第8話 ライブハウス

 七月に入ったばかりの、蒸し暑い夕方だった。

 梅雨明けはまだだが、夏の気配が濃くなってきている。

「シー! うちら出演してくれないか? って」

「急に何の話?」

 学校を終えて、ポスティングのバイトを終えたポンズは、シーに電話していた。

 夕暮れの松山の街に、オレンジ色の光が差し込んでいる。

「ほら、シーのギター買った日に会った、あの男の子たちのライブによ。連絡先交換してたんよ。チケット代のこと聞いたら、出てくれるんやったらいらんよ~だって」

「あの銀髪のドラムの子来るんよね?」

 シーも覚えていた。楽器店で見かけた、独特の雰囲気を纏った女の子。

「そ! うちらもあの子の演奏を見極めて、うちらの演奏も見せつける。ちょうどええやん」

「うち、エレキの引き換え日まだやけど」

 シーはいつも突発的にものごとを決めるポンズに、少し慎重気味になった。

 新しいギターの引き取りは、そのライブの翌日だった。

「前、三人で路上でやったようにやろうや」

「え? あんな自己中なセッション見せつけんの?」

 ポンズは電話の向こうで笑った。

「あっはは、さすがに自重するけん」

「なんか、たくらんでんの?」

 シーの勘は鋭い。

「え? いやいや、シーやカグラちゃんの時みたいに絶対誘っちゃろうなんて、まだ考えてないで」

「ねぇポンズ」

「うん?」

「うちもカグちゃんも、ポンズの衝動的な勢いで声かけたかもしれんけど、今は三人なんやからね」

 ポンズはハッとした。

 バンドは自分だけのものじゃない。

 ポンズとシーとカグラのバンドなんだ。

 フレイミングパイはみんなで作り上げていかなくてはいけない。

「うん、そうやな、わかってる。勝手には決めんけん」

 ポンズは練習の約束などを交わし、カグラにも連絡した。

 *

 ポンズが声をかけたバンドが行うライブは、ライブハウスを借りて、仲間内だけで楽しもうとするものだった。

 彼らのバンドは、通っている大学の仲間やバイト先で知り合った友人と結成したようだが、就職活動に向け解散することになったらしい。

 ドラムはすでに家業を継いで、県外の実家へ帰ったという。

 そして、知人の伝手で繋がったのが、ポンズが目をつけたドラマーというわけだ。

 ライブは彼らと後輩バンドが二組で、彼らの解散ライブ、後輩バンドの初ライブを行うという。

 出演者やライブを聴きに来る仲間たちのほとんどが、路上でのシーを知っていて、みんな楽しみにしているらしい。

 *

 ライブ当日。

 七月の太陽が照りつける中、リハーサルもあるということで、ポンズたちは楽器を携え、ライブハウスに早めに着いた。

 松山のライブハウス「ROCK STEADY」は、古い倉庫を改装した小さな箱だ。

 繁華街から少し外れた路地裏にあり、知らなければ通り過ぎてしまいそうな場所にあった。

 入り口には手書きの看板があり、「ROCK STEADY」という文字がかすれた赤いペンキで書かれている。

 中に入ると、独特のカビ臭さと機材の匂いが混じり合っていた。

「うわぁ……」

 ポンズは思わず声を漏らした。

 薄暗い照明。むき出しの配管。黒く塗られた壁。

 ステージには大きなスピーカーが鎮座し、基本的なドラムセットや、エレクトリックピアノ、そしてマイクスタンドが何本も立っている。

 天井からは色とりどりの照明器具がぶら下がり、床は何年分もの足跡で磨り減っていた。

「これがライブハウス……」

 カグラも緊張した面持ちで周囲を見回している。

 ポンズとカグラにとっては、ライブハウスは初めてである。

 祖父の音楽仲間とのライブ経験があるポンズでさえ、川沿いステージとか、小さな集会所でしか経験がない。

 こんな本格的な場所に立つのは初めてだった。

「みんな、今日はほんとにありがとう。真白さんの歌が聴けるなんて、ええ思い出になるわ」

 楽器店でも会った、本日主催のバンドのリーダーがポンズたちに挨拶した。

 彼は髪を金色に染めた、いかにもバンドマンという風貌の青年だった。

 山田健太やまだけんた、通称ヤマケン。

 *

「やあ、詩音ちゃん久しぶりやね。路上で頑張ってるみたいやね。それにしてもバンドになって戻ってくるなんて思いもせんかったよ」

 ライブハウスのオーナーがシーに声をかけた。

