第11話

第11話 「独立領域」


 時刻は19時58分。


 地下第2シェルター、廊下側の隔壁ドア前。


 俺たちは、並んで立っていた。


 列ってほどきれいじゃない。

 止血パッド貼ったままのやつ、片腕吊ってるやつ、顔色真っ白なやつ、足引きずってるやつ、泣きはらした目のまま立ってるやつ。


 でも——誰も座ってない。


 自分の足で、ここにいる。


 黛が最前列。

 その半歩後ろに俺とアイ。

 黒瀬と槙村と七瀬がそれを囲む形。

 さらにその後ろに、元クラスメイトたち。花音もそこにいた。立ってるだけで膝がガクガクしてるのに、それでも逃げなかった。


 “領域”の空気は、明らかにさっきと違ってた。


 息をするだけでわかる。

 この空間そのものに、うっすら俺の感覚が混じってる。


 「ここは、うちらの場所」っていう意識が、この廊下の壁にも床にも染みてる感じ。


 感覚としては……そうだな。

 全員の不安を背中に背負ってる、っていうより、全員が俺の背中につながってる感じ。

 俺が立ってることで、みんなが立てる。

 代わりに、みんなが立ってることで、俺も折れずに済んでる。


 あぁこれ、マジで“場所になった”んだな、俺。


 19:59。


 隔壁ドアのロックランプが、赤から黄に切り替わる。


 七瀬が小声で言った。「……来る。管理局側のアクセスキーが入った。あいつだ」


 アイが小さく息を吸う。


 黒瀬は肩をぐるぐる回しながら、ボソッと呟いた。「心の準備はした。肉体の準備はしてない。まあどうにかなるだろ」


「お前そのノリでよく死なねぇな」と槙村。


「“よく死なない”っていう評価どうなんだ俺」


「褒めてんだよ」


「ありがとユイ愛してる」


「軽い!!!!」


 七瀬はタブレットを胸元に抱きしめ、早口で言う。「録音もログも回してる。うち側の回線と、今の“領域ID”の並列表記も記録済み。法的に殴れるとこは全部殴るからね黛先輩、あとは言葉選びだけ気をつけて、ね!? マジで法律に刺さる言い回ししてね!? “俺たちの領土!”とか言わないでね!? それ言ったら一発で国家反逆罪デス!!」


