第10話

第10話 「最終勧告」


 地下第2シェルターの仮設医療スペースは、もともと倉庫だった場所を強引に転用しただけだ。金属床の上に簡易マットを敷いて、壁沿いに救急バッグ、止血剤、小型の再生パッチ、点滴スタンドを並べてる。


 血と汗と薬品のにおいが混ざって、むわっとしている。


 その真ん中で、特防課2-Bと、保護した元クラスメイトたちが固まって座っていた。


 包帯だらけ。

 目の下に濃いクマ。

 あちこちに青あざ。


 でも、誰も死んでない。


 それは、ここにいる全員にとってただの「結果」じゃなかった。ほとんど祈りみたいなもんだった。


「はいはいじっとしてー。はい動かない。うん痛いのはわかる、でも縫ってるから今は動くとマジでバカになるよ? うんバカ顔可愛いけどそれはそれとして縫えないから動くなー」


「バカって言ったぁ!?」


「言った。縫うから黙って。いま脇裂けてんの見せびらかさないで不謹慎」


 槙村が次々処置していく。

 彼女の声は明るいけど、手元はものすごく真剣だ。手の震えはほとんどない。恐怖とか不安を笑いで押し流して、仕事だけに集中させてるのがわかる。


 黒瀬はというと、そのへんの壁にもたれてアイスパックを頬に押し当てていた。いやどこからアイスパック出してきたんだよ。


「七瀬ぇ、あの囮ルート天才すぎだろ? 正直惚れるわ」


「惚れなくていいから黙って冷やしててくれる!? その口の裂傷いま縫ったばっかだから笑うと全部開くよ!?!?!?」


「やべ、惚れ直した」


「開けっつってんだろ口!!!!」


 七瀬は怒鳴りながらも、手は止まらない。タブレットの仮設回線で状況ログを上層(=学校側のネットワーク)に同期しつつ、監査班側の端末への逆アクセスをかけて証拠をぎっちり固めている。

