外壁の隙間から見える『こうよう』

@gagi

外壁の隙間から見える『こうよう』

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デマ(でま)

 辞書機能の登録に デマ という言葉はありません

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 父が約半年にわたる憲兵の事情聴取から帰ってきた。


 それから間もなくして父は、勤め先の国営企業から転勤の辞令を受けた。


 国が用意した集合住宅に、一家で移り住む。


 父の新たな勤務地は、元々住んでいた帝都から遠く離れた最南の県だった。


 国境に接する辺境の地で、私たちの集合住宅から目視できるほど近くに国境の外壁がある。


 私は最南の県に、国境の外壁近くで暮らすのがたまらなく嫌だった。怖かったからだ。


 幼い頃から親や学校から教わった話によると壁の外側は、荒涼とした荒れ地がどこまでも広がって生き物は一つもなく、有害な毒素が充満しているそうだ。


 さらに噂では、荒れ地には竜がうじゃうじゃ闊歩していて、うっかり壁から出てきた人間を狙ってよだれを垂らしているという。


 流石に竜は嘘だとしても、荒れ地の話は本当だろう。学校から、国から教わった話だから。


 私はそんな、人間が生きてゆくことの叶わない異世界と隣り合わせで生活することがたまらなく怖かった。



 最南の県は気候が帝都とは異なった。


 秋になって外壁沿いの林の葉が紅く色付いてもなお、日中は温暖だった。


 このことは暖房費の節約になるという点で、私たちにとって恩恵だった。


 最南の県に来てからの私は、学校が放課になるとすぐに外壁沿いの林に向かった。


 理由は堅果を拾うためだ。


 最南の県に越してきてから、私たちの一家が受け取る食糧配給は帝都にいた頃と比べてとても貧しくなった。


 その理由が僻地にいるからなのか、父の働きによる待遇なのか、私にはわからない。


 けれども林で拾う堅果が家族の腹の足しになったことは確かだ。


 恐ろしい外壁に近づくだけの価値があった。




 その日も学校を出た私は、すぐに外壁沿いの林に向かった。


 入口の近くに落ちていた堅果はあらかた拾ってしまっていた。


 だから林の奥、見上げるほどの外壁に触れられるくらいの端の方まで拾いに行った。


 視線を落として下草やその上に積もった紅い落ち葉、その中に隠れた堅果を探す。


 その時だった。


 紅い落ち葉の中に一枚だけ、黄色い葉が落ちていた。


 拾い上げてよく見ると、それは他の葉と異なり扇のような形をしている。


 私は顔を上げて頭上の木々の葉を見た。


 秋晴れの空の下に赤い葉ばかりが広がっている。


 黄色は一つもない。


 また葉の形もすべてが手のひらのような形をしていて、扇の形はない。


 何だろうと思っていると、ふうっと柔らかな風が私の首筋を撫でて髪を梳いた。


 その柔らかく涼やかな風はその内に、ある種のにおいを孕んでいた。


 それは腐敗臭のような棘のある臭気だった。それでいて、どことなく甘い香りも混ざっている。



 再び一陣の風がゆっくりと流れる。さっきと同様の、独特のにおい。


 その風は私の右側、外壁の方から流れてくる。


 壁の方から? どうして? そう思ってそちらに視線を向ける。


 大きな石が幾つも積み上げられた、見上げるほどの壁。


 その壁の一部から石が崩れ落ちて、ノートほどの大きさの隙間が生じていた。


 独特のにおいの風はそこから流れてきていた。


 ひらりと外壁の隙間から、黄色い葉が一枚舞って地に落ちる。


 瞬間、背筋がぞわりとして冷たく粘った汗がどっと噴き出す。


 幼い頃から教わってきた恐ろしい外界の話を思い出す。


 荒野。そして毒素。


 生き物のいないはずの空間から舞い降りた異様な葉。


 私は怖くなって林から出ようとした。


 その時、視界の隅。


 壁の隙間から何か輝くものが見えた。


 何なのかはわからない。けれど、どこか心をざわつかせる輝きだ。


 恐ろしい。早くこの場から離れたい。


 けれども、輝いたものが何なのかを確認しなければなお怖い。


 風がぬるぬると吹いて、独特な臭気が私を包む。


 視界の隅で輝きはちらちらとまたたく。



 悩んだ私はそっと外壁に両手をついて、その隙間の向こうを覗き見た。


 そこには一面の空を覆いつくす黄色の葉。


 そして地面に敷き詰められた黄色い葉。


 それらが木漏れ日を受けて黄金色に輝いている。


 想像していた荒涼たる荒れ地とはかけ離れた美しい景色が広がっていた。


 私はこの時まで、青葉か、紅葉か、朽葉しか見たことが無かった。


 このように鮮やかな黄色い葉を持つ木々を始めてみた。


 ――黄色く『こうよう』する葉もあるんだ。


 私は無意識にそう感じた。


 しばらくの間、私は隙間の向こうの黄金色に見とれていた。





 その日の夜。


