第9話

第9話 「監査班再臨」


 地下第2シェルターの通路は低くて狭い。

 天井の非常灯が点滅して、緑がかった影が揺れるたび、まるで水の底にいるみたいに思える。


 そこで、ふたつの列が向かい合っていた。


 片側は、特防課2-Bとその周辺。

 ボロボロの制服、防護ベスト、止血バンドだらけ、血と汗と焦げのにおい。


 もう片側は——俺の“元のクラスメイト”。


 古城 花音(こじょう かのん)を先頭に、男女あわせて10数人。

 全員が青ざめてて、目の下にクマがくっきり出てる。まともに寝てないんだろう。

 制服はほつれ、腕や首に包帯。

 でもいちばん怖いのはそこじゃない。


 彼らの首筋と鎖骨あたりに、黒いプレートが貼られている。


 カードサイズの、平たいプレート。

 金属のような、樹脂のような。

 そこに赤いインジケーターが点滅してる。


 タグだ。


 管理局製の、制御タグ。


 黛がそれを見た瞬間、目が細くなる。


「……あれ、監査班モデルの旧式だな」


 黒瀬が口を歪める。「うわ、マジで人間用のやつかよ。趣味わっる」


「旧式ってことは、まだ“完全自動化”じゃないタイプ?」槙村がタブレットを抱えたまま、ひそひそ声で聞く。


「ああ」と黛。「“痛みと恐怖で動きをロックする”方式だ。直接の神経支配じゃない。だから——」


「だから、解除の余地がある」

 俺は息を飲みながら口を挟んだ。


 それなら、俺がやれるかもしれない。


 “元の世界”から一緒に飛ばされた連中を、管理局が“保護”って名目で囲っておいて、こうやって使ってくる。

 嫌な予感は前からあった。

 でも実際に目の前で見せられると、怒りより先に吐き気がする。これほんとに人間のやることかよ。


 そして、その“やること”の親玉は、今回もちゃんとセットで来ていた。


「よかった。間に合った」


 通路の向こう、花音たちの後ろから、黒いスーツの列が現れる。


 管理局 監査班。


 その先頭にいるのは、見覚えのある顔——御門(みかど)だった。

 さっき屋上にはいなかったけど、今は淡々とした目で俺たちを見ている。


 無駄のない足取り。

少しの汗も乱れもない。

 ああほんと嫌いだこういうタイプ。


「監査班、第三。指揮、御門。状況収束のための交渉に来た」


 交渉って言葉、いま一番似合わない場じゃねぇかなこれ。


 アイが、俺の横で舌打ちする。「は? これが交渉? あんたら中学生レベルの人質の取り方してるんだけど」


 御門はアイを見た。その目は、まるで温度がない。


「人質ではない。『保護対象者の安全な移動』だ。

 彼らは我々の管理下に置かれていた。いま、ここに“引き渡し”に来ただけだ」


 花音の肩がビクッと跳ねえる。

 引き渡し、って単語で、明らかに怯えた。


 その反応を見てアイは怒りを隠そうともしない。「うそつけ」


 御門は微笑んだ。

 その笑みは、神楽坂のそれと似てる。優しそうに見せながら、中身は刃。


「信じなくてもいい。だが、話は最後まで聞け」


 彼はわずかに顎を上げ、花音たちの背後に並ぶ監査班員たちに視線を送る。

 監査班の隊員たちは、通路両脇へきれいに分かれ、その間に花音たちだけが前へ押し出される形になる。


 俺たちと、俺の元クラスメイト。

 数メートルの距離で、正面から向き合わされる。


 御門は静かに言った。


「神谷 蓮」


 その名を呼ばれた瞬間、花音の目が俺に引き寄せられるように動いた。


 その目は、救いを縋るみたいに揺れる。

 こっちに手を伸ばしたいのに伸ばせないみたいに、ぎゅっと握りしめた拳が震えてた。


「お、おい、蓮……? ほんとに、蓮、だよね……?」


