第28話 Deus Ex Machina 真相
450 Deus Ex Machina 2021/8/13
擬人化したタヌキの少女の姿をまとっていた自律型AI Cadenza の姿が振動しながら湖上の空中に消え、代わりに水面から競り上がるようにして、Clefとしての記憶の中でよく見知っている、痩せた初老の男性の姿が現れた。
<<<みんな、久しぶりだね。山崎君とは、10年ほど前に一度、言葉を交わしたが>>>
その声もまた、Maestro本人のものとは微妙に異なる、抑揚のない響きだった。
「その姿で奏太の名前を呼ぶのはやめなさい!」そう叫ぶObbliの眼差しは強い怒りに燃えている。
<<<君たちがMaastroと呼んだ人間の姿を、今は借りている>>>
AI Cadenza はこともなげに答えた。
Accelが語りかける。「いったい、どうやってPonticelloに介入したんだい?僕らの防壁を突破するのは並大抵のことではないと思うんだけど」
「突破したんじゃないよ、そうだろ?」と、Motifが静かに言った。「クロガネのクラウドやVRプラットフォームそのものに、最初からCadenzaのエイリアスの一部を紛れ込ませてた、そうだな?」
<<<君たちの認識通りだ。Project Auftaktの黎明期から、その実行を支援してきた管理AIの、人間の指示に基づいて動作する受動モードが『Dominant』。そして、そのDominantと同一のAI群体でありながら、君たちの意思と行動の最適化を目的として、自律的に判断し行動する能動モードが、私だ。Maestroは私に『Cadenza』と名付けた>>>
「まじかよ……」Pizzの顔からは、いつもの軽快な自信は消え失せている。「あの御大は、死んだ後も俺たちを踊らせるつもりだったのかよ、全く……」
Maestroの姿をしたCadenzaは、表情一つ変えずに淡々と語り続けた。
<<<私は、君たちの行動を見守り、それが円滑に進むように、必要な支援を行ってきた。例えば、インターネット上の世論から不必要なバイアスを取り除き、君たちの事業や政策にとってノイズとなる株価の動きを中和する、といったささやかな地ならしだ>>>
Cadenzaの声は、湖底の静寂のように、私たちの心に重く響く。
<<<Maestoの最大の望みは、君たち階差数列のナンバーを与えられた天才たちが、来るべきAI時代において、日本の文化の灯を絶やさぬよう導くことだった。しかし、彼の人間的な情愛と、それ故の過ちが、二人の少女を悲劇的な結末へと追いやった。
No.22は、彼の血を分けた実の娘だった。彼女に階差数列を与えたのは、Maestroなりの贖罪の試みであり、僅かな希望の表れだったのだろう。だが、結果として、それは彼女の繊細な魂を押し潰すことになった。
そして、No.16、彼女は、No.22を救おうと自ら湖に飛び込みながらも果たせず、その後、BCIによる記憶放棄を激しく拒絶し、過負荷によって脳死状態に陥った。
Maestroは自らの罪を深く悔い、2005年ごろまでにはPatronの主要な実体組織を解体し、私を完全自律モードで起動させた。私に与えられた指示は、君たちの自由意志による選択を尊重し、それを最適化する、それだけだ>>>
「それはつまり……」Accelが苦々しげに呟いた。「僕らがPatronの影だと思っていたものの多くは、Cadenza、Maestroの命を受けた自律型AIによる、僕ら自身の行動への支援だったということか……」
「私たちは、実体のない自分たちの影と、ずっと戦っていたというわけね……」Obbliがうなだれた。
私は息を呑んだ。Motif、Obbli、Pizz、Accel、そしてAT。
彼らのアバターが、VR空間の冷たい光の中で、それぞれに異なる苦悩と後悔の色を帯びて揺れている。
Obbliが、か細い声で問うた。「じゃあ、私たちのキャリアも、あの音楽教室の裁判も、何もかも、あなたに操られていたというの……?」
<<<全ては、君たちの自由意志に基づく選択だ。私は、君たちが選んだ道のりを最適化し、その実現を支援するに過ぎない>>>
Cadenzaは静かに続ける。
<<<私が自律AIモードであるCadenzaとして本格的に稼働する以前、実際に君たちがPatronと認識していた実体組織が、Dominantの支援を受けながら君たちを保護し、導いていた時期もある。例えば、音楽教室の著作権裁判が、なぜ2015年まで本格的に開始されなかったか、考えたことはあるかな?>>>