 さっき自分が“裏切り者”扱いされかけた子と同一人物とは思えない集中っぷりだった。


 元クラスメイトたちは、壁沿いに固まって座っている。

 まだ怯えの色は消えていない。でも、さっきまでの「支配されてる」って感じはない。目が戻ってきてる。人間の目に戻ってきてる。


 その真ん中で、花音が俺を見ていた。


「……ねぇ、蓮」


「ん?」


「さっきの、なに? 私、なんかされて、楽になった。あれ、なに?」


 聞きながら、花音は首元のタグに軽く触れる。

 もう赤い点滅は収まっていて、ただプレートが貼ってあるだけみたいに見える。


「あー……んっと……」


 “神の権限と同系統の編集機能を使って恐怖反射を遮断して、タグの命令を感情ベースで拒否できるようにしました”ってそのまま言っても伝わらねぇよな。


 俺は少しだけ考えて、正直に、でもシンプルに言った。


「花音は俺の仲間だから、“怖がらなくていい”って世界ごと書き換えた」


 花音は目を丸くする。


 それから——ぽ、と顔を赤くした。


「な、なにそれ……ねぇちょっとそれ……っ、そういうのさらっと言うのズルくない……?」


「えズルいの? え? なんで? ごめんなんで???」


「そこで謝らないでよさらにズルいから!!!」


 花音はわけわからんまま顔を両手で覆って、耳まで真っ赤になっていた。

 状況は地獄のはずなのに、なんか人生相談みたいな空気になってるのが逆に怖い。


「おいおいおいおい神谷、お前今さらっと告白みたいなことしてんじゃねぇぞ状況考えろ?」黒瀬が横から茶々を入れてくる。


「告白? 今の告白なん? 違うよね? 違うよな!? アイ違うよな!?」


 隣で冷えピタ貼られてるアイが、アイスパックを首に押し当てつつジト目で言った。


「……あとでまとめて説明してもらうね」


「えっこわい!? 今の言い方ちょっと怖い!」


「だいじょーぶ。別に怒ってないから。まったく怒ってないから。はーぜんぜん怒ってないなー」


「こわいです!!!!」


 ——そのときだった。


 シェルターの出入口側の補強ドアが、低い音を立てて開いた。


 ガコン。

 金属のロックが外れる音は、いまこの場では銃声級の破壊力がある。


 瞬間、黛が立ち上がる。

 黒瀬は反射で前に出て、床を蹴る準備に入る。

 アイは迷わず俺の前に立つ。

 七瀬はタブレットをスリープさせ、背中に回す。

 槙村は片手で止血用のスプレー、もう片手でスタンパックを取る。


 正直、今の一瞬の動きだけで泣けるくらいには、こいつら頼もしい。


 ドアの向こうから現れたのは——黒いスーツだった。


 あの無駄に清潔な、皺ひとつないライン。

 整った髪。

 人工的な優しさを貼りつけた微笑。


 神楽坂。


 管理局 上席執行官。


 屋上で「処分命令」を静かに告げた張本人が、今度はたったひとりで地下まで降りてきていた。


 護衛はいない。

 それがむしろ不気味だ。

 普通こういうやつは護衛を連れてくる。でも、こいつは“護衛がいらない”か“もう勝ったと思ってる”かのどっちかだ。


 神楽坂は周囲を見渡す。

 怪我だらけの生徒たち。

 血の跡。

 応急処置中のやつら。

 怯える元クラスメイト。


 そして、俺。


 視線が止まる。

 俺という一点に、確実にロックされる。


「やあ」


 神楽坂は、落ち着いた調子で手を軽く上げた。


「まず、安心するといい。撃ち合いには来ていない」


「信用できると思ってんのかそれぇ!?」アイが睨みながら叫ぶ。


「信用してほしい、とは言っていないよ。ただ、事実を述べただけだ」


 あ、やっぱダメだこの人。言い方がぜんぶむかつく。


 黛が一歩前に出る。


「意図を言え、神楽坂」


「“通告”に来た」


 その一言で、室内の温度が一段下がった。


 神楽坂は淡々と続ける。


「これは最終勧告だ。

 桐生東高校 特防課第2-B班および関連生徒は、本日20時をもって、“第隔離区画”に指定される」


 七瀬の眉が跳ね上がる。「……第隔離区画!? は!? 待ってそれ、まさか——」


 神楽坂は言い切った。


「この学校ごと、封鎖する。

 都市ネットワークから切断する。

 物理的な進入・離脱は、管理局の許可がない限り不可能になる」


 沈黙。


 誰も、すぐには意味を飲み込めなかった。


 え? っていう顔が、数人ぶん空間に浮いた。


 いちばん最初に理解したのは七瀬だった。彼女の顔からみるみる血の気が引く。


「それってさ……つまり……」


 七瀬の声は震えて、かすれた。


「うちの学校を、ひとつの監獄ブロックにするってこと?」


 神楽坂は、微笑した。


「“危険区域の封鎖”と言ってほしいな」


「ふざけんな!!」


 七瀬が怒鳴った。怒鳴りながらも目は潤んでる。

 普段あんまり声を上げない分、爆発力がすごかった。


「それ、ここにいる全員“外に出られない”ってことじゃん!!

 家に帰れないってことじゃん!!

 親にも会えないってことじゃん!!

 “隔離”って、言い換えてるだけで、処分と同じなんだけど!!!」


 神楽坂は、まったく顔色を変えない。


「違う。処分は“削除”。隔離は“保護”だよ」


 アイが低く唸る。「言葉遊びすんな」


 神楽坂は続ける。


「このまま街で活動を続ければ、管理局と君たちは直接衝突する。それは都市にとって致命的だ。だから隔離する。封鎖する。その中でなら、君たちは存在を許される」


 黒瀬がにやっと笑った。「あー、なるほどね。つまり俺らを“この箱庭の敵”にして、街から外すわけか」


「正確には『観測対象』だ。君たちはこの区画で生きていい。ただし、ここはもう“街”ではない。“実験領域”だ」


 その単語に、元クラスメイトの何人かが怯えたように顔を上げた。


 実験領域。


 その響きは、エリシアが言ってたことと同じ方向の臭いがする。


 “現代”が観測エリアで、俺たちは観測対象。

 神側はそう言った。

 今、管理局がまったく同じことをやろうとしている。


「……つまりこういうことだよな」


 俺は、口を開いた。


「今のままだと、“俺らが外を壊す”。だから、外から切り離す。“おまえらだけでそこで勝手にやってろ”。そういうことだろ」


 神楽坂は、肯定の意味で、穏やかに頷いた。


「ああ。そうだ。わかってくれて嬉しいよ、神谷 蓮」


 花音が小さく震えながら俺の袖をつかんだ。


「ちょ、ちょっと待って、蓮。え、それ、私たち、帰れないの……? お母さん……ずっと泣きながら“花音は大丈夫ですか”って聞いてくるのに、もう会えないってこと……?」


