第5話 虹眸の魔女
しばらくジェレミアと話をした後、屋敷を出発しました。ジェレミアの師匠のところに行くのです。師匠はいつも同じ宿に泊まるのだそうで、そこへ向かいます。
通りを歩いていると、たくさん荷物を積んだ商人の馬車が目に入りました。
…博士はちゃんと、冬越えができるだけの食糧を買い付けられるでしょうか。建物の修繕だって必要です。500万もあれば、十分なはずなのですが。
「本当に、あの博士の宿に寄って行かなくていいのか?今ならまだいるかも知れないぞ」
シオがそう尋ねてきたので、「はい」と答えました。
既に譲渡は済んでいます。この身の主はシオになっています。別れの挨拶だって済ませました。だというのに、人間とは不要な感傷を持つものです。
「その必要はありません」
「…そっか。なら、いいけどさ」
師匠のいる宿はものすごい高級宿でした。全体的にキラキラしていて、あちこちに花や彫像が飾られています。なんだかいい匂いもします。
しわ一つない服を着た受付の人間に声を掛け、「ジェレミアの友人だ」と名乗ると、すぐに取り次いでもらえました。一番奥の客室へと案内されます。
「あらぁ!ずいぶん可愛らしいお客さんね!」
まず目に飛び込んできたのは、バラ色をしたウネウネの髪でした。
たいへん女性らしい体型をした派手な女性です。紫色の露出の多いドレスを着ていて、金糸の刺繍が入った扇子を持っています。年齢は…わかりません。解析不可能です。
あと、空色の猿型人工精霊もいます。何だか不思議な気配がするので、特殊なタイプでしょうか。
「貴女が
「はじめまして、テセルシオくん。あたしの事はローゼライって呼んでくれていいわ。ジェレミアから聞いてるわよ、あの子、本当に友達がいたのねぇ。会えて嬉しいわ」
「俺も、ジェレミアの師匠に会えて嬉しいです。あいつにはいつも世話になっているので」
「師匠ねぇ…あたしは大した事をあの子に教えられなかったんだけど…」
虹眸の魔女は少しだけ自嘲的な笑みを浮かべました。
「でも虹眸の魔女の弟子だって言えば箔が付くからって、あちこちでそう言って回ってるのよね、あの子!本当に商売上手なんだから!」
魔女が明るく笑い声を上げたので、シオもつられて笑いました。
事前に予想していたのとはずいぶん違う人物です。もっと気難しそうな人間かと思っていました。
虹眸の魔女と言えば、この大陸でも特に有名な魔術師にして占術師。人間では非常に珍しいバラ色の髪は、高魔力を持つ希少民族の証だとか。
その年齢はゆうに200歳を超えるとも聞きますが、恐らく口にしない方が友好的な関係でいられるでしょう。
魔女はひとしきり笑った後、ぱちんと扇子を閉じてこの身を指しました。
「…それで、用というのはそっちの可愛い子の事かしら?人間じゃないわよね、その子」
「あっ、はい。人型の人工精霊です。前の持ち主からは古代遺物だって聞いてます。俺のヴァルキュリーにするので、ローゼライさんに契約術式をお願いしたくて」
シオがポケットから紙を取り出して魔女に差し出します。
メガネの測定装置による検査結果ですが、魔女はそれをちらりと一瞥しただけで手には取りませんでした。また広げた扇子で口元を隠します。
「ポンコツ機械の出した数字なんかじゃ何も分からないわ。あたしが自分で
途端に、ぞわっと悪寒が走りました。
魔女の瞳がこちらを見ています。虹色に輝く瞳が。深く、奥まで覗かれています。
不快です。でも動けません。指が、身体が、固まって動けません。不快です。
こちらを見ています。虹色が。
その奥に、たくさんの影。そして、■■■が、――…
「…厄介ねえ。人型の人工精霊、ね…」
ぱちん!と扇子を閉じる音で我に返ります。
思わず両手を持ち上げました。ちゃんと動きます。どこにも異常はありません。
いえ、少し異常な発汗をしています。心拍数も上がっているようです。落ち着かなければ。
「ごめんなさいね。見られるのは苦手なんでしょう?そんな仮面をしているくらいだものね」
「…これは制御装置です」
