言えばいいのよ」

 朔夜の言葉が最大の援護射撃だ。

「俺が代わりに言ってやろうか? まず、柄として入ってる椿の花言葉が『控えめな優しさ』で、朔夜の個性とピッタリ合ってる。それから線の細さが薄手の生地で際立ってる。中性的な容姿と儚げな雰囲気が魅力ってことだな」

 わざわざこんなことでまで朱音のフォローをする辺りが健人らしい。

「花言葉知ってるのはズルいでしょ。あたしなんて、なんの花か分からなかったんだから」

「どこがズルだ。どう考えても正当だろ」

 朱音の抗議の方が間違っているのは自分でも分かる。しかし、知識の差のせいで後れを取るのが悔しい。

「健人様も、ありがとうございます。護衛の件といい、お二人の心遣いには感謝してもしきれません」

 朔夜の物言いは少々大げさだ。

「喜んでもらえてあたしもうれしいんだけど、今までこういうこと言う人いなかったの? 貴族だから偉いんだし、みんなほめ称えそうなもんだけど」

 朱音の学校に朔夜がやってきたら、ファンクラブが結成されてもおかしくない。

 実際、健人の場合もファンを自称する女子は何人かいる。芸能人でもないのに。

「それは……卯月家の威光があってこそのものだと感じています。社会的地位の向上といった打算なしに接してくださる友人は貴重なんです」

 朔夜は過去のさびしい思いを振り返りつつ、今の境遇が恵まれたものだと語った。

 考えてみれば、初めて会った時も、卯月家の使用人は朱音の言葉遣いを責めていた。朔夜を『君』呼ばわりするのは無礼だと。

 しかし、そのフランクさこそ朔夜の求めていたものだったのだ。

 この世界では霊力の高さで個人や家の格が決まる。怪異に対する恐怖がそれを絶対的なものにする。

 そして、朔夜には莫大な量の邪気を一本の矢で浄化するだけの霊力がある。対等の実力者がいないということは、対等の友達にもめぐり合えないことを意味していた。

「なるほどね。あたしくらい失礼なのがちょうどいいってことだね」

 ここで再度健人のつっこみが入る。

「失礼がちょうどいいってのも変だけどな」

 そう言いながらも、健人は朱音を認めている。

「まあ、本当に越えちゃいけない一線はわきまえてるから朔夜も安心してくれ」

 朱音は、こちらの世界に飛ばされる少し前の会話で『弱い者には手を上げない』と言ったが、それはまぎれもない朱音の本質だ。弱い者いじめは絶対にしない。

 元々、ガサツそうに見えるわりには温厚な性格の朱音だが、ある一件を境に、人を傷つけないことと守ることを重んじるようになった。

「それじゃ、行こうか。朔夜君、手つなぐ?」

 片手を差し出す朱音だったが。

「え、それはその……」

 朔夜が顔を赤くしたのを見て失言だったと気付く。

 この歳の男女が手をつないで祭りに行ったら完全にデートだ。山に登った時は、疲れていた朔夜を助けるという大義名分があったが、今度はそれがない。

「あ、ごめん! 変なこと言っちゃった。朔夜君は子供じゃないもんね」

 自分もなんだか恥ずかしくなってきた。わずかに年下程度の男子と手をつなごうとするなどとは。我ながら大胆だった。

「そうですね! 危険が迫った時に備えて刀を抜けるようにしておいてください」

 肯定の返事を受けたはずなのに、ちょっと残念な気分にもなった。なぜだろうか。

 祭りの会場に着くと、そこは人でごった返していた。

 朔夜の身分を明かせばみな道を譲るだろうが、今日はお忍びで来ている。そこに貴族がいるという理由で民衆の楽しい気分を損ねたくない朔夜の意向に従ってのことだ。

 周りにはいくつもの屋台が並び、多種多様な食べ物を売っている。金魚すくいや射的のような遊戯があるのも朱音の世界と共通だ。世界が変わっても、人間という種が持つ本質はそう変わらないのだろう。

