第16話 文化祭アンケートと、“相談室インボックス”が溢れた日

 文化祭明けの朝、教室はまだお祭りの熱を少しだけ残していた。

 黒板の端っこには水無瀬の走り書き。


【文化祭・速報】

来場者数:クラス内3位/売上:—(売ってない)

相談件数:47件(うち“今日のわたし”記入:47/47)

先生コメント:「健全(ぎりぎり)」


「ぎりぎりってなんだよ」


「“ぎりぎり健全”は最高の褒め言葉だよ!」と水無瀬。頭上72→73。伸びしろだらけ。


 霜田先生がアンケート束を持って入ってきた。カサカサ言う紙の厚みがすごい。


「はい、反省会ね。まず良かった点。『言葉を引き出す方式がよかった』『相談後にしおり(メモ)がもらえて嬉しい』『“数値は言わない”ルールが逆に安心』……」


「おお」


「そして気になった点。『噂で“当たる人がいる”と聞いて来たのに、数値を言ってくれなかった』『別日に個別相談したい』——」


 先生は束をぽすんと机に置き、俺を見る。


「春川、ロッカーに封筒入ってると思うから覚悟して」


「未来予知しないでください」



 覚悟はしていたけど、現物は想定よりも多かった。

 ロッカーを開けた瞬間、薄い封筒がするするとスライドしてきて、ドサッと落ちる。全部で十何通。差出人は半分以上“匿名”。表には小さくこう書いてある。


『きょうのわたし相談・追加』

『文化祭の続き』

『“後夜祭で言えなかった”ので助けてください』


 頭の上で、封筒のアイコンがぽこぽこ増える感覚があった。インボックスが可視化されるの、いらない機能だな。


「おーい、インボックス満杯男子」


 振り向けば、茜。100.0の横で、小さな提灯がひとつまだ点いている。祭りの残り火。


「めっちゃ入ってるじゃん。どうすんの?」


「どうしよう」


「“受付は図書室で、言葉ベースのみ”の張り紙、作ろ」


「広報担当か」


「受付担当です」


 茜は封筒の一部を拾い集めて、器用に束ねた。

 100.0(キラ+1)。手伝い+1。単純で助かる。



 昼休み、図書室。

 カウンターの前に、すでに小さな立て札が置かれていた。雪村さんの字。


【“きょうのわたし相談室” 図書室版】

・数値はお返ししません

・15分/1件(放課後のみ)

・話す前に「今日の自分」を一言で

・予約は封筒で(匿名可)


「用意が良すぎる」


「文化祭のときに、もう決めておいたの」


 雪村さんは、∞の横に旗アイコンと付箋アイコンを一つずつ光らせながら言った。

 その奥から、水無瀬がひょこっと顔を出す。


「ついでにフォーマットも刷っときました〜」


 渡された紙には、文化祭で使ったボードがそのまま印刷されている。欄の隅に小さく注意書き。


※“嫉妬”や“寂しい”には名前をつけると±0

※“また好きになる方法”は一緒に考える


「なんだこの図書室、恋愛の自治体か?」


「条例できました〜ってノリだよね」と茜。

 三人で顔を見合わせて、しょうもない笑いが漏れる。


「で、最初の封筒、もう開けていい?」


 雪村さんが一通を指さす。差出人欄には、小さく「ヘタレ(他クラス)」とある。

 開けると、淡い便せん一枚。文字は少し震えているけど、読める。


今日の自分:“間に合わせたいヘタレ、卒業見込み”

その相手:“委員長で、まじめで、すごくかっこいい人”

こうなりたい:“文化祭のお礼が言えた人”


——文化祭の日、「準備おつかれさま」を言えました。

後夜祭で写真も撮れました。

ありがとうございました。


P.S. 春川さんは、今日、自分のことを誰かに言えましたか?


 紙を持っていた指先が、少しだけ熱くなる。

 茜がにやっと笑う。100.0(キラ+1)。


「言ったよね、昨日の夜」


「言ったな」


「『人の“好き”をたくさん拾って、ちょっと持ちきれなくなりかけた人』、でしょ」


「正確な引用やめろ」


 雪村さんは、便せんの下に小さくメモを足した。


返事:『文化祭のあと、ちゃんと“今日の自分”を言いました』

付記:『“また来い”とは言いません。来たくなったら、来てください』


 ∞の横で紙飛行機のアイコンがひとつ、うれしそうに飛んだ。



 放課後。

 立て札を見た生徒がぽつぽつやってくる。「匿名で」と紙だけ置く子も多い。

 最初の“対面相談”は、委員長のクラスメイトだった。文化祭で見かけた顔。


「……“今日の自分”からどうぞ」


 紙にペンが走る。


今日の自分:“ひとの成功を見て焦ってる人”

その相手:“わざと目を合わせないようにしてる相手”

こうなりたい:“目を合わせられる人”


