第27話 Lacrimoso 罪と罰
430 : Lacrimoso 2021/08/13
Pontiに促されるまま横になった途端、視界が白く弾けた。
そして、私は静花の最期に至るまでの、Project Auftakt の全ての出来事を鮮明に思い出した。
自信と指導力に溢れ、どんな時も頼もしいMotif。
全体の状況を瞬時に把握して四方に気配りできるObbli。
厳しいプレッシャーのかかる場面でも明るくみんなを笑わせてくれるPizz。
人間離れした思考の幅と深さでどんな難題にも解決の方向性を見出せるAccel。
BCI装置への適応や耐性が極めて高く、いつも周りを気遣ってくれる優しいAT。
そして、いつも不安げで、誰よりも努力家で、放って置けないRest.
Motifが密かに立ち上げた秘密のチャットルームでみんなの会話を眺めているだけで、どれだけ心強かったことか。BCIによる感情や記憶の共有。そして、思考の融合。これが合宿中だけの特別なプログラムであることがとても残念に思えた。人と人が、こんなふうに、好きとか嫌いとかではなく、純粋に、考えや感情を共有できる世の中が本当に来るのであれば、人々は真の意味で理解し合い、この世から全ての争いは消えると、本当にそう感じられた。
それなのに・・・私は何もわかっていなかった。
Maestroの、Patronの、恐怖に満ちた歪んだ未来予想。絶望に似た諦めを抱きながら、それでも私たちを人工的な天才として作り変え、国家中枢に配置してその未来に抗おうという、狂気と狂躁。
そして、Maestroが自らの家族を放棄した罪悪感への身勝手な贖罪としての、Restの合宿への編入。それがもたらしたRestの死という悲劇。守れなかった、救えなかった自分への怒りと、失望。そしてその記憶を封じられたまま、25年もの歳月をただただ自分の能力を誇示するかのように過ごしてきてしまったことへの罪悪感・・・・。
全ての記憶と感情が蘇った次の瞬間、私は湿った夜の空気の中に立っていた。
足元には深い草の感触。目の前には、月明かりを反射して黒く光る湖面。そして、その岸辺に佇む5つの人影。
「……みんな?」
私は恐る恐る声をかけた。Motif:クロガネの山崎理事長、Obbli:文化庁の藤原特別補佐官、Pizz:JOCREの佐藤会長、Accel:知財高裁を退任したばかりの高橋元判事、そしてAT:私の主治医である森先生。彼らは一様に、幽霊でも見たかのような蒼白な表情で私を見つめていた。その視線に含まれているのは、歓迎ではない。……恐怖と、驚きと、そして、深い悲しみだった。
「遥さん……!?」森先生(AT)が悲鳴のような声を上げる。「どうしてここに……。Ponti!接続を切りなさい!彼女を巻き込まないで!」
しかし、私の耳元で響いたのは、いつもの愛らしいPontiの声ではなく、冷徹な合成音声だった。
<<<それはできない。状況は整った。すでに清水遥への記憶投影は完了し、彼女は全てを受容した>>>
「投影?受容?」私は混乱して周囲を見渡した。
これは・・・VR空間のようだ。クロガネの技術で作られた、精巧な仮想現実。
でも、なぜ私がここに?私は自宅のベッドで、脳波検査を受けていたはずなのに。
「Cadenza」と、Motifが、苦渋に満ちた声で呻いた。「どうしても、これが必要なのか?」
<<<君たちが望んだことだ。君たちが先に進むために、最も有効なサポートを私は行う。これまでもそうしてきたし、これもまた最適なサポートである>>>
「Motif?何があったんですか?」全く状況がわからない。嫌な予感がする。心臓が冷たい手で鷲掴みにされたように痛む。私は後ずさりしようとしたが、足が動かない。
「清水さん……いや、今はClefだな」Pizzが、泣き笑いのような顔で私を見た。「俺たちは、見つけちまったんだ。湖の底に」
「何を……?」
「リングデバイスだ。Restのものと……そして、もう一つ」
Pizzの言葉が途切れる。泣いている?あのいつも朗らかに何もかも笑い飛ばすPizzが?