 黛「……わかった」


 俺「え、今ふつうに言おうとしてなかった?」


 黛「言おうとしてたな」


 アイ「やめて」


 20:00。


 隔壁ドアが開いた。


 ——無音で。


 金属の塊が開くのに、音がほとんどしないのは逆に怖い。

 これは管理局側の技術っていうより、明らかに神楽坂の“演出”だと思う。出現自体をショー化して、こっちに呼吸させないやつ。


 黒いスーツが姿を現す。


 神楽坂。


 昼間と同じ、完璧に整った姿。

 スーツは汚れてない。ネクタイも乱れてない。肩に傷一つない。


 その後ろには、監査班の隊員が二人。

 御門はいない。

 神楽坂は、ほんとに「必要最小限だけ連れてきました」って顔で、こちらに静かに歩いてきた。


 彼は足を止めて、俺たち全員をぐるりと見渡す。


 包帯だらけの高校生集団と、その後ろで震えてる保護対象。そして、前に立つ黛。


 神楽坂は、うすく微笑んだ。


「きみたちは、本当に“全員で”来るんだね」


 その口調は、驚きというより観察に近い。

 そして、その観察がすでにデータとして冷たく整理されてるのが透けて見える。


 黛が低い声で答える。


「提案は聞いた。今から“こちらの回答”を伝える」


 神楽坂は「ああ」と頷く。


「楽しみにしているよ」


 黛は一拍置いてから、はっきりと言った。


「——拒否する」


 空気がピキッと張る。


 アイが指先をぎゅっと握る。

 黒瀬が小さく鼻を鳴らす。

 花音たちの肩が、一斉にすくむ。

 でも黛の声は揺れなかった。


「誰も外に出さない。誰も置いていかない。ここにいる全員で残る。……それがうちの選択だ」


 神楽坂のまなざしが、ゆっくりと細くなる。


「全員残る、か。——愚かだね」


 その言い方は淡々としてる。

 感情がこもっていないから、逆に刺さる。


 黛はそのまま冷静に返す。


「愚かで結構だ。俺たちはクラスだからな」


「クラス」


 神楽坂は、軽く笑った。


「この状態を、まだ“クラス”という言葉で呼べるのが、君たちの強さであり、同時に弱さでもある」


 七瀬が小声で俺の袖を引っ張って「いまの“弱さでもある”って言い回し記録。これ完全に“後で潰す理由の伏線”だから」という恐ろしく冷静なメモを入れてくる。怖い。


 神楽坂は、穏やかな声で続けた。


「では確認しよう。

 きみたちは“隔離”に同意しなかった。

 “自主的にここに残った”という物語は使えなくなった」


 黛「そうだ」


「つまり——」


 神楽坂は、ゆっくりと両手を広げ、宣言した。


「桐生東高校は20時00分をもって、“反乱区域”に指定する」


 通路の空気が、ぐっと重くなった。


 七瀬のタブレットが赤い警告をはじき出す。


 ──管理局通達

 ──臨時決定:第18指定区域“桐生東学区”における特異行動集団を、準武装反乱勢力と見なす

 ──市街保全のため、隔離・排除オペレーションの許可を発行


 ……“反乱勢力”。


 俺たち、ついに公式に、そう呼ばれた。


 アイが、小さく息を呑む。「これ、マジでやる気だ。もう話し合いの体裁とる気ない顔」


 槙村が歯を食いしばる。「これであっちからの攻撃は“治安維持”ってラベルついちゃう……!」


 花音たちが、ザッと身を寄せる。「やだやだやだやだ」「ムリムリムリムリ」「こわいこわいこわいこわい」


 黒瀬は目を細め、ふっと笑った。「あーあ。これ、もう完全に喧嘩だな」


 黛は、まっすぐに神楽坂を見る。


「それが、お前らの答えか」


 神楽坂は、穏やかに頷く。


「そうだ。これが“都市”の答えだよ。

 だから、もう一度だけ提案する」


 そう言って、神楽坂はゆっくり、俺のほうへ視線を移した。