「まあ、そういう事にしておいてあげる」
魔女はフフッと笑いました。不快です。
シオが心配そうな顔でこの身を見ました。
「大丈夫か?」
「問題ありません」
もう発汗は止まっています。心拍数もいつも通り。
シオはちょっとためらってから、魔女に尋ねました。
「あの、厄介ってどういう…?」
「んんー…」
魔女は少しの間考え込み、それから扇子を広げて言いました。
「そうねえ、この子、普通の
「はい」
「人工精霊だからって乱暴に扱わないことね。精霊は我慢強いだけで、ちゃんと痛みを感じるのよ。働かせすぎず、食事や睡眠はちゃんと取らせて
「分かりました」
魔女の言葉の後半は、一般的な人工精霊の取り扱い方法と変わらないものですが、シオは神妙にうなずいています。
まあ使用法をよく確認し、大事に扱ってもらうに越した事はありません。
何しろ人工精霊は人間よりずっと働き者で頑丈です。ですから、人工精霊をろくに休ませずに酷使したり、損傷があっても放置したり、推奨しない仕事をやらせたりする人間は多いと聞きます。
シオはそういう主にならない事を祈ります。
「で、契約術式だけど。ジェレミアに感謝なさいな、あたしの所に来て正解よ。普通の魔術師に任せるには危ないもの。ま、ちゃちゃっと書いてあげるわ。
「ご、ごじゅうまん」
シオの反応を見るに、どうやら相場よりかなり高いようです。ですが、文句を言うつもりはないようで「分かりました。お願いします」とうなずきました。ケチケチしないところは美点と言えるでしょう。
魔女が扇子を振ると、空色の猿型精霊が荷物をごそごそと探り、羽根ペンと薄紫色の紙、それからインク壺を取り出しました。魔術儀式などに使う特殊な紙です。
魔女はそれらを受け取ると、さらさらと魔法陣を描き始めました。
「名前はテセルシオ・セサムスだったわね。…で、この子の名前は?」
「あっ。忘れてた」
シオはちょっぴり慌てました。名前を考えるのを忘れていたようです。
「あら、名前をつけてなかったの?じゃあこの場で決めて」
「えっ、い、今!?う、うぅーん…」
何だかものすごく悩んでいます。しばらくウンウン唸っていると、魔女が少し首を傾げました。
「インスピレーションが湧かないの?あなた、ちょっとその仮面を取ってあげなさいよ」
「お断りします」
「だーめ。制御装置って言っても、ずっと外せない訳じゃないんでしょ。それに、核石はその額でしょ?契約する時にはどっちにしろ外さなきゃいけないわよ。核石に触れる必要があるから」
「……」
「契約が終わったらまた着けていいから」
「……」
本当に、本当に不快です。主とは言え、人間に顔を見られたくないのですが、仕方ありません。
渋々ヘッドギアを取り外します。
「……」
シオがぽかんと口を開けました。
穴が開きそうなくらいにこの身を凝視しています。不快です。
そして、魔女は一瞬目を丸くした後で妙にニマニマと笑いました。不快です。
「シオ」
「…あっ、わ、悪い!え、えっと、あっと…」
シオはしばらくモゴモゴとした後、ふと呟きました。
「…シフィリチカ」
それを聞き、ペンを走らせていた魔女が顔を上げます。またニマニマしています。
「花の名前ね。この国じゃあまり見かけない花だけど。なるほどね」
「花、ですか」
「とても綺麗な青い花よ、あなたの瞳の色と同じ。素敵な名前じゃない。それにするのね?」
魔女が微笑み、シオがおずおずと顔を覗き込んできました。あまり見ないで欲しいのですが。
「どうだ?この名前」
「変な名前です。あと長いです」
「うぐ…」
シオはがっくりと肩を落としましたが、すぐに気を取り直しました。
「じゃあ、呼ぶ時はリチカって呼ぶ。それでどうだ?」
リチカ。シフィリチカ。
「…別に構いません」
「そっか。じゃあよろしくな、リチカ!」
シオはニコニコとしました。不快では…ありません。
やがて、契約術式が書き上がりました。複雑な魔法陣の下に、長い呪文が書かれています。
魔女は儀式の流れについて軽く説明したあと、シオとこの身を向かい合わせに立たせると、術式を掲げ詠唱を始めました。