 岩田恒太郎いわたこうたろう

 五十代くらいの男性で、長い髪を後ろで一つに結び、革のベストを着ている。

 若い頃はバンドをやっていたらしく、腕には色褪せたタトゥーが見えた。

「お久しぶりです、オーナー」

 シーは丁寧に頭を下げた。

 シーは数回ここのステージに立ったことがあり、オーナーやPAのスタッフとは中学生の頃から顔見知りである。

 それがきっかけで、オーナーが市に申請をしてくれて、路上ライブができている。

「詩音ちゃんがバンドか。中学の時からずっと一人でやってきたのにな」

「いい仲間に出会えたんで」

 シーはポンズとカグラをちらりと見て、少し照れくさそうに言った。

「今度はいつでも使ってええけんね。詩音ちゃんのバンドなら、いつでも歓迎や」

「ありがとうございます…まだドラムがおらんのですけどね」

 ポンズはその様子を見ていた。

 シーには、自分たちの知らない歴史がある。

 一人で音楽を続けてきた、長い時間がある。

「シー、すごいね。顔が広い」

「そんなんやないよ。ここのオーナーには、ほんまにお世話になってるだけ」

 *

「今日、演奏してくれる後輩バンドの子らです」

 ヤマケンが、後輩バンドの二組を紹介した。

「初めまして、真白さん、何度か路上ライブ見させてもらってます」

「わたし、ファンです。CD持ってます。握手してください!」

 今日、初ライブの二組は男の子の学生バンドと女の子の学生バンド。

 ほとんどがシーのことを知っていて、リスペクトを込めて歳下のシーに握手や写真を求めた。

「あ、ありがとうございます……」

 シーは照れながらも、丁寧に応じている。

 写真を撮る時も、ファンの子たちの隣でぎこちなく笑顔を作っていた。

「シー、ほんまにすごいな。うち、声かけてよかったんやろか」

 ポンズがカグラに小声で言った。

「今さらやね」

 カグラはポンズににこやかに返した。

「でも、ポンズちゃんが声をかけてくれたから、わたしもシーちゃんも、今ここにいるんだよ」

「カグラちゃん……」

 ポンズは少し感動した。

「みなさんは大トリお願いしていいですか?」

 ヤマケンが聞いてきた。

「いや、逆にいいんですか? みなさんがメインなのに」

 シーが恐縮した。

「もちろんです。路上でみなさんの実力はみんな知ってますから」

 どうやら三人の自己中セッションも見られているらしい。

 *

「そういえば、ドラムの人は?」

 ポンズが尋ねた。

「あぁ、宝来さんならライブの時間には来てくれます。今は別のとこで叩いてるんやないですかね」

「ホウライ……?」

宝来鈴愛ほうらいれあさん。まだ16くらいやのに、貫禄あるでしょ。ほうぼうでドラム叩いてるみたい」

「へぇ~」

 あちこちで声をかけられるんなら、腕前は申し分なさそうだ。

「なんで、決まったバンドに入ってないんやろね」

 ポンズたちはふと疑問に思った。

 腕がいいなら、引く手数多のはずだ。

「あぁ~、本人曰く、前おったとこクビんなったって言ってました。理由は知りませんけど」

「クビ……?」

 シーが眉をひそめた。

「まあ、バンドってそういうこともあるでしょ。方向性の違いとか」

 ヤマケンは軽く言ったが、ポンズたちは少し気になった。

 クビになるような人を、本当に誘っていいのだろうか。

 *

 ポンズたちは、隅でリハーサルを聴きながら、自分たちの番を待っていた。

 後輩バンドもヤマケンたちのバンドも、お世辞にも上手な演奏ではないが、仲間の温かさが感じられるまとまりがあった。

「いいなぁ、こういうの」

 ポンズが呟く。

「上手い下手やないんよな、バンドって」

「うん……みんな楽しそう」

 カグラも頷いた。

 控室として使われている小さな部屋で、三人は最後の打ち合わせをして立ち上がる。

「よし、うちらも行くか」

 *

 上手にシー、下手にポンズ、中央奥でカグラという位置でセッティングを始める。

 シーは父が取り付けたピックアップがついたヘッドウェイHMJ-WX。

 ポンズはヘフナーのヴァイオリンベースHCT-500。

 カグラはFernandes RST-50。

 それぞれケーブルをアンプにつなぐ。

「カグラちゃん、やっぱそのストラト系もかっこいい! それに鮮やかな青!」

 ポンズがカグラのギターを見て言った。

