第4話 新しい生活
朝5時です。起床します。
窓の外を見ると、朝日に照らされた庭があります。動いている人間の気配はありません。シオの下宿先であるこのクローブハイト家の屋敷の人間は、皆お寝坊なようです。
ベッドから降り、ヘッドギアがきちんと装着されている事を確認し、チュニックの上からローブを羽織ります。
着慣れた服を着ると、なんだか安心します。今までとは違う環境にいるからでしょうか。
服装が整ったので部屋を出て庭へ行きます。
シオが起きてくるまではここで待つつもりです。人工精霊は日光からも魔力を吸収し蓄えられるので、時間がある時はなるべく浴びておくものなのです。
周りに人間は誰もいないので、ヘッドギアは外します。別に着けたままでも良いのですが、額には核石があります。人工精霊の心臓とも言えるもので、これに直接日光を当てた方が若干吸収率が上がるのです。
ちなみに、この身が使うよう言われた部屋は使用人棟にあるのですが、シオはこの庭を挟んで反対側にある別棟の客人用の部屋に住んでいます。
なんとシオは、この身を夜間別の部屋に置くと決めてしまったのです。
この身は立ったままでも眠れますし、ベッドはいらないので部屋の隅にでも置いてくれれば良いと言ったのですが、それは落ち着かない、とても眠れないからやめてくれと言われてしまいました。
不満ですが、命令なので仕方ありません。
じっと朝日を浴びていると、屋敷の中で人が動き出す気配がしました。使用人たちが仕事を始めたのでしょう。
ヘッドギアを装着して厨房へと向かいます。
「えっ、手伝う!?いいよ、いらないよ、あんた、テスの
なんと。この屋敷では料理も洗濯も掃除もすべて、使用人がやる仕事だそうなのです。この身はとても優秀で、家事や雑用においても有能だと言うのに。
ヴァルキュリーを戦闘以外で使う事に抵抗があるのか、それとも、所有者であるシオがこの屋敷の客分扱いだから遠慮しているのでしょうか。後でシオに確認しなければいけません。
仕方なく庭に戻ると、小さな子供が地面にしゃがみこんでいました。5~6歳ほどの少年です。使用人の子供でしょうか。
その丸っこい背中に声をかけます。
「何をしているのですか?」
「わあっ!?」
小さな少年はびっくりして尻もちをつきました。そのお尻の横を数匹の蟻が歩いています。
これを観察していたのでしょうか。
「この身は人工精霊です。昨夜この屋敷に来たばかりです」
「…ぼ、ぼくはマルタン」
人工精霊と聞いてマルタン少年は安心したようです。
ホッとした顔になって立ち上がると、びっと両手のひらを前に突き出しました。
「6さい!」
「そうですか。マルタンは6歳。ところで、蟻の観察をしていたのですか?」
「かんさつ?なんか、みてただけ」
ふむ。マルタンはどうやら暇を持て余しているようです。
「
「する!」
マルタンとけんけんぱをしていると、シオが庭にやってきました。寝癖で髪の一部がぴょんとはねています。
「おはよう、テスにいちゃん!」
「おはようございます、シオ」
「おはよう。早いんだな」
「この身はいつも、5時には活動を始めています。シオはどうしたのですか?」
「朝は鍛錬をするのが日課なんだ。こいつの型稽古」
「なるほど」
シオが手にしているのは、古びてはいますが丈夫そうな短めの槍です。使い込んでいる様子が見て取れます。
日課と言うからには毎日鍛錬をしているのでしょう。人間の身体は人工精霊に比べとても脆弱なので、毎日たくさん鍛えなければ強くなれないのです。大変ですね。
「ぼく、そろそろテリーのところにいかなきゃ。またね、フィルギアのおねえちゃん」
「ええ。また」
マルタンに手を振り返していると、シオが言いました。
「子供好きなんだな」
「子供はまだ未成熟な人間です。保護すべき存在です」
「ふーん…。そっか」
笑っています。何か楽しかったのでしょうか。
それからシオは、準備体操を始めました。体を動かすたびに寝癖がぴょこぴょこ動いて面白いです。
そして、槍を持っての型稽古。やっぱり寝癖がぴょこぴょこしています。
