第6話 2-2:化石(フォッシル・コード)

 アキラの論理空間(ワークスペース)に、解析された「殻」のデータ構造が立体的に展開される。

 それは、アキラのプログラマーとしてのプライドを深く傷つけるものだった。

 (……悪質だ)

 その「殻」は、現代のコードで巧妙にカモフラージュされていた。例えるなら、最新鋭の光学迷彩(ステルス)で、博物館のミイラを包んでいるようなものだ。

 マザーの自動クリーンアップ・ルーチンは、このカモフラージュを「正常なログデータ」と誤認し、その内側にある「何か」の存在を見逃していた。

 これは、偶然残っていたゴミではない。

 何者かが、意図的にこの「データ」をマザーのアーカイブ深層に「設置」していたのだ。

 アキラは、そのカモフラージュを一枚ずつ剥がしていく。

 現代の暗号化プロトコル。その下には、一世代前の暗号化技術。さらにその下には、もはや歴史的な遺物でしかない旧式のセキュリティ・レイヤー。

 玉ねぎの皮を剥くような、非効率で苛立たしい作業。

 そして、彼が最後のレイヤーを突破した時、その中から現れた「核(コア)」を見て、彼は絶句した。

 (……化石だ)

 それは、彼が予想した通り、旧時代の残骸(ジャンク・コード)だった。

 マザーが構築される以前、人類がまだ統一された論理言語(プロトコル)を持つ前、無数の非効率な言語が乱立していた時代のものだ。

 現代のシステムでは、その存在自体が「非効率」として消去されているはずの、いわば「デジタルデータ上の化石」。

 何者かが、この「化石」を、現代のシステムに「感染」させるため、何重ものカモフラージュを施していたのだ。

 システムへの冒涜だ。彼が愛する、完璧で美しいマザーの論理(アーキテクチャ)に対する、最も不潔な「落書き」だ。

 そして、アキラは気づいていた。

 なぜ、自分がこの「化石」の構造を、一目で見破れたのか。

 エデン生まれのエリートプログラマーならば、このコードを見た瞬間、意味不明な「ゴミ」として即座に削除(デリート)していただろう。彼らにとって、これは学ぶ価値のない、汚れた過去の遺物でしかない。

 だが、アキラには理解できてしまった。

 彼の脳裏に、封印していた記憶が、汚泥の中から引きずり出される。

 ピットでの日々。

 エデンから廃棄されるジャンク(廃棄物)は、最新鋭の機材だけではない。何世代も前の、旧式なコンピュータや、壊れた義体(パーツ)、そして、それらを動かしていた「旧時代のデータ」も含まれていた。

 ピットのジャンク漁り(スカベンジャー)たちは、それらを修理し、継ぎ接ぎし、どうにか動かして生き延びていた。

 幼いアキラも、生きるために、その「旧時代の化石」を、泥と油にまみれた手で分解し、修理し、そして、その非効率な「コード」を嫌々ながらも学ばなければならなかった。

 彼の類稀な論理的思考力は、その時すでに、混沌としたジャンクの中から「動く理屈」を見つけ出すために使われていたのだ。

 彼は、この「化石コード」の匂いを、知っていた。

 それは、彼が最も忌み嫌い、捨て去ったはずの「過去の腐臭」そのものだった。

 (……最悪だ)

 皮肉なことに、彼がエデンでエリートプログラマーとして成功し、マザーの美しい論理を扱えるようになったその「才能」の根底には、ピットで培われた「ゴミを理解する知識」が存在していた。

 彼が今、この「汚染」を発見できたのは、彼自身が「ピットの汚泥」から生まれた存在だからだ。

 その事実は、彼の潔癖症とプライドを、ナイフで抉るように傷つけた。

 彼は、自己嫌悪からくる吐き気を押し殺し、その「化石」が内包するアナログ信号の解析に意識を集中させた。

 彼はその波形をフーリエ変換し、スペクトラム解析にかける。

 ランダムなノイズではない。明確な「周期性」と「パターン」。

 周波数帯域は、極めて微弱だが、人間の可聴域(オーディオ・レンジ)に酷似している。

 そして、その波形パターンは……。

 (馬鹿な)

 アキラは即座にその非論理的な連想を思考からパージした。

 「声」だの「鼓動」だの、そんな非合理的なものが、マザーのシステムに干渉できるわけがない。

 彼の潔癖症が、その「人間臭い」可能性を拒絶した。ピットの混沌(カオス)を連想させる、非衛生的なデータ。

 これは、何らかの意図を持った「暗号化されたデータ・パケット」だ。旧式のアナログ変調(モジュレーション)を利用した、高度な暗号技術に違いない。

 (解読(デコード)してやる)

 プログラマーとしての闘争心が、彼の嫌悪感を上回った。

 だが、彼が既知のあらゆる暗号解読アルゴリズムを試しても、その信号は意味のあるデジタルデータ(0と1の羅列)を返してこなかった。

 それは、ただ、それ自体が「意味」であるかのように、不気味な周期で脈動を続けるだけだった。

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