第15話 文化祭の出し物は“今日のわたし相談室”になりました
文化祭のクラス企画が、決まってしまった。
「——というわけで、うちのクラスは“恋バナ相談室”やりまーす!」
水無瀬がホームルームで高らかに宣言する。
黒板には、すでにデカデカと書かれていた。
【恋バナ相談室】
・恋愛相談
・好感度(※主観)診断
・おすすめ告白セリフ添削
「※主観ってなに」
「保険」
水無瀬がウインクした。頭の上には70。楽しそうに+1。
「いや待て。なんで急にそんなセンシティブな企画を」
「モテクラスだってアピールしたいじゃん?」
誰がだよ、と思ったら、周りの女子が意外とノリノリだった。
「告白セリフ添削とか超やりたい」
「他クラスの相談乗るの楽しそう〜」
「てかうちら、春川がいるから、半分本物の占いじゃん?」
出た。
結局そこに行き着く。
「はいそこ。“好感度が見える人がクラスにいます”って外部告知するのは禁止だからな」
霜田先生が釘を刺す。
みんな一応「はーい」と返事するけど、水無瀬は小声で「じゃあ“ちょっと当たるかも?”って書く」とか言ってる。やめろ。
「で、春川」
「はい」
「もちろんメイン相談員ね」
「なんでですか」
「だってあんた、“数字見えてても見ない練習”までしてきたでしょ。
——“見えすぎる人間”のほうが、案外ちゃんと聞けるもんなのよ」
先生の言い方が、ちょっと本気でイヤだ。当たってるから。
*
放課後、図書室。
文化祭実行委員の資料を持ってきたついでに、俺はカウンター越しにぼやいた。
「……というわけで、俺、文化祭で恋愛相談員にされます」
「おつかれさまです」
雪村さんが、ちゃんと慰労のトーンで言った。頭の上には∞。その周りに、小さな旗のアイコンがひょこっと立っている。文化祭モードらしい。
「とりあえず、数字は使わないって決めた」
「うん、それがいいと思う。数字で“脅し”ちゃったら、怖くなるしね」
「代わりに、“今日のわたし”を聞く方向で行くらしい」
「それ、うちの図書室のテーマじゃない?」
彼女がくすっと笑う。
「ねえ、もしよかったら——」
カウンターの下から何かを取り出した。
薄いボードに紙が貼ってある。丁寧な丸文字でタイトル。
『きょうのわたし相談室』
・今日の自分を一言で
・その“相手”を一言で
・“こうなりたい”を一言で
「……なにこれ」
「恋バナ相談室の、中身。
——“数字”じゃなくて、“言葉を引き出す”やつ」
雪村さんは、ペンを一本渡してくる。
「相談に来た人に、これ書いてもらってから話すと、きっと楽だよ」
「図書室、巻き込んでくるなぁ」
「いいよ。文化祭の日は、ここもひっそり開けておくから。“裏相談室”として」
その言葉に、頭の中でイメージが浮かぶ。
教室では、装飾された黒板と、騒がしい恋バナ。
図書室では、静かな机と、この小さなボード。
「……いいかもな、それ」
そこへ、茜が教室から走って入ってきた。
髪には早くも文化祭用のカラーピンがついている。頭上は100.0、横に小さな提灯アイコン。お祭りスイッチが入ってる。
「透! 相談室の装飾案できた!」
「装飾案?」
見せてきたスケッチには、教室の隅にパーテーションで仕切られたスペース。その上に、手書きでこう書かれていた。
『きょうのわたし相談室』
本日の担当:はるかわ
受付:あかね
「完全に俺が看板にされてるんだが」
「担当なんだから当然」
茜は胸を張ってから、ちょっとだけ真面目になる。
「……あのさ。“他の人の好き”を一日中聞くのって、多分しんどいでしょ?」
「まぁ、ちょっとはな」
「だから、“終わったら、あたしにも今日の透の話して”」
それは、昨日の延長線上のお願いだ。
“今日のわたし”じゃなく、“今日の俺”を言葉にするやつ。
「分かった。終わったらここ(図書室)に集合な」
「約束」
茜はにっと笑って、小さく拳を突き出してくる。こつん、と合わせる。
雪村さんは、その様子を見てから、カウンターの端に新しいメモを貼った。
【文化祭メモ】
・相談された側の“今日”も、誰かが聞いてあげること
*
文化祭当日。
教室は飾り付けられ、廊下には他クラスの呼び込みの声が飛び交う。
「恋バナ相談室こちらでーす!」
「片思いでも両思いでも失恋でもどんとこーい!」
「“今日のわたし”書くだけでもOKでーす!」
水無瀬の声が、もはやプロの客引きレベルになっていた。頭上72。上がってる。
俺はパーテーションの内側、簡易ソファーの向かいに椅子を置いて座っている。
目の前の小さなボードには、雪村さんのタイトルの下に、茜の字で書き足されていた。
※数値はお伝えしません
※かわりに**“今日のあなた”を一緒に考えます**
「次の方どーぞー」
茜がカーテンを開ける。入ってきたのは、見覚えのある他クラスの女子だった。
緊張した顔で椅子に座り、ボードを見つめる。
「じゃ、ここに一回書いてみて」
ペンを渡すと、迷いながら文字を埋めていく。
今日の自分:
「後夜祭までに間に合わせたいヘタレ」
その相手:
「委員長で、まじめで、超かっこいい人」
こうなりたい:
「一回くらいは、“好き”って言えた人」
頭上には、当然、数字も浮かんでいる。
——でも今日は、見ない。
見ない代わりに、文字だけを読む。
「いいね、“間に合わせたいヘタレ”」
「よくないです……」
「俺もだいたいヘタレだから、安心して」