「にぎわってるねー。あたし、こういう雰囲気好きだよ」

「俺はちょっとダルいけどな。おまえは昔からバカ騒ぎが好きだよな」

 幼馴染だけあって、健人は朱音の昔からの性格をよく知っている。朱音は、真夏でも元気に太鼓を叩いたりしていた。

「遠目に眺めることはしていましたが、やはりみなさん笑顔ですね。この笑顔を守れただけでも、怪異と戦った甲斐があるというものです」

 朔夜は相変わらず殊勝だ。

 朱音の場合、そんな殊勝な性格ではないようにも思えるが、誰かを守るために戦いたいという気持ちでは決して朔夜に負けていない。

 さて、せっかく祭りに来たからには食べるか遊ぶかしなければ。

「朔夜君はなにが食べたい? なんでも買ってあげるよ」

 お姉さんぶったことを言ってみる朱音だったが。

「おまえ、こっちの通貨持ってないだろ。卯月家の世話になってる時点で気付け」

 自分のマヌケさを健人に指摘されるハメになった。

「そう言われてみれば、そうか……」

 朱音が色々な面で抜けている分、付き合いの長い健人は自然とつっこみ役という立ち位置になっているのだ。

「ふふ、朱音様はお優しいですね。ご自身がお金を持っているかどうか考えるより早く私にごちそうしようとしてくださるなんて」

 朔夜はなんでも朱音に都合のいいように解釈してくれる。

「そう? わりとガサツだって言われがちなんだけど」

 どうも朔夜が相手だと朱音は謙虚になる。

「ご自身が優しいかどうか不安に思われる方は十分優しいのだと相場が決まっています」

「そっか。じゃあ、これからも朔夜君に優しくできるように努力するね」

 自分の優しさに満足してしまったら、朔夜の言ったことに意味がなくなる。この返しが妥当だろう。

「…………」

 健人は、見つめ合う朱音と朔夜をどこか面白くなさそうに眺めている。

 そんな健人の視線には気付くこともないまま、朱音は自分にできそうなことを思いついた。

「そうだ! お金は出してあげられないから、射的で好きな景品取ってあげるよ」

 屋台の景品程度、卯月家の財力で簡単に入手できるだろうが、こういうのは心が大事だ。効率だけを重視したら、プレゼントのほとんどは現金になってしまう。

「うれしいです! 朱音様からの贈り物でしたらなんでも大事にします」

 朔夜も賛成してくれたので、射的屋に向かう。

「こっちの世界にも銃ってあるんだね。これは遊戯用だろうけど」

「はい。火の術と併用して金属の弾を飛ばす武器です。ただ、弾そのものには霊力があまり込められないので、怪異との戦いで使われる機会は多くありません」

 朔夜の説明を聞いて納得する。朱音の刀に使われている重霊鉄という金属は、こちらの世界の住人にとって重すぎるという話だった。そんな弾を装填したら照準を合わせられない。

「さーて、それを狙うかなー? あたしにかかれば取れない景品はないよ!」

 去年、元の世界で最新のゲーム機を取ったことは、いまだに自慢している。

 なにせ買ったら七万円くらいするものだ。グラフィックの美しさやロード時間の短さに未来を感じたのを覚えている。

「こいつ勉強はできないクセに遊びになると途端に有能になるんだよな……」

 さすが幼馴染、朱音のことをよく分かっている。

 なにをするにしても、それが遊びだと認識すると頭の働きがよくなるのだ。

 とはいえ、今は遊びだけに全力ではない。

「こっちじゃ戦いでも有能でしょ。それじゃ、朔夜君、どれでも好きな景品選んで」

 健人に反論したのち、朔夜に声をかける。

「でしたら、あのお菓子の箱を。帰ってから一緒に食べましょう」

 欲のないいい子だ。

 朱音たちが列に並ぼうとした時、少し離れたところから悲鳴が聞こえた。

「うわあああ! 怪異だ!」

 こんな町中に、しかも祭りの最中に怪異が現れたのか。

「タカオ! いくわよ!」

「分かってる」

 こういう時のために自分たちがいるのだ。

 朱音は健人と共に駆け出した。朔夜もあとからついてくる。

 今度の怪異は二足歩行をするタイプのようだ。だが、人間との違いは明白。全身は黒いモヤのようなもので覆われ、目は赤く光り、口には牙が生えている。全長は成人の数倍だ。

 他の客が逃げていく中、朱音たち三人は怪異と向かい合った。

「ニンゲン……コロス……」

「しゃべった!?」

 怪異が言葉を発したことに驚く朱音。

 以前倒した巨獣などに比べれば人に近い姿をしているが、それでも人間どころかまともな動物にすら見えない。

「あいつら、単なる化け物じゃないの!?」

「怪異は死者の怨念が固まってできたものとされています。生前の意識が残っている場合もあるようです」

 朔夜は怪異の性質について朱音たちに教えた。その話によれば、人間をエサにしないと生きられないなどということはないらしい。

「自分が死んだからって生きてる人を恨んでる訳か……それはタチが悪いわね……」

 人語を解する生物を斬るのは気が引けるが、話し合いに応じてくれそうにはない。

「あの手の亡霊……みたいなのは霊力で浄化するしかないんだよな? どう見ても狂暴だし」

 健人も朔夜に確認する。

「そうだと……思います。霊力による浄化は痛みを与えないはずですし、唯一の救いではないかと」

 説明を加える朔夜の表情は暗い。人に害をなすものであっても、かつて人であった存在を殺すのは、優しい彼にとってつらいことなのだろう。

「せめて一思いで死なせてやるわ! あたしが頭を叩き割るから朔夜君は矢を撃ち込んで!」

「はい!」

 朔夜の返事を聞いて、朱音は跳躍した。

 怪異の頭までは十メートルくらいはある。それでも気合いでそこまで跳んだ。

 朱音の刀が怪異の頭に叩きつけられる。

「グ……キサマ……」

 怪異は口から邪気を吐き出してくる。

 朱音の刀は怪異の頭に食い込んでおり、すぐには抜けない。

(まずい……!)

