第7話 晴れた日の返却と、“延長”という言い訳
翌朝は、嘘みたいに晴れた。
グラウンドの赤土がきらきらして、黒板脇のホワイトボードには誰かがもう書いている。
【晴れの日ポイント案】
・窓際で日向ぼっこ一緒:+2
・上着を椅子にかけてあげる:+1
・昼休み・ベンチで肩並べ:+3(眠気には注意)
・“今日は空がきれいだね”って言う:+1(言い方で±)
「おはよー、透。今日は“返却”行くんでしょ」
茜が机に手をついて覗き込む。頭の上は96。雨バフの貯金が残ってるらしい。
「行く。昼に図書室、いてくれって言われた」
「同席してもいい?」
「……静かにしてくれるなら」
「図書室だからね!」
言ってから自分で笑う。96→97。
昼休み、図書室。
春の陽射しが斜めに差し込んで、カウンターの上のカード箱に白い粒が落ちている。雪村さんは、昨日と同じ白いブラウスに薄いカーディガン。小さな穴の空いた陽の模様が袖を斑に染めていた。
「いらっしゃい」
「返却に来ました」
俺はラミネートされた小さな札——“かしだしがさ”の貸出タグを両手で置いた。
雪村さんは、静かに頷くと、カウンターの奥から赤いスタンプ台を出した。
「では、返却理由をどうぞ」
「え、なにその形式」
「図書室ですので」
「……“晴れたから”。あと、“思い出したから”。それから、“ごめん”」
彼女の目が、ほんの少しだけ丸くなる。
∞の周りに、小さな光がはじけて二つ、三つ。——ハートのアイコンが増える。
「受理、です」
ぽん、と朱色のスタンプが押される。
“返却”の文字。音が、想像してたよりやさしい。
「……ありがとう」
言いかけてから、雪村さんは札を指でくるりと回して、こちらに押し返した。
「では、延長手続きに入ります」
「返すって言ったよね、今」
「“貸出更新”とも言います。——期限は、“雨が降るまで”。また」
「また雨基準!?」
「だって、晴れてる間って、返しに来る理由ないでしょう?」
言葉そのものは淡々としてるのに、∞の横のハートがまた一つ増える。
“延長”という名の、やわらかい“手放さない”。
「……ずるい」
隣で茜がささやいた。声は小さいのに、97→98。
“静かなツッコミ”は+1らしい。図書室仕様だ。
「茜さんも、延長します?」
「なにを!?」
「幼なじみの席、です」
「更新します!!」
図書室の空気がふっと笑う。
雪村さんは、貸出札の隅っこに小さくペンで書き足した。
延長:返却期限 あめまで
利用者メモ:ふたりで返却予定
“ふたりで”。文字を見た瞬間、胸の中のどこかが熱くなる。
「……なあ」
「うん?」
「昨日さ、雨のとき。∞の横に、ちっちゃいハートみたいなの、見えた」
「あ」
雪村さんの頬が、ほんの少しだけ桜色になる。
「見えちゃったんだ」
「やっぱり、なんか意味あるの?」
「うん。“光ってたよ”っていう、わたしの気持ちの、押し絵みたいなもの。
∞って、数字は動かないけど、**“今日のわたし”**はつくんだよ」
「今日の、わたし」
「晴れてる日とか、傘を返しに来てくれた日とか。
——忘れてたことを、ちゃんと覚え直してくれた日とか」
∞の周りで、光がひとつ、またひとつ。
数字じゃ測れないものに、表情がある。
茜がそっと俺の袖をつまむ。98→99。
視界の端で、水無瀬が背表紙を並べるふりをしながら、こっちをガン見してるのも見えた。
(あとでどうせ“晴れの日ポイント”を更新するんだろうな)
「よし」
雪村さんがカウンターの引き出しから、透明の長傘を一本、ことりと出した。
「これ、わたしの。——“共同資料”。置いておくね」
「共同……?」
「雨が降ったら、三人で入れるように大きめのを買ったの。
——“本はだれかと読むと早く返ってくる”って、昔司書さんが」
「今の例え、たぶん違う」
俺が笑うと、茜も笑って、99→100に届いた。
「……いった」
「100?」
「100。きれいに出た」
「や、やったぁ……っ!」
茜は声を抑えきれずに小さくガッツポーズした。図書室なので音量はゼロ、喜びはフル。
数字が100.0で止まる。きれいだ。達成感がある。——けど、そのすぐ横で、∞はやっぱり変わらない。
雪村さんは、それを見て、ちゃんと拍手した。
「おめでとう」
「ありがと。負けないからね」
「うん。負けないで」
勝ち負けじゃないやつらが、まっすぐに言う。
たぶんこれが、この物語のフェアなところだ。
チャイムが鳴る。
午後の授業に戻ろうとして、図書カード箱の影に、細い紙切れが挟まっているのに気づいた。
——貸出カードの一番下。
利用者メモ(司書):
数字に疲れた子には、“動かない数字”をひとつ渡しておきなさい。
それは、その子が倒れた時の枕になります。
司書さん、たぶん見える側だったんだ。
俺は貸出札をもう一度ポケットにしまって、カウンターをあとにした。
廊下に出る。
晴れてるのに、胸の中だけ、少し雨上がりみたいにしっとりしてる。
「透」
「ん」
「放課後、ベンチ、行こ。肩並べポイント稼ぐ」
「はいはい」
「それと——」
茜が、少しだけ真面目な声になる。
「晴れた日に“返す”って、言ってたけどさ。
返しに行くの、私も一緒でいい?」
「もちろん」
「よかった」
茜の100は、ちょっとだけ長く揺れて、またぴたりと止まった。
窓の外の青が濃い。
——“延長”という言い訳をもらった俺たちは、数字と記号の間で、もう少しだけ歩いていく。
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