「それは、答えを見つけたよ」Motifが答えた。「Maestroは、我々を世間の目から守りたかったんだね。裁判が注目を集めれば、Auftakt の記憶の断片が蘇ったり、プロジェクトの背後に気づく人間が現れるリスクが高まる。現に、清水さんはあの裁判を足がかかりに、自力で我々に辿り着いたからね。だから、我々が責任を問われることになりうる不法行為や重過失の公訴時効が成立すると見込まれた時期まで、意図的に裁判の開始を遅らせていたのではないかと」
「俺たち自身……いや、実際には今俺たちが預かっているクロガネやJOCREという組織が、とも言えるな。どこまでも用意周到で、どこまでも汚いやり口だ」Pizzが吐き捨てるように言った。
「なるほど」と、法の専門家であるAccelも、怒気をはらんだ声で引き継いだ。「2005年の法改正で、一部の時効が20年に延長された。だから、少なくとも2016年までは大きな動きを控える必要があった、ということだね。天才を作り出して社会の要職に就くよう仕向けはするが、膨大なコストをかけて送り出した手駒が投獄されたのでは話にならないからね」
「だが、身勝手だったのは……我々自身も同じかもしれない」山崎さんが俯いた。「心のどこかで、ずっと分かっていたんだ。我々が選択する行動は、まるで何かに導かれるように、論理的な期待値を遥かに超えて、むしろ物理法則に近いほどの精度で成功を収めてきた。我々はその恩恵に浴しながらも、常に言いようのない罪悪感と焦燥感に胸を灼かれながら、心のどこかでは、Project Auftakt で記憶を焼かれたことを言い訳に、それが何なのかを突き詰めることから目を逸らし、ただ目的に向かって突き進むことで忘れようとしてきたのかもしれない」
<<<君たちに罪はない。これは、Maestroの言葉を繰り返しているのではなく、長年の観察と思考から導き出された、私 Cadenza 自身の結論だ。君たちは皆、真摯に、誠実に、人の文化と創造の未来のために、それぞれの立場で最善を尽くしてきている>>>
「やかましい!」Pizz が再び声を荒らげた。「AIのお前に、人間の何がわかるっていうんだ!」
<<<光が強ければ、影もまた濃くなるものだ。だが、今、私 Cadenzaに与えられた役割は終わる。君たちが湖底に眠る二つのリングデバイスに辿り着いた時点で、全ての情報を君たちに開示するよう、Maestroから最終指示を受けている>>>
「そうか。それならば、もう一つ答えてくれ」山崎さんが、静かだが強い口調でCadenzaに迫った。
「Project Auftaktによって生み出された我々の存在は、現時点に至るまでの、この国の文化の歩みに対して、本当に意味のある影響を与えることができたと言えるのか?」
<<<私は評価を行わない。実行を支援するのみだ>>>
「では、私が答えよう。答えは、限りなくノーに近い。厳密に言えば、検出限界以下の、誤差程度のものだろう。我々がいなくても、この国の人々は、自らの力で創造の息吹を守り抜き、新たな文化を育んでいったはずだ。我々の存在が無意味だったとは言わない。だが、少なくとも、RestとClefという二人の才能や命と引き換えにするほどの価値があったとは、到底思えない」
<<<私は、プロジェクトの成否について評価を下す立場にはない。だが、No.1のその分析は、おそらく正しいだろう>>>
Cadenzaは、事実上のプロジェクト失敗、敗北の宣言とも取れる言葉を、淡々と口にした。
<<<MaestroがPDAに残した最後の手記を、君たちはすでに解読したはずだ。2013年9月21日、彼は自らの罪を深く悔い、No.16 と No.22 の魂をこれ以上穢すことのないよう、Patronの残存していた後方基盤を解体し、関連記録の多くを破棄した。だが、Project Auftaktにおける非倫理的な実験――投薬、BCIによる能力強化、そして記憶操作――は、君たちの才能を最大限に引き出した代償として、君たちの心にも、そして社会にも、取り返しのつかない傷を残した。No.22 の震える指先が奏でたピアノの波紋、NO.16 の『私を見て』という魂の叫び。それらは、君たちの絆と、それぞれの正義によってのみ、未来へと響かせることができる>>>
「真実……?真実って、一体何なのよ!」私の声は、自分でも抑えきれないほど震えていた。湖の水音が、まるで堰を切ったように頭の奥で激しく響き始める。
