第9章 残された絆(きずな)
ショウジ・マナーを出て、星空町の朝の空気に触れた瞬間――
ギンとキラの胸の奥に、どこか“懐かしいざわめき”が生まれた。
冬の匂い、パン屋の蒸気、歩道に落ちる日差し。
それらが今日だけ、やけに近く感じられる。
ザザンの店――ボー商店の前に着いたとき、
二人は無意識に姿勢を整えていた。
扉を開けると、
カラン……
と、あたたかい音が出迎えた。
「おっそーい!」
突然、肩にバシッと衝撃。
キラが一歩よろける。
「いってぇ……!」
そこに立っていたのは、腕組みして笑っている少女――
ナキタだった。
長いポニーテール、鋭い琥珀色の瞳、勝気な笑み。
「また消えんのかと思ったよ、キラ」
キラは苦笑しながら肩をさする。
「お前、相変わらず力強いんだよ……!」
ギンが苦笑していると、
そっと横に現れた柔らかな雰囲気の人物――ナビラが紙袋を差し出した。
「ギン、甘いの……好きだったよね?」
ギンは目を瞬いた。
袋の中には、ふわふわのあんパン。
「……ありがとう」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
ナビラは優しく微笑む。
「ううん。なんか……昔からそうだった気がして」
“昔から”――
その言葉が、ギンの胸のどこかを静かに揺らした。
言葉にならない懐かしさ。自分のはずなのに、自分に届かない記憶。
◆ ボー商店の朝
店内には、コーヒーの香りと静かな音楽が漂っていた。
ナキタが手際よく戸棚を拭き、ナビラはパンを整える。
ミドリはコピー機の上に“小さな旗”のような手書きポスターを貼った。
〈本日19:00 スケッチ会〉
丸 → 線 → 顔!
(ミントのペンマスコットが笑っている)
ザザンは新聞を半分閉じ、眉を下げて二人を見た。
その目の奥は、家族を見るような落ち着いた温かさだった。
「ギン、キラ。
……来てくれて、嬉しいぞ。」
それだけで、胸の何かがほどけた。
まるで、ここがずっと“帰る場所”だったように。
◆ 店の手伝い
ギンとキラは、自然な流れで店の仕事を手伝い始めた。
棚整理、レジ、床の拭き掃除――誰に頼まれたわけでもないのに、体が覚えている。
「なんでそんな慣れてるの?」
ミドリが不思議そうに首をかしげる。
「さあ……」ギンは苦笑した。
「体が……勝手に」
ナキタが小さく笑う。
「そりゃあ、あんたら……前にもここ手伝ってたじゃん」
ギンの心臓が一瞬止まった気がした。
“前?”
その記憶は――どこにある?
◆ 昼前の商店街と“沈黙の鐘”
昼が近づくにつれ、商店街はにぎわいを取り戻していった。
子どもたちがガチャガチャに群がり、
主婦たちは夕飯のメニューを相談し、
どこかで自転車が**キィ……キィ……**と抗議していた。
ギンとキラはゴミ袋を持って駅方面へ向かった。
踏切が見えてくると、
ザザンの言葉を思い出した。
「……鐘が鳴らなくても、平安で歩け。」
その瞬間――
踏切のライトが点滅した。
だが――
肝心の鐘が鳴らない。
無音。
キラが低く呟く。
「……沈黙の鐘(デッドエア)か」
ギンは深く息を吸った。
胸の奥にある“平安”の方が、信号より確かだった。
踏切の前で、高校生が反射的に一歩踏み出した。
キラが手をかざす。
触れていないのに、
“止まれ”という空気だけが伝わった。
「待って」
ギンが静かに言った。
街の音が重なる。
笑い声、不安な声、誰かのため息――
鐘だけが沈黙している。
キラは目を閉じた。
祈りでも儀式でもない。
ただ“内側の床”を探すように。
やがて――
胸の奥に、暖かい重さが落ち着いた。
“今じゃない”という平安。
「……まだ」
キラが首を振った。
三十秒、四十秒――
静寂は長かった。
やがて、
カーン……
と鋼の声が一度だけ響き、
バーがゆっくり上がった。
二人は誰よりも自然に、
誰よりも静かに、
母親とベビーカーを挟むように渡った。
渡り終えた母親が深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ギンは微笑んだ。
「いえ。……また」
その瞬間、
沈黙していた街が息を吹き返したように感じられた。
◆ 停電の夜と“守る者たち”
夕方、商店街全体がふっと暗くなった。
まず一つ、
次にもう一つ――
まるで“沈黙せよ”と言われた合唱団のように、
店の灯りが一つずつ消えていく。
ボー商店は慌てない。
ザザンの発電機が、
「はいはい」とでも言うように動き始めた。
ミドリは子どもにペンライトを渡し、
ナキタは店内にランタンを置き、
ナビラはシャッターを少し開け、
暗闇が“敵”にならないようにした。
沈黙の中で、光は働く。
◆ 再び踏切へ
今度は完全な闇。
踏切は音も光も出さず、
ただ“判断”だけをこちらに投げかけてきた。
ギンは息を整え、
キラと共に歩き出した。
合図も鐘もない。
ただ、“平安”だけがあった。
「……今だ」
キラが言った。
二人は母親と子どもを挟んで渡り切る。
靴音と、誰かの涙。
「ありがとう」
また、深々と頭を下げられた。
ギンは短く答える。
「……うん。また。」
◆ 終わりゆく夜
停電が解け、
灯りが少しずつ戻っていく。
ミドリはスケッチ会のポスターに
「ありがとう」
と大きく書いて貼り直した。
ザザンはそっと袋にメロンパンを入れ、
ギンに渡した。
「……家へ」
それはパン以上の意味を持っていた。
二階では、
ソラの部屋で一度だけ床が鳴った。
“また……来る”という気配があった。
◆ ショウジ・マナーで
プリシラはタオルと湯気の立つお茶で二人を迎え、
レイドは鏡の前で静かに尋ねた。
「――鐘は?」
「……途切れた。でも、戻った」
キラが答える。
「――平安は?」
「……ずっとあった」
ギンが言った。
レイドは目を閉じ、
それが“祈り”にも見える短い頷きをした。
二人はメロンパンを食べ、
プリシラに口の周りの砂糖を拭かれ、
笑って、息を整えた。
その夜――
銀の部屋の鏡は光らず、ただ“呼吸”した。
ギンとキラの胸の間に、
第四の線が静かに刻まれた。
誰にも盗まれない場所に。
――第9章 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます