第十三話「夜明けのプロポーズ」
全てが終わり、帝都に穏やかな日常が戻ってきた。
俺はアークライト公爵家の客人として、そしてリアムの『番』として屋敷で暮らしている。
使用人たちの態度は劇的に変わった。以前のような遠巻きにする雰囲気はなくなり、誰もが俺に敬意と親しみを込めて接してくれる。特にメイドのアンナなどは、まるで自分のことのように俺とリアムの関係を喜んでくれていた。
「カイリ様、本当によかったですわ! リアム様があんなに優しいお顔をなさるなんて、わたくし初めて見ました!」
そう言って目を潤ませる彼女に、俺は照れ笑いを返すしかなかった。
リアムも変わった。
以前のような人を寄せ付けない氷の雰囲気は、すっかり鳴りを潜めた。もちろん騎士団総長として仕事をしている時の彼は、相変わらず『帝国の氷盾』そのものだ。だが屋敷に帰り俺と二人きりになると、驚くほど穏やかな表情を見せるようになった。
彼は俺が作る料理を、相変わらず黙って食べる。
でも食後にぽつりと「今日も、うまかった」と呟いてくれるようになった。
その一言が俺には、どんな賛辞よりも嬉しかった。
幸せだった。
こんなに穏やかで満たされた日々が来るなんて、思ってもみなかった。
だけど。
俺の心の奥底には、まだ小さな棘が刺さったままだった。
『俺は本当に、ここにいていいのだろうか』
俺は辺境の村出身の、ただの薬師だ。
リアムは帝国有数の大貴族で、騎士団の総長。
身分が違いすぎる。
今は事件の直後で、周りも俺たちのことを好意的に見てくれている。
でもいつかきっと、彼の足枷になる時が来る。
『総長の番が、あの田舎者ではアークライト家の恥だ』と陰で囁かれる日が、必ず来るだろう。
それに俺にはまだ、やり残したことがある。
村へ帰って両親の墓前に、今の自分のことを報告しなければならない。
そして俺のせいで危険な目に遭わせてしまった村長や、村のみんなに謝らなければ。
そんな思いが日ごとに、俺の中で大きくなっていった。
ある晴れた朝、俺は意を決してリアムに話を切り出した。
中庭のテラスで、二人で朝食をとっている時だった。
「……リアム」
「なんだ」
「俺、一度村に帰ろうと思う」
俺の言葉に、リアムがカップを置く手を止めた。彼の青い瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
「……どうしてだ。何か不満でもあるのか」
彼の声には、かすかな不安の色が滲んでいた。俺がまた彼の元から去ろうとしていると、思ったのかもしれない。
「ううん、違うんだ。不満なんて何もないよ。ここはすごく居心地がいい。……でも、俺、ちゃんと自分の過去にけじめをつけたいんだ」
俺は彼に、全てを話した。
両親のこと。故郷を追われたこと。ずっとβとして生きてきたこと。
そして村の皆に、ちゃんと挨拶がしたいこと。
リアムは黙って、俺の話を聞いてくれていた。
俺が全てを話し終えると、彼はふっと息を吐いた。
「……そうか。お前はずっと、そんなものを一人で背負ってきたのか」
彼の声は、ひどく優しかった。
「分かった。君の気持ちを尊重しよう。……いつ、発つつもりだ?」
「……明日にでも」
「そうか……」
彼は少し寂しそうな顔をした。
でもすぐに、いつもの毅然とした表情に戻るとこう言った。
「俺も行こう」
「えっ?」
「君の故郷を、この目で見てみたい。それに君のご両親にも、挨拶をしなければな」
彼の思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。
「でも、あなたは仕事が……」
「問題ない。数日休みを取るだけだ」
彼はもう決めてしまっているようだった。
俺が一人で抱え込んできた過去を、彼も一緒に背負ってくれるというのか。
胸の奥が熱くなる。
この人とならきっと、どんなことも乗り越えていける。
翌日、俺たちは最小限の供だけを連れてフィデリアの村へと向かった。
数ヶ月ぶりに見る故郷の景色は、何も変わっていなかった。
俺たちが村に着くと、村長をはじめ村中の人々が俺たちを温かく出迎えてくれた。
彼らは俺がマルコム侯爵の件で自分たちのために危険を冒したことを知っていた。そして俺がΩであることも、受け入れてくれていた。
「カイリ君、よくぞご無事で……!」
「リアム総長様もこの度は、本当にありがとうございました!」
村人たちに囲まれ、俺は何度も何度も頭を下げた。
その後、俺はリアムを連れて村外れにある小さな丘へ向かった。
そこには二つの簡素な墓石が、並んで立っている。俺の両親の墓だ。
俺は墓の前に跪き、静かに手を合わせた。
色々なことを報告した。帝都でのこと、リアムと出会ったこと、そして今とても幸せなこと。
リアムも俺の隣で、静かに祈りを捧げてくれていた。
祈り終えて立ち上がると、空は美しい夕焼けに染まっていた。
俺たちはしばらく、二人でその景色を眺めていた。
「……カイリ」
不意にリアムが、俺の名前を呼んだ。
そして彼は俺の目の前で、跪いた。
「え……り、リアム!?」
俺が驚いて狼狽えていると、彼は俺の手を取りその青い瞳でまっすぐに俺を見上げた。
「カイリ。俺と、結婚してほしい」
「……え」
「君を俺の本当の番(つがい)として、生涯俺の隣にいてほしいんだ」
それは今まで俺が聞いた中で、一番不器用で、でも一番誠実なプロポーズだった。
夕日が彼の白銀の髪を、きらきらと照らしている。
その姿があまりにも、神々しくて。
俺は涙で滲む視界の中で、精一杯頷いた。
「……はい。喜んで」
俺の返事を聞くと、彼は心の底から嬉しそうに笑った。
俺が初めて見る、彼の満面の笑みだった。
夜が明ける。
俺たちの新しい人生の、始まりだ。
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