「うん、練習で両方使い分けとったけど、3系統の方が、なんかあってもどうにか対応できるかなって思って、今日はこっち持ってきた」

 カグラはギターの話になると、少しだけ饒舌になる。

 三人は先にやったバンドの音量を基準に、音合わせをしていく。

 しかし、シーのギターがハウリングを起こしてしまった。

 キィィィン、という不快な音が響く。

「あ、ごめん……」

 シーが慌てる。

「詩音ちゃん、上手にいるから、前のモニターを少しずらして、なるべくスピーカーは背にしてみて。あとはこっちでEQ調整して様子見ましょう」

 シーの顔見知りのPAさんが、的確に指示を出してくれた。

 ポンズはその様子を見ながら、少し感激をしていた。

「これかぁ、ステージをみんなで作り上げてる感! ステキやん!」

「みなさん、バンド名は?」

 PAさんが聞いてきた。

 ポンズが胸を張って、声を上げる。

「はい! フレイミングパイです!」

 初めて、ほかの人にバンド名を名乗った瞬間だった。

 *

 ライブハウスが開場された。

 観客は出演するバンドの友人たちがほとんどだった。

 百人も入ればいっぱいになりそうな箱に、五十人ほどが集まっている。

「え? 真白詩音出演すんの? ラッキーすぎる!」

 などと、歓声が上がっている。

「ワクワクしてきたぁ」

 ステージ袖近くの楽屋にいたポンズは、シーとカグラに、ウキウキしながら語りかける。

「ポンズってベーシストって感じじゃないよね」

 シーはそう言ってポンズをからかう。

「ええ~、どういう意味?」

「なんか、ベーシストってもっと寡黙で、後ろで淡々と弾いてるイメージやん」

「うちのベースのイメージはポール師匠やしな」

 ポンズは胸を張った。確かにポール・マッカートニーはベーシストにしてメインだ。

 ただ、シーは知っている。

 ポンズが、ふざけているように見えて、しっかり土台を支えようとする演奏ができることを。

 *

 そうこうしているうちに、ライブが始まった。

 初ライブの二組は初々しい演奏を終えた。

 緊張で声が裏返ったり、演奏がずれたりしていたが、観客は温かく見守っていた。

「みんな楽しそうやったね」

 カグラが言う。

「困ったな、宝来さんがまだ着いてないんよ」

 メインバンドの一人がやきもきしている。

「うちら、先にやりましょうか」

 シーが提案する。

「うーん、俺らより場数踏んでる真白さんを先になんて……」

 ヤマケンが困った顔をしている。

 その時だった。

「遅くなってごめんなさ~い」

 のんびりした声が響いた。

 *

 ついに現れた銀髪の助っ人ドラマー。

 今日も身体中のアクセがチャラチャラ揺れている。

 両手首にはいくつものブレスレット、両手の指には銀のリング、耳には複数のピアス、首には重ねづけしたネックレス。

 銀色の髪を後ろで一つに結び、切れ長の目は眠そうに細められている。

 だるそうに歩いてきたかと思えば、シーの顔を見て、ぱっと表情が明るくなった。

「あ、ほんとに真白詩音ちゃんがいる~。会えて嬉しい」

「どうも」

 シーは警戒するように、短く答えた。

「今日出てくれるんだって? 真白詩音ちゃんとフレイミングパイのみなさん」

「いやいや三人でフレイミングパイでやらせてもらってます」

 ポンズが芸人のようなノリで反論する。

「え~? 表に書いてたよ。『緊急参戦! 真白詩音withフレイミングパイ』って」

「なぬっ!」

 ポンズは主催のバンドメンバーを睨んだ。

「ごめーん、ホントの勘違い、真白さんで客を引くためでは決してなく……」

 ヤマケンが両手を合わせて謝る。

「あっはっは~、じゃあいきましょか」

 銀髪の彼女は笑いながら、ステージへと向かった。

 ヤマケンたちも慌てて後を追う。

「ぶっつけで叩くんか……すごいな」

 シーが呟いた。

 リハーサルもなしに、いきなり本番。

 普通なら考えられないことだ。

「うちらも客席から見よう」

 ポンズらは客席へ移動し、目立たないよう後方へと移動した。

 宝来鈴愛。

 前にいたバンドをクビになったという、謎の多いドラマー。

 その実力を、今から見届ける。

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