 喉が詰まりそうになった。


 俺の“別の世界の”クラスメイトじゃない。

 ここで暮らしてきた、生徒だ。

 ふつうに朝起きてふつうに学校来て、友達としゃべって、テストいやだーって言って、部活だるいーって言ってたはずの生活が、ぜんぶここで断ち切られる。


 「監獄」。


 いや、こいつらは「保護」って言うだろうけど。


 実質それだ。


 神楽坂は静かに続けた。


「この隔離は“自発的合意”という形を取る。外には“希望者のみ残留”と伝えられる。だから、外の世界にはこう告げられるだろう——君たちは“ここに残る”ことを望んだと」


 七瀬が拳を握って、歯を噛みしめた。「最悪」


 槙村がかすれ声で言った。「じゃあ……逆に、“ここから出る”って選ぶことは?」


 神楽坂は、あっさりと答えた。


「できる」


 全員の視線が一気に神楽坂に刺さる。


「……え?」アイが眉を上げる。「出れるの? じゃあ、話早いじゃん」


「ただし」神楽坂は柔らかく笑った。「条件がある」


 アイの表情が一瞬で殺気に変わる。「条件って言い出した!!!!!!!!」


「外に出る者は、“神谷 蓮と、その影響下にある個体ではない”という誓約書に署名してもらう。そうすれば保護対象から外れる。自由になれる」


 室内の空気が、一瞬で止まった。


 ——ああ、そう来るか。


 “お前のせいでこうなったんだよ”って、きれいに線引きしてくる。


 「蓮なんかと関わらなければ、普通に戻してやるよ?」って。

 俺を切り捨てれば、帰れるよ?って。


 クラスが割れる条件を、公式に突きつけてきた。


 誰かが、小さく息を呑んだ。

 それが誰かはわからない。すごく静かな音だった。でも、はっきり聞こえた。


 花音の指先が、俺の袖をぎゅっと強くつかむ。

 離さない、って言ってるみたいに。


 アイが、ゆっくり口を開いた。


「……ねぇ神楽坂」


「なんだい?」


「それ、“脅迫”っていうんだよ」


「違うよ」と神楽坂は微笑む。「選択だ」


 アイの手が、ぷるぷる震えた。


 でも、その手は振り上がらない。

 振り上げたら負けるって、わかってるから。


 黛が静かに言う。


「結論だけ言え。神楽坂。——締切はいつだ」


「今から一時間後。20時までに、“ここに残る者”と“出る者”をリスト化して提出してほしい」


「一時間」


「そうだ」


「はやっ!!!!!!!!」七瀬が悲鳴を上げる。「いやいやいや無理だから!? 心の準備もクソもないから!?!?!? 人生選べって言われて一時間って何!? クソアプリのEULAかよ!?」


