第7話 シーのギター
六月下旬、日曜日。
ここ数日続いていた梅雨空が嘘のように、朝から抜けるような青空が広がっていた。
梅雨の中休み。
絶好のお出かけ日和だ。
ポンズ、シー、カグラの三人は、松山から離れ、隣町の大きなショッピングモールに来ていた。
伊予鉄の郊外電車に揺られること約二十分。古泉駅で降りて、さらに少し歩く。
目の前に現れたのは、愛媛県内最大級のショッピングモールだった。
「大きい……」
カグラが小さく声を漏らす。
「ここ、映画館もあるし、ゲーセンもあるし、アスレチック施設もある。一日遊べるよ~」
ポンズが嬉しそうに言う。
「遊びに来たんやないやろ」
シーが呆れた声を出す。
そう、今日の目的は、シーのエレキギター探しだ。
このショッピングモールには大手の楽器店があり、品揃えも県内随一と評判だった。
*
三人はショッピングモールの中を歩いていた。
日曜日とあって、家族連れやカップル、友達同士のグループで賑わっている。
「ドラマーとシーのエレキギター、一緒に見つかったらええのになぁ」
ポンズがショッピングモールを歩きながら、つぶやいた。
「ドラムやります、みたいなんが掲示板に貼ってあったらええのにね……」
カグラが同調する。
「そんな都合よくいかんやろね」
シーが苦笑する。
「シー、お金はどんくらい出せるん?」
ポンズがシーに今日の軍資金を尋ねる。
「まぁ、CD売ったり、ライブにゲスト出演したり、バイトして、コツコツ貯めたお金があるんやけど、15くらい。母さんにも少しもらったから18はある」
「え! それは万ですか? ねぇ? 万ですか~?」
ポンズが大げさに驚く。
「やめて」
シーはいつものように一刀両断した。
「高校行かんで音楽やってきた甲斐があったってもんやわ……」
シーは少し照れくさそうに付け加えた。
*
楽器店に近づいてきた。
ガラス張りのおかげで店内がよく見える。壁一面にギターが並んでいる光景に、三人とも圧倒された。
アコースティックギター、エレキギター、ベース、そして奥にはドラムセットも展示されている。
「すごい数……」
カグラが呟く。
「シー、どんなギターが欲しいん?」
ポンズが聞く。
「そりゃあ、音がよくて、見た目も可愛くて……」
「可愛いって、ギターに可愛いとかあるん?」
ポンズがからかうような口調で言う。
「あるよ! 色とか形とか」
シーは真剣な表情で答えた。
ふりふり衣装が嫌なくせに、カタカナ表記が可愛いとか、ギターが可愛いとか、シーの「可愛い」の基準がよくわからないポンズであった。もしかしてパステルカラーのギターはよかったのか?
シーとカグラが店内に歩み寄ろうとしたその時、ポンズは楽器店のすぐそばにペットショップがあることを察知していた。
「シー! カグラちゃん! ちょっと癒されに行きません?」
「ちょっと、何しに来た思とんよ!」
シーが呆れた声を出す。
「ええやん、せっかくなんやけん、ちょっとだけ!」
「ちょっとだけって、絶対長くなるやつやん……」
シーはため息をついたが、結局押し切られた。
三人はペットショップに入った。
子犬や子猫がガラスケースの中で、愛らしい姿を見せている。
「かわいいな~」
ポンズが溶けそうな声を出す。
「この子、めっちゃこっち見てる~」
カグラも珍しくはしゃいでいる。
シーは最初は腕を組んで素っ気なく見ていたが、やがて子猫のケースの前で足を止めた。
茶トラの子猫が、シーをじっと見つめている。
「……かわいい」
シーが小さく呟いた。
「お、シーも癒されとるやん」
ポンズがニヤニヤする。一応、シーも子猫は可愛いと思うらしい。
「うるさい」
シーは顔を背けたが、その頬は少し赤かった。
「あ、この猫、シーに似てへん?」
ポンズが別のケースを指差した。
そこには、ツンとした表情の黒猫がいた。
「どこが!」
「目つきとか、そっくりやん」
「しばくで」
「カグラちゃんは犬派? 猫派?」
「わたしは……犬、かな。この柴犬の子、すごくかわいい……」
