第3話:知識とスキルの合わせ技

僕が川岸で見つけたのは、子どもの拳ほどの大きさの、ごつごつとした灰色の石だった。


一見すると何の変哲もない石ころだが、割れた断面から覗く鈍い光沢が、これがただの石ではないことを物語っている。僕はそれを慎重に拾い上げた。ずしり、と予想以上の重みが手のひらに伝わる。


「この質感……鉄鉱石に似てるな」


表面はザラザラとしていて、赤茶けた色が混じっている。酸化鉄、いわゆる赤錆の色だ。実家が林業を営んでいた関係で、祖父が趣味で古式のたたら製鉄の真似事をしていたことがあり、その時に見せてもらった鉄鉱石とよく似ていた。


もちろん、これが本当に鉄鉱石なのか、この世界で価値があるものなのかは分からない。ただ、一つだけ思いついたことがあった。


「もしかしたら、火打ち石になるかもしれない」


鉄鉱石の中でも、特に黄鉄鉱パイライトという種類は、硬いものに打ち付けると火花を散らす性質がある。この石がそれと同じ性質を持っている可能性はゼロではない。


火。このサバイバル状況において、水と並んで最優先で確保すべきものだ。暖を取り、獣を遠ざけ、そして何より、食料を調理するために。


僕はその石を、麻ズボンのポケットに大事にしまい込んだ。今はまだ確証がない、ただの希望的観測だ。


さて、水は確保できた。次は食料だ。


僕の視線は、再び目の前の小川へと注がれた。澄んだ水の中を、体長15センチほどの小魚が数匹、すいーっと泳いでいくのが見える。


「魚か……。一番手っ取り早いタンパク源だな」


問題は、どうやって捕まえるかだ。


素手で捕獲するのは至難の業だろう。動きが素早すぎる。何か、道具が必要だ。

そこで僕は、神様にもらったスキルを思い出した。


「【植物操作】……」


ステータスを開き、残りMPを確認する。まだ12残っている。


何か使える植物はないかと、川の周囲を見渡した。すると、近くの木に絡みつくようにして、太いツルが伸びているのが目に入った。葉の形は見たことがないが、そのしなやかさと強度は、何かを編むのに適しているように見えた。


これだ、と僕は直感した。


「ツルで、簡易的な罠を作れないか?」


前世の知識が頭をよぎる。確か、竹やツルを編んで作ったカゴを川に仕掛けて魚を獲る「筌(うけ)」という伝統的な漁法があったはずだ。一度入ったら出られない構造の、簡易的な罠。あれなら作れるかもしれない。


僕はツルに近づき、その先端に意識を集中させた。


「【植物操作】!」


念じると、ツルがまるで生き物のように、するりと木から解けて僕の手元へと伸びてきた。これは便利だ。いちいち手で引き剥がす手間が省ける。MPは11に減った。


手に入れたツルは、思った以上に丈夫でしなやかだった。僕はそれを、地面に座り込んで黙々と編み始めた。


まずは円錐状の骨組みを作る。入口は広く、奥に行くほど狭くなるように。そして、その骨組みに沿って、さらに細いツルを巻きつけるように編み込んでいく。


幼い頃、祖父に教わって竹とんぼや竹籠を作った経験が、こんなところで活きるとは思わなかった。指先はまだ不慣れだったが、記憶を頼りに、少しずつ形にしていく。


編み込みの途中、ツルの角度がうまく定まらない箇所があった。


「ここで、スキルを使ったらどうなるんだ……?」


僕は試しに、編み込んだツルの一部分に意識を向け、「もっときつく締まれ」と念じてみた。


すると、ぎゅっ、とツルが自ら絡み合い、結び目が固く締まったのだ。MPは10に。


「すごい……! これなら、かなり頑丈なものが作れるぞ」


スキルと手作業の組み合わせ。まさに、僕にしかできないやり方だ。僕は夢中になって作業を続けた。


一時間ほどかけて、長さ50センチほどの、不格好ながらもそれらしい魚獲り用のカゴが完成した。入口には、一度入った魚が戻れないように、ツルの先端を尖らせて内側に向ける「返し」も作っておいた。MPは残り5。思ったより消費してしまったが、出来栄えには満足だ。