「時間を与えすぎると、外の混乱が拡大する」神楽坂はまっすぐに言う。「だから、急ぐ」


 黛が短く息を吐く。「——了解した」


「黛先輩!?」七瀬が裏返った声をあげた。「了解したの!? 今の“了解”なにその“了解”!!!???」


 黛は七瀬を見て、静かに首を振った。「勘違いするな。“了解した”のは“お前の条件は聞いた”ってだけだ。従うとは言っていない」


 七瀬は「あ、あー……はい……!!!」と半泣きで吹き出すように笑って、その場にへたりこんだ。「心臓止まるかと思った……」


 神楽坂は、ほんのわずかだけ目を細める。


「それでは、20時にまた来る。

 繰り返す。この提案は、武力行使を避ける最後の線だ。

 従わない場合は、桐生東高校は正式に“反乱区域”と指定される。君たちは都市敵対勢力とみなされ、排除対象となる。——それが、最終勧告だ」


 “反乱区域”。


 その言葉は、冗談でもハッタリでもない。

 これは“もう街じゃない”って宣言だ。

 ここは法から外れる。保護から外れる。ルールから外れる。


 つまり、ここで何が起きても「仕方ない」で片付けられる。


 俺たちが死んでも、誰も責任を問われない。


 神楽坂は、帰る前に一度だけ振り返った。


「神谷 蓮。

 君がこちらに同行するという選択肢は、まだある」


 その言葉に、アイの手が肩に食い込むくらいの力で強くなった。


 俺は神楽坂をまっすぐ見て、言う。


「ないよ」


 神楽坂は穏やかに笑った。


「そうか」


 それだけ言って、彼は踵を返し、静かに消えた。

 ドアが再びロックされ、重い金属音がシェルター内に響く。


 残されたのは、最悪のタイムリミット。


 一時間。


 誰が中に残って、誰が外に出るか。

 つまり誰が“戦争側”に、誰が“日常側”に行くかを、今決めろって。


 七瀬が頭を抱える。「無理……無理無理無理。エグいタイムアタック始まった。いやタイムアタックってレベルじゃないよこれ人生分岐のボタンだよ???」


 黒瀬は笑いもせずに壁に背中を預けた。「“一時間後に世界変わります。はい選んで”ってCMかよ。こういうの一番嫌いだわ」


 槙村はタブレットを抱えて座り込み、目だけで黛を見る。「リーダー、どうするの?」


 黛は、すぐには答えなかった。

 しばらく黙って、ひとつ息を吐いてから言う。


「——俺の案を言う。だが、これは戦術じゃなく、ほぼ賭けだ」


 全員が黛を見る。


 黛は俺のほうを見て、目で「立てるか」と聞いてきた。


「立てる」


 まだ身体は重い。でももう倒れるわけにいかない。


 黛は小さくうなずいて、続けた。


「神谷」


「はい」


「お前の権限、《編集》で“個人”じゃなく“場所”をいじれる可能性はあるか?」


 ……。


 その瞬間、俺の背骨に、ゾワッとした悪寒が走った。


 いや、待て。

 場所? 場所単位?


 たしかに、さっき《集団防壁》を張った時、俺は“この場”をひとつの領域として扱った。

 あのときのログはまだ頭に焼き付いてる。


 だから——もしかしたら。


「……わからないけど、やれるかもしれない」


「できるなら、やれ」


 黛は真っ直ぐに言った。


「“桐生東高校”を、お前自身の《領域》として登録しろ」


 空気が、息を呑んだみたいに揺れた。


 七瀬が一瞬で理解して顔を上げる。「それ……やば……!」


 槙村が目を見開く。「それって学校そのものを……うちらの“避難領域”にするってこと……?」


 アイが、震える声で言った。


「それができれば、“出る”も“残る”もいらない。

 この学校そのものを、蓮の守る場所として宣言できる」


 そうだ。


 今 管理局がやろうとしてるのは、「学校ごと檻にする」「こっちのルールでの隔離領域にする」って話だ。

 でも、その前に俺が——俺の権限で——ここを“俺の世界”として書き換えることができれば。


 “お前らの隔離区画じゃない。ここは俺の領域だ”


 って言える。


 それが成立したら、管理局の「隔離区画」は権限がぶつかる。

 つまり、すぐには発動できない。

 時間が稼げる。

 こいつらに一時間で「別れるか」「切り捨てるか」を選ばせなくて済む。


 俺は喉がカラカラになっているのを感じながら、ゆっくりうなずいた。


「……やる」


 七瀬が慌てて前に出る。「ちょ、ちょっと待って! それ、“世界線レベルの改変”に片足突っ込むやつだから!? 完全に“神の領域”とぶつかるから!? 神側が噛んでくるリスク普通にあるよ!?!」


