第2話 一人になった日

 広がる「紅」の中、思わず膝をつく。鼻をつく鉄の臭いが頭の中をめぐり、肺を失くしたように息ができない。


 倒れそうで壊れそうな中、ローザの手の中にある金色の花が目に入る。


『花びらでなでると怪我がすぐに治る』


 おとぎ話の中に出てきた言葉につられるように、左手が花の茎に伸びる。


 きらめく花びらがローザの胸の穴に触れる。その金色が紅く染まっても、少しも穴はふさがってくれない。ローザの手も、少しも動いてくれない。


「ローザ」


 やっぱりおとぎ話なんて、嘘だったんだね。


『もしかしたら本当かもしれない』


 そんなもの信じないって強く言っていたら、ローザはこんな風にならなかった?


 気づけば金色の花を両手で握りつぶしていた。花びらがつぶれても、悲しいほどその輝きは色あせない。


 水滴が手の中の花びらを濡らし、自分が泣いていたのに気づいた。


「……え」


 右手の指先に違和感を覚えた。いつもとは違う感覚。


 花びらを一枚つまむ。その動きはさっきまでとは全く違う、滑らかなものになっていた。


どうして?


 僕が、生きているから……?


 ローザの手を握る。今までとは違う、はっきりとした感触があった。指先から伝わる温かさが、少しずつ失われていくのも分かった。


 こんなの意味がない。おとぎ話が本当ならローザを生き返らせてほしい。


 僕は、おばあちゃんみたいにきれいなレース編みを作りたかった。でもそれは、ローザに喜んでほしかったからだ。君がいないのに、手が動くようになったってもうどうしようもない。


 ねえローザ。僕の手なんてどうでもいい。だから。もう一度あの顔で、笑ってよ。





どうやって村に戻ったのか分からない。気づけば僕は白みかけた空を見上げていた。


「ルカ。ごめんね、こんなことを、任せてしまって」


おばあちゃんの声が耳をすり抜けていく。


こんなこと、が何を指すのかぼんやりした頭で少し考えて、「ローザを連れて帰ったこと」

だと気づいた。


手が動くようになったことは言えなかった。きっと余計に悲しませてしまう。


『ルカの目、私は好き』


ローザの声が何度も頭の中で繰り返されて、このままずっとその声を忘れなければ、これからも一緒にいられそうな気がして。


でもそんなの気のせいだ。分かってる。だけど。




 ローザは村の墓地に埋葬された。おばあちゃんも、村の人たちも泣いていた。自分が泣いていたのかは、分からない。


 墓地の管理人は、「野犬に襲われたんだろう」と言っていたけど、そうじゃないと思った。


 ローザはいつだって野犬除けの薬包を持っていた。あれを持って以前森に行った時だって、少し離れた場所を歩いていた野犬は近寄ってこなかった。薬包には、ちゃんと効果がある。


 ローザを殺したのは、あの日走り去っていった奴だと思う。顔は見なかったけれど、このあたりに住んでいるはずだ。


 絶対に、許さない。


「ルカ」


 おばあちゃんは僕の考えていることを見抜いているかのように、何度も言った。


「おまえだけでも幸せになるんだよ。そうすれば、きっとローザも喜んでくれるからね」


 おばあちゃんの言葉は優しかったけれど、僕の胸には響かなかった。


 心の中の海が涸れ果てたように今ではもう涙も出ない。


 でも。僕がローザを殺した人物を追って村を離れたら、おばあちゃんは一人になってしまう。日に日に弱っていくおばあちゃんを置いてどこかへ行くことなんてできなかった。


 動くようになった右手も使って、小さな畑を作った。小さな芋がいくつか取れて、それを使ってスープやパンを作った。


 家の中はいつだって優しい匂いにあふれていたけれど、僕の頭の中には鉄の臭いがずっと残っていた。


 夜中には息苦しさで飛び起きることもあった。おばあちゃんはきっとそれにも気づいていたんだと思う。


 それから三度目の冬の日、おばあちゃんは起きてこなかった。きっと本当は悲しかったはずなのに、やっぱり涙は流れなかった。


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