僕は完成したカゴを持って、小川の水の流れを注意深く観察した。


魚が集まりやすく、かつ流れが適度に速くてカゴの中に魚を追い込んでくれそうな場所。川が少しカーブしていて、岸辺に岩が転がっている場所が良さそうだ。


僕はそこにカゴを仕掛け、入口が下流を向くように岩で固定した。あとは、魚が罠にかかってくれるのを待つだけだ。


魚がかかるのを待つ間、僕は再び周囲の探索を始めた。


魚だけでは栄養が偏る。食べられる野草や木の実があれば、それに越したことはない。


僕は自分の植物知識を総動員して、食べられそうなものを探した。


「これは……ヨモギに似てるな。葉の裏が白いし、独特の香りもある。でも、少し形が違うか……」


「このキノコはダメだ。色が派手すぎる。十中八九、毒キノコだ」


見慣れた植物に似ていても、安易に口にはしない。ここは異世界なのだ。見た目が同じでも、成分まで同じとは限らない。慎重に、慎重を期して観察を続ける。


すると、少し湿った木陰に、見覚えのある植物が群生しているのを見つけた。


地面を這うように伸びる三つ葉のクローバーのような葉。その形は、カタバミによく似ている。前世では、子どもの頃に葉や茎をかじって、その酸っぱさを楽しんだものだ。


僕は試しにその葉を一枚だけ摘み取り、恐る恐る舌の先に乗せてみた。


「……酸っぱい!」


記憶にある通りの、爽やかな酸味が口の中に広がった。これなら、おそらく食べられるだろう。魚の臭み消しにもなるかもしれない。僕はいくつか葉を摘んで、ポケットに入れた。


そうこうしているうちに、川に仕掛けたカゴがガタガタと揺れているのが見えた。


「かかったか!?」


僕は急いで川岸に戻り、慎重にカゴを引き上げた。


ずしりとした重み。中では、銀色の鱗を持つ小魚が三匹、元気に跳ねていた。


「やった……! 食料確保だ!」


思わずガッツポーズが出た。スキルと知識を駆使して、自力で手に入れた初めての食料。感動もひとしおだ。


喜びも束の間、僕はすぐに次の問題に直面した。


どうやって、この魚を食べるか。もちろん、生で食べるという選択肢はない。寄生虫のリスクが高すぎる。焼く必要がある。


つまり、火が必要だ。


僕はポケットに入れていた灰色の石を取り出した。


川原で、角の立った硬そうな石をもう一つ拾う。準備は整った。


僕は枯れ葉や細い枯れ枝をかき集め、火口ほくちにする。


そして、二つの石を強く、勢いよく打ち付けた。


カチン!


鈍い音が響くだけで、火花は散らない。


「くそ、やっぱりダメか……?」


諦めかけたが、もう一度角度を変えて、石の鋭い角同士を狙って打ち付ける。


カチッ!


その瞬間、閃光が走った。


ほんの一瞬、オレンジ色の火花が散り、僕がかき集めた枯れ葉の一部に燃え移った。


「ついた!」


僕は慌てて、息を吹きかける。ふーっ、ふーっ。


小さな火種は、僕の息を受けて徐々に力を増し、やがてパチパチと音を立てて小さな炎へと成長した。


異世界に来て、初めて手に入れた文明の光だった。


僕は魚の内臓を取り出し、小川の水で綺麗に洗う。そして、拾ったカタバミに似た葉を腹に詰め、適当な枝に突き刺して、即席の串焼きにした。


炎にかざすと、じゅうじゅうと音を立てて魚の表面が白く変わっていく。香ばしい匂いが立ち上り、僕の空腹を強烈に刺激した。


十分に火が通ったのを確認し、僕は熱いのを我慢しながら、魚にかぶりついた。


「……うまい……!」


塩も胡椒もない。ただ焼いただけだ。


それでも、パリッとした皮の香ばしさ、ほくほくと柔らかい白身の淡白な旨味、そしてカタバミの葉のかすかな酸味が、信じられないほど美味しかった。


夢中で三匹の魚を平らげ、僕は満腹感と共に、地面に仰向けになった。


水も、食料も、火も手に入れた。


生き延びた。今日一日は、間違いなく生き延びることができた。


空を見上げると、木々の隙間から見える空が、少しずつオレンジ色に染まり始めていた。


「そろそろ、夜が来るな……」


次の課題は、夜を安全に越すための寝床の確保だ。


僕は満たされた腹をさすりながら、静かに思考を巡らせ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る