第4話 セイラ・マスの休日
九月の終わり。
当初のネガティブイメージは完全に払拭されていた。
大阪万博も終盤を迎え、会場にはどこか夏祭りのような賑わいが漂っていた。
僕は、最終日のイベント取材のために何度目かの夢洲へやってきていた。
日差しはまだまだ強く、アスファルトがじりじりと照りつける。
僕はパビリオン裏のスタッフ通路を歩きながら、カメラのレンズを拭いていた。
「さて、今日はメーテルにお土産でも——」
そう呟いた瞬間、背後から軽い声がした。
「あなたならやれるわ、アムロ」
振り返ると、そこにいたのはセイラ・マスだった。
ピンクの連邦軍ジャケットに白いぴったりしたパンツ。金髪のウィッグに冷たく端正な顔立ち。
ほっそりとしているが出ている所は出ている抜群のスタイル。
それはまぎれもなく神宮寺エメでありセイラ・マスであった。
「じ、神宮寺さん!?」
我ながら素っ頓狂な声がでる。
「あら、見つかっちゃったのね」
軽やかに神宮寺エメは微笑む。
声をかけてきて、見つかったとはどういうことだ。
「な、なんでセイラさんなんですか!?」
それよりも完璧なセイラ・マスに僕は心を奪われる。
僕は銀河鉄道999も好きだが機動戦士ガンダムも大好きなのだ。
バンダイパビリオンでガンダム愛が再燃していた。
「今日はプライベート。ガンダムの日なんですよ。知らないんですかアムロ?」
僕は首を横にふる。
そんな日なんてあったかな。
「私がそう決めたんです」
神宮寺エメの笑顔はいたずら少女のようだった。
確かに、万博ではコスプレで参加している人も多くいる。
ミャクミャクはもちろんダンジョン飯のマルシルや紅の豚のマルコもいる。
それにしても神宮寺エメのコスプレは完璧すぎる。
「実写版セイラ・マスだ」
僕はそう感想をもらす。
「そう言われると悪い気はしないわね」
神宮寺エメはウィッグを軽く押さえながら笑った。 その笑みは、いつもの冷たいデザイナーの顔とは違い、どこか無防備だった。
いたずら少女のように可愛いらしい。
「ところでアムロ、ガンダムは?」
神宮寺エメことセイラ・マスは小首を傾げて尋ねる。
「もちろん好きです!! 再放送世代ですけど」
ガンダムをちゃんと見出したのはGガンダムからだ。
そこからガンダムにはまり、レンタルビデオでファーストから見直した。
好きなモビルスーツは百式だ。
「じゃあ、セイラさんの名台詞、言えるかしら?」
神宮寺エメの眼差しは試すようだ
「え、あれですか。この軟弱者!!」
僕はビンタのふりをする。
「ふふっ、合格。意外とノリがいいのねこっちのアムロは」
神宮寺エメは僕の頭をなでる。
いいおっさんなのに子供扱いされた。だけど不思議と心が躍るものだった。
「アムロ、ついてきなさい」
今日の僕は鉄朗ではなくアムロ・レイのようだ。 そう言って神宮寺エメは、大屋根リング下のベンチに腰を下ろした。
周囲には同じようにコスプレを楽しむ人々がいた。
万博のこのごった煮感は癖になる。
後ひと月で終ると思うとなんだか寂しい。
僕は神宮寺エメの横顔に不意に見惚れてしまった。
「神宮寺さんって、意外とアニメ好きなんですね」 「意外って失礼ね。私、もともとアニメーター志望だったのよ」
「えっ」
またまた驚愕の事実だ。
「大学も大阪芸大なのよ、現実的に考えてデザイン職に進んだの。でも、心のどこかではずっとアニメにかかわりたいって思っていたのよ」
神宮寺エメの視線が遠くを見ていた。
あの方向には万博ガンダムがいる。
いつも冷静で理知的な彼女が、今はまるで十代の少女のように語る。
「アニメにはね、空想じゃなくて、未来への手紙があると思うの。だから、万博が終わったら……」
