炎よりなお熱く

第15話

 夏を錯覚させるほどの気温の中、一人墓地を歩いた。五月初旬だというのに、歩くだけで汗をかきそうだった。


 墓参りに相応しくない学校のジャージ姿で、掃除道具を片手に持っていた。年に一度しかこの霊園に来ないのに、体は道を覚えていた。


 しばらく砂利道を歩き、目的の場所に着くと、より一層げんなりさせられた。“愛”の一文字が刻まれた暮石は薄汚れていて、周辺には背の高い雑草が生い茂っていた。


 心を無にして雑草を抜き、墓石の汚れを落としながら、死んだ彼に思いを馳せる。


 三橋裕みつはしひろむ、それがこの墓で眠る人の名前だ。彼とは中学生の時のクラスメイトだった。

 この墓は、自殺した裕を家族の墓に入れることを渋った両親を見かねて、彼の祖母が建てたものだった。しかし、彼の祖母はすでに亡くなっており、彼の親族が墓参りに来ることはない。


 掃除が終わると、ジャージには汗が染み、あちこち汚れていた。軽く汚れを払ってから持ってきた花を飾って、線香を立てた。それから目を閉じて手を合わせた。


 死者に心の中で語り掛けるようなことはしないが、頭の中は自然と後悔や苦い思い出や謝罪の言葉でいっぱいになる。


 裕が死を選んだ理由は、紛れもなく自分の言動のせいだった。

 彼から告白されて、好きじゃないからと断って袖にした。その日の内に彼は自宅で死んでいるのが見つかった。カッターナイフで頸動脈を切ったそうだ。


 両親が不仲だったこと、家庭内に居場所がなかったこと、学校でも爪弾きにされていたこと。それらは死を選ぶ遠因にしかなりえず、告白して振られたことが彼に止めを刺したのだろう。


 あの頃も今も、自分には愛や恋の実感がない。それでも彼が絶望した理由を理解したくて、他人を巻き込んででも愛や恋を知ろうとしている。


 幽霊は信じない質だが、もしも裕がどこかでこの様を見ているなら、少しでも慰めになればいいと切に願っている。


 目を開けて立ち上がると、“愛”の文字が嫌でも目に入ってきた。裕の祖母が裕を思って入れた言葉。美しいと感じるはずの言葉は、刃のように胸を刺した。


 雑草を入れたゴミ袋と掃除道具を持って、来た道を戻った。ゴミを捨ててから休憩所で冷たいお茶を飲み、路線バスが来るまで時間を潰した。


 路線バスに乗って後方の席に座った。バスが墓地から離れていくと、徐々に心が軽くなっていくのを感じた。そうなってようやくスマホのメッセージを読むことができた。朝からずっと文字を読む気になれなかったのだ。

 母に今から帰ると連絡を入れて、恭一からのメッセージを開く。連休中に遊びに行こうとの連絡だ。付き合ってもらっているのはこちらの方なので、彼から遊びというかデートに誘われるのは珍しい。深く考えず、いいよと返事をする。


 バスを乗り継いで家に帰った頃には、くたくたになっていた。墓地に行くだけで精神的に負荷がかかる上に、熱い中墓掃除をしたので体力的にも消耗した。

 このまま夕飯まで寝ていたかったが、父に聞いておきたいことがあったので、そうもいかなかった。


 台所に行くと、父が夕食用の野菜を切っているところだった。すき焼き用の肉は早くも常温に戻すためにカウンターの端に置かれていた。


「どうした、お茶でも飲みに来たか?」

 手を止めて父が尋ねてきた。何となく違うと言い出せず、

「そうだよ」


 冷蔵庫を開けて冷えたペットボトルのお茶を探した。父が再び野菜を切り始めた音がしてきて、ようやく話しかける勇気が湧いた。


「あのさ、父さんって、弔問に行った事はある?」

「あるけど。行く予定があるのか? いつだ、葬式の前にご自宅に伺うのか?」

「違う、葬式の後。たぶんもう四十九日も過ぎてるんだけど、お線香を上げに行きたい人がいるんだ。調べても弔問のマナーとかいまいちわからなくて……」


 ペットボトルを取ってから冷蔵庫を閉めると、手を止めてこちらを見ている父と目が合った。


「それってまさか、この間事故で無くなった先生の家に行くのか?」

「うん、そう。今、教頭先生に頼んでお邪魔できるか確認してもらってるところ」


 連休に入る前に教頭を捕まえて、梶尾の家に弔問に行きたいから取り次いでほしいと頼み込んでいた。亡くなった姿を見たのに葬式にも行けず、このまま故人の為に何もできずにいるのは忍びない、としおらしい態度で伝えたので、おそらくどうにかしてくれるだろう。


 父はじっと考え始めた。真剣な顔つきは自分と似ているので、見ているだけで恥ずかしくなってくる。


「無理して行くことはないと思うけど、ご遺族が良いって言うなら行けばいいんじゃないか」

「意外、止められるかと思った」

「そりゃあ親としては、事故死した場面を見てしまった人にはもう関わらないでほしいけど、やめておけって言われてやめる質じゃないだろう」


 全くその通りだった。もし反対されても全然行く気だった。


「父さんも経験はあまりないけど、紀が明日家を出る時までには思い出しておくから、少し待っていなさい」


 父は再び包丁を持ってまな板に向かった。


「はいはい、よろしく」


 恥ずかしまぎれに適当な返事をして台所を後にした。

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