『万物の神。知恵と勝利の神。狂える主よ。ここに、勇士の戦列に加わるを望む者あり。ここに、勇士の魂を守らんと望む者あり』
魔女が、シオの方を指し示します。
「我、テセルシオ・セサムス、この命続く限り勇士たる事を誓う」
『その力を讃えよ。意思を讃えよ。勇気を讃えよ。ここに勇士誕生せり』
さらに、この身の方を指し示します。
「我、シフィリチカ、勇士の命終わるまでその魂を守護する事を誓う」
『祝福を与えよ。加護を与えよ。癒やしを与えよ。ここに戦乙女誕生せり』
シオと一緒に、声を揃えて宣言します。
「我ら、命運を共にすると誓う。楽園に招かれるその日まで、共に歩み、共に戦場に立つ事を望まん」
シオが右腕を持ち上げました。指示された通りの動きですが、ひどく緊張します。
伸ばされた指先が、この身に…額の核石に触れます。ほんの一瞬、何かが身体を流れたような感じがしました。
契約術式の紙が炎に包まれ、宙で燃え上がります。
『契約はここに成れり。彼らの蜜酒の甘からんことを』
「…これで契約完了!どうかしら?」
「なんか、力が湧いてくる感じ?あったかいというか…」
シオは自分の手の甲に浮かんだ小さな青い紋章を見ています。あれが戦闘精霊の契約紋なのでしょう。知識にはありましたが、実際に見るのは初めてです。
「確かに、シオと魔力パスが繋がっているのが分かります。なるほど。ヴァルキュリーとはこういうものなのですね」
魔力パスとは、
ついでに、これを通して主の現在の健康状態も何となく分かるようです。今のシオの体調はとても良好で、元気です。
「うんうん、OK。あとは…力の使い方は、おいおい分かるでしょ。注意点とかは…きっと学校で習うだろうから、別にいいわよね!」
ものすごく適当です。きっと面倒くさくなったに違いありません。術式を書いている途中から「もう疲れた」という顔をしていたので。
でもまあ、良いでしょう。これでシオのヴァルキュリーになれましたし。
シオが代金の50万ゼルを手渡すと、魔女は艶やかに微笑んで言いました。
「これはあたしからのサービスよ。…あなた達は、きっと苦労する事になると思うけど…感じたままに、自分の心の示す方へと進みなさい。それがきっと、上手くいく鍵だわ」
魔女の助言。とても貴重なものです。しかし人間のシオはともかく、人工精霊であるこの身に対してはずいぶん余計な言葉であるように思います。
すると、魔女はまた扇子を振り、猿型精霊にもう一枚紙を取り出させました。
「契約証明書を書いておくわね。必要でしょうから」
「はい。ありがとうございます」
虹眸の魔女ローゼライのサイン。それに…「備考。不確定値は主に人型形態由来のものであり、暴走の危険性は低い」…。
なるほど。これは役に立ちそうです。
書き上げた紙をくるくると丸めながら、魔女はもう一つ言いました。
「それと、ジェレミアの事はばんばん頼っていいわよ。あの子ったら出不精で、このあたしにもなかなか会いに来ないんだもの。巻き込んで、困らせるくらいでちょうどいいわ」
「そっか。…分かりました」
シオは素直にうなずきました。既に320万の借金をしている事は、今は言わなくていいでしょう。
「どうもありがとうございました。お世話になりました」
「ありがとうございました」
「いいえ。これから頑張ってね、二人とも」
「はい!」
虹眸の魔女と猿型精霊に別れを告げ、宿を出ます。
外はここに来た時よりもずいぶん気温が上がっていました。契約に結構時間がかかってしまったため、すでに日が高くなっているのです。少しばかり日差しが眩しく感じます。
つい空を見上げ、それからまだ言っていなかった事を思い出し、先に歩き出したシオを呼び止めます。
「シオ」
「ん?何だ?」
振り向いた深いグリーンの目を見つめ、ゆっくりと口を開きます。
「これから、どうぞよろしくお願いします。シオ」
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