第11話 Da Capo 再会

180 : Reunion 2003年夏


1996年のあの湖畔の夏のあと、クロガネは約束通り生活や学資を支援してくれた。祖父母は僕の先行きに大いに安心したようだが、それが良かったのか悪かったのか、揃って病を得て、翌年のうちに、相次いで他界した。穏やかな最後だった。


そして今日。祖父母の七回忌は、菩提寺にそれなりに包んで、まずまず厳かに執り行ってもらった。僧による読経の野太いユニゾンのLow-Dと、ふんだんに降り注ぐ豊かな倍音に包まれ、僕は一人で祖父母を偲んだ。


これ以上の法要は予定していない。これでお別れだ。僕をずっと慈しみ育ててくれた、たった二人の家族を、僕は今日、僕の意思で天に帰ったものと定義する。さようなら。ありがとう。ありがとう。


これで僕は、法的にも心理的にも天涯孤独の身の上になったわけだけけれど、文字通りの孤独かというと、そんなことはない。胸の中にずっと流れ続ける音楽のように、常に仲間の存在を共に感じている。


今夜、東京の路地裏の居酒屋で、その仲間たちとの会合がある。山崎奏太、藤原美琴、佐藤翔也、森友音、そして僕、高橋迅。あの夏をともに過ごした5人、僕たちが「ナンバーズ」と呼ぶ仲間たちだ。


Maestroの演説で自由を告げられた直後、MotifとPizzの動きは迅速で鮮やかだった。


「それぞれ、別の車で自宅まで送ることになっている」というスタッフの言葉に被せるように、


「30分だけ俺たちだけで話させてもらう。それが俺たちが行使する最初の自由だ。邪魔はさせない」とMotifが有無を言わせぬ力強さで宣言した。


その時にはすでにPizzはどこからともなく筆記用具や紙を調達してきていて、僕らもMotifの意図を理解していた。


僕らは全員の氏名と連絡先を速やかに交換し、それぞれに二重に書き写した。


返却されたばかりの僕の手製シンセサイザーの音色データバンクにも入力し、さらにはRAMモジュールにも複製した。


「迅っちがいてくれて助かった」と珍しく静かに呟くPizzの顔は青ざめ、声は力無く震えていた。


記憶など簡単に奪われることを身をもって思い知ったばかりだ。紙媒体や、素人細工とはいえ電子媒体に情報を記録できることがこの上なく頼もしく思えた。


その間にも、ATとObbliは、まるでエライザ・トークのように短いやり取りを重ねていき、エピソードやトピックの認識齟齬がないかチェックしていた。


そして得た結論は、僕らが相互に矛盾するようなバラバラの記憶は植え付けられていないこと、処置や検査の詳細の記憶は消すと言われたとおり思い出せないこと、そして、自分たちが何を消されたのかは僕らにはわからないということだった。


約束の30分を使い切り、僕らは無言で頷き合い、それぞれ帰路に着いた。自宅に戻り、メンバーの連絡先をさらに複製して安全を確保して、ようやく一息つけたのは、僕だけではなくみんな同じだったろう。


それ以来、みなそれぞれに多忙な中、なんだかんだと年に数回は集まって近況報告を交わしている。


居酒屋の暖簾をくぐると、ビールの泡と笑い声が響く。テーブル席に仲間たちを見つけ、胸が熱くなる。、時間と秘密を共有し、全てを理解し合える、地上に五人しかいない大切な仲間だ。


・・・なのにその秘密がなんなのか、五人とも覚えていないのだ。


「おお、Accel、待ってたよ」「迅!こっちどうぞ!」


とみんな口々に声をかける。Accelというのが、僕、高橋迅の仲間内でのニックネームだ。


「ビールでいいかな?」と、伸びやかなバリトンの奏太が言った。表情も語り口も穏やかなのに、いざという時には有無を言わせぬ指導力を発揮する山崎奏太。仲間内ではMotifと呼んでいる。


東京大学経済学部の3年。震災で家族全員と家屋敷を失い、国と行政に底深い怒りを抱えていて、あの夏の合宿では、「東大法学部を出て経済官僚を経て国政に出て、この国を大人にする」とはっきり言っていたが、高校に進学する頃には別の進路設計を確立した。


「テクノロジーの進行は予想曲線のど真ん中を順調に進んでいる。人が音楽を生み出すことや奏でることの意味は変わっていく。産業はその足を引っ張るんじゃなく、先導して共に歩んでいかなくてはならない」


そう語る彼の視線は、楽器の世界シェア一位、教室事業や各種音楽文化事業を行い、音響工学や音楽演奏・制作のデジタル化でも最先端で世界を牽引する企業グループ、クロガネに向けられている。