 皮膚がぞわっと粟立つ。


 ああ、きたな。


「神谷 蓮」


 俺の名前を、静かに、はっきりと呼ぶ。


「きみひとりが管理局に同行するなら——“反乱区域”指定は取り消す。封鎖もしない。きみ以外の生徒は日常へ戻れる」


 その場にいた全員の呼吸が、止まる音が聞こえた。


 アイの指が、俺の袖をつかんだままぎゅうっと握り込む。

 痛い。でも離さないでくれ、って気持ちのほうが強い。


 神楽坂は、まるで教師が優等生に「答えられるよね?」と聞くみたいな口調で続ける。


「選びなさい。きみのクラスメイトたちの自由をとるか。きみ自身の自由をとるか」


 喉が、カラッカラに乾いた。


 これ。


 これがこの人のやり口だ。


 “選択権を与えている”って形にして、全部押しつける。

 “彼らを檻から外に出すかどうかは、きみが決める”ってラベルを貼る。


 もし俺が「わかった、行くよ」って言ったら、

 みんなは助かる。代わりに俺は終了。サンプル扱い。解剖コース。


 もし俺が「行かない」って言ったら、

 今度は“みんなが閉じ込められるのはお前のわがままのせい”っていう物語が完成する。


 どっちを選んでも、俺は“悪役”だ。


 ……正直に言う。


 心のどっかで、一瞬だけ、揺れた。


 「俺が行けば、アイも、花音も、こいつら全員、普通に戻れるなら……」って。


 ほんの一瞬だ。

 でも、その一瞬は、本物だった。


 たぶん俺が俺じゃなかったら、そこで折れてる。


 だから、俺はその一瞬を自分で殺した。


 腹に力を入れて、ゆっくり息を吐いて、言う。


「悪いけど」


 神楽坂の視線が、静かに俺に定まる。


「その二択、もう古いんだよ」


 アイが小さく笑った。

 その笑い方は泣きそうで、でも誇らしげだ。


「……そういうとこ好き」


「アイ真顔で言うのやめて心臓に悪い!」


 神楽坂は首をかしげる。「古い?」


「ああ。今のは“俺ひとり vs 全員”の形だろ? そのフォーマット、もう通じないんだよ。だって俺、ひとりじゃないもん」


 そう言ってから、俺は一歩、前に出た。


 足が勝手に震えるのが、自分でわかる。

 でも、立てる。

 立てるのは、今ここにみんながいるから。


 俺は、はっきりとした声で宣言した。


「この場所は、もう“桐生東高校”じゃない」


 神楽坂の目が、わずかに細くなる。


「何を言っている?」


「ここは、“俺の領域”だ」


 七瀬が「言った……!」と息を呑む。

 槙村が「ログ取りました……!」と泣きそうに小声で言う。

 黒瀬はにやっと笑って「よし、いったな」。


 俺は続ける。


「正式名称:《神谷 蓮 領域(仮)》」


「仮ってつけるなよそこは!」アイがツッコむ。


「“仮”って出たんだよシステム上しょうがねぇだろ!」


 神楽坂は、目を瞬いた。

 ほんの、一秒。

 それは驚きだった。


 この人から一瞬でも形のない表情が漏れるのは、なんか……ちょっと気持ちよかった。


 俺は畳みかける。


「俺は宣言した。ここにいるやつらは全員、俺の“仲間”だ。

 その仲間を、この領域の“保護対象”として登録した。

 外部の一方的な支配や拘束は、ここでは許さない。

 ここでの戦闘行為は、“正当な自衛”として即記録させる」


 神楽坂の目が、ほんの少しずつ、冷たくなる。


 俺はさらに言った。


「つまり、ここにいるやつらを、管理局の名目ひとつで“連行”することはできない。

 “この場所に手を出す”って行為、それ自体が、管理局の違法介入としてログに残る」


 七瀬がタブレットを掲げる。「はい録画してまぁーす! はい領域IDと管理局IDの並列表記も自動保存されてまぁーす! はいこれ裁判突きつけたらニュース案件コース入りま〜す!」


