ブリコルールとアーキテクトの無限振動子~創造とは何か~

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

ひもをねじれ!

 創造とはちょうど、螺子ねじやボルトの締緩ていかんのようである。


 創造には大別たいべつして、二つある。


 一つはブリコラージュ。ブリコラージュとは、行き当たりばったり的に、寄せ集めで器用きよう仕事をすることを言う。切り張り作業の創造。毛糸玉けいとだま発端ほったんから急旋回きゅうせんかいに重ね重ね、作為的かつ無作為に創造。要素があって、構造が後からできる。正体不明のパズル。この場合の創作物は、左右非対称アシンメトリーとなりやすい。日本庭園的、とも形容可能。


 もう一つは、アーキテクチュア。エンジニアリング、と呼ぶも良いかもしれない。アーキテクチュアには、青写真ブループリントがある。設計図がある。それに基づいて組み立てられる創造。全体の構造が先にあって要素がある。何をていするのかがあらかじめわかっているパズル。この場合の創作物は、左右対称シンメトリーとなりやすい。先の例に対し安直あんちょく二元論にげんろんすれば、西洋建築的、とも形容可能。


 無論、各創造には一長一短いっちょういったんがある。


 その一長一短に基づく取捨選択は、無限選択肢の嗜好しこうと目的依拠いきょなのであり、ブリコラージュとアーキテクチュアの優劣を断定するのは酷く独善どくぜん的で横暴おうぼう傲慢ごうまんであるから、ここでえてこれをしない。


 しかしながら最小限言えるのは、創造が創造であるための停滞と飽和ほうわ無き永続的止揚しよう——進歩と発展——のためには、上記二極端きょくたんの往復振子ふりこ運動、ひいては可逆的螺旋らせん運動が必要である、ということである。


 階段をのぼってはくだる(逆さまの天地を受諾じゅだくするならば両者は本質的同等である)。ちなみにそれはおどり場をかいする角形かくけい的階段よりも螺旋らせん階段が望ましい。なぜならば、折れ線よりも曲線の方が解像度が高い——数あるうちのという限りにおいての一つの真理により近い——からである。幾何きか的にくならば、多角形の角を無限段階に増殖ぞうしょくさせると、円に近づくのと理屈は同じであり、より俗っぽく換言かんげんするならば、ドット絵を最新ハードの実写同然の画質——それは過度に視覚現象的ではあるが——にブラッシュアップするのにも似ている(ただし語りえぬ沈黙的な味・風情という不可視抽象的意味においては、解像度がより高いのは御託ごたく並べの詳述しょうじゅつによる可能性の限定をひかえているドット絵の方である)。また、欲を言えば、螺旋は螺旋でも、竜巻や台風のような円錐パイロンの形状である方が、そして同時に螺旋運動の左回転と右回転がある(無論、観測者の視点にはよる)方が、マクロとミクロの拡散と収縮を伴えるので、立体感や臨場感の向上を得やすいのだから、ほとんどその場で展開されるコマの自転と宏漠こうばく宇宙の輪廻りんね的に繰り広げられる公転が推奨すいしょうされる———ここの一行の文は数珠じゅずや鎖、神経の軸索じくさくに見られる、ひも構造における膨張と狭窄きょうさくの連続の重要性、と一本化編纂へんさんが可能であり、ひもの通ったたま金輪こんりん髄鞘ずいしょうは-Φ図太さダイアミタァΦ-の大きいのが望ましい。

 

 すなわち世界に対する点が、心臓の生む拍動と渦巻き的でなければならない。




 ———曼荼羅まんだらを描く。




 まる螺子ねじはいずれ確固としてうちまる。

 ゆる螺子ねじはいずれ自由にはずれぐ。

 螺子螺子ネジネジのコイルを取り巻くは、創造の電・磁・力——クリエイターの魂——であり、それらは総体として予想不可の雷電ボルトである。

 そしてシンの創造とは、筆者の持論としては、計画シナリオ通りや予定調和ではなく、意外性や裏切り——それが享楽きょうらくの本質的幸福というもの——であるので、個人的な好みはやはり、ブリコラージュの方である。


 これが現状としての筆者的な創造の認知限界であり、諦観ていかんである。



   〈卍あるいは卐〉

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