 声が震えてる。

 でも、まだちゃんと俺を“蓮”って呼んだ。

 それだけでもう胸が痛い。


「花音……だよな」


「なにそれ、当たり前じゃん……バカじゃん……っ」


 泣きそうな笑い。

 それ聞いただけで、何かが俺の喉の奥に詰まった。


 御門は、何の感情もない声で続ける。


「状況はこうだ。

 一、我々は彼らを“保護”していた。汚染防止と情報隔離のためだ。

 二、しかし今この街は混乱している。神域干渉の度合いも想定以上。

 三、よって、我々も彼らを抱える余裕がない」


 黛が冷たい声で言う。「つまり、“不要になったから押し付けに来た”ってか」


「押し付けではない。提案だ」


 御門はまるで営業マンみたいに、静かな声のまま言葉を重ねた。


「神谷 蓮。君は我々に同行しろ。

 そうすれば、彼ら——君の元クラスメイトたち——はここに残していく。監査班は手を引く」


 通路の空気が、一気に凍る。


 来た。予想通りの、でも最悪のやつ。


 「ただし」と御門は付け足す。

 その「ただし」は、ほとんど甘い声色だった。


「逆に君が拒否する場合。こちらは“管理不能リスク排除”のため、彼らを連行する。

 タグを通じて最低限の動作支配は可能だ。抵抗は困難だろう」


 ……え?


 え、ちょっと待て今なんつった?


「“動作支配”って言った今!?」アイが素で怒鳴る。


 御門は、微笑んだまま、そのことにすら気付いていない風に言い切った。


「もちろん人道的な範囲でだ。不可逆な傷は与えない。死なせない努力はする」


「それを人質って呼ぶんだよ!!!!」


 アイの怒声が地下に響く。

 本気の怒り。涙の混じった怒りじゃない、殺意に近い怒りだ。


 御門は、アイを一瞥する。


「落ち着きなさい。感情が介入すると、交渉は進まない」


「進まなくていいんだよそんな交渉は!!!」


 アイが飛びかけた瞬間、黛が腕を伸ばし、彼女の肩を押さえた。

 その力は強いのに、乱暴じゃない。抑える、じゃなくて、支える動き。


「アイ。今は動くな」


「でも——っ、でも黛先輩! あいつら本気で……!」


「わかってる。落ち着け。まだ撃ち合うタイミングじゃない」


 まだ、って言った。


 それでアイは、ぎりぎり踏みとどまる。


 俺は御門を見た。


「……なぁ御門」


「なんだ」


「さっき“最低限の動作支配”って言ったよな。それってさ」


 俺は花音を見た。

 花音は、怯えるようにわずかに首を引く。

 喉元の黒いタグが、小さく赤く瞬いた。


「つまり、こいつらを俺たちに向けて撃たせるってことか?」


 御門は、静かに目を細めた。


「そうだ」


 花音がびくりと肩を揺らす。「……え、え? ちょ、待って、な、なにそれ聞いてないんだけど、ねぇ、え、ねぇちょっとやだやだやだやだ」


 他のクラスメイトたちもざわめき始める。

 「いやだ」「やめて」「違うって」「そんなの無理だよ」「無理だよ」

 一方的なパニック。

 でも、足は固定されたまま動けない。タグが命令を上書きしている。


 御門は、ためらいゼロで言った。


「わかりやすく言ってやろう。

 神谷蓮。君が来ないなら、君の“元の友達”を君に向けて撃つ。

 こっちに引き渡してもらえないなら、君自身の手で君の友達を傷つけろ。君に選ばせる」


 槙村が息を呑む。「……わざとだよこれ。心理的拘束で動きを止めるつもりだ」


「そうだな」黛の声はよく冷えている。「『この状況で攻撃できるのか?』って揺さぶり。“撃てないなら詰み。撃てるなら罪悪感で潰れる”。クソみたいな2択押しつけてくるのが監査班のやり口だ」