 槙村「“未成年の隔離と強制拘束を行いました”って記録残るの、管理局としてはめっっっちゃ燃える案件だからね」


 黒瀬「つまり、下手に手ぇ出したら“お国の顔”が泥だらけってこと。たぶんお偉いさん泣いちゃうわ」


 神楽坂は、黙って聞いていた。


 目は笑っていない。

 でも、口元にはまだほんのり笑みが残ってる。


 やがて、彼はゆっくり呼吸を吐いた。


「つまり、きみはこう言いたいわけだ。

 この場はもう“学校”ではなく、“きみという異常存在の影響下にある独立領域”である、と。

 そして、ここにおける行為は、すべてきみ自身の管理下で行われるので、管理局は勝手に触れない、と」


「そうだよ」


「……ふむ」


 神楽坂は、目を閉じた。


 そして目を開けたとき——初めて、彼の目に、ほんのわずかな熱が宿った。


「本当に、“神谷蓮領域”と名乗るとは思わなかったよ。面白いね」


 アイがボソッと言う。「また“面白い”って言葉で済ませた。殺意沸くな〜〜〜」


 神楽坂は続けた。


「ひとつ、だけ。確認しようか」


 その声は、今までと違っていた。

 やわらかい。けど、底がない。

 真空みたいな声。


 嫌な汗が背中にじわっと浮く。


「きみは言った。“ここにいるやつらは全員、仲間だ”と」


「言った」


「なら、こうした場合は?」


 神楽坂は指を鳴らした。


 カチ、と乾いた音。


 同時に、後ろの監査班の一人が、金属ケースを静かに持ち上げた。


 ケースの上がスライドする。

 中から、小型のデバイスが起き上がる。

 拳より少し大きい、立方体の機械。

 前面には、赤黒い、脈打つようなコア。


 見た瞬間、七瀬が蒼白になる。


「やっば。あれ——」


 黛が低く呟いた。「あのサイズの圧縮コアを街中で使うか。頭おかしいな」


 俺はまだ、何かわからなかった。


 でも、神楽坂が次に言った言葉で理解した。


「“神域干渉体 呼び出しビーコン”。

 ここにいる誰かの“存在タグ”をサンプルにして、『排除対象です。この個体を捕獲/消去してください』って、上(=神域)に投げるための端末だ」


 空気が一瞬で凍った。


「……は?」


 俺は、思わず素で言った。


「お前ら、神呼べんの?」


「呼べるよ」

 神楽坂はあまりにもあっさり言った。


「こちらにもチャンネルがある。神域管理階層とは、協定を結んでいる。必要時には“消去依頼”を上げることができるし、向こうもそれを処理してくれる」


 アイの喉が、ごくり、と鳴る。

 目が怒りよりも先に、はっきりとした恐怖で揺れる。


「なにそれ……じゃあ、今までの“事故”って……」


 槙村が、息を呑んだ。「“神域暴走”ってニュースで言われてたやつ。あれ……本当に偶然だったの?」


 神楽坂は、悪びれずに言った。


「場合によるよ」


 ——あ。


 これ、怒りよりも冷たいやつだ。


 “この街の災害のいくつかは、管理局が神に依頼して落としてる”。

 人間が、神を使って同じ人間を整理してる。


 吐き気が、喉の奥からこみ上げる。


 神楽坂はつづけた。


「質問を変える。

 きみが“仲間”と呼ぶこの集団のうち、ひとりだけを“サンプル”として神に差し出す。それだけで、この区域は当面安全になる。

 この“ビーコン”には、その機能がある」


 アイの呼吸が止まる。


 七瀬の指が震える。


 黒瀬の目が、笑いを失う。


「……なぁ、それって」


「そう」神楽坂は頷いた。


「誰かひとりを“排除対象”に指定してくれればいい。

 たとえば——」


 彼は、ごく自然に、視線を花音に向けた。


 世界が、そこで暗くなったように感じた。


 花音の目が、びくっ、と揺れる。


「や、だ……やだやだやだやだごめん、やだ、いやだ、やだ……っ」


 アイが即座に動いた。


 花音の前に、すっと立つ。

 肩幅ぶんだけ、完全に花音を覆い隠すように。


 動きに、迷いが一切なかった。


 震えてない。泣いてもない。


「——殺すよ」


 アイの声は低くて静かで、耳の奥に刺さる。


 笑ってない。

脅しとか虚勢じゃない。

 ほんとにそうするっていう声。


「花音に指一本触れたら、私があんたを殺す。神楽坂」


 神楽坂は、ふっと笑った。


「勇ましいね、月城アイ」


「勇ましいじゃない。マジだから」


「でも、現実を見なさい」

 神楽坂は静かに続ける。


「これは交渉だよ。

 “ひとり差し出す”だけで、残り全員が守られる。

 合理的だと思わないかい?」


 ああ。


 この男は、最後まで同じなんだな。


 “守るためだよ”って言葉を、ナイフみたいに使うやつ。


 ほんの一瞬、場の空気に、ざらつく気配が走った。


 それは恐怖、じゃない。

 でも、揺れだ。

 「誰かひとりで済むなら……」っていう誘惑が、確かに空間に生まれた。


 それを、俺は手で引きちぎった。


「その提案、いらないって言ったろ」


 神楽坂がこちらを見る。

 目がほんの少し冷える。


「何?」


「“誰かを差し出せば、みんな助かる”っていう話。もうそれ聞き飽きた」


 俺は一歩、前に出た。


 足が震えるのを隠しもしない。

 この震えは、逃げたいからじゃない。むかついてるからだ。


「お前らのルールって全部そうだよな。

 “救うためだよ”“守るためだよ”って言いながら、切り捨てる相手を指差させる。

 自分らの手じゃなく、俺たちの手で仲間を選ばせようとする。

 それ、きれいな言葉で包んだだけのリンチだよ」


 神楽坂は、初めて笑わなかった。


 声の温度が、ほんの少し下がる。


「君は甘い」


「甘いって言われるのも飽きたわ」


 俺は、はっきり言った。


「俺は“全員で生き残る”って言ったんだよ」


 その瞬間。


 領域が、震えた。


 それは、物理的な振動じゃなかった。

 頭蓋の内側から、空気そのものから、同時に響いてくる、低い鈴みたいな音。


 ピィィィィィィィィン……。


 わかる。

 これ、“領域”が俺の言葉を受けて動いた。


 俺は手を前に突き出した。


 俺の目の前に、白いウィンドウが走る。


 ────────────────

 《領域機能:保護宣言》

 対象:領域内存在(同一リンク共有者)

 効果:

 ・選択対象の“排除指定”を無効化

 ・外部ビーコンからのロックを拒否

 ・反応信号を強制的に“領域主”へリダイレクト


 副作用:

 ・領域主に“排除指定”が集中します

 ・敵対優先度:最大

 ────────────────


 ——あ。


 そういう仕組みかよ。


 「誰かひとり差し出せば」という話そのものを、無効化する機能。


 代わりに、“全員分のヘイトを俺一人に集める”。


 わかりやすい。

 わかりやすいけど、はっきり言ってクソ。


 でも、それでいい。


「《保護宣言》」


 俺は言った。


 ウィンドウが一気に弾け、仲間たちへ、花音へ、アイへ、黒瀬へ、槙村へ、七瀬へ、黛へ、そして後ろに固まっている元クラスメイトたちひとりひとりへ、光の筋が走る。


 その瞬間、神楽坂の持ってきたビーコンが、けたたましく異音を発した。


 キィィィィィィィィィィィィィ!!!


