第40話 ホワイトデーの“真ん中返し”を誤差ゼロにするな
バレンタインが終わって数日。
昇降口の甘い匂いも落ち着いてきて、代わりに空気の中に混ざってきたのは、入試と期末テストと花粉の気配だった。
でも、俺のノートの端っこには、もう一個だけ別のワードが書き足されている。
・ホワイトデーどうする問題
真ん中LVの隣に、でかい「?」付きで。
昼休み。
男子だけが集まった教室の真ん中あたりで、春川が妙に真面目な顔をして言った。
「真ん中、そろそろ“返し会議”しよ」
「返し会議って」
「ホワイトデーの配分説明会」
「説明されるほどの配分ねえよ」
「あるだろ」
春川が、指を一本ずつ折っていく。
「クラス全体用、そのへんの友達用、部活筋、姉ちゃん筋、親戚筋、そして“真ん中の三角形筋”」
「最後のカテゴリ名だけクセ強いんだよ」
周りの男子が、机を寄せてくる。
「とりあえず、チョコ何個もらったのか」
「数えるな」
「参考資料だから」
「じゃあお前らから言えよ」
「俺らはだいたい把握してるからいいの」
「なんでだよ」
「真ん中だけ、誤差ゼロで計算しないと面白……いや、大変だから」
言い直した。今完全に本音出かけてたよな。
結局、押し切られる形で、紙を一枚渡された。
【真ん中用・返し対象リスト】
1. クラス全体用(“みんなで食べてください”系)
2. 友達枠
3. 先生枠(?)
4. 三角形枠
「四番目の名前、雑に隠すなよ」
「名字で書くのもなんか生々しいじゃん」
春川は、ペンで「三角形枠」の右に小さく三角マークを描いた。
「じゃ、順番に」
「一番目は分かるだろ。“1-Bで食べてください”って靴箱から落ちてきたやつ」
「あれは“クラス用クッキー”とかにしてホームルームで出しとけばいいんじゃね」
「それならワリカンで出せるしな」
「二番目、“友達枠”は」
「普通に“いつものノリで渡してきたやつ”」
「そこは市販クッキーとかでいいでしょ。“ありがとう〜”で終わるゾーン」
全員わりと即答だった。
問題は、四番目だ。
「で、“三角形枠”だよ」
春川が、やっと本題という顔をする。
「ここ、誤差出すとめんどいから」
「めんどいって言うな」
「いや、うちのクラスの平和のためにね」
「……」
「さすがに“全く同じ”にはできないだろ」
春川が、机に大きく丸を二つ描いた。
「“三角形枠”のうち、“教室で渡した人”と“外で渡した人”」
「言い方やめろ」
「渡すルートで分かれるじゃん」
「外ルートって単語、雑に使うな」
でも、その分類は、痛いほど正しかった。
前の席から、安達のほうを見る。
授業中はいつも通りだ。バレンタインのあとも、ノートはきれいで、声をかければ普通に返ってくる。
「ここ、解き方はこうなるよ」
「ありがとう」
その“いつも通り”の中に、板チョコ一枚ぶんの重さがこっそり混ざっているだけだ。
右を見る。
美咲は、相変わらずポニーテールで、相変わらずピンをちょこちょこ変えてくる。アンケート通りのクランチ入りチョコは、部屋の棚の上でまだ存在感を主張していた。
「真ん中」
「なんだ」
「ホワイトデー、“三角形会議”するからよろしく」
「するな」
「“真ん中返しの基準決め”しないと、後々までネタにできないから」
「ネタにする前提で話すな」
春川のホワイトデー会議と、三角形会議。
二重会議制で、真ん中だけ案件が多すぎる。
放課後。
帰りのHRが終わって、人が少しずつ減ってきたころ。
「安達」
と声をかけると、安達はすぐ振り向いた。
教科書をカバンに入れながら、首を少しかしげる。
「どうしたの」
「ホワイトデーのこと、ちょっと聞きたいんだけど」
「うん?」
「返したほうがいい、よな」
「当たり前の質問だった」
安達は、少しだけ笑った。
「“お返しはいいよ”とか言わないんだな」
「言わない。言ったら真ん中、絶対本気にするでしょ」
図星だった。
「バレンタインのお礼というより、“一年ぶんのお礼”って感じにしたかったからさ」
「一年ぶん?」
「ノート見せてもらったり、勉強一緒にしたり、変な相談に付き合ってもらったり、三角形の角やってもらったり」
「角って言うな、……だから、返してもらう側としては、“そんなに構えないでくれたらいい”かな」
「構えないでくれって言われてもな」
「でも、ちゃんと考えたいでしょ」
安達は、教科書をカバンに入れ終えて、ファスナーを閉めた。
「そういう人だから、渡したんだし」
それを言われると、何も返せなかった。
右側。
昇降口へ向かう廊下の途中で、美咲に呼び止められる。
「ねえねえ、真ん中」
「なんだ」
「ホワイトデー、どうするかもう決めた?」
「考え中だ」