 その通りだ。


 これ、ほんとに外道なんだけど、理屈としては完璧だ。

 特防課は「他の生徒を傷つけない」を徹底してる。だから俺たちは撃ちにくい。

 でも監査班側は「こっちに来ないなら、こっちのルールでやる」。

 そのプレッシャーでまず動揺させる。足を止める。それが狙い。


 アイが歯を食いしばる。


「そんなの、そんなのさ……っ」


 ——“そんなの撃てるわけない”と言いかけた、その瞬間。


「撃て」


 俺が言った。


 通路の空気がピタッと凍る。


 アイの目が、ありえないって顔になる。「は? はあ!? なに今の!? 今なんて言った!?」


 黒瀬がゆっくり俺のほうを見る。「……おい、神谷」


 槙村はタブレットを握りしめて、「ちょ、ちょっと待ってそれログに残したくないから一回だけその発言取り消して!?!?」と半泣き。


 御門は、一瞬だけほんのわずかに眉を動かした。

 それは「興味」だ。

 俺の反応を計算してたのか、外れたのか。今そこで測ってる。


 そして、花音が——こっちを見て、泣きそうに声をふるわせた。


「れん……?」


「撃てって言ったでしょ……? わ、私、蓮に、むけて、なんて……」


 やめろって顔。

 拒否したいって顔。

 それでもタグに引っ張られて、右手がぴくぴく持ち上がる。


 やめろって言ってんだろ管理局。

 こいつはただの、普通の女子高生なんだよ。


 俺は一歩、前に出る。

 そのまま、花音のほうへ手を伸ばす。


 アイがあわてて腕をつかんだ。「蓮、危ないって! あいつら制御タグつけられてるんだよ!? 暴発したら——」


「大丈夫」


 俺は静かに言った。


「俺は撃たれない」


 御門が冷たい声で言う。「根拠は?」


 俺はにやっと笑ってみせた。


「俺が俺の世界を編集するからだよ」


 ——その瞬間、俺の視界に白いウィンドウが弾けた。


 ────────────────

 対象:古城 花音

 状態:外部制御タグ(監査班式 旧モデル)装着

 制御方式:

 ・痛覚刺激による従属反応

 ・筋肉出力の局所上書き(強制動作)

 ・恐怖反射の増幅


 編集候補:

 [恐怖反射抑制] コスト:SP1

 効果:対象の“恐怖を命令の根拠にする”回路を遮断

 副作用:精神ショック(軽〜中)


 [強制動作のジャミング] コスト:SP3

 効果:タグから送信される“筋出力上書き”を一時無効化

 副作用:タグの安全制御解除→反動痛が対象に集中


 [タグ切断] ※高危険

 コスト:SP5

 効果:外部制御リンクを強制断絶

 警告:タグは破裂/対象にフィードバックダメージ(重)