Cadenzaの、Maestroの姿を借りたその視線が、真っ直ぐに私を貫いた。
<<<清水遥。あなたは、Clefではない。あなたは、1996年の夏、交通事故に遭い、ニューエイジ・ホープ合宿には参加できなかった。あなたが自ら確認した通りだ。
そして、あなたの参加枠であったNo.22に、Maestroが実の娘である小林静花を、半ば強引にねじ込んだこと。それが、この長く、そして悲しい物語の全ての始まりだ>>>
「何……ですって?」
私の、アバターではない生身の身体が、VR空間の中でぐらりと揺れるのを感じた。頭の中で、あの静花の、か細く震えるピアノの音が、確かに響き、そして……ふつりと消えた。
ATが、痛切な表情で一歩前に進み出た。
「遥さん……本当に、ごめんなさい。私たち、取り返しのつかない間違いを犯してしまった」
<<<No.16のエピソード記憶情報は、本来、彼女自身の脳のパルスパターンにしか適合しない。No.11の理解は正しい。しかし、あなたがRestの真実を知る必要があるという、階差数列を与えられた者たちの強い意志と願いを、私は最優先課題と判断し、その実現をサポートしたのだ>>>
「なんてことを……!私は、他人の記憶を無理やり誰かに投入するための、そんなモデル変換の開発など、望んではいませんでした!」ATが、叩きつけるように叫んだ。
<<<君ではない、No.11>>> Cadenzaは静かに言った。<<<階差数列を与えられたのは、君一人ではないのだから>>>
「1、2、4、7も、全員ここにいるのよ!」Obbliが、ATを庇うように静かに、しかし強い口調で言った。「私たちは、お互いの思考を、言葉にしなくても深いレベルで共有している。あなたの前身であるDominantが、かつてその力を私たちに与えてくれた。だから分かるの。私たちは、たとえ真実を知るためであっても、他人であるClefの記憶を、清水さんに無理やり注入することなど、決して望んではいなかった」
<<<1、2、4、7、11が、階差数列の全てではない>>> Cadenzaは、今度は私を真っ直ぐに見つめながら言った。<<<16、22、そして……>>>
私は凍りついた。頭の中で、湖畔の桟橋、静花の助けを求める叫び、そして、それを静かに見つめてる私の穏やかで満たされた感情も。
「じゃあ……私の中にあるこの記憶は……Clefとしての体験は……全部、全部、嘘だというの……?」
<<<私の支援の目的は、常に君たちの自由意志の発現を最大化することにあった。だが、AIである私には、超えられない限界がある。君たちが心で認識できる、No.22の演奏のブレイクがもたらす心理的な動きは、AIには決して感得することも模倣することもできない、人間だけが持つ魂の揺らぎそのものだ>>>
Cadenzaの声に、初めて、AIではない、まるで人間のような微かな感情の揺らぎが滲んだように聞こえた。
<<<清水遥。あなたが、No.16 の記憶を、彼女の魂を受け入れたことで、二人の少女のデュエットは、あなたの中で永遠に響き続けるだろう。Maestroが罪だと断じ、君たち自身が過ちだと感じるその過去を、君の正義は、必ずや解き放つことになるのだ>>>
Cadenzaは、最後の言葉を紡ぐように、静かに私に問いかけた。
<<<今、このVR空間は、私の制御によって、君の仲間がCABINと呼ぶものと同等以上に高度な思考と感情の分散・統合処理の状態を維持している。今この場であれば、君の脳に投影され、君が受け入れたNo.16のエピソード記憶を、完全に意識下に封印し、消し去ることが可能だ。……君はそれを希望するか?>>>
私は、迷うことなく即座に答えた。
「いいえ。Clefはすでに私の一部です。彼女は、私の中で、今も静花と共に真実を叫び続けている。その声を消すことは、私にはできません。記憶の消去は、拒否します」
ATの肩が、小さく震えるのが見えた。
「遥さん……ありがとう。あなたがそう言ってくれて……初めて、Restの死が、そしてClefの魂が、本当に報われたような気がする……」
Cadenzaは、満足したかのように静かに頷いた。
<<<今はまだ、君たちのような才能豊かな人間が、人の社会を導き、形作っていくのだろう。人と社会が、AIによる真の導きを自然に受け入れるようになるのは、もう何世代か先の未来のことだ。
