第6話 バンド名
「いやぁ~、武道館とは大きく出たねえ、シーちゃん」
ポンズがこれでもかという満面の笑みで、シーをからかった。
三人は、路上ライブの後、近くのカフェに来ていた。いわゆる打ち上げ的なやつだ。
テーブルには飲みかけのドリンクと、食べかけのケーキが並んでいる。ポンズはアイスココア、シーはカフェオレ、カグラは抹茶ラテ。ケーキは、シーはチーズケーキ、カグラはモンブランだが、ポンズはアップルパイだ。
「ダメやった?」
シーは悪気もなさそうに聞き返す。
「ううん、めっっっちゃ嬉しかった!」
ポンズは両手を握りしめて力説した。
「そ」
シーは微笑んだ。そっけない返事だが、満更でもなさそうだ。
「あ、シーのケーキ、チーズケーキなんやな」
ポンズがシーの皿を覗き込む。
「それが?」
「いや、なんか渋いケーキが好きなんかなって思ってたから」
「何その勝手なイメージ」
「だって、路上の歌姫シーやし」
「関係ないやろ。ていうか、渋いケーキってなんなん?」
「知らん」
「………」
シーは上機嫌なポンズによるオチのない話に困惑した。
*
「ほんでもカグラちゃん、本当に初めて人前での演奏だったん?」
ポンズは今度はカグラに向かって、これまた満面の笑みで語りかける。
「え? そうなん?」
シーも驚いて、カグラを見つめた。
「え、いや、そうやけど……ずっとうつむいてて、お客さんの顔、一つも見れてない……」
カグラは照れくさそうにまたうつむいた。モンブランをフォークでつつきながら、消え入りそうな声で付け加える。
「途中から……無我夢中で……何弾いたか、あんまり覚えてない……」
「えっ、あれ覚えてないの? めっちゃすごかったのに!」
ポンズが身を乗り出す。
「正直、あんたらにはやられたで」
シーがため息混じりに言った。
「うち、ライブで弦切ったの初めてやし」
シーは自分の指先を見た。カグラにもらった絆創膏が貼られている。
「シー、血出てたもんな。大丈夫?」
「平気。これくらい」
シーはぶっきらぼうに答えたが、その口元には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
シーは、以前ポンズが言った「あなたの音楽を持ち上げてみせます」という言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。
ポンズとカグラは、自分の音楽に寄り添うのではなく、自分の音楽に挑んできた。
だからこそ、自分も本気になれた。
「でもさあ」
ポンズがニヤニヤしながら言う。
「シーのアイドルふりふり衣装、ちょっと見てみたかったかも~」
さっき、シーからソロデビューのプランの内容を聞いていたポンズは、またシーをからかう。
「やめて」
シーは即座に切り返した。
「パステルカラーのギター持って、ふわふわの髪型で……」
「やめてって言ってるやん」
「『ギャップ萌え』で売り出すんやったっけ?」
「しばくぞ」
シーの目が本気で怒っている。
「ひぃ」
ポンズは両手を上げて降参のポーズをとった。
「……でも、ちょっと見たかったかも」
カグラがボソッと呟いた。
「カグラちゃんまで!?」
シーが裏切られたような顔をする。
「あ、いや、その……シーちゃん可愛いから、似合いそうだなって……」
「褒めてもダメ」
シーはチーズケーキをやけ食いするように口に運んだ。
*
上機嫌のポンズは、話をどんどん進める。
「で、うちらのバンド名、何にする?」
「バンド名? ドラムまだおらんのに……」
シーが呆れたように言う。
「まあまあ、先に決めといた方がええやん! 武道館目指すんやったら!」
「それは……まあ、そう……なのか?」
シーとカグラは顔を見合わせて、考え込む。
「はい!」
ポンズが手を挙げた。
「音楽用語から取るのは?」
「音楽用語……」
シーが腕を組む。
「フォルテッシモとか?」
「そんな歌、昔あった気がする」
「クレッシェンド?」
「徐々に大きくはなりたいけど……なんか違う」
「スタッカート?」
「なんで区切る!?」
シーのダメ出しが続く。
「じゃあ、フェルマ~~タ♪」
ポンズは歌うように言った。
「延ばしてどうすんのよ」
「えー、可愛くない?」