笑わせて、力を抜いて、そこから“じゃあ今日一日でできそうなことってなんだろうな”って話を一緒に積み上げる。
“廊下ですれ違ったら挨拶する”“文化祭の準備おつかれって言う”“後夜祭で一緒に写真撮ろうって言ってみる”——数字じゃなく、“今日”単位のミッションに分解していく。
相談が一つ終わるたび、茜が外から小さな紙を滑り込ませてくる。
そこには、彼女の字でメモ。
1人目:“急がないほうが可愛い子”
2人目:“自分のよさに気づいてない子”
——多分、彼女なりの“今日のあなた”の名前付けだ。
昼を過ぎる頃には、俺の頭がじんじんしてきた。
人の“好き”を聞くのは、おもしろい。けど、重い。
“相手が誰か分かる相談”もあれば、“名前は出さないけど明らかに同じクラスの誰か”ってやつもある。
(これ、数字見ながらやってたら死んでるな……)
そう実感したとき、茜がそっとカーテンを少し開けた。
「透、水」
「サンキュ」
ペットボトルの水を受け取る。
その瞬間だけ、ちょっと視界がぶれて、茜の頭上の数字がにじんだ。100.0の輪郭が薄くなって、その代わりに小さなハートと提灯のアイコンがいくつも灯る。
「あと何人?」
「あと……三人くらい」
「終わったら、図書室ね」
「分かってる」
カーテンが戻る。
最後の相談者まで、俺はひとつひとつ、“今日のわたし”と“その相手”の形を聞いていった。
*
夕方。
文化祭の喧噪が落ち着いて、校舎に疲労と余韻が残る時間。
図書室だけは相変わらず静かで、紙の匂いが落ち着いている。
「おつかれさま」
カウンターの向こうで、雪村さんが言った。
共同傘の札の横には、新しい紙が一枚増えていた。
【きょうのはるかわ】
・人の“好き”を聞き続けた人
・自分の“今日”を話す番の人
「……なんか、先にネタバレされてる」
「茜さんから依頼があって」
ふと隣を見ると、茜が椅子に座っていた。
制服のリボンを緩めて、机に頬杖をついている。
頭の上の数字は——見ようと思えば見える。でも、今日は最後まで見ないと決めた。
「透」
「ん」
「今日の透の話、聞かせて」
カウンターの外側の机には、あのボードがひとつ置かれている。
“今日の自分”“その相手”“こうなりたい”——今度は、俺の番だ。
「書かせるの」
「書かせる」
ペンを持つ。少し迷って、それから書いた。
今日の自分:
「人の“好き”をたくさん拾って、ちょっとだけ持ちきれなくなりかけた人」
その相手:
「それでも“聞いてくれる人”がいるって信じて、ここに来た二人」
こうなりたい:
「数字じゃなくて、この二人の“今日”をちゃんと覚えてる人」
書き終わって、二人に渡す。
茜はじっと読んでから、ふっと笑った。
「うん。合格」
「なにが」
「“ちゃんとしんどかったって言えた”のがね」
雪村さんも、静かに頷く。
「“人の好き”って、たまると重いから。
——重かったって言ってくれる人のほうが、まだ安心」
「じゃあ、お返し」
茜がボードを取り返して、下のほうに書き足した。
今日の透(茜から):
「“何回でも50から好きになられる人”
+「今日、人の分まで走ってきた人」
雪村さんも、その横に万年筆で書く。
今日の透(雪村から):
「“返却カウンターのこっち側に来てくれた人”」
「“また来ます”って言わなくても、来るだろうなって思える人」
——数字でいえば、きっと何かが動いてる。
でも今は、ほんとうになにも見えなかった。
見えるのは、文字と、二人の顔だけ。
「……なあ」
「うん」
「今日さ」
言いながら、自分でも驚いた。
喉が勝手に、言葉を押し出していた。
「俺、多分ちょっと、この世界が好きだわ」
好感度が見える世界。
数字に振り回されることも、救われることもある、めんどうな世界。
「前は正直、“見えないほうが楽じゃね?”って思ってたけど。
——“今日のわたし”って言える人が増えた分だけは、悪くない」
茜が、少しだけ目を潤ませて笑う。
「……それ聞けて、今日のあたしも満足です」
雪村さんも、カウンターの上に両手を重ねて、静かに言った。
「じゃあ、“今日のこの世界”の名前も、つけていい?」
「あるの?」
「あるよ」
彼女は、ホワイトボード用のペンを手に取り、図書室の小さなボードにこう書いた。
【きょうの世界】
「好きって言う側も、言われる側も、ちょっとだけ正直だった日」
その文字を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。
数字の代わりに、こういう一行で覚えていけたらいい。
窓の外は、文化祭の後片付けの喧騒が少しだけ聞こえる。
でも図書室は、いつものように静かだ。
好感度が見える世界で、
数字を見ないまま、誰かの“今日”を聞いて、
自分の“今日”も、やっと少しだけ言えた日。
——きっと、そんな日を積み重ねていくのが、この先なんだろう。
「よし、じゃあ解散」
茜が椅子から立ち上がって、両手を伸ばす。
「帰り、どうする?」
「三人で」
雪村さんが共同傘の札をちらりと見て、微笑む。
「晴れてるけど、“気持ちが雨上がりの日”だからね」
俺たちは笑って、同じ廊下に出た。
数字は、まだそこにある。
でも、今日くらいは、見えなくていいと思った。
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