第7話 2-3:傷痕(スカー)

 (解読できない?)

 アキラは、自らの能力を疑われたかのような屈辱を感じた。

 (ならば、発信源を叩く)

 彼は思考を切り替え、この「化石コード」がシステムに設置されたログのタイムスタンプと、その侵入経路(ベクトル)のトレースを開始した。

 彼の意識は、マザーの広大な論理空間を、光の速度で遡(さかのぼ)っていく。

 彼の視界は、もはや三次元の「建築物」ではなかった。エデン全域に張り巡らされた、無数のデータ・コンジット(導管)が交差し、分岐する、巨大な神経網(ニューラル・ネットワーク)の奔流だ。

 彼は、あの不潔な「化石コード」が、どの神経経路を通って中枢(アーカイブ)に辿り着いたのかを追跡していた。

 宇宙からの違法な高周波通信(ディープ・スペース・ハック)か?

 あるいは、ジェネシス・コア内部、ハルのような「感情に汚染された」プログラマーによる内部犯行か?

 トレースは続く。

 メイン・コアから、セクター7の管理サーバーへ。そこから都市インフラを統括する基幹(バックボーン)へ。

 アキラの思考は、まずエデンの「外部」、つまり衛星通信(サテライト・リンク)や、深宇宙通信(ディープ・スペース・コム)のログを徹底的にスキャンした。しかし、そこに該当する侵入経路は見当たらない。防壁は完璧に機能している。

 次に彼は、ジェネシス・コアの内部ネットワークをスキャンした。彼自身を含む、すべての上級プログラマーのアクセスログ。だが、これもシロだ。

 (どこだ? どこから侵入した?)

 彼の論理が、あり得る侵入経路を一つずつ潰していく。

 そして、残された可能性は、彼の思考が「無意識に」避けていた領域だけになった。

 彼は、G躇(ためら)いながらも、その領域——都市のインフラ管理、特にエネルギー配分と「廃棄物処理」を管轄する物理コンジットの制御ログ——へとダイブした。

 そして、アキラの思考は、ある一点で停止した。

 信じられない、という感覚が、彼の論理的な思考を初めて鈍らせた。

 トレースの終点は、エデンの「外部」でも「内部」でもなかった。

 それは、エデンの「下部」だった。

 メイン・エネルギー・グリッド。そして、そこから分岐する、都市の廃棄物と余剰エネルギーを「処理」するための、巨大なコンジット(導管)。

 それは、物理的に、エデンと地上を結ぶ唯一の「臍の緒」。

 その終着点は、一つしかない。

 (……ピット)

 彼の脳内で、その単語が不快なエコーを伴って響いた。

 あり得ない。

 アキラの全身が、生理的な嫌悪感で総毛立った。

 ピットのジャンクどもが?

 あの、汚染雲の中で、エデンの廃棄物(ゴミ)を漁って生きている、非論理的で、混沌とした、原始的な連中が?

 彼らが、マザーの完璧なシステムに干渉するほどのハッキング技術を持っているというのか?

 馬鹿げている。論理が破綻している。

 彼の脳裏に、封印していた過去の光景がフラッシュバックする。泥水、錆びた鉄の匂い、腐敗臭。非衛生的で、非合理的で、感情のままに動く人々。

 (あの「ゴミ」どもが、この「化石コード」を?)

 アキラは、自らの解析結果を疑った。

 (違う。これは何かの間違いだ)

 ピットは、何者かによって「中継地点(リレー)」として利用されているに過ぎない。そうだ、そうでなければならない。真の攻撃者(ハッカー)は別にいて、ピットという「ノイズの海」に身を隠しているのだ。

 だが、その「化石コード」の「アナログ」な性質が、アキラの脳裏に引っかかっていた。

 なぜ、現代において、これほど非効率なアナログ信号を使う?

 答えは、彼自身の過去の経験が知っていた。

 ピットでは、エデンのような安定したデジタル・ネットワークは存在しない。大気は汚染物質による電磁ノイズに満ち、インフラは継ぎ接ぎだらけだ。

 そんな環境で、唯一「確実」にデータを送る方法。

 それは、強烈なノイズ耐性を持つ、旧式のアナログ信号(・・・・・)だった。

 ピットのジャンクどもは、エデンから廃棄されたエネルギー・コンジットの「余剰電力(ノイズ)」の中に、自らの「アナログ信号(データ)」を紛れ込ませる技術(・・)を、独自に編み出していたのだ。

 それは、エデンの最新鋭のデジタル防壁が「意味のない電力ノイズ(ゴミ)」として無視する、まさに「盲点」だった。

 この「ハッキング」は、高度な技術(デジタル)によるものではない。

 ピットの「汚泥」の中から生まれた、あまりにも「原始的」で「非論理的」な手法だった。

 だからこそ、マザーの論理(デジタル)は、それを「脅威」として認識できなかったのだ。

 そして、アキラは、最初の解析よりも、さらに恐ろしい事実に気づいた。

 その信号は、「記録」されているのではなかった。

 「書き込まれ続けて」いた。

 マザーのログファイルは、本来、イミュータブル(変更不可能)であるはずだった。

 だが、このアナログ信号は、その「変更不可能なはずの過去(ログ)」に対し、現在進行形で、まるで熱したナイフで水晶を傷つけるように、その「波形」を焼き付けていた。

 ログが生成されるたびに、この信号が、まるで「寄生虫」のようにログに付着し、そのデータを汚染していく。

 それは、ログに意図的に残された「傷痕(スカー)」だった。

 これは、過去の「設置」ではない。

 今この瞬間も、「ピット」から発信され続けている、現在進行形の「攻撃」だ。

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