第5話 エルとヴェノムモリス
「ステラ、お兄ちゃんが手を握っててあげるから、少し一緒に歩く?」
朝。野営の撤収作業を終え、ビサンドへ向けて出発する前にステラへ声をかけた。
「え!? いいの!?」
声が一オクターブ高くなり、ぱっと花が咲いたように表情が明るくなる。
「ああ、ステラも歩けるもんな」
「うん!」
俺とステラのやり取りを見ていたアイシャは、何も言わずに微笑んでいた。
もしかしたら、ステラの気持ちをすべて分かっていたのかもしれない。
とはいえ、山道は甘くない。
断崖絶壁を歩くわけではないが、獣道のような細い坂道を進むのは五歳の子には容易ではなかった。
俺自身もまだ体力が足りず、自分のことで精一杯。
それでも、ステラの手を握る力だけは、決して緩めなかった。
アイシャとエルが見守る中、俺たちはゆっくりと、けれど確かな足取りで前へ進んでいく。
当然、移動速度は落ちたが、誰一人として文句を言う者はいなかった。
ステラも弱音を吐かず、一歩一歩、確かめるように足を運ぶ。
そうして一時間ほど歩いたころ、最初の休憩を取ることになった。
俺は背負っていた小さな荷物を下ろすと、手袋を外し、アイシャの隣に立つ。
「ねぇ? お母さん。ちょっと見てほしいんだけど……」
「ん? いいけど?」
意識を集中させ、右手を前に掲げる。
『静寂より生まれし白の牙よ。凍てつく力を槍と成し、敵を穿て――』
薄蒼の魔法文字が俺の体を包む。
全身に巡る魔力を右手に集中させ――
『【
氷の槍が生まれ、目標の木へと放たれる。
しかし、飛び出したそれは、木に刺さることはなかった。
「あれ……? 成功したと思ったのに……」
首を傾げる俺に、アイシャは驚きの表情を浮かべた。
両手で口を覆い、目を大きく見開いている。
「め、メナト……あなた、もう【
「うん、でもお母さんのと比べて威力が全然低いんだけど……」
「それは、紋章の力もあるけど、魔力の込め方、具現化の仕方、イメージや経験の差ね。体内の中で魔力を高速で巡らせて、その勢いのまま放つイメージよ」
なるほど。
確かに俺の右手の甲は光らなかったし、槍の形もどこかいびつ。魔力も助走をつけるように放出しなかったな。
それでも、アイシャは心から嬉しそうに微笑んだ。
そして、母以上に喜んでくれたのは、ステラだった。
「今のお兄ちゃんの魔法!? すごい! 六歳で魔法を唱えられる人なんて、今までいなかったんでしょ!? やっぱりお兄ちゃんはすごいよ!」
目は見えなくても感じることはできるようだ。
自分のことのように喜んでくれるステラ。
そこに父、ホークも加わる。
「魔法文字を勉強してまだ間もない。それに魔力コントロールの訓練も始めたばかりだというのに、もう形にしたのか……我が子ながら、末恐ろしいな」
さらにはエルまで、ニヤリと笑いながら言葉を続ける。
「シシシッ! 【曙光の鷹】の未来は明るいな。あとは坊の紋章が何に対応しているかだ。魔法が使えない俺が言えた義理じゃないが……とにかく、いっぱい魔法文字を覚えて、いろんな魔法を試してみることだな」
そう言っていたエルの表情が、ふと変わった。
視線の先――彼が足を止めた近くに、一株の草が揺れている。
紫黒色の穂をつけた、イネ科のような細長い草。
どこか妖しい光沢があり、見た瞬間に目を奪われた。
「なんだろう、あれ……」
そう呟き、思わず手を伸ばした――その瞬間。
「坊! 触るな!!!」
普段は温厚なエルが、信じられないほどの剣幕で俺を睨みつけている。
驚いて手を止めると、エルは険しい顔のまま、その草を見下ろした。
「シシシッ、これは『ヴェノムモリス』という猛毒の植物だ。触れるだけでも危険だ。体内に取り込めば高熱にうなされ、三日……七十二時間後に必ず死ぬ。だが魔力だけは異常に回復する。だから昔からな、魔法師が死に際にこれを食って、敵を巻き添えにするって話があるんだ。毒に侵されながら、最後の魔法を放つ……そういう、忌まわしい草――『死の宣告』とも呼ばれている」
『
けれど、その紫黒を見たとき、胸の奥で小さな違和感が走った。
どこかで、見たことがあるような……そんな既視感。
しかし、その感覚はアイシャの声で霧散した。
「ヴェノムモリスが近くにあるなら、一刻も早くここを出発しましょう」
母の言う通りだ。
「よし! じゃあ行くか! ウィン、また偵察を頼むぞ!」
ホークが腕を掲げると、使役する
鳴き声が空に響き、まるで出発の合図のようだった。
「ステラ、次の休憩ポイントまでは馬の上で休まないか? そこからまた歩こうな」
「うん! そうする。ありがと、お兄ちゃん!」
エルが引く馬にちょこんと乗るステラは、満面の笑みで手を振った。
その姿に、俺も自然と口元が緩む。
俺たちは再び歩き出す。
妹の体調を気遣いながら、慎重に、しかし着実に前へ進み――
そして予定通り、ビサンド村へとたどり着いたのだった。
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