言葉を切ると、神宮寺エメは小さく息を吸い吐いた。
「アニメ制作会社に転職するの」
僕は思わず息をのむ。
「まさか、本当に?」
大手家電メーカーの管理職からアニメ制作会社への転職。それはかなりの決断であっただろう。 「本当よ。現場は大変らしいけど、やってみたくて私、ずっとデザインで形を作ってきたけど、今度は動きで心を動かす仕事がしたいの」
神宮寺エメのその目は真っすぐで、熱を帯びていた。
僕は、胸の奥でなにかがはじけるのを感じた。 「かっこいいですね、神宮寺さん」
「でしょ。だからあなたについてきてほしいの。一緒にホワイトベースに乗りましょう」
「えっ?」
言葉の意味が分からず僕は聞き返す。
「私、あなたの写真好きよ。取材文も読ませてもらったわ。人の心を撮る写真、あれ、覚えてる?」 「あのときの……」
たしか先月号に寄稿したガンダムの写真に添えた言葉だ。
「あれをアニメの中でやりたいの。人の表情や想いを映す仕事。もしよかったら、セイラ・マスのパートナーとして一緒にやらない?」
思わぬ誘いに、僕は言葉を失った。
その瞬間、風が吹き、金色のウィッグが少し乱れた。
セイラ・マスの姿のまま、神宮寺エメは真剣な瞳でこちらを見つめる。
「この万博の後、東京に行くの。もう戻れないかもしれない。でも、夢ってそういうものでしょ? 時間は夢を裏切らない。時間も夢を裏切らない」
神宮寺エメは静かに言葉を紡ぐ。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
これはとらえようによっては恋の告白ともとれる。
何故か、輝美の笑顔が頭をよぎる。
けれど、神宮寺エメの真っすぐな言葉は僕の心の奥の少年を刺激した。
「僕は昔アニメ雑誌の付録に『999の絵コンテ』が載ってて。それを見て、初めて物語を作る仕事ってのを意識したんです」
小学生の時に買ったアニメ雑誌の付録を僕は思いだす。物語のとりこになったきっかけの一つだ。 「だったら、来なさいアムロ。物語の中に入るチャンスよ。一緒にサイドセブンに行きましょう」
神宮寺エメが立ち上がり、手を差し出す。
白い手袋の上に、光が反射していた。
まるでホワイトベースへの搭乗を促すのように。
「神宮寺エメさんそれって、スカウトですか?」 「そうね。セイラ・マスによる、非公式スカウト」 「任務内容は?」
「夢を追いかけること。私と共に」
伸ばされた手は僕の頰にふれる。
秀麗な神宮寺エメの顔が近づく。
僕たちの間の距離は吐息がふれあうほどに近い。
太陽が沈み、空が群青に染まっていく。
「わかりました。でも僕今すぐ答えは出せません」
さすがに即答はできない。
そしてぽっちゃりメーテルこと芽高輝美が脳裏に焼きつく。
「いいわ。夢って、即決するものじゃないもの」
神宮寺エメは僕の頰から手を離す。
思わずその手を握りたくなる。
「それに僕、銀河鉄道999に乗って機械の体を手に入れないと」
僕はアムロ・レイから鉄朗に戻る。
「あら、そうなの。ホワイトベースでは大アンドロメダまではいけないわね」
神宮寺エメは小さく笑って、ウィッグを外した。
さらりと落ちる黒髪。
そのまま、軽やかに言う。
「“どちらに乗るかは、あなた次第よ。ホワイトベースか銀河鉄道999か……」
そう言い残し、神宮寺エメは万博の人混みに消えていった。
ピンクの連邦軍制服ジャケットだけが夕暮れの中で光る。
神宮寺エメのその背中はまるで本物のセイラ・マスのように凛としていた。 吉本パビリオンから明日があるさのカラオケが聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます