第21話 Giocoso 戯れに
320:Pizzicato 2021/03/17
2021年3月17日、午後。東京・渋谷。JOCRE(日本創作者協会)本部ビルの最上階。会長室のガラス窓からは、初夏を思わせるような陽光が明るく差し込み、室内には軽快なジャズが低く流れていた。
俺は、会長席の机の前で、実用性・作業性最優先のゲーミングチェアに腰掛けて今か今かと来客の訪れを待ち侘びていた。
もともと、今日の午後の予定は全部キャンセルしてある。例の裁判の知財高裁判決を明日に控え、俺たちは確実に訪れることになる大混乱への対応に備えていた。
その前に、いよいよ念願のご対面だ。知財分野のエキスパート記者、清水遥。彼女は知る由もないが、俺たちはもう6年も彼女を見守り、主治医のポジションに配置した仲間のATの保護下で記憶の奔流の暴走を抑え、完全に準備が整うのを待っていた。No.16---Clefが、自分自身の記憶を、完全な形で、Clef自身に危険の及ばない形で呼び起こせる日を。
来客が案内されてくると、俺は立ち上がって出迎えた。
「佐藤会長、直接お目にかかるのは初めてですね」と、物腰は穏やかながら、ほとんど殺気と言って良いほどの緊張感を放ちながら清水記者が言った。
「清水さん、ずっと待ってましたよ。あなたにお目にかかるのを」
「待っていた?取材をお願いしたのは私の方ですけど・・・」
「そりゃそうだ」と俺は戯けて言った。「でもね。早く来てくれないかなって待ってたのは本当だよ」
一気に距離を詰めようとする様子を露骨に見せることで、相手は戸惑い、一歩引いて身構える。そして、その瞬間、主導権はこちらにうつる。初歩的な会話術だが、さすがは敏腕記者。そのような小細工に動じる様子はなかった。
「光栄です。では早速ですが、音楽教室裁判の控訴審についてお伺いします」
俺は軽く肩をすくめて頷き、応接セットのソファに移動して彼女の着席を待った。
「何なりとお答えしますよ。透明性こそがJOCREのよって立つところだからね」と俺は答え、先を促した。
「明日はいよいよ知財高裁判決です。昨年の地裁判決から特段新しい材料はなく、高裁でも教室側の主張は全面的に否定されると見られています」
「まあ、そうだね。地裁は・・・気の毒なほどボコボコのけちょんけちょんだったね」と俺は茶々を入れたが、清水記者の鋭い視線に封じられた。いいね、Clefはそうでなくちゃ。
彼女は続けた。
「旧来のカラオケ法理--顧客の演奏であっても、事業者を演奏の主体者とみなし、著作権料支払いの義務を負うという考え方がそのまま踏襲された、新味のない判決でした。それがそのまま知財高裁でも踏襲されるでしょう。率直に言って、関係者全員、この結果は火を見るより明らかだったと思います」
「そうなの?結構世間じゃ悪の組織JOCREに、今度こそ知財高裁様の正義の鉄槌が下りるぞ、という声もあるみたいだけど」
「『関係者』と申し上げたとおり、日本の知財についての知識基盤があれば、そうならないことは予測できます」
「手厳しいね」
「そして、もちろんこれは音楽教室側も当然承知のはずです。私の疑問は、いったいなぜ、JOCREとクロガネは交渉を打ち切り、こんな意味のないわかりきった裁判への道を進んだのか、ということです」
給仕ロボットが静かなサーボモーターの音を立てながら飲み物を運んできた。俺にはミネラルウォーター。年間を通じて冷たい飲み物を摂らない清水記者には温かいカフェラテ。あなたの好みは調べてありますよ、というメッセージだが、その手のくだらないハッタリが通用しないことはすでにわかっていた。
俺はグラスを受け取り、立ち上がって窓辺に歩み寄った。眼下には、空中回廊でビル群を結ぶ大掛かりな工事中の渋谷の街並みが見える。俺は振り返り、窓枠に寄りかかって話を続けた。
「清水さん、まずちょっと訂正させて。ご存知の通り、JOCREは著作権法・著作権等管理事業法、そして会員との間の著作物管理委託契約という、二つの法律と一つの約束に縛られている。俺たちの方から利用者代表との団体交渉を打ち切ることは、法的にも業務的にも不可能なんだ。交渉の継続も打ち切りも、全てクロガネ側の判断なんだよ」
「存じています。表向きはそうでしょうが」と清水記者は切り込んできた。「実際はクロガネとJOCREの関係は、蜜月と言っていいほど良好ですよね。水面下では文化庁との三位一体で、権利情報のデータベースシステムや、利用円滑化のプラットフォームなど、数々のイノベーションを立て続けに達成しています」
「恐れ入ったね。ちょっとここではそうだとも違うとも言えないけれど、よく調べてるんだね」
「あの裁判に至る経緯についても、どちらか片方の思惑で進んだものとは考えられません」
迂闊に肯定せぬよう慎重に俺は答える。
「JOCREもクロガネも文化庁もね、それぞれのポジションで、音楽を生み出し、奏で、聞き、広めるという、人と音楽の関わりのサイクルの活性化を担っている。当然多くの場面で力を合わせることになるよ。無論、JOCREとしては、その中で常に誠心誠意、著作権法の精神に則って日本の音楽文化の発展に寄与することを望んでるんだ」
Clefの揺るぎのない視線に捉えられ、予想外に饒舌になっている。
「俺はね、音楽の喜びっていうのは人の魂の共鳴そのものだと思ってるんだ。JOCREはただ著作権を管理・運用してるんじゃない。音楽を通じて、人が主体的に音楽の創造と関わり、それが人と人の間に伝わっていき、人と人の魂が響き合う環境を守り、より活性化するのが務めだと思ってるんだ」
Clefの視線は、まるで深い井戸の水を残らず吸い上げるように、先へ先へと俺の言葉を引き出し続ける。なるほどね、この人に自分の思いを語らねばと、そう思わせるのが記者の力量・・・というより、才能なんだろう。
「たとえばね、もう長い間、公共・民間問わず、音楽療法の場面からは著作権料の徴収を見合わせている。その人本来の魂の響きを取り戻すための医療の取り組みを、著作権者とともに応援したいという考えだ」
俺はそのまま、話の着地点まで語り続けた。
「でも、じゃあここで俺たちJOCREが、街の音楽教室に対してまで、著作権法の趣旨を無視して楽曲の無償利用を認めてしまうと、何が起きる?