 私は自分の体に悪い変化が現れるのではないかと不安で仕方がなかった。


 母が炊いてくれた配給の米の味はよくわからなかったし、居間のテレビジョンの音声は私の耳から入って脳に引っかかることはなく、再び私の耳から出て行った。


 日中の林にいた私は、壁の隙間から見える風景の黄金色に見とれて警戒心を失っていた。


 秋に黄色く色付く葉もあるんだな。初めて見た扇の形の葉をそのように、勝手に解釈した。


 風に乗ってこちらに届く独特の臭気も、嫌な臭いの棘の中に甘みがあって芳香のように感じた。



 私は夕暮れの帰り道でふと疑問に思った。


 本当に、黄色く『こうよう』する葉などあるのだろうか。


 私はまだ学生だが、それでも十数年は生きている。


 その中で黄色い葉など、扇のような形の葉など見たことも聞いたこともなかった。


 私は家に帰るまで我慢が出来ず、集合住宅の敷地内にある公園で自分の携帯端末を起動した。


 まずは『紅葉』と調べてみた。

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 紅葉(こうよう)

  落葉植物の葉が落ちる前に、葉の色が変わる現象。または、その葉。

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 と表示された。


 『こうよう』や『黄葉』などで検索をかけてみたが、それらの語は辞書機能に登録が無いと表示された。


 『黄色 葉』や『扇 葉』などで画像の検索をしたが、私の端末でアクセスできるネットワーク上に該当する画像は無いという。


 ここまで調べたときに、私は事の重大さを徐々に認識し始めた。


 背中の毛穴から汗が噴き出してチクチクとする。


 端末の辞書機能もネットワークも、全ては国の管理下にある。


 天子たる帝が科挙によって選抜した、優秀な官吏の方々によってこれらは作られている。


 そのようなものに間違えがあったり、情報の不足などがあるだろうか?


 その考えに至った時だ。


 あの黄金に輝く扇の葉が、独特な甘いにおいが、私の中で得体の知れぬ悍ましいものへと変わったのは。



 夜が深まって。


 私は自室で一人、薄っぺらい布団に包まっていた。


 けれど全く寝付けない。


 考えたってどうしようもない、とりとめのない考えが頭の中をぐるぐると回る。


 ――あの腐ったような臭気をたっぷりと吸ってしまった。あれが国の外に充満しているという毒素に違いない。私の体はどうなってしまうのだろう。もしも、朝起きて私の皮膚がどろどろに腐り落ちて、そこからあの嫌な臭気が漂っていたら……。


 ――外壁の向こう側の木々の黄色い葉。あれだって毒素に侵された末路かもしれない。国境沿いだから辛うじて木々が生えていたけれど、それらは毒が全身に行きわたって色も形も変質してしまっている。そうして、歪な黄色い林を抜けた先には生命の耐えた荒野が広がっているのだ……。


 ――もしかしたら、あの木だと思っていた黄色い葉をつけた棒は実は、竜なのかもしれない。獰悪な竜が黄金色の葉をつける木に擬態しているのだ。そうして、その美しさにぼうっと見とれた愚かな人間を、よだれの滴る顎で食いちぎるのだ。私のような愚か者を……。


 このような思考が脳内を這いずり回って恐怖心を煽るから、この夜は熟睡できなかった。


 

 カーテンの向こうが白み始めた頃。


 私は布団から起き上がって鏡の前に立った。


 そこに映る自分の姿を見る。


 目の下にどす黒い隈が出来ているだけで、体のどこも腐ってはいなかった。



 それから数日間、私は事あるごとに己の体表の変化や内臓の違和感に注意を払う生活を続けた。


 肌は平生のごとくの色をしていた。内臓にも痛みなどはない。


 しかしいつ毒素の症状が現れるかはわからない。


 不安による睡眠不足。その実害だけが目の下のどす黒い隈として現れ続けた。





 学校での一日は国民勅文の斉唱に始まり、国民勅文の斉唱に終わる。


 これは帝都の学校でも辺境の学校でも変わらなかった。


 国民勅文は天子たる帝が、我々国民を指導するために下賜されたありがたい言葉だ。


 私は未だに国民勅文を暗唱しようとすると、細かな言葉遣いを間違える。もっと精進しなければいけない。



 帰りのSHRがあって、国民勅文の斉唱をして放課となった。


 私は荷物を持って席を立ち、教室を出ようとした担任教師を引き留めた。


 ――質問があります。と、そう言って。


 私のクラスの担任教師は女性だ。学生の私よりも背が低い。


 だから、担任教師が一番質問をしやすかった。


 私が聞きたかったのは数日前の林での出来事。


 外壁の隙間から見えた黄色い葉をつける木々についてだった。


 けれど、それをストレートに聞くことはできない。


 この国で生きていくには言葉を選ぶ必要がある。


 足りない頭で言葉を選んだ結果、私はこのような奇妙な質問をした。


「先生、辞書に載っていない事柄は、ありうるものでしょうか?」


 先生が怪訝な眼差しで私を見上げる。

 

