『植物操作』は地味スキル? いえ、前世の知識と組み合わせたら最強でした ~ブラック企業出身の僕が、異世界で始める快適サバイバル~

志村太郎

第1話:植物操作

目が覚めると、僕は真っ白な空間にいた。


上下左右、どこを見ても継ぎ目のない白が無限に広がっている。床も壁も天井もない。重力があるのかないのかすら曖昧で、ただ空中にふわりと浮かんでいるような、奇妙な感覚だけがあった。


「ここは……?」


呟いた声は、やけにクリアに響いた。


昨日、いや、さっきまで僕は会社のデスクに突っ伏していたはずだ。連日の徹夜作業で身体は鉛のように重く、目の下には隈が住み着き、カフェインと栄養ドリンクだけが生命線だった。納期直前のプロジェクトはまさに地獄で、朦朧とする意識の中、最後に見たのはパソコンのモニターに表示された夥しい数のエラーコードだった気がする。


「目が覚めたかね、若者よ」


凛として、それでいて温かみのある声が響いた。


声のした方に視線を向けると、いつの間にか、僕の正面に人型の光が立っていた。輪郭はぼんやりとしているが、その存在感は圧倒的で、直視していると目が眩みそうだ。逆光で表情は窺えないが、なぜか穏やかな気配を感じる。


「あなたは……?」


「私は、そうだな。君たちの言葉で言うならば『神』と呼ばれる存在に近いものだと思ってくれていい」


神。


あまりにも突拍子もない単語に、僕は思考を停止させた。疲労が見せる幻覚だろうか。それとも、ついに過労で頭がおかしくなってしまったのか。


僕の混乱を察したように、光の存在――神様は、静かに言葉を続けた。


「単刀直入に言おう。木下葉月君。君は先ほど、その命を終えた」


「え……?」


「死因は、過労による急性心不全。享年24。あまりにも若く、あまりにも惜しい死であった」


淡々と告げられた事実に、僕は言葉を失った。


死んだ? 僕が? あのブラックな職場で、人生をすり潰しながら働いて、あっけなく?


不思議と悲しさや恐怖は湧いてこなかった。あまりにも現実味がなくて、どこか他人事のように感じられたのだ。ただ、「ああ、やっぱりな」という妙な納得感だけが胸の中にすとんと落ちた。あの生活を続けていれば、いつかこうなることは自分でも薄々分かっていたのかもしれない。


「君の人生は、あまりにも植物に縁深いものだった」


唐突に、神様は話を変えた。


「実家は農業と林業を営み、幼き頃は土に触れ、木々の息吹の中で育った。都会に出てからも、狭いベランダでささやかな家庭菜園を続けるのが唯一の癒やしであったそうだな」


「……はい。まあ、それくらいしか趣味もなかったので」


祖父が大切にしていた盆栽。父が汗水流して手入れしていた田んぼ。母が毎年違う種類の野菜を植えていた畑。コンクリートジャングルでの生活に疲弊しきった僕にとって、ベランダのプランターで育つミニトマトやハーブの緑だけが、唯一の心の拠り所だった。


「その魂の在り方は、実に興味深い。君の魂は、草木を慈しみ、その成長を願う優しい光を帯びている。故に、私は君に一つの機会を与えたいと思う」


「機会、ですか?」


「そう。異世界への転生だ。今の君の記憶と人格を保ったまま、全く新しい世界で、第二の人生を歩む機会を」


異世界転生。


ネット小説や漫画でさんざん見かけた言葉だ。まさか自分の身に降りかかるとは。


けれど、断る理由もなかった。戻りたい場所があるわけでもない。やり残したことがあるわけでもない。あの会社に戻って、また身を粉にして働くなんて、死んでもごめんだ。……いや、もう死んでるんだった。