そこで学んだ子供たちは将来、音楽を生み出す仕事に着きたいって思うかな?
音楽を生み出し、人々に愛され利用されることで、人の魂の共鳴を生み出し、文化と社会を活性化させ、自分の収入となって帰ってきて、その喜びでまた創作に打ち込むことができる。そういう健康なサイクルを、果たして尊重できる人に育つかな?」
そう。これが、今回の裁判の目的の一つだ。人が音楽を生み出すという営みそのものは、おそらく永遠に途絶えることはない。だが、その営みに、人の主体性や尊厳を持たせ続けられるかどうかは、これからの数年にかかっている。
だから俺たちはここで、もう一度、音楽を生み出すことの尊さや脆さを、国民レベルで再認識しておかなくてはならないのだ。
「おっしゃることは分かります。地裁の判決は法に則したドライなもので、盤石、としか言いようのないものでした。にもかかわらず」と清水記者は言い、自分も立ち上がって俺の目の前まで移動してきた。
「にもかかわらず、クロガネは地裁で全面的に否定された数々の予備的請求事項を、全く怯むことなく、省みることなく、そのまま現在審理中の知財高裁に持ち込みました。明日また完膚なきまでに叩きのめされるでしょう。これは、どういうことでしょうか」
どんな小さな嘘もごまかしも見逃すまい、と言わんばかりの鋭い視線を受けながら俺は答えた。
「係争中の話なんで、ちょっとばかりコメントしにくいんだが・・・。
ちょっとこう、自分の子供をここに通わせて大丈夫なのか、そもそも音楽を扱う企業としてどうなのか、とそんなふうに心配になる人もいたかもしれないね」
「まるで」と清水記者はさらに顔を寄せて言った。栗色の瞳が燃えるような熱気を孕んでいた。「国内でこれまで通用していた業界の暗黙の了解や、民間の誤った著作権理解を全て並べ立てて、知財高裁による明確な否定を勝ち取ろうとしているかのようです」
「いやそれは・・・」と俺はとぼけた。さすがだよClef。ご名答。「否定を勝ち取るというと、ちょっと穏やかじゃないね。さっきも言ったように、クロガネは演奏者・学習者のため、俺たちはクリエイターたちのために、それぞれの未来が最善の方向に進むように真剣に取り組んでるんだ」
彼女は探るような視線をこちらに送った後、ソファに戻って行った。俺も、その後をおう。
「そうでしょうか・・・。本当にそれだけでしょうか・・・。では、少し別の角度から。クロガネの山崎理事長、文化庁の藤原特別補佐官、そしてJOCREの佐藤会長。あなた方三人は、2015年に各組織の責任者に就任しています。」
「そうだっけ?」と俺はとぼけて先を促す。
「私は、この音楽教室裁判の裏に、より大きな業界あるいは国家規模の戦略があると感じています。あなた方は、そのために配置された最強の布陣なのではありませんか?」
「なるほどね、誰かが、俺たち若造三人を、パズルのピースやゲームのコマのようにそこに置いたんじゃないか、と?」
「以前、藤原補佐官にお話を伺った時も、『文化の未来を守る』という理想をかたっておられました。佐藤会長のお言葉にも、同じものを感じています。藤原さんとは、歩調を合わせられているように見えます」
Ponticelloの示した想定ルートの一つ、俺とObbliとの関係性への探りが入った。これは否定しなくて良いと、主治医でもあり監視担当でもあるATの判断も得ている。
「さすがだね。藤原さんの『弾力性のあるルール』という考えも聞いたかい?俺たちは、旧来の硬直したルールじゃ、AIの進化速度に太刀打ちできないだろうと思ってる。だから、そこに制度で手を打った形だね」
「やはり、お二人は密接に連携しているのですね」と清水記者が言った。
「清水さん。記者の道を選んだのは、本当に天職だったね。まるで、真実の方が自らあなたの前に姿をさらけ出そうとしているみたいだ。でもね、時に真実は、あまりに重く、あなた自身の存在を揺るがすかもしれないよ」俺は彼女の目をまっすぐ見つめた。「記憶の奥底に眠っているあの夏の旋律——それを再び奏でる覚悟は、あるかい?」
彼女の体が、微かに震えた。だが、すぐに持ち前のジャーナリスト魂で、その揺らぎを理性で押さえ込む。
「佐藤会長。あなたは、一体何を言っているのですか?やはりあなたもあの合宿にいたのですね?」
「君の追う謎の核心に、俺たちはいる」