 ────────────────


 ……あぁ。


 なるほどそういうことね、管理局。


 “完全支配”じゃない。

 従わせる根元は、恐怖と痛み。

 愛想笑いの裏で、旧式の拷問ベース。


 俺は、息を吐いた。


「花音」


「……っ」


「痛いのイヤだよな」


「………………うん」


「怖いのも、イヤだよな」


「っ……! ……っ、うん」


「じゃあ、俺がいらなくする」


 その言葉を言い切った勢いのまま、俺はウィンドウに手を叩き込んだ。


「《編集:古城 花音 恐怖反射 抑制》!」


 光が、花音のタグに吸い込まれる。

 ピッ、と赤いLEDが一瞬だけ黄色に変わって——。


 花音の体が、ふっと軽くなったみたいに力を抜いた。


 同時に、花音の目から涙がぼろぼろこぼれる。


「……っ、っ、あ……っ……あぁ……!」


 崩れ落ちそうになったところを、俺はほんの少し前に出て腕で支えた。

 抱きとめた、というより、倒れるのを防いだだけだ。でも花音はその腕をがっちりつかんで離そうとしない。


 震えながら、彼女は搾り出すように言った。


「こ、こわいの、消えた……っ、少し……だけど、こわいの減った……っ、これ、なに、蓮、なにしたの……」


「安心しろ。お前は俺の仲間だ」


 その言葉に、花音が泣きながら笑った。

 もはや言葉にならない笑顔だった。

 ただ、助かったって顔。


 ……その瞬間。


 通路の奥で、監査班の隊員が動いた。


「御門指揮、制御低下を確認。タグ反応が不安定です!」


「再刺激を投与しますか!?」


 御門は声色を変えなかった。「待て」


 でも、その「待て」が、ほんの少しだけ鋭かった。


 目が、俺に向いていた。


「面白い」


「興味持たれたくないんだが?」


「今のは恐怖反応の切断だな。命令を通す媒体から切り離す形で。君の《編集》は、行動ではなく“状態”を操作できるのか」


「分析してんじゃねぇよ俺をサンプル扱いすんなよ!?」


 でも、御門はもう別の計算に入っていた。


 その目は、次の手を見てる目だった。


「神谷 蓮。次は何をするつもりだ?」


「決まってんだろ」


 俺は花音をそっと後ろに下げるようにして、黛とアイのほうへ促す。「アイ、支えて」


「うん、任せて」


 アイはすぐに花音を抱きかかえる。

 花音は半分崩れながらも、アイの制服をぐっと掴んで泣いてる。

 その姿にアイは一瞬だけ眉を下げて、それから真っ直ぐな目で俺を見た。何も言わずに「行け」と目で言う。


 いいよな、こういうの。言葉いらないやつ。


 俺は一歩前に出て、御門と監査班に真正面から向き合った。


「次は、全員まとめてやる」


 御門の目が、わずかに狭くなる。


「“全員”?」


「お前らが引っかけようとしてる二択も、いらなくする」


 俺は右手をあげた。


 視界の端に、ウィンドウが新しく走る。


 ────────────────

 緊急提案:リンク共有拡張(暫定)

 対象:現在“仲間”と認識したグループ(最大12)

 効果:一斉バフ/ステータス編集の軽微複製

 コスト:SP2(+対象ごとに負荷分散)

 副作用:使用者の精神疲労:中

 警告:対象に“仲間タグ”を付与します。このタグは世界側(神/管理局)両方に観測されます

 ────────────────


 ……なるほどな。


 ここで使わせるかよ。

 「仲間」認定の拡張。


 つまり、ここでこいつらを“俺の側”に含めると、エリシアの側——神側にも情報が伝わる。

 管理局にも伝わる。

 「神谷蓮はこの人間たちを守るつもりがあります」っていうフラグを、世界中に立てることになる。


 それはつまり、次からはこいつらも狙われるってことだ。


 本来なら、やっちゃダメなやつ。


 本来なら。


「いいよ」


 俺は笑った。


「もう十分だろ、狙われるのなんて」


 御門が、初めて表情をわずかに変えた。

 驚き? いや、違う。興味。ほんの少しの——愉悦。


「やれ」と彼は後ろに命じる。「刺激レベル増加。制御を完全化しろ」


「了解——」


「《リンク共有 拡張》!!!」


 俺の声が御門の指示より早く通路に響いた。


 瞬間、空気が一気に揺らぐ。


 バチッ、と音がした気がした。

 目に見えないラインが、俺から花音、花音の後ろに並ぶクラスメイトたちへ、一本ずつ走っていく。

 細い光の糸みたいなやつが、すべてを一瞬で繋いだ。


 ——それは、“仲間”っていうラベルだった。


 一瞬で、花音たちの制御タグが明滅する。


「なにっ!? 反応値が暴走してる——」


「筋出力命令が弾かれ——!」


「制御信号が、戻って、こない——!」


 監査班の隊員たちが口々に叫ぶ。

 明らかに予定外って顔だ。

 御門だけが冷静で、その冷静さが逆に怖い。


 俺の視界にさらなるウィンドウが叩きつけられる。


 ────────────────

 リンク共有:一時保護モード

 対象:古城花音 ほか11名

 付与タグ:安全圏内宣言

 効果:

 ・対象への外部強制制御を一時的に無効

 ・対象を“保護下の存在”として登録

 ・“保護者=神谷蓮”として権限マーク


 副作用:

