第17話 三者面談と、“親の好き”は点数じゃなくて合図
週明け。黒板わきのホワイトボードには、水無瀬の走り書きが増えていた。
【三者面談ウィーク・心得】
1. 親の前で自分を盛り過ぎない(あとで自分が苦しい)
2. 先生の前で親の愚痴を言い過ぎない(あとで家が苦しい)
3. “見える人”は数値を見ない努力(家庭は±小数点が多い)
4. 面談後は**「今日のわたし」申告**(誰かが聞く)
「三番が刺さるんだよな……小数点、ほんと増えるから」
「家庭は**“−0.2の嵐”だよね〜」と水無瀬。頭上73**。余計な例えに強い。
俺の面談は放課後いちばん。母は事情を知っている。父は知らない。廊下で待つ二人の間に立つと、空調の風がやけに冷たく感じた。
——見ない。
そう決めて教室に入る。霜田先生が笑顔で迎えた。
「はいどうぞ。春川くんのお父さん、お母さん、よろしくお願いします。文化祭、がんばってましたよ〜」
母がうんうんとうなずく。父は背筋が真っすぐだ。ネクタイを指で直す仕草が、妙に几帳面。
「で、成績は置いといて——」
「置いとかないでください」と父。先生が笑う。
「置いとく時間を置いときます。今日は**“言葉のほう”の報告を先に。
春川は文化祭で“相談室”のメイン相談員**をやりました。数字じゃなく、言葉で返すやつ。アンケート、こうでした」
先生がクリップで留めた束を出す。
『数値は言われなかったけど、「今日の自分」を言えたら軽くなった』
『**“また好きになる方法”**を一緒に考えてくれた』
『“噂の人”だと聞いて怖かったけど、怖くなかった』
父の指先が、資料の角で一瞬だけ止まる音がした。
「“噂”?」
「“数字が見える子がいる”ってのが、まあ……。でも、うちの運用は言葉ベースにしました」
先生が俺を見る。頷く。
「春川本人も、“見ない練習”をやってきてます。
——見える力は“測る”ためじゃなく、“聞く”ために使う、って方向に」
父の喉仏が、すうっと一度上下する。
見ないつもりでも、家族の気配は濃い。小数点が空気にまじる。
「……見える、のか」
父が初めて俺を見る。
「見えます。けど、今日は見ません」
父の口の端が、ごくわずかに動いた。
霜田先生が、さらりと助け舟を出す。
「“好き”って、家庭だと評価じゃなくて合図なんですよね。
たとえば“無言のありがとう”とか“ちゃんと寝ろ”とか。数値じゃなく。
——春川は“合図の読み取り”がだいぶ上手になってます」
母が笑った。父の肩の力が、ほんの少し抜けた気がした。
「それと、これ」
先生がもう一枚、紙を出す。文化祭の立て札の写真が貼ってある。
【“きょうのわたし相談室”】
※数値はお返ししません/“今日の自分”を一言で
「こういうのを、図書室とも連携して続けるつもりです。将来の**“傾聴と記録の係”**、というか。職名はダサいけど」
「ダサいけどいいね」と母。父の頬がわずかに緩む。
「成績は、はい、後半でちゃんとやります。——その前に、お父さん。
“今日のお父さん”を、一言で言ってもらえます?」
霜田先生、攻めるな。
父は一瞬キョトンとして、それから、ゆっくり言った。
「“言葉の宿題を出されている人”、かな」
先生が親指を立てる。「満点の返事です」。
——小数点の風が、微かにおだやかになった。
成績の説明は、淡々と進んだ。上がった科目、沈んだ科目。
父は必要なところでだけ質問し、最後に椅子から少し身を乗り出す。
「本人に、ひとつだけ」
「はい」
「“今日の自分”を、家でも言えるか」
喉の奥が、ちょっとだけ乾いた。
でも、文化祭の夜に言えた感触が、背中を押す。
「言ってみます。短くから」
父は「うん」とだけ言って、立ち上がった。
母が会釈し、先生も立ち上がる。
「本日はありがとうございました。——春川、図書室で“面談ふりかえり”しておいで」
「了解」
*
廊下に出ると、茜が壁にもたれて待っていた。
100.0の横で、小さな封筒アイコンがひとつぴょんと跳ねる。受付癖が抜けてない。
「どうだった」
「父が“言葉の宿題”を出された」
「いいじゃん。——“今日の透”、言う?」
「言う。後でな」
「約束」
茜は拳を軽く突き出して、いつもの合図を置いていく。100.0(キラ+1)。
図書室。
