嫉妬に溺れるヒト
古 散太
嫉妬に溺れるヒト
ミュージシャンになるという夢があった。子供のころにテレビで見たロックンロールスターはもう亡くなってしまったが、今もまだ憧れたままにいる。何も変わらず、子供のころにテレビで見たときの衝動のまま。
憧れる力は強い。本気で誰かのようになりたいと思ったなら、その気持ちは思考の隅々にまで浸透し、この肉体をその方向へと動かしてくれる。コンビニへ行って何を買うか決めているなら、それ以上考えなくてもその商品を手に取るのと同じだ。
しかし、憧れる対象はいつでも他人である。自分が他人になれるはずもない。モノマネはできても、そのヒトになることなど不可能だ。
だからこそ、憧れる対象を追いかける価値があるのだと、ぼくは思う。そういう人生も素晴らしいものだ。
それは別に有名人だけではない。会社の中で、あのヒトのように仕事ができるようになりたいとか、あの先輩のように出世したいというのもあるだろう。職人の世界ではもっと露骨に憧れがあるかもしれない。唯一無二の技術や技能を持つヒトたちなのだから、当然だろう。
そういう対象があるなら、ぜひともその憧れを追いかけてみてほしい。結果的にそのヒトのようになれるかどうかではなく、その経過が人生における財産になるのだ。その財産は、誰かに言われたり、周囲に合わせて走るだけの人生のレールより、数段は質の高いものになるはずだ。
人生は体験の積み重ねだ。要領よく生きていくことは、たしかにカッコよくスマートに見える。しかし失敗のない人生には厚みがない。失敗を体験していないのは、応用が利かないとも、対応力が乏しいとも言える。そんなヒトを政治の世界でよく見かけるような気がする。
ヒトはいろいろな体験を経て人間的な魅力が増していく。その上で年齢を重ねることで円熟していくのだ。そういうヒトの多くは出しゃばらないし、腰も低い。そんなヒトに憧れを抱き追いかけるのであれば、結果的にそのヒトのようになることはなくても、自分なりに器の大きなヒトになっているものだ。そこに円熟味が加われば、今度は自分に憧れるヒトが現れるかもしれない。
憧れとは、人生を豊かにするツールのひとつなのだ。
憧れることは、そのヒトの成長を促し人生を豊かにする。しかしそれも行き過ぎれば嫉妬になり、自分の人生の足かせになって、息苦しくつらい人生を体験することになってしまう。
誰にでも嫉妬することはあるだろう。この社会という名のレースに参加している以上、ランキングをすこしでも上にあげたいと望むのではないかと思う。しかしそれはあくまでも社会という名のレースの中で有効なランキングで、個人の人生の中ではそれほどの意味はない。なぜならそのレースは、他者がいて成り立つものだからだ。
人生はあくまでも個人のものだ。世界中のヒトがいなくなっても自分が生きていれば、自分の人生は続いている。自分が生きて意識があるかぎり、それは人生の真っ只中であるということだ。
逆に自分以外の誰かが存在するならば、それは社会である。気を遣ったり、遠慮したり、約束したり、恋に落ちたりということは、自分以外の誰かが存在しなければ成り立たない。それが社会である。
人生を社会の一部と思い込んでいるヒトも多いが、社会がなくても人生は続くのだから、社会こそが人生の一部であるということになる。この勘違いが人生を台無しにしているのだ。
個人のものである人生の中にレースは存在しない。一人きりでレースはできないのだ。当然、嫉妬や世間体、見栄、マウントなど、ネガティブな思考や行動は、自分の人生を台無しにすることはできても、けっして幸せな結末を見ることはない。
嫉妬やマウントなどは、自分以外の誰かがいてこそ成り立つものだ。それは社会の中での混沌とした人間関係などによって生まれる摩擦であり、個人の人生の問題ではない。
個人の人生とは無関係なものにエネルギーを費やしていられるほど、人生に余裕はない。現代は人生八〇年と言われることもあるが、保障のあるものではない。今日も日本のあちらこちらで事件や事故、自然災害が起こっているかもしれない。誰もが高齢者になるまで生きているわけではないことを自覚しなければならない。
自分の望む人生の糧にするために、誰かや何かに憧れる。そして学ぶのだ。社会の中はレースだらけかもしれないが、人生はレースではない。嫉妬や世間体、マウントを取ろうとすることなど、人生的弱者による威嚇でしかないことを知るべきだ。
どれだけマウントを取れたとしても、そのヒトは一時的な優越感を手に入れられるだけで、けっして幸せを感じているわけではないことを、深く考えてほしいと願う。
ぼくの永遠の憧れは、今も授業をさぼって屋上でタバコをふかしながら、トランジスタラジオから流れるリバプールサウンドを聞いているのだろう。カッコいい。
嫉妬に溺れるヒト 古 散太 @santafull
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