 ・神谷蓮への敵対優先度が上昇

 ・管理局の対神谷蓮の拘束理由が“都市防衛上の最優先”に格上げ

 ────────────────


「……はっ」


 笑うしかなかった。


 つまり今ので、「俺がこいつらを守るって宣言しました」っていうデータが、神側と管理局側に同時に共有されたわけだ。


 これからは、あいつらは「保護対象」。

 その代わり、俺は「優先的に邪魔すべき厄災」。


 御門が、低い声で言った。


「——なるほど。そういうことか」


 その声には、はっきりとした感情が乗っていた。


 苛立ち。


「まったく、君という存在は。……面倒すぎる」


 それは誉め言葉みたいに聞こえたけど、殺し屋が「めんどくせえ獲物だな」って言ってるときのニュアンスだった。

 背中が冷たくなる。


 俺はわざと肩をすくめた。


「お前らのやり口は気に入らねえからさ。

 “選ばせてやった”って顔で“殺すか守るか”を押しつけるとこ。マジでムカつくんだよ」


 アイが小さく笑った。目の端にまだ涙の跡があるのに、強気な笑みだった。


「そうそう。そーいうとこ、マジでムカつく」


 御門はゆっくり首を振る。


「提案は終わりだ。……交渉は決裂と判断する」


 その言葉に合わせて、監査班の隊員たちがスッと動く。

 動きが明らかに変わった。

 さっきまでの「プレッシャー」用の隊形から、「制圧」用に切り替わった動き。


 黛が小さく息を吐く。「全員、聞け」


 俺たちは一斉に顔を向ける。


「ここからは実戦だ。監査班は“生徒には手を出していない”という建前を守ろうとする。その建前を壊させろ。向こうに先に撃たせろ。俺たちは最初の一撃を避けて、その瞬間、防衛戦闘の権限を確定させる。それでまた法的に押し返せる」


 ……黛、マジでこの人は生身で法律と殴り合うのが得意だな。


「黒瀬、前。足止め。死ぬな」


「毎回それ言われるの嫌いなんだよ〜。生きてるって」


「槙村、負傷者の回収を優先。神谷、お前のリンク対象は絶対に離すな。アイは神谷の護衛。——いいな?」


「了解!」


「了解っ!」


「了解しました!」


「了解! ……って言いたいとこなんだけどさ」


 俺はそこで一歩前に出て、大きめの声で言った。


「その前に、確認させろ」


 御門がまた、わずかに眉を動かした。


「なんだ」


「お前ら、どこからこの場所知った?」


 通路の空気が、またピリッと張る。


 これは、さっき黛が言ってたやつだ。

 “管理局がシェルターの構造と避難ルートを把握してる”って話。


 御門は、隠す気0の口調で言った。


「教えてくれた生徒がいた。こちらと協力関係にある、とても優秀な生徒だ」


 どくん、と心臓が鳴る。


 “生徒”。


 つまり、もうひとりの可能性。


 御門はあっさりと言った。


「名簿上は、特防課2-B 所属」


 空気が冷える、じゃない。

 凍りついた。


 誰も息をしない。

 通路が、一瞬で極寒になったみたいに、全員の筋肉が固まる。


 アイの顔がわずかにひきつる。「……嘘、でしょ」


 槙村が小さく「まさか」とつぶやく。


 黒瀬は笑わない。

 ただ目を細める。


 黛だけが、無表情だった。

 まるでこれを想定していた、という冷たい目。


 御門は、ひどく穏やかな声で、とどめを刺す。


「名前は——」


「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


 通路奥から、あわてまくった声と、けたたましい足音が転がり込んできた。


 全員が一斉にそっちを見る。


 息を切らして飛び込んできたのは——ぴょこっとした三つ編み、メガネ、白衣(いやなんで白衣)、タブレットをぎゅっと抱えた少女。


 俺も思わず叫んだ。


「……七瀬!?」


 七瀬 ユリカ。

 同学年。特防課の情報・解析担当の一人。

 授業ほぼ出てない、影みたいな子。

 いつも黛のそばにいて、タブレットいじって、最低限のことしかしゃべらないやつ。


 その七瀬が、顔を真っ赤にして、メガネずれたまま喉を張り上げた。


「ちょ、ちょっと! ちょ、ちょっとストップ! 今の、今の話、めちゃくちゃ誤解生むやつだから!!」


 御門が首をかしげる。「ふむ?」


「“特防課2-Bからの協力者”って、それ私のことだけど!!! イコール裏切り者って流れに持っていくのマジやめてくれる!?!?」


 通路がザワッと揺れる。


 アイが「え?」って顔をして七瀬を見る。「え? え? 七瀬? ……待って、ちょっと、どういうこと?」


 七瀬は息を切らしながら、御門に指を突きつけた。


「アンタらに流した“シェルターの構造情報”って、フェイクのやつなんだけど!?!? ちゃんとそこまで言ってよ!? 私の評価に関わるんだけど!?!?」


 …………は????????