 数値を見れば早い——けど、見ない。

 代わりに、図書室の空気の中で“言葉”だけを拾う。


「“焦ってる”に名前つけようか」


「……“置いてかれそう焦り”」


「“置いてく焦り”はない?」


「ないです」


「よし」


 それだけで、机の上の空気が少し軽くなる。

 −1になりそうなやつが、±0に戻る感じ。

 15分。ちょうど砂時計が落ちきる頃、彼は「今日のミッション」を自分で言った。


「“目が合ったら逃げない”」


「いい」


 帰っていく背中に、小さなキラがひとつ灯るのが見えた。数字じゃない。“今日のわたし”の印だ。


 二人目、三人目。

 “今日の自分”が簡潔に言える子は、早い。言えない子は、一緒に探す。

 ときどき、茜が受付で書いた“ひとこと評価”がスライドしてくる。


・“具体の一歩を言える子”

・“自分を笑わない練習からの子”


 図書室の紙の匂いと、砂時計の音と、薄いペンの走る音。

 途中、雪村さんがそっと麦茶を置いてくれる。∞(ハート+1)。

 俺は目だけでお礼して、相談に戻る。



 夕焼けが窓の上のほうだけを染め始めたころ、ふと見知らぬ男子が立った。

 名乗らない。紙だけ出す。けれど、書かれた文字に、いつもと違う温度があった。


今日の自分:“図書委員さんを好きになった人”

その相手:“本の匂いがする、静かな人”

こうなりたい:“この気持ちを、まちがえずに渡せる人”


 心臓が、ひと呼吸分だけ跳ねた。

 茜の視線が、受付の椅子からこっちに刺さる。100.0→99.8(−0.2)。小数点。図書室ルール。


 カウンターの向こう、雪村さんの手がほんの少しだけ止まった。∞(付箋+1)。


「……“今日の自分”は、いい名前だと思う」


 俺は淡々と返した。

 相談は、相談だ。ここは**“図書室版”**。数値を返さない場所。


「“まちがえずに”って、どこで間違えそう?」


 彼は少し考えて、言う。


「“近づきすぎる”のと、“言いすぎる”のと、“想像で勝手に距離を詰める”のと」


「じゃあ、今日のミッションは“近づかないで準備する”でどうだ」


「準備?」


「“好きだとバレない声の練習”とか、“返却カウンター越しに言える一言”とか。

 ——“あなたが好き”じゃなくて、“今日のあなたにありがとう”の言い方」


 彼は、ゆっくりうなずいた。

 帰り際、紙の端っこに小さく付け足す。


追記:“返す場所があるって、意外と救いですね”


 図書室の空気が、ほんの少しだけ静かになる。

 茜は受付の紙に、さらりと一行。


受付メモ:“正しく迷える子”


 雪村さんは、カウンターの中で共同傘の札を一度見上げ、それから万年筆でカードに小さく書いた。


司書メモ:

・“まちがえずに渡す”は、返却カウンター向き


 ∞の横で、小さな鍵アイコンが一つ灯った。“扉は開けたまま”の合図。



 片付けをしていると、霜田先生が顔を出した。


「今日の分はここまでね。おつかれさま。**“相談する側の“今日”は誰が聞くの?”**って質問、文化祭アンケートにもあったからさ」


「聞かれました」


「聞かれてた、じゃなくて——“聞いてもらえてた?”」


 茜が手を挙げる。「はい」。

 雪村さんも手を挙げる。静かに、でもはっきりと。


「じゃ、三者面談ウィークに入る前に、今日のまとめ」


 先生はホワイトボードにさらさら書く。


【本日のまとめ】

・相談は言葉で返す(数値返却なし)

・“まちがえずに渡す”の練習は図書室向き

・相談員の“今日”を受け取る係を毎回決める


【告知】

・来週:三者面談(保護者の皆さんとお話ししまーす)


「三者面談……」


 教室に戻る途中、茜が小声で言う。


「透、お父さんに“見える”話する?」


「しない予定」


「お母さんには?」


「してある」


「賢い」


 上履きの音が廊下に吸い込まれていく。

 窓の外、文化祭のポスターの端がはがれて、風にふわりと揺れた。


 今日も数字は、見ようと思えば全部見えた。

 でも、封筒の紙の匂いと、図書室の静けさと、“今日のわたし”の言葉たちのほうが、目に残っている。


 インボックスは、まだ半分くらい溜まってる。

 共同傘の札には、今日のメモが一枚増えていた。


・“ありがとう”の言い方を増やす

・“また好きになる”の練習は、何回でも


 図書室を出る前、俺は札の揺れを指先でそっと止めた。

 返すものはたくさんある。

 でも、「今日の自分はこうだった」を言うことだけは、返却じゃなく更新だ。


「透」


「ん」


「**今日は、“相談員やってきた人”**だよね」


「そうだな」


「“おつかれさま”」


 茜の声は、お祭りの後みたいに、静かに弾んでいた。

 100.0(キラ+1)。

 そしてそのすぐ横で、∞(ハート+1・鍵+1)が小さく光った。

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