「わかってる」と黛。


「いやわかってないでしょ黛先輩!? 黛先輩は“殴ればいい”って顔してるけど神は殴れないの!!」


「殴る」


「殴れるの!? 物理!? 神物理で殴れるの!?!?」


 黛はさらっと言った。


「殴れないなら殴れる状態にすればいいだろ」


「理屈がゴリ押しなんだよこの人!!!」


 七瀬が半泣きで頭を抱える。

 でも、止めはしない。止めきれないってわかってるから。


 アイが俺の前に立つ。

 少しの迷いもない顔だった。


「蓮。やれるなら、やって」


「……いいのか。巻き込むぞ? マジで外れなくなるぞ? 俺のせいでさ」


「うん? だからなに?」


 即答だった。


 アイは、ごく普通の声で言った。


「私、もう蓮の側でいいよ」


 心臓が、少しだけ跳ねた。


 いや、ちょっと待て。今さらっと何言ったこの幼なじみ(自称)。


 顔が熱くなるのを自覚しながらも、俺は笑うしかなかった。

 こんな状況で顔赤くしてんのマジでどうかしてるけど、もういいや。


 そこへ、頭の奥から、冷たいさざ波のような声が落ちてきた。


『——やめなさい』


 全身に寒気が走る。

 意識が現実から一瞬スッと外れる感覚。

 これは、あいつだ。


 “神”側の声。


 監理層。


『それ以上は許可できない。あなたは“個人権限”。校舎単位の宣言は、世界線そのものの上書きに近い。……それは、許されない』


 俺は目を閉じずに、心の中だけで返す。


「許されないって言われても、やるんだけど」


『あなたは理解していない。

 場所を領域化することは、“その場所で起きる全ての因果”にあなたの署名が入るということ。

 すべての苦しみも、すべての死も、すべての結果も、あなたのものになる』


「わかってる」


『本当に?』


「俺の世界だから」


 沈黙。


 “神”は、はっきりと困惑を示した。

 それは感情というより、エラー表示に近い。「非推奨パスに入ろうとしています」みたいなフラグ。


『……理解不能。

 あなたは、“自分が壊れる”可能性を受け入れてもなお、領域を取るの?』


「俺個人より優先のものがあるって、もう言ったよな。何回言わせんだよ」


『——』


 そのわずかな沈黙のあと、声色がほんの少しだけ、わずかに低くなった。

 どこか、好奇心の混じった調子に。


『いいわ。では記録する。

 あなたは“神谷蓮領域”を宣言しようとしている。

 こちらはそれを“観測下の特殊事例”として扱う。ただし——』


「ただし?」


『あなたは、もう本当に戻らない』


 ……。


 笑えてくるほど、重い言葉だった。


 この先、俺はこの街で“普通の人間”ではいられない。

 ここで生きるやつらごと、世界から独立しますって宣言するんだから、それは当然だ。


「知ってるよ」


『そう』


 “神”の声は、わずかに息を吐くような気配を乗せた。


『あなたは本当に面白い。

 ——だから、最後に忠告しておいてあげる』


「忠告?」


『“領域”を宣言した瞬間、あなたは本当に“神谷蓮”になる。

 個人ではなく、“場所そのもの”になる。

 そうなれば、あなたを殺す手段は単純になる。』


「どういう意味だ」


『“学校ごと消せばいい”から』


 背骨に氷を流し込まれたみたいな感覚が走った。


 ああそうか。

 そういうことか。


 俺は、場所そのものになる。