突き。払い。斬り。槍術には詳しくないのですが、人間にしてはまあまあ鋭い動きだと言えるでしょう。ぴょこぴょこ。
「この身も何かお手伝いしましょうか」
そう申し出ると、シオは少し考えてから打ち合い稽古を希望しました。つまり、1対1で技をぶつけ合う稽古です。
この身は「承知しました」とは言ったものの、人間と打ち合った経験などありません。とりあえず、シオの槍を避けたり、いなす事にします。
「相手が素手ってのは、何だかやりにくいな」
シオもそう言って戸惑っていましたが、すぐに慣れてきたようです。槍のリーチを活かして遠い間合いから攻めたり、振り回して牽制をしてきます。
この身の方がずっと素早いので簡単に対処できますが、なかなか器用な動きのように思います。
「くっ…、このっ!」
肩口を狙った突きをかわすと、シオの胴体ががら空きになっています。思わずそこに向かって蹴りを繰り出すと、引き戻された槍が足を絡め取ろうとしてきました。こちらの体勢を崩そうというのです。
むむ。今の突きはそれを狙った罠でしたか。
もちろん避ける事はできたのですが、少々意表を突かれたせいで、ローブの裾を槍の穂先がかすめてしまいました。ビッ!と音を立てて破れてしまいます。
「あっ、悪い!」
「いえ、避けきれなかったこの身が悪いのです。なかなか面白い動きでした」
「面白いかあ…結構気合い入れて攻撃したんだけどなあ。やっぱ人工精霊って凄いんだな」
「どんな人工精霊でも凄い訳ではありません。この身が凄いのです」
「はは。いい買い物したな。俺は豪運だ」
「もちろんです」
笑うシオの髪はもう、あんまりぴょこぴょこしていません。汗をかいてしっとりしているからです。
そこで気が付きました。鍛錬を開始してからずいぶん時間が経っています。そして、いい匂いがします。
「シオ。そろそろ朝食の時間なのではありませんか?」
「あっ!そうだった、ヤバい!」
急いで井戸の水を浴びてから軽く身体を拭き、屋敷の食堂に向かいます。言っておきますが水を浴びたのはシオだけです。この身はあのくらいではほとんど汗をかきません。
食堂の入口で、長い金髪を垂らした男と顔を合わせました。ジェレミアです。
「あれ、おはようテセルシオ。今日は遅いんだね」
「おはよう、ジェレミア。そういうお前はずいぶん早いな」
「昨夜は夢を見なかったんだ。おかげで早起きしちゃったよ」
ふふっと笑うジェレミアは、このクローブハイト家の次男です。ひょろひょろと細く、ふりふりの装飾がついた服を着ていて、シオとは友達だそうです。
ジェレミアはこの屋敷でとても偉い立場にいるようです。なぜなら、『未来予知』というものすごく貴重な
つまりジェレミアはお金持ちなのです。昨夜、シオが「250万ゼル貸してくれないか」と言った時も、「それじゃ足りないだろうから320万貸してあげるよ」とあっさり言いました。
あの村の住人なら、一生かかっても貯められないだろう大金です。
「夢を見なかったのか。そりゃ良かったな」
「…そう言ってくれるのは、テセルシオだけなんだよねえ」
ジェレミアは苦笑をし、それからこの身の方を見ました。
「おはよう、人型ちゃん。そのローブ、テセルシオがやったのかい?」
「おはようございます。これはこの身の油断によって破れたものです」
答えると、ジェレミアは「あはは」と楽しそうに笑いました。
「似た者同士なのかな?とりあえず、一緒に朝食を取ろうか」
朝食は驚くほどに豪華でした。昨夜も残り物だというサンドイッチとスープを食べさせてもらい、とても残り物とは思えない豪華さに驚いたのですが、それ以上です。
村では一度も見た事がない、ふんわりした白いパン。甘いジャムとバター。ちゃんと野菜の味がするスープ。焼いたベーコンに、ビーンズ。目玉焼き。
これらが、なんと食べ放題だというのです。どれだけお金持ちなのでしょう。
「食べ放題。素晴らしいです。この身が皇都で見た中で、最も優れた文化です」
「人型ちゃん、よく食べるねえ。そんなちっちゃいのに」
「この身は活動に多くの食べ物が必要です。食べなくてもある程度は活動できますが、代わりに体内の魔力貯蔵量がどんどん減っていきますし、成長機能も止まります」
