第16話 文化祭アンケートと、“相談室インボックス”が溢れた日
文化祭明けの朝、教室はまだお祭りの熱を少しだけ残していた。
黒板の端っこには水無瀬の走り書き。
【文化祭・速報】
来場者数:クラス内3位/売上:—(売ってない)
相談件数:47件(うち“今日のわたし”記入:47/47)
先生コメント:「健全(ぎりぎり)」
「ぎりぎりってなんだよ」
「“ぎりぎり健全”は最高の褒め言葉だよ!」と水無瀬。頭上72→73。伸びしろだらけ。
霜田先生がアンケート束を持って入ってきた。カサカサ言う紙の厚みがすごい。
「はい、反省会ね。まず良かった点。『言葉を引き出す方式がよかった』『相談後にしおり(メモ)がもらえて嬉しい』『“数値は言わない”ルールが逆に安心』……」
「おお」
「そして気になった点。『噂で“当たる人がいる”と聞いて来たのに、数値を言ってくれなかった』『別日に個別相談したい』——」
先生は束をぽすんと机に置き、俺を見る。
「春川、ロッカーに封筒入ってると思うから覚悟して」
「未来予知しないでください」
*
覚悟はしていたけど、現物は想定よりも多かった。
ロッカーを開けた瞬間、薄い封筒がするするとスライドしてきて、ドサッと落ちる。全部で十何通。差出人は半分以上“匿名”。表には小さくこう書いてある。
『きょうのわたし相談・追加』
『文化祭の続き』
『“後夜祭で言えなかった”ので助けてください』
頭の上で、封筒のアイコンがぽこぽこ増える感覚があった。インボックスが可視化されるの、いらない機能だな。
「おーい、インボックス満杯男子」
振り向けば、茜。100.0の横で、小さな提灯がひとつまだ点いている。祭りの残り火。
「めっちゃ入ってるじゃん。どうすんの?」
「どうしよう」
「“受付は図書室で、言葉ベースのみ”の張り紙、作ろ」
「広報担当か」
「受付担当です」
茜は封筒の一部を拾い集めて、器用に束ねた。
100.0(キラ+1)。手伝い+1。単純で助かる。
*
昼休み、図書室。
カウンターの前に、すでに小さな立て札が置かれていた。雪村さんの字。
【“きょうのわたし相談室” 図書室版】
・数値はお返ししません
・15分/1件(放課後のみ)
・話す前に「今日の自分」を一言で
・予約は封筒で(匿名可)
「用意が良すぎる」
「文化祭のときに、もう決めておいたの」
雪村さんは、∞の横に旗アイコンと付箋アイコンを一つずつ光らせながら言った。
その奥から、水無瀬がひょこっと顔を出す。
「ついでにフォーマットも刷っときました〜」
渡された紙には、文化祭で使ったボードがそのまま印刷されている。欄の隅に小さく注意書き。
※“嫉妬”や“寂しい”には名前をつけると±0
※“また好きになる方法”は一緒に考える
「なんだこの図書室、恋愛の自治体か?」
「条例できました〜ってノリだよね」と茜。
三人で顔を見合わせて、しょうもない笑いが漏れる。
「で、最初の封筒、もう開けていい?」
雪村さんが一通を指さす。差出人欄には、小さく「ヘタレ(他クラス)」とある。
開けると、淡い便せん一枚。文字は少し震えているけど、読める。
今日の自分:“間に合わせたいヘタレ、卒業見込み”
その相手:“委員長で、まじめで、すごくかっこいい人”
こうなりたい:“文化祭のお礼が言えた人”
——文化祭の日、「準備おつかれさま」を言えました。
後夜祭で写真も撮れました。
ありがとうございました。
P.S. 春川さんは、今日、自分のことを誰かに言えましたか?