カグラは柴犬の子犬のケースから離れられなくなっていた。
「ほんとだ、かわいいね」
シーもカグラの隣に来て、柴犬の子犬を見つめた。カグラには優しい。
そして、ポンズとカグラは犬派で、シーは猫派だということが分かった。
「やっぱシーは猫っぽいもんな」
「なんでや」
「ツンデレやし」
「やめて」
シーは「ちょっとだけ」と言ったはずの寄り道が、気づけば三十分近く経っていることに気づいた。
「……ほら、いい加減行くで」
シーが二人を促す。
「え~、もうちょっと~」
「ギター買いに来たんやろ!」
*
ようやく、本題である楽器店でのシーのエレキギター探しが始まった。
店内に入ると、ギターの森に迷い込んだような気分になる。
壁という壁にギターが掛けられ、フロアにも何十本ものギターがスタンドに立てかけられている。
「うおおお! これは!」
突然、ポンズが大声を上げた。
「どした!」
「リッケンバッカーのベースがあるよぉ!」
ポンズは目を輝かせて、ベースコーナーに駆けていく。ポール・マッカートニー愛用のリッケンバッカーのベース、4001Sに吸い寄せられてしまったのだ。
「ベース見に来たんやないやろ!」
シーがツッコむ。
「左! 左利きのはないのかあ!」
ポンズは店員を捕まえて、左利き用のベースがないか聞いている。
「やれやれ」
シーが呆れる。
「カグちゃん、何がおすすめ?」
シーはポンズはほっておいて、カグラに尋ねた。
「こればっかりは、さっきもシーちゃんが言うたように、自分が好きな見た目のものがええと思うよ。わたしは青が好きだったから今のを選んだし」
「見た目、色……確かに、うちはまだエレキの良し悪しはわからんしな」
「シーちゃんは、アコギ好きでしょ。セミアコって手もあるんやない?」
「セミアコ?」
「そう、こういうの」
カグラが指差した先には、独特の形をしたギターが並んでいた。
*
その時、シーの目に飛び込んできたのは、真っ赤なギブソンES-335というカグラの言うセミアコタイプだった。
「これ……いい」
シーは一目惚れした。
優美な曲線。鮮やかで深みのある赤色。そしてヴァイオリンのようにFホールが開いている構造。
アコギとエレキの中間のような存在感に、シーは惹かれた。
しかし、値札を見て、さすがのシーも驚愕した。
「ご、ごごご50万……?」
シーは膝から崩れ落ちた。
「シーちゃん! 大丈夫?」
カグラが心配そうにシーに声をかける。
「50万て……うちの貯金の三倍近いやん……」
シーは放心状態だ。
そこへ、ベースコーナーから戻ってきたポンズが、そんなシーに気づいて声をかけた。
「シー、こっち見てん」
ポンズが指差した先には、ほぼほぼ同じ見た目で、そっくりなギターが7万8千円で売っている。
「え?」
シーは驚いて、ポンズに詰め寄る。
「なんで? なんで? なんで?」
シーの新鮮な反応に驚きつつ、ポンズは説明した。
「ギブソンやしなあ。材とかパーツとか、塗装とか、工程とか、アメリカの工場で手作業も多いし、材もパーツも高級なんやけど、こっちはアジアの工場生産やし、材もパーツもちょっと安いからと違うかな」
シーは感心して聞いていた。
「でもこれ、見た目ほぼ一緒やん」
「さすがに音は違うと思うで」
「どう違うん?」
店員を呼んで、ポンズが二つのギターについていろいろ聞いている。
*
「さっきのより少し高いけど、国産エレキにも同じ型のがあって、音も遜色ないらしいで。シーのアコギも国産やし、国産で揃えてみる?」
ポンズは再び店員さんを呼んで、シーの持っているギターについても話し、またいろいろ聞き出した。
それを見て、シーはカグラに小声で言った。
「ああいうところが、ポンズのいいとこなんよな」
「うん……羨ましいです」
カグラも頷いた。
二人とも、あんなふうに初対面の人と気さくに話すことができない。
店員がシーのもとにやってきて説明してくれた。
「今、ヘッドウェイのアコギを持ってるというなら、ちょうどいいのがありますよ! ヘッドウェイのギターを作ってる株式会社ディバイザーが手がけるブランドの、セブンティセブンギターです」
