第2話:森の歩き方とスキルの使い道

しばらくの間、僕はその場に座り込み、ただただ周囲の状況を五感で受け止めていた。


鳥のさえずりが空から降り注ぎ、風が木々の葉を揺らす音がさわさわと耳に心地よい。鼻腔を満たすのは、腐葉土と湿った苔、そして名も知らぬ花の微かな甘い香りが混じり合った、濃厚な生命の匂いだ。


前世で僕が暮らしていたワンルームの部屋は、常にエアコンの乾燥した空気と、階下のコンビニから漂う油の匂いに満たされていた。それに比べれば、ここはまさに天国と言ってもいいかもしれない。


「……いや、天国は言い過ぎか」


独りごちて、苦笑する。


何しろ、ここは野生の動物や、もしかしたら魔物なんてものもいるかもしれない危険な森の中だ。食料もなければ、安全な寝床もない。文明の利器は一切なく、頼れるのは自分の身体と、神様にもらったばかりのよく分からないスキルだけ。楽観視できる状況ではないことは明らかだった。


「まずは、落ち着いて現状を整理しよう」


ブラック企業で叩き込まれた数少ない有益なスキルは、パニック状態でも無理やり思考を冷静に切り替える自己暗示の術だ。僕は一度大きく深呼吸をして、頭をクリアにする。


第一に考えるべきは、安全の確保。


第二に、生命維持に不可欠な水の確保。


第三に、食料の確保。


そして最終的な目標は、人間が住む集落を見つけ出すこと。


「よし。まずは水だな」


幸い、森は深く、植物が鬱蒼と生い茂っている。これだけ緑が豊かだということは、水源が近くにある可能性が高い。


僕は立ち上がり、服についた土を軽く払った。身体の調子はすこぶる良い。転生時に、過労でボロボロだった身体もリセットしてくれたのだろうか。神様の親切に感謝しつつ、僕はもう一度、例のウィンドウを呼び出してみることにした。


「ステータスオープン」


目の前に、先ほどと同じ半透明の画面が現れる。


【名前】ハヅキ・キノシタ

【年齢】24

【種族】人間(ヒューマン)

【職業】なし

【レベル】1

【HP】10/10

【MP】15/15

【スキル】

・植物操作 Lv.1


やはり貧弱なステータスだ。HP10というのは、どれくらい脆いのか見当もつかない。ウサギに蹴られただけでも致命傷になりそうだ。


気になるのはMPという項目。おそらく、マジックポイントの略だろう。ゲームなんかだと、魔法やスキルを使う際に消費するエネルギーだ。


「ということは、【植物操作】を使うと、このMPが減るわけか」


試してみる価値はありそうだ。


僕は足元に生えていた、見慣れたシダのような植物に意識を集中させた。そして、その葉の一枚が、僕の意のままに動くイメージを頭の中で強く描く。


「動け……!」


念じると、シダの葉が一枚、ぴくん、とわずかに震えた。


本当に、それだけだった。まるで風に吹かれたかのように、ほんの少し揺れただけ。しかし、確かな手応えがあった。僕の意思が、植物に伝わったのだ。


もう一度ステータスを確認すると、MPが15から14に減っていた。


「なるほど。消費MPは1か。燃費は悪くない、のかな?」


続けて、僕は近くに生えていた若木の、地面から伸びる細い枝に意識を向けた。今度は、枝がしなるように曲がるイメージを描く。


ぐにゃり、とまではいかないが、枝が確かに「くいっ」と内側に少しだけ曲がった。

ステータスを見ると、MPは13になっている。どうやら、対象の大きさや、動かす度合いによって消費MPが変わるわけではなさそうだ。今のところは、一回の発動でMP1を消費する、ということらしい。


「それにしても……地味だなあ」


思わず本音が漏れる。


葉っぱを震わせたり、枝を少し曲げたり。正直、これが何の役に立つのかすぐには思いつかなかった。もっとこう、蔓が敵に巻き付いたり、大樹の根が地面を割って隆起したり、そういう派手なものを想像していたのだが、Lv.1では夢のまた夢らしい。


「いや、待てよ」


僕は思考を切り替える。


創造ができない以上、今あるものをどう活用するかを考えるのがこのスキルの本質のはずだ。


僕は地面に落ちていた、手頃な長さの枯れ枝を拾い上げた。長さは1メートルほど。


先端は不揃いに折れている。


この枝の先端に【植物操作】を使ったらどうなるだろうか。枯れているから、もう植物とは言えないだろうか?


ダメ元で、枝の先端に意識を集中させ、「曲がれ」と念じてみる。


すると、枝の先端が、本当にわずかだが、内側に向かって「こきり」と角度を変えた。


MPは12に減っている。枯れ枝にも有効らしい。これは大きな発見だった。


「これなら……もしかして」


例えば、高い木の枝になっている木の実を採りたい時。普通の棒では届かなくても、このスキルで先端をフックのように曲げることができれば、枝に引っ掛けて揺することができるかもしれない。


あるいは、狭い岩の隙間に何かを落としてしまった時。まっすぐな棒では取れなくても、先端を曲げて掻き出すことができるかもしれない。


「なるほど。使い方次第、か」


派手さはないが、アイデア次第で色々な応用ができそうだ。前世で培った知識と、このスキルを組み合わせれば、きっと生き残れる。


そう思うと、さっきまでの心細さが少しだけ和らいだ。


気を取り直して、僕は水場を探して歩き始めた。


方角は分からないが、植物の生態からある程度の推測はできる。シダ植物や苔が多く、地面が湿っている方角。そちらに進めば、川や沢がある可能性が高い。


僕は太陽の位置から大まかな方角を把握し、足元の植生を注意深く観察しながら、ゆっくりと森の奥へと進んでいった。


周囲の木々は、見たこともない種類のものばかりだった。幹が螺旋状にねじれている木、葉が七色に輝く木、まるで動物の毛皮のような樹皮を持つ木。ここは本当に異世界なのだと、改めて実感させられる。


時折、地球にある植物とよく似たものも見かけた。キノコや木の実もあったが、もちろんそのままでは口にはしない。知識のない世界で、見た目が似ているからという理由だけで食料に手を出すのは、自殺行為に等しい。今はただ、飢えを我慢するしかなかった。


歩き始めてから、どれくらいの時間が経っただろうか。


ずっと同じような景色が続いていたが、やがて僕の耳が、微かな音を捉えた。


――サラサラ……、サラサラ……。


水の流れる音だ。


間違いない。僕は音のする方へ、逸る気持ちを抑えながら足を速めた。


木々の間を抜けると、視界がぱっと開けた。


そこには、陽の光を浴びてきらきらと輝く、幅2メートルほどの小さな小川が流れていた。透明な水が、白い川底の石の上を滑るように流れていく。


「やった……! 水だ!」


僕は思わず駆け寄り、川岸に膝をついた。両手で水をすくい、ごくりと喉を鳴らす。


ひんやりとした水が、乾いた喉を潤していく。金属臭さや泥臭さは全くない、驚くほど美味しい水だった。生き返る心地がした。


何度も水を飲み、顔を洗い、落ち着きを取り戻した僕は、ふと川岸のある一点に目を留めた。


水際に、何かが落ちている。


それは手のひらサイズの、ごつごつとした灰色の塊だった。一見するとただの石のようだが、割れた断面の一部が、鈍い金属のような光を放っていた。


「なんだ、あれは……?」


人工物、というにはあまりに歪だ。かといって、ただの石にしては、その輝きはあまりにも不自然だった。


僕は警戒しつつも、好奇心に引かれるように、その不思議な石ころへとゆっくりと手を伸ばした。

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