 だから、俺を殺したいなら、この学校ごと吹き飛ばせばいい。それでいい。


 つまり、俺のせいで——この場所が、本格的に“爆破解体対象”にされる可能性が出る。


 それでも。


「……それでも、ここ守れるならやる」


『了解。——その宣言は記録される。』


 声がふっと薄れる。


 意識が戻る。


 現実の音が、また耳に戻ってくる。

 息の匂い。血の匂い。汗の匂い。

 みんなの視線。


 俺は、ゆっくりと立ち上がった。


 足は震えている。

 でも、もう逃げる足じゃない。


「黛」


「なんだ」


「やる。領域、宣言する」


 七瀬が「マジで!? マジのやつ!? ほんとにマジ!?!?」と半分悲鳴。


 アイは「よし。じゃ、私たちはその中に立つだけ」と静かに息を吐いて、隣に並ぶ。


 黒瀬は頬を押さえながら口角を上げる。「いいねー。いいよその無茶苦茶。大好き」


 槙村はタブレットごと震えながら笑った。「……オッケー。私、全員の生体ログ取り続けるから。死にそうになったらねじ込んででも蘇生するから。だから、全員生きてて」


 花音は、涙目で俺を見て、小さく頷いた。「私も、行く」


「……花音、お前は別に——」


「うるさい。選択とかいらない。残る」


 即答だった。

 その即答ぶりに、ちょっと泣きそうになった。


 黛が低い声で言う。


「全員——よく聞け。

 これは、もう“学校”じゃない。

 これは、もう“授業”じゃない。

 ここは、俺たちの“戦場”だ。

 この戦場の名は——」


「『神谷 蓮領域』である」


 俺が言い切る。


 瞬間。


 視界が真っ白に弾けた。


 ウィンドウじゃない。

 もはや“外側”からの光でもない。


 自分の中から噴き出す白。


 音が全部消える。

 世界が一瞬だけ、呼吸を止める。


 そして、頭の中に、明確なシステムメッセージが叩き込まれた。


 ────────────────

 【領域宣言】

 名称:神谷 蓮 領域(仮)

 対象:桐生東高校 校内構造体・地下第2〜第4シェルター・接続インフラ一部

 状態:確保要求

 ステータス:承認待機 → 一時承認


 効果(暫定):

 ・領域内の生体存在に“保護タグ”を付与

 ・外部からの一方的な拘束権限を制限

 ・領域内の戦闘行為を“自衛行為”として即時記録


 デメリット:

 ・領域全体が“排除目標”に格上げ

 ・領域主(神谷蓮)への負荷:常時接続(精神)

 ・意識喪失時も管理が継続されるため、主の脳への過負荷リスク:極高


 警告:

 あなたは“場所”になりました。

 あなたの死は、“ここ”の死と等価に扱われます。

 ────────────────


 ……はは。


 マジでやっちゃったな俺。


 光が引いたときには、全員がこっちを見ていた。

 目を見開いたまま、言葉を失った顔で。


 アイが、震える息を吐く。


「……今、すごい、何か流れ込んできた。意識の奥で、“ここは私たちの場所”って刻まれた感じがした」


「うん。私も来た」と槙村。「“ここでの怪我は守られるべきものです”って、勝手に記録されるっていうか……これ、法的記録に残せる……!?」


 七瀬がタブレットを慌てて叩く。「待って待って待って!! 学校内の回線に新しい識別子が登録されてる! “神谷蓮領域-暫定”っていうIDが、ネットワークに“防衛対象”としてぶっ刺さってる……! なにこれ、こんなの仕様にない!!」