店員は続ける。
「Japan Tune-Up Seriesと言って、海外の厳選された工場で製造されるんですが、国内のワークショップで職人さんがヘッドウェイの培った技術で最終的な調整を施すことで、価格を抑えているんです」
店員は展示してあるギターとは別に、奥から、ちょうど入荷したばかりのギターケースを持ってきた。
「ちょうど昨日入荷したんですよ。あのES-335とはちょっと異なりますが、赤いギターですよ」
「え? いくらですか!?」
シーが身を乗り出す。
「17万6000円です」
シーの目が輝いた。
予算内だ。
「買いま……」
「もう一声いきましょうよ! この子は将来有望のシンガーなんですよ!」
ポンズが割って入って、値切りの交渉に出た。
店員は苦笑いをしている。
「わかりました。お待ちください」
店員は奥へ引っ込んでいった。
「何よ、足りたのに」
シーが呆れる。
「少しでも値切って、エフェクターとか、ケーブルとか、これから必要になるよ」
ポンズはしたり顔で言った。
*
店員は戻ってきて、金額を提示する。
「16万5,000円で、お好きな弦とストラップとピックをおつけしますが、どうでしょう?」
シーはポンズの顔を見た。
ポンズは満面の笑みを浮かべている。
「そ、それでお願いします! あ、試奏はできませんか?」
シーは店員へ尋ねた。
「お買い上げのギターは、入荷したばかりで店舗での検品が終わっていません。品質は申し分ないので、細かい調整は必要ないと思いますが、一応うちの方針でもあるので、検品後のお渡しとなります」
「そうなんですか……」
シーは少し残念そうな顔をした。
「試奏でしたら色違いのものがありますよ。なんならギブソンのES-335と弾き比べてもいいですよ」
「なんですと!?」
シーがおかしな声を上げる。
「50万のギター……弾いていいの……?」
カグラも目を輝かせた。
「カグちゃんも弾いてみる?」
シーが優しく聞く。カグラには自然と声が柔らかくなる。
「え、いいの……?」
「うん、せっかくやし」
*
三人は個室スタジオに案内された。
そこで音出しを行う。
「シーちゃん、ゲインとドライブはこうやって調整するんよ」
カグラがアンプのツマミを回しながら説明する。
「へえ……こうやって音が変わるんや」
シーは初めてのオーバードライブの音を心ゆくまで楽しんだ。
アコギとは全く違う、厚みのある音。歪みを加えると、さらに攻撃的な音になる。
「おもろい……」
シーは夢中でギターを弾いている。
ギブソンES-335の音は確かにすごかった。深みがあって、温かい音色。50万円の価値があることは、エレキギター素人のシーにもわかった。
しかし、シーの選んだセブンティセブンのギターも遜色ない。
むしろ、シーにはこちらの方が、ネックの太さもちょうど良く、扱いやすく感じられた。
シーの選んだギターは、セブンティセブンのEXRUBATO-CMT。
店員の言ったようにJapan Tune-Upシリーズのもので、色はT-RED(トランスペアレントレッド)。
ギブソンのES-335のチェリーとは異なり、少し黄色がかかったような明るい赤色で、メイプル材の虎杢が透けて見えて美しい。
シーはとても気に入った。
「うち、これに決めてよかったわ」
試奏したものは色違いだが、シーは嬉しそうに言った。
「軽いし、生でも音鳴るし、アンプの調整によってギターの音色も変わるし、特にあの赤色が可愛い! おもろいなエレキギター!」
シーがこんなにはしゃいでいるのを見るのは珍しい。
ポンズとカグラは顔を見合わせて、笑顔になった。
「カグちゃん、弦とかケーブルのこと教えて!」
「うん、弦はダダリオかエリクサーが定番で……」
カグラは嬉しそうに説明を始めた。その様子をポンズも嬉しそうに眺めた。
*
シーは弦とストラップ、ピックを選択し、余った予算でカグラに教わったノイズに強いケーブルも購入した。