 監査班の隊員があわてて制御しようとする。「ロックできません! ターゲット指定が、全部——」


「全部、“神谷蓮”に集約されてます!」


 神楽坂の目が、そこで明確に細くなった。


「……なるほど。そう来たか」


 アイが一歩、俺の隣に立つ。「はい蓮、言う。絶対言う。……“バカ”。」


「いやわかってる!! わかってるけどそれしかやり方ねぇんだよ!!」


「わかってるから言ってんの!!!」


 アイの目が潤む。怒ってるのに、泣きそうで、でも笑ってる。


「ほんっとバカ。ほんっとにバカ。だいすき」


「情報量っ!!?」


 また心臓が変な鼓動を打った。マジで死ぬわこれ。


 神楽坂は、静かにビーコンを見つめてから、目だけを俺に戻す。


「すべてを自分に引き受ける、と。

 “この中の誰かひとりじゃなく、全員を守れ。狙うなら俺だけにしろ”と。

 それが、きみの今の回答だ」


「そうだよ」


「馬鹿げてる」


「お前らのやり口より好きだわ」


 沈黙。


 神楽坂は、ほんのわずかだけ、呼吸を吐いた。


「……了解した」


 え?


 その言い方は、いつもと同じ柔らかさなんだけど。

 でも、その柔らかい言葉が、今回は別の意味を持ってた。


「了解した?」黛が低く言う。


「今ここでの直接制圧は行わない」神楽坂は淡々と言った。


 全員が一瞬、息を呑んだ。


 七瀬が思わず「っしゃああああああああああ!!!」って叫びそうになって、槙村に口をふさがれる。


 神楽坂は続ける。


「理由はふたつ。

 ひとつ。きみたちの“領域”は、現時点で法的グレーゾーンだ。ここで未成年に対して即時の武力行使をすれば、上に説明が難しい」


 七瀬がタブレットを握りしめ、顔をクシャッとさせる。小さく、震える声で「記録してよかった……!」って呟いた。涙声だった。


「ふたつめ」


 神楽坂は、ほんの一瞬、笑った。


 今度の笑いは、妙に正直だった。


「きみは確かにバグだ、神谷 蓮。

 だが——」


 その目が、冷たい光に変わる。


「バグというものは、放置するだけで自己増殖してくれることがある。

 わざわざ潰さずとも、きみは勝手に“神側と管理局側の両方から”狙われる。

 つまり、きみはもう“都市の外敵を引きつける磁石”になった。……利用価値がある」


 空気が一気に冷える。


 アイの顔が、怒りで歪む。「……は?」


 神楽坂は結論だけを、穏やかに言った。


「だから今は、手を出さない」


 ああ。そういうことか。


 「守ってやるよ」じゃないんだ。


 「この状況、お前をエサにして使えるから、今は殺さない」ってことだ。


 お前は囮として役に立つから、まだ殺さない。


 そう言われて、逆に腹の底が静かになった。


 こいつは、ちゃんと敵だ。


 やっぱり敵だ。


 敵でいてくれるほうが、わかりやすい。


 神楽坂は、俺を見て、ほんの少しだけ目をすがめる。


「神谷 蓮。

 きみは、今日この時点で、正式に“都市級リスク”として登録された。

 今後きみは、管理局にとっての対象X、神域管理階層にとっての逸脱因子、そして人間社会にとっての不安定要素として扱われる」


 七瀬がタブレットを睨んで「“対象X”登録きた……マジで特別指名手配じゃん……」と顔をしかめる。


 神楽坂は続ける。


「世界は、もうきみを普通の高校生とは見なさない。

 これは、礼儀として伝えておく」


「礼儀て」


「期待しているよ」と神楽坂は言った。「この街が壊れる前に、きみがどこまで足掻けるか」


 その言葉は、本当に心からのものみたいに聞こえた。


 だからこそ、ぜんぶ腹が立った。


「——最後に忠告だ」


 神楽坂は踵を返しながら言った。


「“神谷蓮領域”の宣言は、神域側にもすべて共有されている。

 彼らは興味を持った。

 今夜のうちに、君に直接“やりとり”を求めてくるだろう。

 それは交渉じゃない。スカウトだ。覚悟しておけ」


 アイが低く唸る。「……また“神側に来い”ってやつ」


「そう」


 神楽坂は振り返らずに言った。


「今度は、優しい言い方じゃないはずだよ」


 そのまま彼は、監査班とともに歩き去っていく。

 隔壁ドアが再び閉じ、ロックランプが赤に戻った。


 音が消える。


 静寂。


