第3話 夜の万博、二人の恋の停車駅

 八月の中頃、暑すぎる日差しが万博会場を包んでいた。

 昼間の喧騒がようやく落ち着き、夕暮れの風が吹き抜ける。

  僕は大屋根リングの階段近くのベンチに腰を下ろしてデジタルカメラのモニターを眺めていた。 「ふう、今日も汗だくだな……」

  この日はプライベートで大阪関西万博をおとすれていた。

 僕は四月に万博にきていらい、通期パスで通うぐらいにはまっていた。

 撮りためた画像を見て楽しんでいる僕に誰かが声をかけてきた。

  振り向くと、缶コーヒーを二つ持った芽高輝美が近づいてくる。

 制服姿のまま、ほのかに日焼けしている輝美は僕に話しかける。

「お疲れさまです、鉄朗さん。冷たいの、どうぞ」

「ありがとうございます。さすが、クレアさんみたいに気が利くね」

「あら、私は銀河冷蔵庫担当ですから」

「それ、便利な設定だなあ」

 二人で笑い合う。

 そのとき、会場のスピーカーからアナウンスが流れた。

『ただいま、交通トラブルにより夢洲方面へのシャトルおよび鉄道は事故のため全線運転見合わせとなっております——』

  僕はカメラから顔を上げた。

「え、帰れないってことですか?」

 輝美が目を見開いている。

「みたいですね」

「うそ、マジで閉じ込められた?」

「ええ、じゃあ……銀河ステーションで一泊ってところですかね」

 輝美はおっとりと笑っている。

  けれど僕は内心、少しだけ胸が高鳴っていた。 夜の万博。

 そんな場所で、彼女と二人きりになるなんて。


 午後十時。

 本来消されるはずのパビリオンの灯りは煌々と照らされている。

 万博に閉じ込められた人たちのために光はけさないでいるようだ。

「鍵閉め確認してきますね」

  輝美はそう言ってパビリオンの奥へ消える。

 その間、僕は展示ホールをうろうろしていた。 ガラスの中で、銀色の冷蔵庫がひっそりと光っている。

 モニターには、「心を持つ家電たちへ」という文字。

  昼間エメが語っていた言葉が思い出される。 「心を持った冷蔵庫……嫉妬してプリンを隠すやつか」

  独り言を呟いた瞬間、背後から声がした。

「隠してませんよ、冷やしておきました」

  振り向くと、輝美がアイスのカップを両手にを持って立っていた。

 そこには、ミニカップのアイスと、銀色のスプーンが二つ。

「これ試作品なんですけど、期限切れ前に食べていいって」

「メーテルさん、あなた、もしかして宇宙の救世主ですか」

「いえ、ただの甘党ですよ。外でたべませんか?」  

 僕たちはパビリオンの外のベンチに並んで座る。 輝美は思ったより近くにに腰掛けた。

  ふれあいそうなほど距離が近い。

  僕たちは二人で笑いながら、ひんやりとしたアイスを口に運ぶ。

「こうして夜に見ると、ちょっと幻想的ですね」

 輝美は舐めるようにアイスを食べる。

「ああ、まるでアルカディア号から見たみたいだ」 「じゃあ鉄朗さんは、ハーロックさんですか?」 「いや、四十人の中の一人ですよ。船長はたぶん神宮寺エメさん」

「ふふ、あの人なら似合いそう。重力サーベル持っているらしいですよ」

  僕たちは他愛のない話をする。

  遠くで電気設備の音が「ブウン」と唸っている。

  輝美が、静かに星のような照明を見上げた。 「わたしね、小さいころから銀河鉄道999が大好きだったんです。たまたま再放送で見たんですよ。メーテルみたいに綺麗にはなれなかったけど、いつか、あの銀河鉄道999に乗ってみたいなあって」 「きっと乗れますよ」

  僕は言う。

「え?」

 輝美は切れ長の瞳を見開く。

「こうして夜に、好きな人と同じ空間で話してる。それってもう、立派な銀河旅行じゃないですか」

 僕は考えることなく、反射的にそう言っていた。 輝美は一瞬、言葉を失ったように僕を見つめ、それから笑った。

「そんなこと言われたの、初めてです」

「取材のとき、口がうまいって言われるんですよ」 「あら、女泣かせですね」

「いや、泣かせる前に自分が泣いてます」

どうにかごまかせたようだ。これでは告白したみたいじゃないか。

  僕たちの笑い声は万博ナイトを楽しむ人たちの声にかき消される。

 昼間のように各国のパビリオンが万博内を照らしている。

  大阪湾の向こうでも、花火のような光が遠く瞬いていた。

「あれ流れ星みたい」

  僕の視界に光が流れ落ちる。

「銀河超特急かしら」

  輝美が目を閉じる。

 僕も少しだけ真似をして、心の中で呟いた。

  もう少し、この時間が続きますように。

  夜中、煌々と照らされる光の下、僕たちは大屋根リング下の長椅子に並んで座っていた。

  輝美が制服の上着を脱いで膝にかけている。

 アニメのメーテルとは違う豊満な胸元に視線が釘付けになる。

「なんか、修学旅行の夜みたいですね」

  メーテルはミネラルウォーターを一口飲む。

  これはヘルスケアパビリオンで配られたものだ。

「わかる。先生に『早く寝ろ』って言われても、寝ないやつ」

「ふふ、じゃあ私、先生します。鉄朗くん、消灯ですよ」

「了解、メーテル先生」

 冗談のようなやりとりのあと、静寂が僕たちを包んだ。

 外では風が鳴り、どこかで自販機のライトが瞬いた。

 ダンスを踊っている人たちの喧騒が聞こえる。 この事故を逆に楽しんでいるようだ。

「こんなふうに、誰かと夜を過ごすの、初めててです」

 輝美の長い黒髪が夜風になびく。

「僕もですよ。しかも、万博でなんて」

  僕は輝美の横顔を間近で見る。

 アニメのメーテルとはちょっと違うけど、彼女は彼女で可愛い。

「えへへ。ロマンチックですね」

 輝美は頰をかく。

 夏の暑さのせいだろうか、輝美の頰は紅潮しているように見えた。

 輝美の笑顔を、ライトが淡く照らしている。

  その光景に、僕は一瞬、胸がきゅっと締めつけられた。

  気づけば、輝美の肩が僕の肩に触れている。

  眠りに落ちそうな彼女の横顔は、可愛いらしい。

 本物のメーテルとは違う。

 けれど、この温かさを知ってしまったら、もう冷たい宇宙そらには戻れないな。

  翌朝、始発のアナウンスが流れたころ。

  輝美が目をこすりながらつぶやいた。

「おはようございます、鉄朗さん」

「おはようございます、メーテル」

  会場内に電車が動きだしたという館内放送が鳴り響く。

 ようやく銀河鉄道管理局が動き出したようだ。 僕たちは笑いながら外へ出た。

  朝の光に包まれたパビリオンが、

 まるで一晩の夢の名残のように光っていた。

  エントランスの上には、昨日と同じ言葉が浮かんでいる。

 「命輝く未来」 僕ははその文字を見上げながら、輝美に言った。

「たぶん僕、昨日ちょっとだけ、ネジから人間らしくなれた気がします」

「私も、銀河鉄道の夜、楽しかったです」

 

 そして、二人の笑顔の奥に、ほんの少しの恋が灯ったのであった。

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