第14話

「いじめられて怪我させられたの?」


 おかずの回鍋肉を食べつつ尋ねると、恭一はわかりやすく表情を曇らせた。図星だろう。


 こちらの聞き出したいことは以上だった。誰にやられたか、恭一本人は言わないだろうが、目撃者を探せば事足りる。そうでなくても先ほど食堂を出て行った文系クラスの男子生徒が恭一に陰険なまなざしを向けていたので、主犯は見当がついている。


「そんなことしてる時間があるなら勉強すればいいのに」


 内部推薦でほとんどの生徒が大学進学可能であるが、何事にも例外は存在する。あまりに勉強ができなかったり、素行に問題があったりすると、親がいくらお金を積んでも進学できなくなる。他の系列校では親の力で進学する人もいるという噂を耳にしたことがあるが、当校はその辺かなりシビアである。


 さきほどの犯人と思しき彼も、たしか成績がふるわない部類だから、進学はどうにかできるにしろ、希望する学部や学科に進学できるかは怪しいところである。


「噂への対処法は知らないけど、いじめは簡単だよ。相手を公衆の面前で一発殴ればおしまいだよ。もちろん先生の見てないところでね」


 恭一の表情がさらに曇る。


「おまえが暴力的な解決手段をおすすめしてくるのは、結構意外だ」

「子どものころの俺があんまりひょろひょろで、父親がいじめられるんじゃないかって心配して色んな格闘技やらされたから、そのせいだよ」


 といっても、父親の心配はまったく裏切られ、いじめられることはなかったし、友人との関係は基本的に良好だった。格闘技をやって学んだことは、体格が良い奴には逆立ちしても勝てないということだけだ。


「卒業したら会わなくなるんだから、やり返したいとは思ってねえよ」


 どうでも良さそうに言って、恭一は箸を置いた。彼は今日もご飯粒一つ残さず完食した。


 夕食を終え、風呂に入り、さっさとベッドに入ったが、恭一に布団を剥がされた。


「おまえの話を聞いてない」


 ベッドに腰掛けこちらを見下ろす恭一は、強い力で布団を掴んでいて、すぐに返してくれそうもなかった。


「何があったんだよ」

「ちょっと人と言い争って、ぶたれた。話はおしまいです」

「俺が言いたくないことを勝手に読み取るくせに、自分は話さないつもりか?」


 恭一が間髪入れずに言い返してくるのは珍しいので、驚いて、すこし感動した。


「……それもそうだね、ごめん、悪かった。でも、おまえにどう話すべきか整理ができてないのも本当だよ。色々と気になる話を聞いて、俺は一体どうすべきか……、そう、俺は悩んでるんだ」


 梶尾が想像以上の悪人であったことを聞いて、市瀬の言い分も理解できてしまった。死ぬべき人が死んだのかもしれない、事件を調べるべきではないかもしれない、そう思った。梶尾が死んだことで、恭一が梶尾にいじめられることは未来永劫なくなったのも事実だ。


 だが、このままでは彼に対する根拠のない容疑が晴れることはない。怪我まで負わされている彼へのいじめは悪化の一途を辿るだろう。


「大事な人を苦しめている不正を暴くことで世間から非難される恐れがある時、人は大事な人の為に不正を暴くのか? それとも大事な人に寄り添うだけで静観を決め込むのか?」

「それって、付き合ってる人ならどうするかって質問か? 答えは人の数だけあるだろ」

「じゃあ、おまえの答えは?」


 恭一は黙りこくって考え始めた。それを待つのは退屈ではなかった。


「大事な人のために不正を暴くって言えたら、かっこいいよな」


 そう独り言のように言って、気恥ずかしそうに顔を背けた。ついでに布団も手放したので、こっそりと奪い返して体にかけた。


「ありがとう。参考にするよ。じゃあおやすみ、また明日」


 横になって電気を消しても、恭一は動かなかった。暗闇の中、無言で見つめられているのは良い気分ではなかった。


「おまえってさ、なんで好きでもない人のためにそこまで体張れるんだ? ぶたれたのだって、どうせ事件のこと調べてたせいだろ。違うか?」

「おまえのためじゃないよ。付き合ってもらってるのも自分のためだし、事件について調べてたのも自分が知りたいからだよ」


 嘘ではないが、真実でもなかった。


 助けると言った事を嘘にしないためだ、やっぱりやめたと言って裏切れないからだ。

 怖い、味方でいるのをやめることが。自分のせいで誰かが世界を見限る様を、二度と見たくないのだ。


「それでもおまえの行動は俺の為になる」

「そうかな、自惚れじゃないかな」


 寝返りを打って、恭一の背中を軽く蹴った。恭一もいつまでも人のベッドに陣取ってるから、これでおあいこである。


「ほら、自分のベッドで寝なよ。俺も寝たい」

「わかったから蹴るなよ。……もう一つ聞いてもいいか?」

「何?」

「おまえ、自分が時々うなされてるの知ってるか?」


 何も言わなかったが、沈黙は肯定と捉えられた。


「うなされてるのに気づいたら、起こすべきか? 放っておくべきか?」

「……放っておいて。うるさいなら起こせばいい。じゃ、おやすみ」


 寝返りを打って恭一に背を向けた。恭一は、おやすみ、と小さな声で言って自分のベッドへ戻っていった。


 いつの間にか眠っていて、はっと目が覚めたら朝だった。スマホで時間を確認したが、朝食まではまだ時間があったし、恭一もまだ寝ていた。

 恭一とやりとりをしているSNSから通知が届いていたので、ベッドの中でメッセージを読んだ。


“これを読んでいるのは朝でしょうか、それとも放課後でしょうか。いずれにしても、俺の見ていないところで、一人で読んでください。


 昨日は紀が怪我をしたと知って、頭が真っ白になるほど動揺しました。その原因の一つが自分であることを差し引いても、自分の大事な人が怪我をしたら冷静ではいられないのです。相手にやり返したいとも思いましたが、紀に鼻で笑われそうな気がしたので、とても口には出せませんでした。


 怪我をしてまで事件について調べるのをやめてほしいというのが本心です。でも、やめないでほしいというのもまた紛れもない本心です。どっちつかずの感情の間にいて、この狭間でいつまでも揺蕩っていたい気持ちもあります。紀がこれからどう行動するにしても、俺はきっと嬉しく思うことでしょう――“


 睡魔が襲ってきて、その先は読めなかった。二度寝のまどろみの中で、幸福な夢を見た気がした。

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