「成長機能?」
シオがきょとんとしました。一般的な人工精霊にはない機能だからでしょう。
「外見が少しずつ変化し性能が向上します。分かりやすい部分で言うと、体長が大きくなったり重量が増加したり、魔力量も増えます」
「…まるで人間みたいだな」
「へえー、普通の人工精霊とはだいぶ違うんだね。だからそんなに食べる必要があるんだ」
「もちろん、食べた分以上に働きます。優秀な人工精霊なので」
「うん、うん。ちゃんとテセルシオを守ってやってよ。…で、今日、僕の師匠の所に行くんだろう?」
「ああ」
そうです。今日は、ジェレミアの師匠だという魔術師のところへ行きます。
シオのヴァルキュリーとして、精霊契約を交わすためです。
シオが借金をして500万を博士に払った後、メガネはこの身を改めて検査しました。
メガネはシオの幼馴染で、魔導具技師を目指していて、人工精霊にもそれなりに詳しいためにシオのヴァルキュリー探しを手伝っていたのだそうです。
それで、急いで父親から借りてきたという測定装置でこの身を調べました。
「…不確定値7800!????」
「凄いな。強そうだ」
「強そうじゃないよヤバそうだよ!!この前暴走事故を起こした豹型人工精霊だって不確定値2400だったんだよ!?その3倍以上あるじゃん!!」
「でも、不確定値が即危険って訳でもないだろ?
「テス君はどんだけ博打好きなのかなあ!?」
メガネはやっぱりうるさくて、そして頭を抱えました。
「ヤバいってぇ…これじゃあ、契約術式を引き受けてくれる魔術師なんかいないよ…どう見ても関わりたくない案件だもん…」
「それは困ったな」
「困ったなじゃないよ!!ちゃんと契約を済ませた精霊がいないと精霊使役科には入れないし、契約術式を書けるのは国の認可を受けた高位の魔術師だけ!!」
「困ったな。時間もないのに」
シオは
でも不確定値が高い人工精霊の契約術式なんて、危ないから誰も引き受けたくないらしいのです。契約自体は成功したとしても、後でその精霊が暴走したら、術式を書いた者の評判にまで傷がつきかねません。
解決策を提案したのは「面白そうだから」と測定を見ていたジェレミアでした。
「それなら、僕の師匠に頼めばいいよ。一応高位魔術師だし、術式も書けるはずだよ。ちょうど今、皇都に来てるんだ。変な人だからきっとやってくれると思うよ」
…「変な人だから」という部分には少々引っかかりましたが、背に腹は代えられません。この身がシオのヴァルキュリーになるためには、契約術式を書ける人間が必要なのです。
ちまちまとパンを食べていたジェレミアが、この身を見て言います。
「ついでだから、人型ちゃんの買い物もして来るといいよ。その格好は皇都じゃちょっと目立つから」
「……」
言われて自分のローブを見下ろすと、シオが「確かに着替えた方がいいな…」とつぶやきました。
これ、着替えなければいけないのでしょうか。木の根で染め、何度も洗濯を繰り返したこのくすんだ茶色は、いい味があると思うのですが。ところどころ擦り切れて薄くなっているのも、つぎが当たっているのも素敵ですし。ヴィンテージ感というやつです。
こういう格好の人間は皇都ではあまり見ないとは思いますが、この身は人工精霊です。人間のようにする必要はありません。
「着替える必要がありますか?このローブ、気に入っているのですが」
「えっ…」
「マジで?」
「なにか問題でも?」
「いや、うん、ほら、ジェレミアの言う通り、目立つから…そ、それに破れちゃったし?」
「繕ってまだ着られます。この身は裁縫もできます」
「あー…。いや、やっぱ困る!ほら、皇立学院って、凄い立派なとこだから。貴族とかも通う学校だからさ。ちゃんとした格好じゃないと」
「……。もっと強そうな格好でなければ、シオがナメられてしまうという事ですか?」
「ナメ…、まあ、そんな感じかな?」
「分かりました。着替えます」
主に恥をかかせる訳にはいきません。不本意ですが、渋々うなずきました。
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