「もうええ、音楽用語はナシ」
シーがバッサリ切り捨てた。
*
「あ、そうだ!」
ポンズがまた思いついたように言う。
「うちらの好きな食べ物から取るのは?」
「好きな食べ物……?」
「ポンズは『ポン酢』、シーは『シーフード』、カグラちゃんは『カレー』で……」
「待って待って」
シーが手のひらを突き出した。
「名前の雰囲気で、勝手に好きな食べ物決めるのやめて」
「えー、違うの?」
「全然違う。ていうか、シーフードって具体的に何よ。エビ? カニ? イカ?」
「全部!」
「雑!」
「……カレー好きです」
カグラがボソッと言った。
「カグラちゃん、今は黙って」
「はい……」
カグラは縮こまった。
「で、ポンズはポン酢好きなん?」
シーが聞く。
「……普通」
「おい」
シーがジト目でポンズを睨む。
「いや、鍋の時は使うよ? でも、すごい好きかって言われると……」
「却下。次」
*
「じゃあ、動物の名前は?」
「ピンとこない」
「色の名前とか?」
「ありきたり」
「花の名前!」
「女子っぽすぎ」
「うちら女子やん!」
「そういう問題やない」
三人はまた考え込んだ。
「ねえ、そもそもバンド名ってどうやって決めるものなの?」
シーがカグラに聞く。
「え、わ……わたしに聞く……?」
「カグラちゃん、なんか詳しそうやん」
「えっと……有名なバンドはどうだったんやろ……」
カグラは考え込む。
「ビートルズって、カブトムシの『beetle』なんでしょ?」
「へえ~、そうなんや」
シーが感心する。
「そうそう! あ、待って、それいいかも!」
ポンズが急に立ち上がった。
テーブルが揺れて、ドリンクが危うくこぼれそうになる。
「ちょ、落ち着いて」
シーがグラスを押さえた。
「虫の名前から取るの?」
「虫は嫌い!」
今度はシーとカグラが同時に却下した。
「えー、二人とも虫ダメなん?」
「ダメ」
「絶対ダメ……」
シーとカグラが珍しく意見を合わせた。
*
「う~ん、じゃあ、うちらのイニシャル取って、SKKとか」
「名前の? 詩音、奏多、あとひとつのKって何よ?」
「ひど! うちの名前やん、寛奈やん! K、A、N、N、Aよろしく!」
ポンズが両手を広げてアピールする。
「うっさいな…カンナ…そうやったな。ポンズだからPかと……」
「シーちゃん、意外にいけずやなあ」
ポンズが頬を膨らませる。
「人増えたら一文字増やすん? どっちにしてもあかんわ。野球道具のメーカーみたいやし」
シーがツッコむ。
「それはSSK……」
カグラがボソッとつぶやく。
「……」
シーは少し赤くなって、咳払いをした。
「ゴホン。……と、とにかく、アルファベットの羅列はダメ」
「シー、何赤くなってんの?」
ポンズがニヤニヤする。
「うるさい」
*
「ポンズ、あんたの大好きなポール様のビートルズはどうやって決めたか知らんの?」
シーが話題を変えた。
ポンズは、そう言われると、祖父や祖父の音楽仲間に教えてもらったことを思い出した。
「えっとね~、由来はよく知らんけど、代わりにこんな話があるんよ」
ポンズは身を乗り出した。
「ジョン・レノンのジョークやと思うけど、フレイミング・パイ……燃え盛るパイって意味なんやけど、それに乗った男が現れて、『おまえらはEをAに変えたビートルズだ~』って言ったからつけたんやって」
「は?」
シーは反射的にそう返した。
「意味わからん」
「やろ? ジョンのジョークって、いつもよくわからんのよ」
「……『E』を『A』に変えたってことは、カブトムシの『beetle』を音の『beat』にちなんで、つけたってこと?」
カグラがそう確認する。
「おお、カグラちゃんそのとおり!」
ポンズが目を輝かせる。
「いや待って……」
シーが何かを考え込んでいる。
「それええやん」
「ええ? ビートルズにするん?」
「なんでよ! 大炎上やわ……そうやなくて」
シーは真剣な顔で言った。
「フレイミング・パイって、何か惹かれる……その言葉遊び的な響きが……」
「おお~!」
シーの言葉にポンズもカグラも歓声をあげた。
「そうか! それいい! いいよシー! うちらにピッタリや!」
ポンズが興奮気味に賛同する。
「燃え盛るパイ……なんか、熱い感じがする」
