6

 果てしなく続いていた砂丘は、いつの間にかその色を変えていた。淡い黄褐色から、赤みを帯びた土に変わりはじめ、ところどころに石や低木が見え隠れしている。乾いた風の中に、かすかに湿った匂いが混じり、遠くには緑の影が揺れていた。その先には、帝都の外郭がうっすらと霞み、高くそびえる白い塔の先端がほんの少し見えた。


「全員、止まれー! ここで休息を取るぞ!」


  レアンドルが短く命じた。岩がいくつも重なった小さな丘は、風を避けるにはちょうどいい。

  まばらながらも木々がほどよく茂り、木陰に腰を下ろせば涼やかな風が通り抜けた。近衛兵たちは手際よく馬を繋ぎ、水袋を降ろし、陽を避ける天幕を張っていく。やがて、レアンドルや近衛兵の幹部たちが休む場所が整えられた。

 ジョセフィーヌもそこで休むように促され、セルビアから持ってきた籠を、ココアと一緒に抱え、近衛兵たちの方へ歩み寄った。


「どうぞ召し上がってください。我が国で実った、甘みも水分もたっぷりの果実ですわ」


 籠の中には、セルビアを出立する際に積み込んだ果物がぎっしりと詰まっていた。オレンジやマンダリン、無花果いちじく、香り高い林檎に桃など。セルビアは神に祝福された肥沃な大地。季節を問わず、様々な果実が豊かに実る国なのだ。


「陛下、ぜひ、こちらを召し上がってくださいませ。 我が国の果物は神に祝福された肥沃な大地で実ったもの。格別に甘く疲労回復にも役立ちますので」


  ジョセフィーヌが差し出す果物をレアンドルは快く受け取ったが、少し戸惑ったようにじっと果実を見つめたままだ。


(……はっ! もしかして、毒が入っているのではないか、と疑われている?)

 ジョセフィーヌは胸がざわつく。


 考えてみれば、彼と会ったのは、ほんの数刻前。信頼を築く時間などまだない。レアンドルは若くして帝位に就き、常に周囲の思惑と危険の中に身を置いてきた。そう、諜報員から聞かされていたことをジョセフィーヌは思い出す。


(慎重であること。それは、この方の生き方そのものなのだわ……ならば)


「陛下。私と半分ずつ召し上がりませんか? 水分たっぷりの桃など、いかがでしょう。私が剥きますので、少々お待ちくださいませ」


 ジョセフィーヌは王女とは思えぬほど手際よく、果実を滑らかに剥いていく。薄桃色の果汁が指先を伝い、陽にきらめいた。

 芳醇な香りが風に乗って広がったとき、レアンドルはふと顔を上げる。

 彼の視線の先で、ジョセフィーヌが柔らかく微笑んでいた。

  白い指先が器用に動くたび、光と香りがひとつに溶け合い、空気がやわらかく震える。

 ――その光景が、なぜかひどく眩しく見えた。

  レアンドルは一瞬、息を呑む。胸の奥に、久しく感じたことのない熱が灯った。だが、その感情を彼はすぐに押し隠した。


「いただこう……これは……驚くほど美味いな。甘みが濃く、水分もたっぷりだ。他では味わえぬほどだ」

「お気に召していただけて、嬉しゅうございます。セルビアの果実には、聖女の祈りも込められていますわ。私が朝夕に祈りを捧げ、その祝福のもとで育った果実ですから」

「なるほどな。そういえば、セルビアの王女は聖女様だと伝えられているな。このような果実を日々口にできるセルビアの民は、さぞ幸福であろう」

「はい その民たちの幸せを守るために、私はこちらに参りました。王都に着きましたら、是非相談に乗っていただきたいのです」

「ふむ、了解した。王女の表情を見る限り、何やら込み入った事情がありそうだ」


 レアンドルが真剣に頷くのを見て、ジョセフィーヌは胸の奥でホッと息を吐いた。これなら、きっと交渉できそう――そう思うと、張りつめていた心が少しずつ解けていく。


 分け合ったひとつの桃を口にしながら、ふたりの間にやわらかな沈黙が生まれた。甘い香りと陽の温もりが混ざり合い、どこか懐かしい安らぎが胸を包む。

 初対面のはずなのに、不思議と昔から知っていたような、そんな錯覚を覚えるほどに。


 その穏やかな静寂を、唐突に破る声が響いた。

「お姉様ぁーー!! お姉様ぁーー!!」

 聞き慣れた甲高い声が風に乗って響く。ジョセフィーヌが振り向くと、そこには、いるはずのない人物が、こちらへ駆けてくるのが見えた。


  その背後には、帝都へ仕入れに向かう行商の一団。セルビアを経由地として帝国に物資を運ぶ、異国の行商人たちだった。

「えっ? まさか……あれ、サラさんでは? ジョセフィーヌ様を“お姉様”とお呼びするとは……なんと身の程知らずなっ! それに、まさか異国の行商人を利用して追ってくるとは……信じられませんっ!」

 以前からサラを快く思っていなかったココアが、怒りに頬を膨らませた。


 ジョセフィーヌはあまりの出来事に声を失い、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 次の瞬間、駆け寄ってきたサラが勢いよくジョセフィーヌの胸に飛び込む。

「お姉様? ジョセフィーヌ王女には妹がいたのか? だとしても、なぜ一緒に来なかったのだ?」

  レアンドルの問いに、ジョセフィーヌが返すよりも早く、サラが一歩前へ出て口を開いた。

「実は……私、腹違いの妹なんです。母さんの身分があまりに低く、妹として正式に認めてもらえませんでした。お姉……あぅ……ごめんなさい、ジョセフィーヌ様と言わなきゃいけないんだった…… 大好きすぎて、こうして追ってきてしまいました」

 サラは涙をにじませながら、両手を胸の前で組んだ。その声音は震えていて、庇護欲をそそるものであった。


 サラの後ろから、荷馬車を率いていた行商隊の頭が現れる。

「まったく、この小娘には参りやした。いつの間にか荷台に入り込んじまっててね。帝都で姉を探すって聞かねぇ……途中で降ろそうにも『私のお姉様はセルビアの王女で聖女様なの。ここで私を下ろしたら、神罰が下るわよ』なんて脅しやがるんです。仕方なくここまで連れてきた次第で……で、お美しい王女様。この小娘、本当に妹さんですかい?」


 腹違いとはいえ、血は繋がっている。ジョセフィーヌはその男に謝罪し、迷惑をかけたお詫びとして自分が身につけていた腕輪を抜き取ると、 その男に渡したのだった。




 

 


 



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る