第3話 無垢な雪
おばあちゃんがいなくなって、村人たちの視線は明確に冷たくなった。
「あんな得体のしれない奴をいつまで村に置いておくんだ」
向かいの家の、ローザと仲が良かったリリアのお父さんが村長に詰め寄るのを見た。
きっと、おばあちゃんはそんな「外」の視線から僕を守っていてくれたんだろう。
冷たい空気の中、こっそり作りためていた髪飾りや編みこまれた腰ひもを袋に入れて、家を出た。
もう行く場所なんてない。村を離れていつまで生きていられるのかも、分からない。自分の影が長く伸びていた。
あの頃は隣にローザの影があったのに、今はぽかりと空いている。
そんな光景を思い出したくなくて顔を上げた。深くかぶったフードに北風が吹きつける。
森に差し掛かると、どこか空気がざわついている気がした。冬の弱い光がほとんど届かない木々の間を、オレンジの灯りで照らす。指が動くようになっても相変わらずこの力は残っていた。
神様がくれたものなんかじゃないのかもしれない。だって、もし神様がいるなら自分勝手な僕なんかじゃなくてローザの方を助けてくれたはずだ。
地面には草を踏みにじった足跡がついていた。一人だけのものではなく、おそらく二人分ある。
足を進めるごとに、人がいる気配が濃くなってくるのを感じた。ぼそぼそと、何かを話す声も聞こえる。
「……それで、結局殺せなかったんですか?」
一歩近づくと、おそらく僕と同い年くらいであろう男の話し声が耳に入ってきた。
「ああ。あんなに無垢で、真っ白な雪のような姫様を手にかけるなんてできるはずはないさ」
もう一方の、相手より少し年上に聞こえる声が答える。何の話をしているのか分からないが、なぜだかその場から動けなかった。
「……だったら、あの『証拠品』は」
「あれは、獣のものだよ。女王がどうしても持って来いって言うからな」
自分でも理由が分からないのに、体が動かない。頭の中に紅色が広がっていく。彼は一体何のことを言っているんだろう?
「姫様は無事なんでしょうか……」
「どうだろうな、生きていてほしいもんだけど」
「あれから三年……生きていらっしゃれば16になりますね」
「さぞかしお美しいだろうな」
三年前、姫様、獣、『証拠品』。
脳裏をよぎったのは、あの日の絶望。
「姫様は希望だ。助かっていると信じるさ」
彼らの言葉が頭の中を侵食していく。まるで自分が肺と心臓を失くしたように息の仕方が分からない。
一歩ずつ、自分の意思なのかどうかも分からないまま彼らの方へと足が進んでいく。
あと少しで届く、その背中が目に映る。その瞬間頭の中の紅が弾けた。
本能的に分かった。あの日、焦ったように走り去った、あの背中だ。
「獣のもの」なんて嘘。
ローザは、「姫様」の死を偽装するために殺された。
それがあの日の真実。
僕の大好きだった幼馴染の命を踏み台にして存在する希望。そんなの、絶対に許さない。
足の震えを抑えながら、枯れ草を踏みしめて更に一歩踏み出した。
自分の手が男の背中に伸びた。
「あの」
かすれた声が頼りなく空気を震わせる。
「すみません、僕、お城への道を探していて。向こうの町で編んだ飾り物をもってきたんですが、行き方が分からなくて。もしよろしければ、門前まで連れて行っていただけませんか?」
二人が怪訝な顔で首を傾げる。僕と同い年くらいの男と、多分僕より10歳くらい年上の、つやのない黒髪の、ひょろりとした暗い目の男。二人とも胸の辺りと足は簡素な鎧のようなもので覆われ、身動きするたびに金属の触れ合う音が聞こえた。
「これ、一生懸命作ったんです。きっとお城の方にも気に入ってもらえると思います」
袋からレース編みを取り出す。二度とローザが身に着けることはない、美しい糸の塊。
「まあ、いいけど。城に入れるかは分からねえからな」
ローザを殺した男は横柄に顎をしゃくった。
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