 黛が、口の端だけでわずかに笑った。


「……ああ、間に合ったか。“囮ルート”の件、説明しておけ」


「はぁ!? 黛先輩マジで言ってんの!? 私この状況でプレゼンするの!?!?」


「するんだよ。お前しかできない」


「うっ……はい……!」


 七瀬はぐるりとその場を見回し、息をつき、速射みたいに説明を始めた。


「えーと! 管理局がこっちに入り込むのは避けられないってリーダー(黛先輩)が最初から言ってたから! 私は“わざと”管理局にリークしたんだよ! 『シェルターの構造と避難ルート』っていう“っぽい情報”を!!」


 御門の目が細くなる。


 七瀬は続ける。早口だが、内容は無茶苦茶クリアだった。


「そのルートどおりに来るとね! 確かに第2シェルターの西側通路にはたどり着けるの! けどね! そのルートを通った時点で、監査班側の携行センサーに“生徒遭遇ログ”が自動で記録される仕様になってるの! つまり、“この場に生徒を人質として持ち込んだ”って証拠が残るの!! 生徒を武装の盾に使った記録は、“管理局の正当防衛”って主張を完全に潰すの!!!」


 ……。


 なにそれ。


 いや、なにそれ。


 すげぇ。


「つまり!」七瀬は胸をどん、と叩く。「私は“管理局が違法な戦闘行為をした”って証拠を作るために! 御門さんたちをわざとこの通路に誘導したの!!! 裏切ってないの!!! むしろクソほど忠誠高いから褒めろ!!!」


 通路が、一瞬だけシン……と静かになった。


 次の一拍で、黒瀬が吹き出した。


「っはははははっ!!!!! マジかよ七瀬!! 最高かよ!!!」


 槙村は「七瀬ちゃんマジ天才!!」と涙目で拍手してる。

 アイは膝から力が抜けたみたいに「……よかったぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」とその場に座り込んだ。

 黛は静かに「任務完了だ」と告げる。


 俺は——ほんとに心臓止まるかと思ったせいで、変な笑いがこみ上げた。


「七瀬。……最高だよマジで。ほんとにありがとな」


「っ……っ、べ、べべ別にホメられて動くタイプじゃないし!?!?!?!?!?!?」


 七瀬は顔を真っ赤にし、メガネを押し上げて、バタバタと足を踏み鳴らす。「私は黛先輩と特防課のために動いただけだし!?!?!?!? あと神谷くんを中心としたローカル防衛バブルの持続可能性が現時点でいちばん高いから優先的に守っただけだし!?」


