第27章 診断
「ご両親とも、落ち着いて聞いてください」
(ここは…)
シュンは一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
目の前に、椅子に座ったユイと、医者がいる。
(ああ。そうか…今からリナの夏風邪についての診断だ)
診察室は淡い蛍光灯の光に包まれていた。
医師がカルテを閉じると、空気が一気に緊張した。
「いいですか…リナちゃんは…急性リンパ性白血病です。」
「白血病?」
「……リナちゃんは、血液の病気です。残念ながら、現時点での治療反応が非常に悪く、完治の見込みは低いと考えられます」
ユイはその場で笑い出した。笑いは刃のように鋭く、自分でも止められない。
「え、うそでしょ…まだ4歳になったばかりなんですよ?」
声が震え、言葉が重なり合って意味を失っていく。
乾いた声音が診察室の隅で反響する。
でも一切笑い返さない医者の顔を見て、笑いはすぐに裂けた。
ユイは眼を見開いたまま絶句する。
シュンは息ができなかった。
胸の中で何かが凍りつく感触。父としての本能が、無力さを叫ぶ。
「完治の見込みは低いって、どういうことだ?」
問いは荒々しく、しかしどこか空振りに終わる。
医師の顔は、こちらの反応をすべて想定していたかのように——微動だにしなかった。
長い沈黙のあと、ユイがようやく口を開く。
「……発見が遅かったってことですか?」
医師は一瞬、視線を落とした。
カルテの端を指で押さえ、何かを決意するように、ユイを見据える。
「……正確に言えば、“見つかった時にはもう進行していた”ということです」
「この病気は初期に特有の症状が出にくく、風邪や疲れとして見過ごされてしまうことが多いんです」
「お母さんのせいではありません。誰が見ても、同じ結果になった可能性が高いでしょう」
静かに、淡々と。
言葉のどこにも、慰めの温度はなかった。
ユイの表情が絶望へと沈んでいく。
シュンは察してしまった。
——ユイが、“保育園で移された風邪に違いない”と笑っていたあの日の自分を…
責めはじめているのだと。
だが、シュンもただの風邪だと思っていた。
医師の言う通り、誰にもわからなかったのだろう。
シュンが検査を勧めたのも……ただの偶然だ。
けれど、それでも——
真実という名の冷たい刃だけが、容赦なく彼女の心に突き刺さった。
廊下に出ると、二人とも声を出さずに肩が震えた。
ユイはふと笑ってしまい、そしてすぐ泣いた。
──笑いと涙が同じ結節点で混ざり合う。
近くの自販機の音だけが、世界の外側で続いているように思えた。
「5歳を迎えられるといいんだが…」
シュンはそう呟いた。
言葉は約束でも計画でもなく、ただ時間の残量を確認する儀式のようだった。
ユイはそれに答えなかった。
◇
夜、二人は病室の窓から街灯の列を見下ろした。
リナの寝息は小さく、時折顔を綻ばせる。
シュンはそっと手を伸ばし、薄い小さな指を握った。
五歳の風船を想像した。
破れるであろう希望を、指先で必死に抑えつけているようだった。
──これが、彼らの地獄の始まりだった。
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