「じゃあ、ヒント渡しとくね」
ヒントってなんだよ、と思う間もなく、美咲は指を一本立てる。
「一個目。“倍返し”とかは考えなくていいから」
「いいのかよ」
「“真ん中係へのお礼倍率”とか考え始めたら、たぶん永遠に終わらないから」
「永遠って」
「二個目。“苗字に引きずられすぎないこと”」
美咲は、廊下の窓の外をちらっと見た。
「“佐藤だから”って理由で特別扱いされたいわけじゃないからさ」
「……」
「“蓮がこうしたいからこうした”って感じにしてくれたら、それで十分」
名前を、普通に呼ばれた。
「三個目」
美咲は、少しだけ目を細める。
「“真ん中の位置からじゃないと見えないもの”を、ちょっと分けてもらえたら嬉しいかな」
「それ、日本語として難しすぎないか」
「たとえば」
美咲は、右手の指で空中に三角を描いた。
「この三角形を上から見たときの景色とか。記事でレイ先輩が“真ん中から見える景色”って書いてたやつの、続きとか」
「……」
「形として残るものじゃなくてもいいよ」
そう言って、美咲はリュックを背負い直した。
「手紙とか、ノートのコピーとか、“真ん中LVのページ”のほんの一部とか」
「最後のやつはハードル高すぎるだろ」
「“一部モザイク”でもいいから」
冗談めかして笑う顔の奥に、ほんの少しだけ真面目な色が混ざっていた。
つまり――
・安達
→ あんまり構えすぎないで、でも雑にはしないでほしい
・美咲
→ 倍率はいらない、苗字に引きずられず、“蓮として”考えてほしい
+何か“真ん中の景色”をちょっと分けてほしい
情報量が、多い。
家に帰って、机にノートを広げる。
真ん中LVのページとは別に、もう一枚、ホワイトデー専用のページを作った。
【ホワイトデー返し案】
・クラス用:小分けクッキー(ワリカン)
・友達枠:市販のお菓子+一言メモ
・先生枠:コーヒーか紅茶的なやつ(春川案)
・三角形枠:???
「三角形枠」のところだけ、何度書いても「???」に戻る。
(物だけでそろえるのも違うし、明らかに差がつくのも嫌だし)
同じにしすぎると、今度は“どっちにも失礼”になる気がした。
「……」
ボールペンの先でノートの端をつついていると、スマホが震いた。
【春川】
『返し会議、進捗どうですか真ん中さん』
【俺】
『三角形枠で詰んでる』
【春川】
『まあそこだよな
“物としてはそんなに差をつけない”けど
“中身で方向性変える”とかどうよ』
【俺】
『どういうこと』
【春川】
『安達には“これからもよろしく系”
佐藤には“今こう思ってる系”
みたいな』
【俺】
『雑なアドバイスありがとう』
【春川】
『雑じゃないよ
真ん中が真ん中のままいられるバランスの話』
ウザいようでいて、たまに核心をついてくるのがこの男の厄介なところだ。
結局、その夜は答えが出なかった。
代わりに、真ん中LVのページの端っこにだけ、こう書き足す。
・ホワイトデー返し案
“誰かにとってだけ”じゃなくて
“自分にとっても”ちゃんと意味のあるものにすること
その下の数字は、さすがにまだ動かさなかった。
真ん中LV.2.3(ホワイトデー準備中)
上げるのは、ちゃんと何かを返せてからにしようと思ったからだ。
翌日。
教室に入ると、前と右から同時に声が飛んできた。
「ホワイトデー会議、進んだ?」
「真ん中返し、進捗どう」
「二方向から進捗聞くな」
机にカバンを置きながら、正直に答える。
「物はだいたい決めた」
「お」
「じゃあ中身は」
「考え中」
「中身?」
安達が首をかしげる。
「メッセージとか、タイミングとか、渡し方とか、そういうの」
「そういうのは、当日まで悩んでいいと思うよ」
安達は、プリントを出しながら言う。
「むしろ、悩んだぶんだけ、ちゃんと届くと思うから」
美咲も、ボールペンを指に挟んだまま笑った。
「こっちは、“真ん中が悩んでくれてる”ってだけで、もうだいぶ満足してるから」
「……」
「だから、真ん中LV上げ行事だと思って、好きにやって」
「行事って言うな」
言いながらも、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
ホワイトデーまでまだ少し時間がある。
“真ん中返し”の正解なんて、多分どこにも載っていない。
だったら、自分で決めるしかない。
真ん中に立たされているんじゃなくて、真ん中に立つって、決めるほうで。
そう考えた瞬間、ノートの数字を、ほんの少しだけ先のほうで書き換えたくなる衝動が、指先にうずいた。
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