紙を持っていた指先が、少しだけ熱くなる。
茜がにやっと笑う。100.0(キラ+1)。
「言ったよね、昨日の夜」
「言ったな」
「『人の“好き”をたくさん拾って、ちょっと持ちきれなくなりかけた人』、でしょ」
「正確な引用やめろ」
雪村さんは、便せんの下に小さくメモを足した。
返事:『文化祭のあと、ちゃんと“今日の自分”を言いました』
付記:『“また来い”とは言いません。来たくなったら、来てください』
∞の横で紙飛行機のアイコンがひとつ、うれしそうに飛んだ。
*
放課後。
立て札を見た生徒がぽつぽつやってくる。「匿名で」と紙だけ置く子も多い。
最初の“対面相談”は、委員長のクラスメイトだった。文化祭で見かけた顔。
「……“今日の自分”からどうぞ」
紙にペンが走る。
今日の自分:“ひとの成功を見て焦ってる人”
その相手:“わざと目を合わせないようにしてる相手”
こうなりたい:“目を合わせられる人”
数値を見れば早い——けど、見ない。
代わりに、図書室の空気の中で“言葉”だけを拾う。
「“焦ってる”に名前つけようか」
「……“置いてかれそう焦り”」
「“置いてく焦り”はない?」
「ないです」
「よし」
それだけで、机の上の空気が少し軽くなる。
−1になりそうなやつが、±0に戻る感じ。
15分。ちょうど砂時計が落ちきる頃、彼は「今日のミッション」を自分で言った。
「“目が合ったら逃げない”」
「いい」
帰っていく背中に、小さなキラがひとつ灯るのが見えた。数字じゃない。“今日のわたし”の印だ。
二人目、三人目。
“今日の自分”が簡潔に言える子は、早い。言えない子は、一緒に探す。
ときどき、茜が受付で書いた“ひとこと評価”がスライドしてくる。
・“具体の一歩を言える子”
・“自分を笑わない練習からの子”
図書室の紙の匂いと、砂時計の音と、薄いペンの走る音。
途中、雪村さんがそっと麦茶を置いてくれる。∞(ハート+1)。
俺は目だけでお礼して、相談に戻る。
*
夕焼けが窓の上のほうだけを染め始めたころ、ふと見知らぬ男子が立った。
名乗らない。紙だけ出す。けれど、書かれた文字に、いつもと違う温度があった。
今日の自分:“図書委員さんを好きになった人”
その相手:“本の匂いがする、静かな人”
こうなりたい:“この気持ちを、まちがえずに渡せる人”
心臓が、ひと呼吸分だけ跳ねた。
茜の視線が、受付の椅子からこっちに刺さる。100.0→99.8(−0.2)。小数点。図書室ルール。
カウンターの向こう、雪村さんの手がほんの少しだけ止まった。∞(付箋+1)。
「……“今日の自分”は、いい名前だと思う」
俺は淡々と返した。
相談は、相談だ。ここは**“図書室版”**。数値を返さない場所。
「“まちがえずに”って、どこで間違えそう?」
彼は少し考えて、言う。
「“近づきすぎる”のと、“言いすぎる”のと、“想像で勝手に距離を詰める”のと」
「じゃあ、今日のミッションは“近づかないで準備する”でどうだ」
「準備?」
「“好きだとバレない声の練習”とか、“返却カウンター越しに言える一言”とか。
——“あなたが好き”じゃなくて、“今日のあなたにありがとう”の言い方」
彼は、ゆっくりうなずいた。
帰り際、紙の端っこに小さく付け足す。
追記:“返す場所があるって、意外と救いですね”
図書室の空気が、ほんの少しだけ静かになる。
茜は受付の紙に、さらりと一行。
受付メモ:“正しく迷える子”
雪村さんは、カウンターの中で共同傘の札を一度見上げ、それから万年筆でカードに小さく書いた。
司書メモ:
・“まちがえずに渡す”は、返却カウンター向き
∞の横で、小さな鍵アイコンが一つ灯った。“扉は開けたまま”の合図。
*
片付けをしていると、霜田先生が顔を出した。
「今日の分はここまでね。おつかれさま。**“相談する側の“今日”は誰が聞くの?”**って質問、文化祭アンケートにもあったからさ」
「聞かれました」
「聞かれてた、じゃなくて——“聞いてもらえてた?”」
茜が手を挙げる。「はい」。
雪村さんも手を挙げる。静かに、でもはっきりと。
「じゃ、三者面談ウィークに入る前に、今日のまとめ」
先生はホワイトボードにさらさら書く。
【本日のまとめ】
・相談は言葉で返す(数値返却なし)
・“まちがえずに渡す”の練習は図書室向き
・相談員の“今日”を受け取る係を毎回決める
【告知】
・来週:三者面談(保護者の皆さんとお話ししまーす)
「三者面談……」
教室に戻る途中、茜が小声で言う。
「透、お父さんに“見える”話する?」
「しない予定」
「お母さんには?」
「してある」
「賢い」
上履きの音が廊下に吸い込まれていく。
窓の外、文化祭のポスターの端がはがれて、風にふわりと揺れた。
今日も数字は、見ようと思えば全部見えた。
でも、封筒の紙の匂いと、図書室の静けさと、“今日のわたし”の言葉たちのほうが、目に残っている。
インボックスは、まだ半分くらい溜まってる。
共同傘の札には、今日のメモが一枚増えていた。
・“ありがとう”の言い方を増やす
・“また好きになる”の練習は、何回でも
図書室を出る前、俺は札の揺れを指先でそっと止めた。
返すものはたくさんある。
でも、「今日の自分はこうだった」を言うことだけは、返却じゃなく更新だ。
「透」
「ん」
「**今日は、“相談員やってきた人”**だよね」
「そうだな」
「“おつかれさま”」
茜の声は、お祭りの後みたいに、静かに弾んでいた。
100.0(キラ+1)。
そしてそのすぐ横で、∞(ハート+1・鍵+1)が小さく光った。
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