「謹んで、お受けします」


僕がそう答えると、神様は満足げに頷いたように見えた。


「よろしい。では、新たな世界を渡るための力を授けよう。君の魂の性質に最も適した、特別なスキルを」


神様がすっと右手を掲げると、その掌に柔らかな緑色の光が灯った。


「そのスキルは【植物操作】。君が望む通りに植物を操る力だ。成長を促し、蔓を伸ばし、根を動かす。君の意のままになるだろう」


植物操作。なんだか、僕らしいスキルだ。


実家で農業や林業を手伝っていた経験、家庭菜園で培った知識。それらが活かせるかもしれない。そう思うと、少しだけ未来に希望が湧いてきた。


「ただし、万能ではない。その力は、あくまで『そこに存在する植物』に対してのみ有効だ。何もない場所から植物を創造することはできない。また、スキルにはレベルの概念があり、最初のうちは枝を少し動かす程度のことしかできぬだろう。鍛錬を積み、レベルを上げることで、いずれは森そのものを動かすことも夢ではあるまい」


「なるほど……。制約がある方が、逆に燃えますね」


「うむ。それから、その世界には『ステータス』という概念が存在する。自らの状態を可視化できる便利なものだ。心の中で『ステータスオープン』と念じてみなさい」


言われた通りに、僕は心の中で強く念じた。


――ステータスオープン。


すると、目の前に半透明のウィンドウがふわりと浮かび上がった。まるでゲームの画面だ。そこには、僕の情報が簡潔に記されている。

【名前】ハヅキ・キノシタ

【年齢】24

【種族】人間ヒューマン

【職業】なし

【レベル】1

【HP】10/10

【MP】15/15

【スキル】

・植物操作 Lv.1

名前がカタカナになっている以外は、ごく普通、いや、むしろ貧弱とさえ言えるステータスだった。HP10って、スライムか何かに突かれたら一撃で死んでしまいそうだ。


「これが、僕の……」


「そうだ。今は見る影もないが、君の知識と経験を活かせば、そのスキルは唯一無二のものとなるだろう。レベルを上げ、知恵を絞り、困難を乗り越えていくのだ」


神様の言葉は、不思議な説得力を持っていた。


そうだ、前世では知識や経験を活かす場なんてなかった。上司の理不尽な命令と、終わらない単純作業の繰り返し。でも、今度は違う。自分の持っているもの全てを使って、生き抜いていくんだ。


「さあ、そろそろ時間のようだ。君を送り出す準備が整った」


神様の言葉と同時に、僕の身体が徐々に光の粒子となって崩れ始めた。足元から、ゆっくりと。怖さは感じない。むしろ、温かい光に包まれていくような心地よさがあった。


「あの、最後に一つだけ」


消えゆく意識の中、僕は尋ねた。


「今度の世界では……せめて、もう少し穏やかに、スローライフみたいな暮らしはできますでしょうか」


切実な願いだった。もう、納期に追われるのはこりごりだ。できれば静かな場所で、土いじりでもしながらのんびりと暮らしたい。


神様は、少しだけ黙った後、優しく言った。


「それは君次第だ。だが、君の魂が望む生き方ができるよう、心から祈っている。行け、若者よ。君の新たな人生に、大いなる祝福を」


その言葉を最後に、僕の意識は完全に光の中に溶けていった。


次に意識が浮上した時、僕の鼻腔をくすぐったのは、湿った土と、むせ返るような草いきれの匂いだった。


ゆっくりと瞼を開ける。


視界に飛び込んできたのは、幾重にも重なる木々の葉と、その隙間から差し込む木漏れ日だった。頬には、ひんやりとした土の感触。どうやら、僕はどこかの森の中で仰向けに倒れているらしい。


ぼんやりとした頭で、ゆっくりと上半身を起こす。


身体に痛みはない。それどころか、長年のデスクワークで凝り固まっていた肩や腰が嘘のように軽く、身体の隅々まで活力が満ちているのを感じた。


自分の手を見下ろして、僕はさらに驚いた。着ているものが、くたびれたスーツから、簡素な麻のシャツとズボンに変わっていたのだ。


夢じゃない。本当に、僕は異世界に来てしまったんだ。


広大な森の中、たった一人。


これからどうすればいいのか、何から始めればいいのか、全く分からない。


途方に暮れた僕は、ただ呆然と、風に揺れる木々のざわめきに耳を澄ませていた。

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