 刀を手放すのも不安で、邪気をモロに浴びそうになる。

 しかし、朔夜の対応が早かった。

 破魔の矢が怪異の口から脳天までを貫く。

 朱音が作った裂け目から矢が抜けていくと、怪異の頭は崩れ、やがて全身が消えていった。

 怪異が消えたことで刀を固定していたものはなくなる。そして、朱音の身体は落下した。

「わっとっ……」

 朱音は着地に失敗して倒れそうになる。

 そんな朱音を健人が支えてくれた。

「まったく。最後まで気を抜くなよ」

「ありがと、お礼言ってあげてもいいわよ」

「後半が余計だ」

 尊大な物言いをしたら額をこづかれた。

「朱音様、おケガはございませんか?」

 純粋に気遣ってくれる朔夜には素直に返す。

「うん、平気平気。朔夜君のおかげで助かったよ」

「おまえ、俺と朔夜とで態度変えすぎだろ」

 健人にもう一度こづかれる。

「しょうがないでしょー? 朔夜君の方が優しくていい子なんだから」

「優しい……いい子……」

「そうか……そういうもんか……」

 単純に本音を言っただけだが、朔夜と健人は二人して複雑そうな顔つきになった。

 騒ぎが収まり、大きな被害もなかったので祭りは再開。朱音たちはたこ焼きや綿菓子などを食べながら祭りを満喫する。

 そろそろ帰ろうかと言っていたところで、盛大な花火が打ち上げられた。

「わあ、すごいね! あたしのいた世界のよりキレイかも」

 花火に詳しい訳ではないが、鮮やかに光っていて、色のバリエーションも豊富に見える。

「火の術者が毎年精を出していますから。これは私も屋敷から眺めていました」

 今日に限らず朔夜が祭りを楽しめていた面はあると知って安心した。

「朔夜君はもっと色んなこと楽しんでいいんだからね。白夜様があの性格で、屋敷の人たちは貴族としての朔夜君に期待してるから難しいのかもしれないけど、人生は楽しいことするためにあるんだから」

 偉そうに語れるほど大層な人生観があるということもないが、どんな栄光をつかんでも自分が楽しくなければ意味がない。

「ありがとうございます。朱音様と出会ったことで、私の人生にも彩りが生まれた気がします。違う世界から来て不安もあるかと思いますが、私にとって異世界とこの世界がつながったことは僥倖です」

「あたしにとってもそうだよ。そんなに不安なんてないし、こっちの世界に来れてよかった」

 やはり朔夜とは馬が合う気がする。

 健人と言い合いをするのも悪くないが、守って導いてあげたい人がいることは朱音にとってなにより大事だ。

「いよいよ帰る気がなくなってそうだな。もし二つの世界を行き来できるようになったら、向こうであいさつだけ済ませてあとは無理にでもこっちで生きるのか?」

 健人の問いに、朱音は逡巡する。

「んー、元の世界に愛着がない訳じゃないけど、今だと一番の友達って朔夜君だしなー。高校やめて、お正月に帰省する程度でもいいかも」

 朱音は明るい性格だが、さほど友達は多くなかった。一人一人とも深い仲にはなっていなかったし、案外帰る必要性はないようにも思える。

 この世界で職を見つけるのは険しい道だろうが、人並み外れた身体能力があればなにかできそうだ。

「……こいつが残るって言ったら俺はどうするかな……。高校は卒業したいし、大学で勉強もするつもりだったしな……」

 健人の独り言は大体聞こえていた。

「別に悩まなくても、あんたは帰ればいいんじゃないの? あたしとセットでしか移動できないってことにはならないでしょ」

 空間の歪みとやらに巻き込まれた時は二人一緒だったが、朔夜の説明からすると、都合のいい歪みさえ見つかれば一人でも移動できるはずだ。

「…………」

 なぜか健人は鋭い目つきでにらんでくる。

「なに? あたし変なこと言った?」

「いや、なんでもねーよ」

 素っ気ない返事をした健人は、卯月家に戻る道を歩き出した。

「私たちも戻りましょう。きっと屋敷の者が心配しています」

 健人に続く朔夜は、やや物憂げにしている。

「――おそらく、空間の歪みは便利に活用できるようなものではないでしょうから、生きる世界を自由に選択できるとはいかないかもしれません」

「そっか。来た時みたいに無理やり戻される可能性もあるんだよね」

 後ろ向きの姿勢は自分らしくない。雰囲気を明るくするように両手を打ち合わせる。

「じゃあ、向こうに帰るとしたら、それまでに朔夜君にいっぱい遊びを教えなきゃね!」

 どのみち、現時点ではどちらの世界で生きるか決めることはできない。だったら、できることを最大限やり尽くすだけだ。

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