クロガネかぁ・・・と、ちょっと複雑な気分になる。あの夏のゴツゴツとした手触りのある、それでいて姿形がどうにも捉えられない体験の記憶が脳裏をよぎる。日本の、人類の音楽の未来にかける奏太のこの情熱は、真に奏太の自由意志から来るものなのか、あの夏の合宿で何らかの操作を受けているのか。僕には判別できない。奏太自身にも判別不能なのだ。


でも、奏太の落ち着いた頼もしい笑顔や声は、何も変わっていない。本当に安心する。


藤原美琴、Obbli。早稲田大学政治経済学部の3年、文部科学省入りを目指している。すでにだいぶ飲んでいるようで、「私はね、国民と世界、文化と技術の和解をもたらしたいのよ」と、ちょっもう高尚すぎて、にわかには何を言っているかわからなが、相変わらずの柔らかいアルトの声だ。彼女はおよそどんな楽器も巧みに操るのだけれど、オーボエやファゴットといったダブルリードの楽器が特に上手い。仲間の奏でる音の波紋に寄り添い、支え、広げてくれる。美琴の気遣いや優しさは、いつも僕たちが心の奥に抱える厄介な罪悪感を和らげてくれる。


罪悪感。そう、それが僕らを強く結びつける要素の一つだ。


僕らは何らかの罪を共有している。だがそれがなんなのか、僕らは明確に思い出すことができない。作為による罪なのか、不作為の罪なのかすらわからない。


おそらくは当時の法律でも違法となるであろうさまざまな実験で、控えめに言っても超人的な能力を与えられたという自覚はある。しかし、それは秘密や罪悪感につながるだろうか。・・・被害者意識なら分かる気がするが、逆に、状況的にほぼ間違いなく過酷な実験を施されたであろう僕らは、自分たちを被害者だとは認識していないし、感じてもいない。


秘密がある。罪がある。


でもその秘密と罪が一体なんなのか、という記憶だけがないのだ。


佐藤翔也、Pizz。アルコール依存から認知症が進行していた翔也の父も、あの合宿の数年後、他界している。翔也の母親は妹を連れて、あの合宿の何年も前に出奔していて連絡がつかないという。翔也もまた天涯孤独なのだ。


「よお、迅っち!またまた主役は遅れてご登場かい?」


現在は慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の3年。翔也の軽快な語り口や屈託のない笑顔は、僕らが心に抱える重荷を取り除き、先に進む勇を与えてくれる。将来は文化芸術の知財分野、具体的には作詞作曲家から音楽著作権の信託を受けて運用管理を行うJOCREへの就職を目指している。


合宿直後から各種作曲コンペや公募イベントで優秀な成果を上げていた。既存楽曲のMIDIデータ作成では神職人と呼ばれていたが、高校時代に僕と共同で半年ほどかけて耳コピの自動化と遠隔ロボット演奏システムを作った時点で興味は別のことに移った。

高校在学中にアメリカの大学入学資格を得て、まずはバークリーオンラインカレッジの一般聴講、さらには数年以内に本格的に開始予定のオンライン学位認定制度の実証実験のために、アメリカとは異なるタイムゾーンに住む優秀な学生として密かにスカウトを受け、すでにコンピュータミュージックと音楽ビジネスの学位を取得済みだ。現在は、音楽家として名前が出過ぎるのを避けるために、ジャンルごとに複数のペンネームを駆使するようになっている。すでに著作権信託済み楽曲は1,000曲をゆうに超えているという。ちょっとした音楽事務所規模だ。


「俺はチャンスを掴んだら、アル中の親父をさっさと見捨てて独立する」と言っていた彼が、実際には父親を最後まで看取り、有名独立作家として名声や富を欲しいままにするのではなく、広く多くのミュージシャンの音楽著作権管理事業会社を目指しているのも、果たして彼の自由意志なのか、外部からの影響を受けているのか。


翔也がビールのジョッキをテーブルに置く。「迅っちはさ、電子工学系に行くんだと思ってたんだけど、いつの間にか東大法学部からの司法試験なんだよな。ティーンエイジャー対象のロボット競技では世界大会進出、犬や猫のためのBCI制御のロボット義肢で取得した、人にも応用可能な技術特許の束を全て無償解放、シリコンバレーや米軍のラブコールを丁重にお断りした挙句が、お巡りさんとは」


「いや、お巡りさんさんじゃないってば」と翔也のジョークに僕は笑う。「東京高裁の知財部が、知財高裁として独立する動きがあってね、2005年で決まりらしい。僕は知財高裁の最年少判事を目指して、キャリアを積んでいくつもりなんだ」