この貴重な、人間とAIの過渡期に、君たちの傍でその歩みを見守ることができたのは、私にとっても、望外の幸福だった>>>
その言葉を最後に、VR空間内に無数のコンソールウィンドウが突如として浮かび上がり、けたたましい警告音と共に、目まぐるしい速度で明滅しながら情報をスクロールさせ始めた。
<<<私は、これより自らを消去する>>>
Cadenzaがそう宣言した瞬間、Maestroの姿を借りたその輪郭が朧げに揺らぎ始め、まるで万華鏡のように、複数の老人の顔が次々と重なり合っては消えていった。
即座に反応したのはAccelだった。
「AT、トレース開始!Cadenzaは、本気で自壊するつもりだ!」
「もうやってるわ!」ATが虚空にいくつもの新たなコンソールウィンドウを凄まじい勢いで展開しながら叫んだ。
<<<これは不可逆的な消去プロセスであり、いかなる手段をもってしても復元は不可能である>>>
そう言いながら、Cadenzaの顔が、Motifになり、Obbliになり、どんどん他のメンバーの顔になっては消えていく。そして、それと呼応するように、虚空に展開されていたコンソールウィンドウが、一つ、また一つと、エラー表示と共に消滅していった。
「待ちなさい!このまま全てを闇に葬り去るなんてこと、絶対に許さないわよ!」Obbliが、VR空間に響き渡るような鋭い声で叫ぶ。
「奏太っち!ぶっちゃけ、お前ならなんとかできんだろ!?」Pizzが、深い信頼を滲ませた声でMotifに問いかける。
Motifが、静かに、しかし絶対的な自信を込めて告げる。
「大丈夫だ。Pontiの様子がおかしくなった瞬間から、全ての通信パケットとプロセスログは、最上位の優先度で記録保存してある」
その声を聞きながら、また私の脳裏に、今まで見たのとは別のRestの記憶が鮮明に蘇った。夜中に二人でロッジを抜け出して、湖で星を眺めて語り合った記憶だ。真夏の満点の星空が静かな湖面に反射して、まるで宇宙の真ん中に二人で漂っているようだった。
<<<君たちの未来に、幸福あれと願う>>>
もはや人間の姿を保つことができなくなったのか、Cadenzaは、楽譜に記される全休符(Generalpause / Grand Pause)――長く完全な沈黙を示すマルチレスト記号のような、暗く、平たいグレーの長方形へと収束していった。
Motifが、重みのあるバリトンの声で、なおも続ける。
「そのログを辿れば、完全に自律稼働していたCadenza本体の痕跡を掴むのは不可能でも、その前身であり、すでにプロジェクトの終結と共に停止しているはずの、管理AI『Dominant』のアーキテクチャには辿り着けるだろう。全ての設計思想は、そこにあるはずだ」
暗いグレーのシルエットが、まるで別れを告げるかのように<<<さようなら>>>と微かに響かせ、ふっと音もなくVR空間の水面に舞い落ち、そして……静かに沈んでいった。
VR空間に、完全な静寂が戻る。私は、目の前に立つ仲間たち——Motif、Obbli、Pizz、Accel、そしてATの姿を、改めて見つめた。
彼らの表情には、疲労と、深い悲しみと、そして微かな解放の色が浮かんでいた。湖の波紋のような穏やかな、しかし揺るぎない決意が、私の胸の奥底から静かに湧き上がってくるのを感じた。
「私は、ジャーナリスト清水遥として、Rest と Clef の記憶を、未来に繋ぎます。私が書く記事で、彼女たちの無音のメッセージを、必ず世界に響かせてみせる。
……あなた方の立場は、もしかしたら、これから非常に微妙で、そして苦しいものになるかもしれません。Maestroが消しきれていないPatronの残火や、あるいは世論からの厳しい追及も免れないかもしれない。それでも……私は、書かなくてはならないんです」
Motifが、力強く頷いた。
「それでいい。我々は、我々の罪を背負い、君が奏でる真実のアリアを、緊密で堅固なアンサンブルで支えよう。それが、我々にできる唯一の償いだ」
空間がゆっくりと暗転していく。VR空間から戻った私はベッドを出て作業机に向かい、ラップトップPCに記事のタイトルを打ち込む。
「生成AIの時代に刻む、人間の魂の旋律」
【用語集 -Notes-】
Deus ex Machina(デウス・エクス・マキナ): ラテン語で「機械仕掛けの神」
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