 失敗したか? 私は不安と恥ずかしさでいたたまれない気持ちになった。


 先生は特段、私の不審さを追及することなく質問に答えてくれた。


「そのようなことは基本的にはあり得ません。辞書の言葉は帝がお選びになった優秀なお役人さんたちが調べたものですから。この国の全てが網羅されています」


 ですから、と先生が続けた。


「もしも辞書にない事柄があるとすれば、それは壁の外。帝国の外においてでしょう」





 担任教師に質問した後、私は数日ぶりに外壁沿いの林に来ていた。


 赤い葉の絨毯は厚みを増して、頭上の木々は紅の衣を所々失い裸の梢を空に晒している。


 私はその林の中を、外壁に沿いながら歩いていた。


 先生は話の最後にこう言った。『辞書にない事柄、今までに見たことのない何かがあったら、すぐに教えてくださいね。それは、帝国の内にあるべきでない危険なものかもしれませんから』と。


 私は黄色い葉の木々のことを、それらが見える隙間のことを先生に伝えたかった。


 そうして私の体を検査してもらって、私を蝕む毒素の影から解放されたかった。


 けれども、私は外壁の隙間のことを担任教師に話さなかった。


 踵を返そうとする先生に隙間のことを告白しようとした時だ。


 胸の辺りから黄金色の木立あの、美しい印象がこみ上げて私の喉を塞いでしまった。


 私は今、喉元につっかえる美しさの印象に操られるがままに紅の林の中を歩いている。

 


 しばらく歩いて前方に、こんもりと積みあがった黄色い葉を認めた。


 その黄色い葉のまとまりの傍で、外壁の隙間から入ってきた新たな葉がひらひらと舞いながら地に落ちる。


 私は隙間の傍に寄って、その淵にそっと手を置いた。


 そうして隙間の向こうを覗き見る。


 扇形の葉が一面を覆いつくした黄金色の絨毯。


 空にはいっぱいの黄色い葉があって、その隙間から空の青が見える。


 より多くの陽光を受ける黄金色の風景は以前に増して輝いていた。


 想像の内では恐ろしく悍ましかった黄金色。


 実際にその色彩を網膜で受け取ればやはり、美しい。


 この鼻腔を占める独特の臭気だって、不快の中に優しい甘さを孕んでいる。


 本当なら私はこの外壁の隙間を学校に、国に報告するべきなのだろう。


 しかし今の私は、ためらいの感情を抱いている。


 なぜならば隙間から見えるこの景色が、美しいからだ。


 辞書にない黄色の葉。帝国の内にあるべきでない危険なもの。


 どうして危険であるはずのものがこんなにも美しいのか。


 帝国の内にあるべきでないものを、どうして私の心はこんなにも美しいと感じ取るのか。


 もしかしたらこの独特の臭気にはやはり毒素があって、私の感情さえもその毒で犯すのかもしれない。


 けれどもそんなことはやっぱりなくて、私はただ美しいものを美しいと本心で感じているだけかもしれない。


 あるいは私を害しているのは幼いころからの刷り込みの方で、私はありもしない幻影の荒野に怯えているのかもしれない。


 しかし帝国の教育に偽りなどあるはずがない。ちゃんと外壁の外には死の荒野があって、その内この林も壁の内側も荒野に変わってしまうのかもしれない。この壁の隙間から入り込む毒素によって。


 わからない。


 私にはわからなかった。



 その時、壁の隙間の向こうで横向きの突風が吹いた。


 枝先に付いていた扇形の葉がばらばらと飛ばされて、地面の黄色は波のように巻きあがる。


 そうして風が凪ぐと、黄色の隙間から見える青空はより一層広がっていた。



 この青空の広がりを視界に認めたとき、一つの思いつきが私の頭蓋の中で生じた。


 ――冬になったら、と。


 冬になればきっと、扇型の葉は木から全て落ちるだろう。


 それから地面の葉は白い雪に覆われて見えなくなる。


 最南の県だから雪は降らないかもしれない。


 だとしても、落葉はいずれ朽ちて土になる。


 冬になれば黄金色の風景は終わる。


 壁の隙間の報告は冬になってから、この美しい風景が終わりを迎えてからにしよう。


 それまでは壁の隙間を存分に覗こう。


 この黄金色の風景を見て美しいと感じる、自分の心に素直でいるんだ。


 そのように、私は決めた。


 独特の匂いに浴し、黄金色の輝きを瞳に焼きつけながら。

 




 



 

 

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