カウンターの上に、見慣れないクリアファイルが置かれていた。
「保護者向け・図書室の使い方」と表紙にある。雪村さんの字だ。
【保護者さまへ】
・ここは“返す練習”と“置いておく練習”をする場所です
・数値はお返ししません
・“今日の自分”を一言だけ、よかったら**
「……保護者編まであるのか」
「作りました」
カウンターの向こうから、雪村さん。∞の横に、クリップアイコンが二つ。面談日仕様。
「さっき、お父さん通りかかって、これ持っていきました。
——“今は読むだけ”って言って」
「読むだけ、か」
「読むだけは、**とても強い“また”です」
彼女の声はいつもより静かで、紙の匂いと混ざって落ち着く。
「面談、どうだった?」
「評価じゃなく合図って話を先生がしてくれた」
「うん。家庭の“好き”は、『動け』とか『休め』とかの合図が多いから。
——数字で言うと、+じゃなくて→(矢印)なんだよね」
∞の横に、ほんの小さな矢印アイコンが灯る。
“方向が決まった日”の印、らしい。
「それと、これ、届いてます」
雪村さんが差し出したのは、茶色い封筒。差出人の欄には下手な字で、「はるかわ父」。
心臓が、一拍だけ余計に打つ。
開ける。便せん一枚、短い文字。
今日の自分:“しゃべるのが下手な父”
今日の息子へ:
“数字の代わりに、夕飯のついでに一言でいい”
“今日はどうだった?”って、俺のほうから言う
三者面談の先生の言い方はうまかった。
お前の言い方は、これから覚えさせてくれ。
視界のどこにも数字は出していないのに、胸のあたりで−0.2が+0.2に戻るみたいな感覚がした。小数点の針が、静かにゼロへ寄っていく。
「……ずるいな、父」
「“家の人のずるさ”は、だいたい正しくずるいから」
雪村さんが微笑む。∞(ハート+1・矢印+1)。
「で、春川くん」
「うん」
「“今日のあなた”、図書室版にも置いていく?」
机の上に、例の小さなボード。
ペン先が、自然に動いた。
今日の自分:
“家庭の小数点にビビりつつ、言葉の宿題をもらった人”
こうなりたい:
“家でも『今日のわたし』を短く言える人”(まずは週2)
書き終えて顔を上げると、カウンターの端に黄色い付箋が一枚、そっと貼られる。茜の字。
受付メモ:“家でも、また好きになれる人”
ふっと笑いそうになる。笑いそうになって、笑う。
*
夕方。
約束どおり、茜とベンチで**“今日の俺”**を短く報告する。
校庭の風は、面談のざわざわを遠くに押しやるくらい、さらさらしていた。
「『家庭の小数点、ゼロに寄った』」
「いい報告」
茜は頷いて、指を一本立てる。
「じゃ、私も。『面談終わりの透、ちゃんと来た』」
「感想、雑」
「雑じゃないの。“来た”が大事」
100.0(キラ+1)。
図書室の窓のほうを見ると、カウンターの奥で、雪村さんが共同傘の札を一度だけ見上げ、小さく頷いたのが見えた。∞(鍵+1)。
帰りに昇降口で、ふと立ち止まる。
今日だけは、そっと視界を開けて、父の背中を遠目に見る。
数字は、やっぱり見ない。
——代わりに、小さな家の形のアイコンが、父の肩のあたりに一つだけ灯って、消えたように見えた。
(**“家に戻って話せ”**の合図)
たぶん、今日はそれでいい。
*
夜。
食卓で父が、本当に不器用に言った。
「きょ、今日はどうだった」
箸を持ったまま、俺も不器用に返す。
「“家庭の小数点、ゼロ寄り”」
母が吹き出して笑い、父も肩で笑った。
——合図が通った音がした。
*
翌朝。
ホワイトボードに水無瀬の追記があった。
【面談ウィークまとめ(途中)】
・家庭は数値より合図
・−0.2は“名前”で戻せる(例:「今ちょっと寂しい」)
・“今日の家の人”を一言で置いていく(提出なし・任意)
俺はマーカーを取り、端っこに小さく書いた。
“今日の父”=『言葉の宿題を始めた人』
数字の天井は相変わらず抜けない。
でも、家の中に貼る付箋が、ひとつ増えた。
好感度が見える世界で、
家庭だけは、合図で動く。
——“また50から”も、“また好きになる”も、家の机で練習できるなら、案外この先はやっていける。そう思った。
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