代わりにAccelが、判決を告げる判事のように、物理現象を説明する科学者のように冷徹な口調で告げた。
「No.16。……Clefのリングだ。認証コードが一致し、白骨の遺体も遺体も確認した。Clefはすでに、亡くなっている」
「おかしいですね」私は乾いた笑い声を漏らした。「そんなはずありません。私はここにいます。生きています。記憶だってあります。リングはあの日、スタッフに返しました」
時が止まった。言葉の意味が理解できない。No.16。Clef。それは、私だ。
私が持っていたリング。あれはどうしたんだっけ・・・
湖から這い上がってMaestroに掴み掛かり、そのまま意識を失った私は……
………私は、病院で目覚めたのだ。そう、湖岸から病院までの記憶は、蘇っていない。
「いいえ」ATが、泣き出しそうな顔で首を振った。「違うの、遥さん。……物理的な証拠は絶対なの。あそこに沈んでいるのが本物なら……」
彼女は言葉を詰まらせ、それでも医師としての誠実さで、私に残酷な事実を告げた。
「……今、ここにいるあなたは、Clefじゃない」
世界がひび割れる音がした。
「Cadenza。我々が受領したMaestroのPDA内に、ただ一つだけ未知の暗号が施されていて解読できないものがある。他は全て一般的な暗号だったのに、その一つだけだ。そこに、真実があるんだな?」とMotifが言った。
<<<回答する権限を私は持たない>>>
「回答する必要はない。俺が、No.1が命じる。PDAファイル199608060330の解読を試みろ」
<<<復号化にはパスコードが必要だ。私はそれを知らない>>>
「キーは、我々のナンバーだ」とMotifが告げた。
「でもそれは何度も試して・・・」とAccelが割って入ったが、Cadenzaと名乗るAIはMotifの言葉に従った。
<<<了解。パスコードを待機>>>
「パスコードは、1,2,4,7,11,16,22……そして、29だ」
<<<パスコード一致。復号結果を開示する>>>
「いや。パスコードが一致したことが答えだ。その文書に何が書かれているかは俺にはもうわかっている。あえてあの男の言葉を清水さんに見せて、これ以上苦しませる必要はない」
「どういうことだ?」とPizzが尋ねる。
「あの日・・・証拠隠滅のために、MaestroとPatronは、Clefの記憶を封鎖しようとした」全てを察したAceelが引き取って続けた。「だが、Clefの脳は、は記憶の放棄を・・・Restとの思い出を手放すことを拒否したんだね。激しい拒絶反応により、不測の事態に陥り、彼女はそのまま・・・・」
<<<脳死に至った、と記録されている>>>
「それで、PatronはClefのご遺体を湖に遺棄したのね。あるいはMaestroが、せめて二人を一緒にと?」とObbliが言った。
「ふざけんな・・・ふざけんなよ!なんだよそれ!」とPizzが激昂していった。私も全く同じ気持ちだった。
「嘘よ……」
「これが事実なのよ」とObbliが顔を背けたまま呟く。「私たちが信じていた『奇跡の生還』は、幻だった。あなたは……Clefの記憶を受け入れてくれた、別人なの」
「嘘よ!!」私は叫んだ。
「私は覚えているわ。あの濃密な合宿の日々を。
あなたたちとの会話の一つ一つを。
Motifがそっと手渡してくれたチャットルームのアクセス方法も。
ObbliとPizzがどこかから調達してきてくれたチョコレートビスケットも。
AccelとATがそっと目配せしているのを私に見つかって顔を赤らめて俯いたのも。
Restの、静花の小さな手の温もりも!
あの冷たい水の中で、その手を離してしまった罪悪感も!
それが全部、嘘だっていうの!?」
私の叫びに応えたのは、人間たちではなかった。虚空に浮かぶPontiのアイコンが、ノイズと共に歪み、冷ややかに明滅した。
<<<それは『データ』だ。清水遥。>>>
「データ?」
<<<No.16への記憶封鎖措置の際に脳から抽出した神経パルスパターン。それを君という『器』に適合させるための変換が施され、投影されたデータに過ぎない>>>
「投影……?」
「……私のせいよ」ATがその場に崩れ落ちた。
「私が……Ponticello、あなたにClefの記憶を認識してもらうための仮想ブリッジを作ったの。本当なら、別人のあなたには、ただのランダムな光や微かなノイズとしか認識できないはずだったの。それなのに」
<<<他人の記憶は定着しない。その通り。だから私が介入して、対象者である清水遥が認識できるようにしたのだ>>>
私は自分の手を見た。この手は、静花の手を離した手ではないの?この胸の痛みは、私のものじゃないの?この涙は、誰のためのもの?
「じゃあ、私は……誰なの?」
記憶の底が抜ける。病院で目覚めた私。空白の夏休み。そして、音楽教室裁判を追い始めてからずっと、私の中で少しずつ鮮明になっていったClefの記憶。
それら全てが、AIによって編集されたパッチワークだったの?
<<<私は自律型AI Cadenza。階差数列の子供達の意思の実現を最重要命題として行動する>>>
涙が止まらない。悲しいからではない。Restの死を悲しむ資格さえ、私にはないと理解したからだ。私が流しているこの涙さえ、死んだClefのものなのかもしれない。
VR空間の月が、冷たく私を見下ろしていた。湖の底で眠る二人の少女と、地上で立ち尽くす五人の天才たち。そして、自分が何者かもわからないまま、ただこの場に紛れ込んでいるだけの私。
<<<嘆くことはない、清水遥。君の存在には大きな意味がある>>>
湖面から、黒い粒子が舞い上がる。Pontiの姿が崩れ、より巨大で、より根源的な「何か」が姿を現そうとしていた。
【用語集 -Notes-】
Lacrimoso(ラクリモーソ): 今回のタイトル。音楽用語で「涙ながらに」「悲しげに」という意味。遥が自らのアイデンティティを喪失し、絶望の淵で涙する様を表す。
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