カグラも頷く。
「で、でも、有名なエピソードなんでしょ?すでにそんな名前のバンドありそうよね……」
カグラが心配そうに言った。
「うん、確かにポールは自分のアルバムのタイトルに使ってるし……」
ポンズのトーンが下がった。
*
「こうしたら……」
シーはいつも持ち歩いている作詞用のノートを取り出し、ペンでサラサラと書き始めた。
『フレイミングパイ』
「こうやってカタカナ表記で、点とか入れずにそのまま続けて書くの」
シーがノートを二人に見せた。
「英語表記にあえてせんかったら、ガールズバンドらしくちょっと可愛くなるやろ」
シーの提案に、ポンズもカグラもうんうん頷いている。
カタカナが可愛いかどうかは別として、なんとなく説得力があった。
「フレイミングパイ……いいかも」
カグラも口に出してみる。
「うん! めっちゃいい! ポール師匠がらみでうちもうれしいし、今たまたまアップルパイ食べよるし!」
ポンズも同意する。
「略称とかやったら、FPとか?」
ポンズは続けて提案する。
「それじゃファイナンシャルプランナーみたい……」
カグラが苦笑いする。
「何それ?」
ポンズがそんな言葉を知る由もない。
「お金の相談に乗ってくれる資格を持った人……」
「へえ~、カグラちゃん物知りやね」
「いやたまたまテレビで……」
カグラは恥ずかしそうに俯いた。
「じゃあ、フレパイ!」
ポンズが元気よく言う。
「……なんかやらしい」
シーが何故か胸を押さえて却下する。
「え、なんで?」
「なんでもない」
シーは顔を赤くしてそっぽを向いた。
*
三人でああでもない、こうでもないと言い合っていると、隣のテーブルから視線を感じた。
若い女性二人組が、三人を見ていた。
「あ、あの子たち、さっきのライブの子たちだよ」
「特にあのギターの子! 歌めっちゃうまかったよね!」
女性二人組は帰り際、三人に声をかけてくれた。
「さっき見てました。応援してますね!」
「あ……ありがとうございます」
シーは頬を赤らめて、笑顔で手を振った。
「ありがとうございましたあ!」
ポンズも大きな声でお礼を言う。そして、手を振るシーを見て、間髪入れずに提案した。
「……あ! フレパ! フレパはどう?」
「フレパ……フレンドパーク……」
シーが呟く。
「ふれあいパーク……」
カグラも呟く。
「もぉ~、いいやんか!」
ポンズが頬を膨らませる。
「わかったわかった、じゃあフレパイで!」
シーはやけくそ気味に言った。
「……あれ?」
言ってから、自分の言葉に気づいた。
「さっき、やらしいって却下したやんか!」
ポンズが指をさす。
「間違ったんや!」
シーは真っ赤になった。
「まあまあ……」
カグラがなだめる。
*
ポンズはまた立ち上がった。
「よう立つな」
シーが呆れる。
「決めた! フレイミングパイ! 略称はフレパ!」
ポンズは高らかに宣言した。
「うちらが有名になったらええんや! そしたら誰も文句言わん!」
「もし名前に文句言われたら、そん時また考えようか? そんなんで改名したバンド聞いたことあるし」
シーが言う。
ようやくポンズ、シー、カグラの意見はまとまり、ここにガールズバンド「フレイミングパイ」の結成となった。
「よーし、今日からうちらは『フレイミングパイ』や!」
ポンズは感激のあまり、涙が出そうになる。
「泣いてんの?」
シーは引き気味に、ポンズの顔を覗く。
カグラは心配そうに見つめている。
「うん! だってやっとバンドができる思うと、うれしいもん!」
ポンズは涙を拭いながら笑った。
「まだドラマーがおらんよ」
カグラが静かに言う。
「うち、エレキギター持ってへん」
シーが続ける。
「あ」
ポンズは一瞬で冷静になった。
三人は顔を見合わせ、そして同時に笑い出した。
カフェの他の客が振り返るほどの大笑いだった。
「とりあえず、日曜エレキギター見に行こ!」
ポンズが提案する。
「そうやなあ」
シーが頷く。
「ドラマーも探さんと……ね」
カグラが付け加える。
三人の新しい挑戦が、ここから始まる。
「フレイミングパイ」の物語が、ここに開幕を告げた。
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