 黒瀬が低く笑った。


「うっわ。これでもう、“ここは俺の世界です”って本当に言えるわけだ。神谷。お前、ほんとバケモンだな」


「バケモンはちょっと傷つくな!?」


 でも黒瀬の目は、尊敬というより、仲間を見る目だった。


 黛はゆっくりと息を吐く。


「よし。これで、“管理局の隔離”と“うちの領域”が競合する。

 つまり、神楽坂は20時にこのドアを開けた瞬間、ここに勝手に介入できない」


 七瀬がハッとする。「そうか……! “ここは管理局の隔離区画です”って宣言しようとしても、“すでに独立領域ですけど?”で跳ね返せる……!」


 槙村は口元を押さえ、涙をこぼした。「……一時間で、選ばなくていい……」


 アイは、俺の腕をぎゅっと掴んだ。


「蓮、やったよ。……ほんとにやった」


「まだ“暫定”だけどな」


「いいの。暫定でもいい。これだけで、全然違うから」


 ——そう。


 これで、“選ばされる”は一旦止まった。


 花音が、泣きながら笑った。


「じゃあ、帰らなくていいってこと?」


 その言葉に、教室じみたざわめきが起きる。

 「帰らなくていい」という言葉が、普通なら地獄の響きなのに、今は“ここにいていいんだ”という安堵の意味になってるのが、おかしくて、悲しくて、でも少し救いだった。


「……なぁ、蓮」


 アイが、俺の手を握ったまま、低く囁く。


「これ、マジで危険なんだよね? あんたの体も、頭も、ずっとこの“領域”の管理に使われるんだよね?」


「まぁ、そう」


「意識飛んでても勝手に負荷かかるんだよね?」


「まぁ、そう」


「つまり、あんたはもう寝ても休まらないんだよね?」


「まぁ、そう」


 アイはコクリと頷いた。


「じゃあ、あたしがそばにいないとダメだね」


 喉が鳴るのが、自分でも聞こえた。


「……えっと、その、なんで……?」


「監視」


「監視!?」


「蓮が勝手に無茶しないかちゃんと監視するの。絶対離れないから」


「いや監視って言い方なんかこう……もうちょい柔らかいワードなかったの!? “そばにいる”とかさ!!?」


「そばにいる」


「そうそうそれ! そういう!!」


「一生そばにいる」


「重っ!!!!?」


 アイの耳がうっすら赤いのは見えた。

 でもその目は真剣だった。


 ああ、そうか。


 こいつはもう、「蓮を守る」じゃなくて「蓮と一緒に戦う」って決めたから。

 つまりこれはそういう宣言だ。


 俺、たぶん泣きそうな顔してたと思う。


 だから軽く笑ってみせる。


「頼りにしてる」


「当然」


 アイはどや顔でうなずいた。


 ……と、その空気の中。


 七瀬のタブレットが、ピピッと鋭い音を立てた。


「……ッ!? 来た。来た来た来た。接続要求」


「誰だ」と黛。


「管理局回線じゃない。識別シグネチャ……え、これ……」


 七瀬の顔が一気に青ざめる。


「“神域側”だ……!」


 室内の空気が、再び凍りつく。


 七瀬は小さく息を呑んで、顔を上げた。


「“監理層”からの直接通信要請。……神様サイドが、こっちに直接コンタクト取ろうとしてる」


 黛は、ほとんど瞬きもせずに言った。


「内容は?」


 七瀬は表示を確認し、そして、信じられないって顔で俺を見た。


「……神谷蓮、あなたに“協定提案”。

 “あなたの領域を管理局から守る代わりに——あなたに『いらないもの』を修正してほしい”だって」


 アイが低く呟いた。


「いらないもの、って何」


 七瀬は唇をかみしめ、絞り出すように言った。


「“街の余剰人口”」


 ……。


 空気から、音が落ちた。


 誰も声を出さなかった。

 出せなかった。


 神は言っている。


 街を安定させるために、“いらない人間”を削ってほしい、と。


 俺の領域を守る代わりに。


 俺の領域を守る代わりに、俺が“選別”をする役になれ、と。


 黛が低く言った。


「神谷」


「わかってる」


 喉が焼けるみたいに熱い。

 でも、言葉は迷わなかった。


「断る」


 即答だった。


 七瀬が、目を閉じて、震える息を吐く。「……はい、送信。『拒否する』っと。——送った」


 タブレットの画面がピッと一瞬だけ赤く点滅して、それから沈黙した。


 七瀬は顔を上げる。


「神谷。……返答、来た」


「なんて?」


「向こう、怒ってない。むしろ——」


 七瀬はそこで言葉を止めた。

 顔がひどく複雑なものになる。


「“面白い”って」


 アイが、低く、吐き捨てるように言う。


「神も管理局も、あんたのことオモチャ扱いだね。……ほんっとムカつく」


 俺はふぅ、と息を吐いて、笑った。


「だろ?」


 そして、はっきり口にした。


「——だったらさ。

 神も管理局も、まとめて敵でいいよな」


 黛が小さく笑う。「ああ。最初からそうだ」


 黒瀬がニヤっと笑って拳を鳴らす。「いいねぇ、“全部ぶっ壊そうぜ”って宣言、シンプルで好き」


 槙村が涙目でうなずく。「でもちゃんと生きてね? 生きたままぶっ壊そうね? 死んだら許さないからね?」


 七瀬は深呼吸してタブレットを抱きしめる。「ログ取ったからね今の。“神も管理局も敵”って言ったの、これ証拠ね。記念日ね」


 花音は袖をぎゅっと掴んだまま、笑った。


「……蓮が言うなら、わたしもそうする」


 アイは横に並んで、言った。


「じゃ、戦おうか。“うちらの世界”守るために」


 俺は、ゆっくりとうなずいた。


 そうだ。


 ここはもう学校じゃない。

 でも、ここは俺たちの場所だ。


 神にも、管理局にも、勝手にラベルを貼らせない。


 この領域は、もう“俺たちの世界”だ。


 たとえそれが、世界全部を敵に回すってことでも。


「行こうぜ」


 俺は言った。


「俺たちの戦争、ここからだ」


(第10話 終)

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