おれは改めてソファに座り直し、チェロのピチカートのように軽快な笑みを浮かべた。
「でも、心配しないで。俺たちは君の敵じゃない。俺たちは、君の歌によりそうオブリガートであり、華を添えるピチカートだ。君が求める真実のアリアを、俺たちは全力で彩るよ。ただ、今は」
と俺は立ち上がり、会見終了の意志を示した。
「今はまず、明日の判決に注目しようよ。清水さん、忙しくなるかもよ」
これ以上具体的な情報が俺の口から出ることはないと悟り、彼女は、怒りとも焦燥ともつかない複雑な表情でその場を辞した。
325 : Numbers 2021/03/17
その日の深夜。クロガネのセキュア・セッションサービス内のVR空間。暗い湖の底を模した静かな部屋に、ナンバーズの5人が集まっていた。
[Pizz]:みんな、おつかれさま!いやー、Clefはやっぱり鋭いね!痺れたぜ。
VR空間のPizzのアバターは、重力を無視して軽やかに飛び回る。
[Motif]:翔也、落ち着いて。気持ちは分かる。清水さんの反応を、どう見た?
[Pizz]:うん、Obbliの「湖」のトリガーは完璧に根付いてるね。俺が「あの夏の旋律」って言ったら、彼女の目が泳いだぜ。『清水遥=ハルカ=Clef』というシナリオは、客観的には不完全な仮説に過ぎないけれど、彼女は俺たちと同様、深層心理下では受け入れる準備が出来ているように見えたぜ。
[Accel]:彼女が自ら真実を探り、たどり着くことで、彼女の記憶の蓋が解除されるという僕らの仮説が実証されつつあるわけだね。
[AT]:そうね。でも、彼女の脳への負荷はどうしても高くなる。仮装ブリッジによる記憶の注入(Iniezione)への親和性は少しづつ高まっているけれど、現時点ではまだ安全に全記憶を同期させるために必要な帯域は確保できてないの。
Ponticelloがリアルタイムでゲートウェイを調整していないと、準備が整う前に記憶の蓋が崩壊して、彼女がその記憶を拒否する可能性があるわ。
[Obbli]:Clefに負担を掛けるのは忍びないけど、今、この国や世界に対して私たちが負っている責任は大きいわ。私たちが失われた記憶を取り戻して、自由意志の確信を持って決断するためには、彼女の『正義を希求する心』を動力源にするしかないのよね。
[Motif]:そうだ。我々が認識している「自由意志」が本物なのか、PatronのAI、今も尻尾を掴ませずに自律稼働しているだろうCadenzaの思惑によるものなのか。
それを知るには、我々の中で唯一手付かずの記憶を眠らせているClefが全てを受けいれた状態で、CABIN接続する必要がある。他の方法では、我々は確信を持って過去と向き合うことが出来ない。
AT、Ponticelloの負荷分散はできるか?
[AT]:ええ。記憶の導入順は何度もシミュレーションしているわ。合宿初日から、時系列に沿って投入するのが一番負荷が少ないというのがPonticelloの結論よ。
私たちのあの2週間を順番に追体験することで、脳の処理速度は高い許容量を維持できるはず。
[Accel]:そうだね。このまま順調に進めば、数週間、長くても数ヵ月後には記憶の奔流をさばけるようになるだろう。
[Pizz]:いいね、迅っち!まるでラ・カンパネラみたいに、超絶技巧で乗り切ろうぜ!
[Motif]:どうしても気持ちが逸ってしまうが、くれぐれも慎重に、確実に進めよう。明日の判決で、Clefは自然にAccelに注目することになる。そうなれば、確実にコンタクトを試るだろう。
彼女が一つ一つ記憶を取り戻して行き、最後に真実にたどり着く時、それは我々の罪が白日の下に晒される時でもある。そして、その審判を下すのは、ほかならぬ清水遥だ。彼女が我々とのCABIN接続に応じるかどうかも、大きな賭けだ。
--VR空間が暗転し、ナンバーズは再び現実世界へと戻っていった。舞台の幕は、さらに深く、そして複雑に展開し始めていた。
【用語集 -Notes-】
Giocoso(ジョーコソ):
今回のタイトル。音楽用語で「おどけて」「楽しげに」という意味。
ラ・カンパネラ:
フランツ・リストの難曲。PizzがAccel(迅)の超絶技巧的な頭脳と、加速する計画を指して使った比喩。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます