第4話 妹の涙

「シシシっ! 坊、大丈夫か? きつくなったらいつでも言うんだぜ」


 小柄で痩せ型、浅黒い肌をした三十前後ほどの男――エルが、馬を引きながら俺を気遣うように声をかけた。


 彼の右手には、一枚の葉を象った【草の紋章】が刻まれている。

 その力によって、群生する草の中から薬草を直感的に見分けたり、触れるだけで植物の傷みを癒やすことができる。


 ただ、魔力には恵まれず、魔法を使うことはできない。だから紋章師ではない。

 それでも、エルの存在はこの小さな傭兵団にとって欠かせないものだ。

 戦場で負傷者が出た時、彼が煎じた薬草が何度も危機を救っているとのこと。

 そのためか、いつも腰に草を刈る用の鎌がぶら下がっている。


 ちなみに、俺――いや、メナトが意識を失って倒れた時に、抱きかかえて村まで運んでくれたのも、エルだった。


「うん、大丈夫だよ。早く一人前になるために、僕も今日から頑張るんだ!」


 今まではステラと馬に乗って移動していたが、今日からは体力づくりのためにも、自らの足で歩くのだ。


 すると、すぐ後ろから、手袋をはめた大きな手が俺の頭をくしゃくしゃにかき回した。


「メナト、よく言った!」


 豪快に笑うのは、傭兵団の魔法師・スカージャー。

 赤銅色の髪を無造作に結び、常に右手だけでなく左手にも手袋をしている、明るい笑顔を見せる男。

 【曙光の鷹】の中では新参で、古くからのアイシャの知り合いという縁で入ったと聞く。


「これからはお前を一人前の男として扱う! だから、俺たちみたいに、たくさん飯を食え!」


 スカージャーは紋章を持たないが、魔法師として非常に優秀。

 別の傭兵団なら、間違いなく主力を任される実力を持っている。

 ただ、うちの傭兵団で唯一紋章を持たないことを若干気にしている節がある。


 そんな俺たちの先頭を歩くのは、父であり団長のホークと、【曙光の鷹】唯一の前衛で【剣の紋章】を授かる――剣士ヨーダ。

 ヨーダもエルと同じく魔力を持たないが、彼の本領はそこではない。


 ホーク曰く、そこらの剣士では、剣先すら触れさせられないほどの達人だという。

 寡黙で、何を考えているのか分からない。

 だが、不思議と人を圧することなく、いつも穏やかな目でステラを見ているのが印象的だった。


 夕陽が差し込む山道を、俺たちはゆっくりと進む。

 風に揺れる草の匂いの中で、俺たちの足音と息を吐く音が響く。

 その時、上空から鋭い鳴き声がこだました。


 ――ピィィィィィィィィィィィィィッ!!!


 ホークが使役している鳳鷹ほうよう、ウィンの声だ。

 この世に十羽と存在しないといわれる希少種。

 体長は一、五メートル以上、翼開長五メートルを超える世界最大の猛禽類である。

 それだけ大きければ鷲だろう……とも思ったが、鷹と言っているので突っ込むのをやめた。


「どうやら近くに蜂蜜熊ハニーベアがいるようだ! 警戒を怠るな! アイシャ、頼めるか?」


「もちろん。今日は熊鍋ね。エルは山菜を探してて」


 蜂蜜熊ハニーベア――その名の通り蜂と蜂蜜を主食とする熊。

 だが、その愛らしい名前とは裏腹に、非常に凶暴だ。

 体長は三メートルを超え、分厚い毛皮と強靭な腕で木をもへし折る。

 人間も好んで捕食するため、山の住民からは黒い悪夢と恐れられている。


 しかし、そんな凶暴な熊も、紋章師の前では無力。

 エイシャが狙いを定め、右手を前に掲げる。


『蒼氷の奔流よ、風と共に駆け抜けろ。その軌跡、凍てつく刃と成し、万物を貫け――』


 淡い蒼光がアイシャの身体を包み、魔法文字が立体的に浮かび上がる。

 先日見せてもらった【氷槍グラキア】とは違う。

 今の詠唱には、明らかにそれ以上の魔力が込められている。

 【水の紋章】がさらなる輝きを放つ。


『【氷迅槍グリシア】!!』


 叫びと同時に、空気が震えた。

 アイシャの右手から放たれた蒼い閃光は、冷気を伴いながら風を切り裂き、一直線に走ると、氷の槍が何かを貫いた音が響く。

 次の瞬間、断末魔を上げる間もなく、巨体が崩れ落ちた。




「くぅぅぅううう! やっぱ蜂蜜熊ハニーベアの肉は美味ぇな!」


 スカージャーがご機嫌に肉を頬張る。

 新鮮な肉と山菜で作った鍋が不味いわけがない。

 旨味と栄養が、疲れた体に染みわたっていく。


 皆が笑い、談笑の輪ができていた。

 ただ、ステラの様子だけが少しおかしかった。


「どうした? ステラ? 体調でも悪いのか?」


「え? そんなことないよ……お肉も美味しいし……明日も食べたいな」


 にこりと笑う。

 けれど、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。


「ただ、ちょっと疲れちゃったから先に寝るね」


「……分かった。じゃあ、送っていくよ」


「うん、ありがと。お兄ちゃん」


 ステラをテントの中の寝袋まで送り届けると、ウィンが蜂蜜熊ハニーベアの肉を咥えながら傍の枝に止まる。

 就寝する際はこうやってウィンが周囲の警戒をしてくれるので安全だ。


 だが、何か引っかかる。

 ステラの笑顔の裏に何かがあった気がしてならない。


 俺は食事を終えると、皆の談笑を背にテントへ戻った。

 すると、薄い布越しに小さな嗚咽が聞こえた。


「……お兄ちゃんは、もう一人で全部やろうとしてるのに……私はいつも、人に迷惑をかけてばかりで……」


 ステラの声だ。

 膝を抱えてうずくまる影が、焚き火の明かりに揺れて見える。


 そうか……ステラは、自分の目が見えないせいで足手まといになると思っているんだ。


 俺が力をつけると決めて自立しようとしたことが、妹を苦しめていた。


 どう言葉をかければいい?


 結局答えは見つからず、俺はステラが泣き止むのを待ってからテントの幕を潜った。

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