「それ完全に俺優先で動いてくれてるってことだろありがとうな!?」


「うるさい!!!!!!」


 七瀬、耳まで真っ赤。

 いやこれ照れ方えぐいな。なんだこの子かわいすぎる。


 ——で。


 みんなが一気に緊張を弛めた、その数秒の隙に。


 御門はもう、次の手を組んでいた。


「……なるほど」


 その声はほんの少し、冷たくなっていた。


「つまり、この場における正当防衛の大義名分は、お前たちにあると。

 我々が先に撃てば、すべて記録され、公的に“未成年への不法な武力行使”になる。

 そうなれば、さすがに上も簡単には潰せない」


 黛が平然と言った。「ああ」


「よく回すな」御門は小さく笑う。「本当に、生徒なのか?」


「生徒だからだよ」


 黛の目は、刃みたいに静かだった。


「俺たちは、自分の教室を守りたいだけなんだ」


 御門はしばらく黛を見て、それからゆっくり首を横に振る。


「やれやれ。では、今日はここまでだ」


 それだけ言って、手を振るみたいに片手を上げる。


 監査班の隊員たちが、一斉に銃(銃じゃないけど銃)を下ろす。


 花音たちの首元のタグのライトも、じわじわと明滅を弱めていく。


 御門はひとつだけ、俺に向けて言葉を落とした。


「神谷 蓮。

 君は、神にも嫌われ、管理局にも嫌われ、人間側の均衡も乱している。

 ——つまり、君こそが“バグ”そのものだ」


 胸のど真ん中に、ズシンと落ちる言葉。


 エリシアも言った。

 神も言った。

 そして今、管理局の現場トップがはっきり言った。


 俺はこの世界にとって、バグだ。


 御門は続ける。


「バグは、長くは生かさない。上の方針はそうだ。だから、覚悟しておけ」


 俺は、まっすぐに言い返した。


「お前らさ」


「なんだ」


「バグって、時々世界救うんだよ」


 御門はほんのわずか、目を細めた。

 それは侮蔑でも怒りでもなく——評価する視線。


「そうか」


 そして彼は踵を返し、監査班ごと通路の奥へと下がっていった。


 残されたのは、張りつめた空気と、どっと押し寄せた疲労と、俺たちの息だけ。


 ……終わった、わけじゃない。

 むしろ、完全に宣戦布告された。

 でも、今だけは——


「はぁぁあああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」


 アイが肺の底からでっかい溜め息を吐いて、俺の胸に頭をぐいっと押しつけた。


「マジで死ぬかと思った!!! 心臓潰れるかと思った!!!」


「俺も今めちゃくちゃ寿命削れたんだけど!?!?」


「知るか!!!」


「ひどくね!?」


「よくやったよ蓮」


 アイの声は、押しつけた額ごしに小さく震えてた。


「すっごいよかった。マジでかっこよかった。……でも勝手に一人で死のうとしたら殴るからね」


「いやもうその宣言何回目……」


「何回でも言う」


 アイは顔を上げて、目を真っ赤にしながら、ちゃんと笑った。


「“蓮が中心になる”って、神が言ったんでしょ? あんた自身が選んだんでしょ? だったらさ」


 アイの声は、震えていない。


「もう、あたしの戦いでもあるから」


 胸の奥が、少し痛くなる。

 それはさっきまでのダメージの痛みじゃない。

 もっと別のやつ。


「……悪いな、巻き込んで」


「バカ。勝手に“巻き込んだ”とか言って自分を被害者っぽくするな。いっちばんムカつくタイプだよそれ」


「すいませんでしたすいませんでした」


「よろしい」


 槙村が泣きそうに笑って、「はいはい青春タイム終了〜〜〜! 全員座って止血しろー!!」と指示を飛ばす。


 黒瀬が「七瀬、マジ好きになりそう」とか言って殴られてる。「なんで私が今殴られなきゃいけないの!?!?」と七瀬が全力で抵抗してる。


 黛は、低い声で最後に告げた。


「聞け。——これで、管理局とのきれいごとは終わりだ。

 次は、“上”が直接来る」


 黛の“上”って言葉には、神楽坂の顔が浮かぶ。


 神楽坂は優しい声で「処分」を言うやつだ。

 あいつはまだ本気を見せてない。


 そして、その“上”に、もうひとつある層がある。


 神。


 俺はさっき、あいつらと直接つながってしまった。

 「このクラスを守る」と宣言した瞬間、世界の向こう側と契約めいたものまで作っちまった。


 それは、たぶん避けられなかった。

 でも、そのせいで、もう逃げ道はマジでない。


 俺は、自分の手を見た。


 震えてる。

 怖いんだよ正直。普通に怖い。


 でも、同時に。


 この震えは、もう“逃げたい”だけの震えじゃない。


 “絶対に離さない”って震えだ。


 神も、管理局も、世界のルールも、俺をバグ扱いするなら——


 バグのまま、全部ぶっ壊して塗り直せばいい。


 「なぁ、黛」


「なんだ」


「次、来るのは誰だと思う」


 黛は目を細め、静かに答える。


「神楽坂だ。上席執行官。あいつが“処分”の最終勧告を持ってくる。

 拒否したら、この学校は正式に“反乱区域”扱いになる」


「反乱区域って、つまり」


「この街に、戦争が始まる」


 喉が、カラカラになる。


「……上等だな」


 俺はそう言って、笑った。


「俺たちのほうが先に宣戦布告してるしな」


(第9話 終)

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