購入の手続きをしているとき、店内のスタジオから練習を終えたバンドが出てきた。
いかにも遊んでいる感じの男の子のバンドだった。
派手な髪色、ダボダボの服、ジャラジャラしたアクセサリー。
「ほんじゃ、本番の日もお願いしまーす」
「は~い、まかせといてな~」
そんな遊んでいる感じの男の子のバンドの中で、一人だけ雰囲気が違う女の子がいた。
男の子たちはその女の子に何やら色々お願いをして、店を出て行った。
女の子はいかにもバンドマンの服装だが、両手首、両手の指、耳のピアス、首、ベルト、至るところにアクセサリーを身につけている。
銀色の髪を後ろで一つに結び、切れ長の目が印象的だった。
クールで、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。
「なんかすごい人らおったなぁ」
出て行ったさっきのバンドを見ながら、ポンズがシーに言った。
「ライブハウス行ったら、あんな人らばっかやで」
シーが答える。
カグラはなぜか青ざめて怯えていた。
「カグちゃん、大丈夫……?」
「あ、ああいう人たち、ちょっと苦手で……」
出て行ったバンドを目で追っていたポンズは、あることに気がついた。
「あ、あの女の子、スティック持っとる」
「じゃ、ドラマー?」
シーも気づく。
「ええ? 声かけるんやないやろな」
「でも、なんかさっきの男の子らの仲間って感じせんかったやん。助っ人的な何かやない?」
確かに、他のメンバーとは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
「あ、ポンズ!」
ポンズの行動は早い。
さっきの男の子のバンドを追って、店を出て行ってしまった。
*
シーは手続きをして、お金を払い、ギターの引換券をもらった。
検品が終わり次第連絡をくれるという。一週間後くらいには受け取れるらしい。
そうこうするうち、ポンズが戻ってきた。
息を切らせながら、でも目をキラキラさせている。
「ねぇ! あの人ら、来週松山のライブハウスで、何組かのバンドでライブするんやって」
「へえ」
「仲間内の思い出ライブやからってチケットも安い。んで、ドラムの人はやっぱりその日の助っ人やって。もうおらんかったけど」
「たいしたもんやわ、ポンズ」
シーは素直に感心した。
「気さくな人らやったで。ライブ楽しみやわ」
「え? 行くの?」
「シーのこと、あの人ら知ってたよ~。ほら」
店の外では、さっきのバンドメンバーらが手を振っている。
シーはちょこんと頭を下げた。
「また来週~!」
男の子たちは去っていった。
*
店の外で、今度は黄色い歓声が上がった。
今度は中学生か高校生くらいの女の子たちが、シーに手を振っている。
「シーすごいな。人気あるんやな」
ポンズが言うと、シーはまた頬を赤らめて外に手を振った。
外ではまた歓声が起こっていた。
「シーちゃんってほんとにすごいね。こんな人とバンドできるなんて……」
カグラも感心したように呟いた。
「やめてよ、二人とも……」
シーは照れくさそうに俯いた。
*
三人は夕暮れの中、楽器店を後にした。
梅雨の中休みの空は、夕焼けでオレンジ色に染まっている。
「エレキギター買っちった……」
そうつぶやくシーの手には、一週間後に受け取れるギターの引換券が握られていた。
「来週、ライブハウス行こな」
ポンズがシーの顔を覗き込みながら言った。
「うん、まあええか」
シーが微笑みながら答える。
「ドラマー、見つかるとええね」
カグラもにこやかに言った。
「ご飯食べて帰ろか」
ポンズが提案する。
「せっかくやし、ここのレストラン街で食べてこ」
三人はショッピングモール内のレストラン街へ向かった。
フレイミングパイのメンバー探しは、もう少し続く。
でも、今日は大きな一歩を踏み出せた。
シーのエレキギター。
そして、来週のライブハウス。
何かが始まる予感がしていた。
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