 張りつめていたものが、一気に緩む。


 その瞬間——


「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」


 七瀬がその場で崩れ落ちて、床に転がった。


「し、死ぬかと思った!!! なにこれ!!! ハイレベル交渉生で見るやつじゃないから!!! 私まだ十代だから!!!」


 槙村も安堵で腰が抜けて、その場にぺたんと座り込む。「よ、よかったぁぁぁぁぁぁ……!」


 黒瀬は壁に背中を預けて、ゆっくりと息を吐いた。「あー……はい、生存確認。俺まだ生きてるわ。やったな」


 花音はその場で膝を突いて、両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。

 泣き声は子供みたいにぐしゃぐしゃで、ずっと我慢してたのが崩れたみたいだった。


 アイは——俺の胸に頭をゴンッとぶつけてきた。


「痛い痛い痛い!」


「うるさいバカ!!!!」


「なんで俺殴られてんの!?」


「バカだからに決まってるでしょ!!!!」


「理不尽だな!? いやわかってるけど!!」


 アイは俺の服をぐしゃっと掴んだまま、顔を押しつけるようにして小さく言った。


「ありがと。生きてて。……ちゃんと私の隣にいてくれて」


 胸が熱くなる。


 一瞬だけ、手を伸ばしてアイの頭に触れた。

 髪、ばさばさだな。汗でぺたぺただし、血ついてるとこあるし。

 でも、あったかい。


「……約束したからな」


「うん」


「全員で生き残る」


「うん」


「だから、まだだ。まだ終わってねぇ」


 アイは小さく笑って、俺の胸を軽く拳でコツンと叩いた。


「うん。終わってない」


 その時。


 俺の視界に、勝手にウィンドウが開いた。


 真っ黒な背景に、白い文字だけが浮かぶ。


 ────────────────

 《神域直接接続 リクエスト》

 送信元:上位監理層

 優先度:最上位

 メッセージ:

 「——あなたの“領域”は、興味深い。

  交渉ではない。選択でもない。宣告だ。

  神谷蓮。

  あなたは、神々の戦場に足を踏み入れた。

  以後、あなたは“人間代表”として扱う」

 ────────────────


 ……。


 は?


 “人間代表”って何その肩書。


 勝手に決めんな。


 いや待て。

 “代表”ってことはつまり、“これからは人間と神との話はお前通してやるから”ってことだよな?

 俺を経由しないでこの街に干渉しません、その代わり、俺以外に直接手を出すとログ残るよ、ってことだよな?


 それってつまり、俺が正式に“窓口”になっちまったってことだよな。


 ……えぐい。


 俺はウィンドウを見つめて、口の端だけで笑った。


「なぁ、みんな」


 アイが顔を上げる。

 黛がこちらを向く。

 黒瀬と槙村と七瀬も、花音も、視線をこっちに向ける。


 俺は、言った。


「世界、マジで俺たちのこと本気で敵に回したわ」


 七瀬「知ってたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 黒瀬「やっと本番ってことか」


 槙村「死なないでねマジで私メンタル死ぬから」


 花音「どこにも行かないで……」


 アイ「じゃ、決まりだね」


「決まり?」


 アイは涙の跡が残った顔で、いつもの調子で言った。


「“人間代表”とか“対象X”とか“バグ”とか好きに呼べばいいよ。

 でも——」


 アイは拳を握り、胸の前に上げる。


「うちらは“クラス”。それだけは変わんない」


 胸が、じんわり熱くなった。


 そうだ。


 肩書きがどう増えようが、敵がどれだけ増えようが、世界にどう扱われようが。


 俺たちは、俺たちだ。


 俺は小さく笑って、拳をアイの拳にコツンと当てた。


「よし。じゃあ……」


 喉が乾いてるのに、声がちゃんと出る。


「クラスのみんな——ようこそ、反乱区域神谷 蓮 領域へ」


 その瞬間、通路に笑い声とすすり泣きが混ざって、ぐしゃぐしゃな音になった。


 でもそれは、ちゃんと生きてる音だった。


(第11話 終)

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