第12話

第12話 「夜の侵入者」


 夜。


 桐生東高校——いや、《神谷蓮領域》。


 それは、もう普通の学校の姿じゃなかった。

 廊下には非常灯の青白い光がゆらめき、窓の外には結界のような薄い膜が張りつめている。

 風の音も、虫の声も、ここでは遮断されていた。


 時間が止まったような夜。

 それが、“領域”として独立した代償だった。


 俺は、屋上にいた。

 風は吹かない。けど空だけは、まだ“空”として残っている。

 夜空の黒が、どこまでも深くて、吸い込まれそうだった。


 背後から小さな足音。

 振り返ると、アイがいた。

 ジャージ姿。髪は乱れ、目の下にクマ。


「寝てろって言ったよな」

「寝れんわ。あんたが寝ないんだから」


「俺は監視カメラじゃねぇぞ」

「でも、あんたが倒れたら“世界”が止まるんでしょ?」


 図星だった。


 領域の維持は、常に俺の意識とリンクしてる。

 眠れば、境界が揺らぐ。

 夢を見ると、外界の“神域”がそこから侵入してくる。


 寝ることが、世界を危うくする。

 そんなバカげた構造を、俺は引き受けてしまった。


 アイは俺の隣に立ち、夜空を見上げた。


「……静かだね」

「ああ」

「静かすぎて怖い」


 その瞬間。


 空気が、割れた。


 ピシィッ。


 まるでガラスを指で弾いたみたいな音。

 視界の端に、白い線が走る。

 空が裂ける。


 その裂け目の中から、“何か”が落ちてきた。


 ——人影。


 いや、“人の形をしている何か”。


 光の糸をまとい、ゆっくりと着地する。

 足音はしない。

 だが確かに“重み”はあった。


 長い銀髪。

 瞳は透明。

 そして、背中には光の羽の名残のようなものが、ちかちかと瞬いている。


 その存在が、俺たちを見た。


「——接続、完了」


 声は人間のものではなかった。

 音に“感情”が含まれていない。

 まるで翻訳されたプログラムの音声。


 アイが一歩前に出て、身構える。


「誰?」


「私は《処理者(しょりしゃ)》」


「処理……?」


「監理層から派遣された実行体。あなたたちの領域の“観測者”であり、“調整者”。」


 処理者。

 神の使い。

 それは“神”そのものじゃない。

 命令をこなす、完全な中間存在。


 俺は眉をひそめた。


「観測だけなら、話は聞く。でも“調整”って言葉が嫌な響きなんだよな」


「調整とは、“不要な要素の除去”を意味する」


 やっぱりか。


 アイが即座に反応する。「除去って、どういう意味?」


「あなたたち人間は、過剰に繁殖し、過剰に苦痛を生み出している。

 神々は、その過剰なデータを“不要部分”と定義した」


 俺の背筋が冷たくなる。


「……つまり、“いらない人間”を削るってことか?」


「肯定」


 処理者は、一歩、こちらへ進む。

 床の上を歩いているのに、足音は一切しない。


「神谷蓮」

「なんだ」

「あなたは《人間代表》に任命された。よって、あなたが“不要部分”の指定者になる」


「……は?」


「あなたが、不要な人間を決める」

「拒否したら?」

「拒否権はない」


 その言葉と同時に、領域の空気がざわめいた。

 圧力のようなものが降り注ぐ。

 膝が勝手に震えた。呼吸が浅くなる。


 アイが、俺の前に立った。

 両手を広げて、処理者を睨む。


「ふざけんな! 蓮はそんなことしない! あんたらの命令なんか——」


 バチィッ!!


 空間がはじけ、光が走った。

 見えない衝撃波がアイを吹き飛ばす。


 「アイッ!!!」


 俺は反射で彼女を抱きとめる。

 体が熱い。

 腕の中でアイが呻いた。「……っ、だい、じょぶ……」


 処理者の声は変わらない。


「防衛反応、確認。——非致死にて制圧完了。」


「“非致死”で済むと思ってんのか」


 俺の中で、何かが弾けた。


 視界の端に、ウィンドウが走る。


 ────────────────

 《ステータス編集》

 対象:処理者(神域体)

 編集要求:

 ——“干渉可能領域:0”を“1”に書き換える?

 ▶ YES/NO

 ────────────────


 迷わず、YES。


 瞬間、空気が変わった。

 世界が、俺の手の中に流れ込む感覚。

 足の裏に重力。

 拳に、熱。


「……あんた、神の使いだろ?」


「肯定」


「——なら、一発、殴らせろ」


 次の瞬間、俺は拳を振り抜いていた。


 ゴッ!!


 音が鳴った。

 確かに“ぶつかる音”がした。


 処理者の顔が横に弾け、光が散る。

 血じゃない。光の粒だ。

 でも、それは確かに“痛覚”を伴っていた。


 処理者はゆっくりと顔を戻し、初めて目を見開いた。


「……人間が、神域体に……接触を……?」


「接触じゃねぇ」


 俺は拳を握り直す。

 体の中が熱くて、焼けるように痛い。

 視界の端にウィンドウが赤く点滅する。


 ──警告:精神負荷 過剰。領域主の意識保持限界 28%。


 無視した。


「これが、“俺たち人間”のやり方だ」


 俺は、もう一発、叩き込んだ。


 ——ズドォォン!!


 光が爆ぜる。

 屋上全体が震える。


 処理者の体が一瞬にして霧散し、銀の光の粒になって宙に消えた。

 残ったのは、薄い音声だけ。


「——了解。対象、人間代表 神谷蓮。

 “異常値”として再分類。

 以後、全層に通知する」


 光が完全に消えた。


 風が、戻った。


 息を吐いた瞬間、体から力が抜ける。

 膝が笑う。倒れそうになった俺を、アイが抱きとめた。


「バカっ……本気で神殴るやつ、どこにいんのよ……!」

「ここにいるだろ……」


 笑うと、血の味がした。

 でも、それでも笑えた。


「なぁ、アイ」

「なに」

「俺、たぶん、もう戻れねぇや」


 アイは眉をしかめて、それでも笑った。


「知ってたよ。最初から」


 夜風が吹いた。

 風の中に、遠くから声のようなものが混じる。


 ——“面白い”——


 それは、エリシアの声じゃなかった。

 もっと冷たく、深い層の声。


 俺は、空を見上げた。


 黒い空の中に、いくつもの目のような光が瞬いていた。

 神々が“こちら”を見ている。

 完全に、興味を持たれた。


 もう後戻りなんてできない。


 でも——それでいい。


 この世界を、仲間を、アイを、

 俺の領域を守るためなら、神だろうが殴ってやる。


 拳を握る。

 まだ、熱が残っていた。


(第12話 終)

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