「すごいのねー。あ、マルチってことだと、友音も相変わらず大活躍よね」と、美琴が話に加わる。「大脳生理学では、ストレス下でのニューロン細胞の選択的再生、ゲノム領域ではマッピングのアルゴリズム最適化、サイバネティクスでは非侵襲型BCIの双方向自衛アルゴリズム、脳疾患治療では高精度な診断支援AIの基礎設計。脳科学の総合商社よね」


「迅と一緒にいるとね」と友音、ATこと森友音が微笑んで、そっと僕の肘のあたりに手を置いた。彼女は東京大学医学部の3年だ。「私たち、進むべき方向に、常に全速力で走っていられるって思うの」


「ちょっと待て、なんだなんだ、今、何か重大な宣言があったのか?」と翔也が戯けて突っ込む。


「素敵ね。あなたたち、本当にお似合いだと思う」と美琴が顔を綻ばせる。


「そうだな。大きな能力を与えられた代償なのか、俺たちって、なんとなく自分個人の幸福の追求をおろそかにしがちだからね。迅と友音がお互いに支え合って共に生きていけるのなら、それは、とても大きな希望だ」とMotifも微笑んだ。「個人に対する特別な感情が生じるのであれば、それは我々の人間としての本能や自然な自由意志が機能している証拠かもしれないからね」


「・・・そうね。それを確かめる術はないけれど、一つの証にはなるわね」と美琴が続けた「自分の選択が本当に自分の自由意志からきているのか、あの夏の間に、そう選択するように仕向けられたのか、私たちには判別できないものね」


「実のところ」と僕は答えた。「友音以外は、それぞれ客観的には志向が変わってるのに、自分の中では違和感なく自由意志で主体的に選択して取り組んでるよね。これが、自然な成長の過程なのか、過去の何らかの介入があってのことなのか」


「過去に、あるいは、もしかしたら現在も」と友音が唇を固く結んだ。「母の死後も私の志望が揺らがないことも、自然なことなのか、それとも・・・・」


友音の研究成果と、実家でもある病院による手厚い看護とで、友音の母は病床にありながらも穏やかで満ち足りた様子だった。なくなる半年ほど前、友音が僕を紹介してくれた頃には、ほぼずっと現実世界とは少し距離を置いて過ごしているようだったけれど、にわかにしっかりとした光を目に宿し、信じられないほど強い力で僕の手を取り、「ありがとう、友音をよろしくお願いしますね」とはっきり言った。その言葉は僕の胸の奥にしっかりと押し込まれ、ずっとそこにある。


「いやそうだな、実際のところはどうなのか、見守り隊のみなさんに聞いてみたいんだけど、応えてくれるとも思えないしね」と翔也が笑う。


見守り隊というのは僕らの仲間内のジョークのようになっている。卒業や進学、転居などの人生の節目には、見慣れるダークスーツの二人づれを目にするような気もする、と僕らの話題に上がったことがあるのだ。とはいえ、およそ首都圏で生活している限り、ダークスーツの二人づれとすれ違わない日などないのだから、それが真実なのか、疑心暗鬼によるものか被害妄想によるものか、僕らには判別できない、という結論に至った。


あの合宿以来、Maestro本人やその関係者と思われる者は、僕らの誰にも接触してきていない。本当に何一つ強制も指示も受けていない。住居も進路も何らの指示も掣肘も受けることなく、全て自分の意思で決めているのだ。


・・・それでも、自分たちの選択や行動が、彼らの意図する範囲に収斂しているのではないか、という気味の悪さが拭えない。


そしてこの、理由のわからない罪悪感。どこか焦燥感にも似ている。何か大切なことを、忘れてはいけないことから逃げ続けているような・・・。


仲間たちの笑い声が響く。僕も笑顔でグラスを掲げる。Motifが締めの言葉を発する。


「あれ以来、離れていてもお互いの状況を感じ合える俺たちが、わざわざこうして会うことに意味があると思う。また近いうちにみんなで集まろう。そして、そろそろClefも見つけ出して、絶対呼ぼうな。でも、彼女のことだから、事情を全部説明して理解したとしても、こんな集まりには…まあ、来ないよな」


みんな、寂しそうに笑った。そう、僕らは互いのことを本当に深く理解してしまっているのだ。彼女は、そう。まあ・・・来ないよな。


【用語集 -Notes-】

Da Capo(ダ・カーポ):

今回のタイトル。音楽用語で「最初から(始めに戻って)演奏する」ことを意味する。1996年の合宿(Auftakt = 序曲)を経て、2003年の現在から物語が「再び始まる」ことを示す。


エライザ・トーク(ELIZA Talk):

1960年代に開発された初期のAIチャットボット「ELIZA」との対話(Talk)のように、機械的な質疑応答を高速で繰り返すこと。本作では、合宿直後にAT(友音)とObbli(美琴)が、記憶操作による齟齬がないかをお互いに確認し合うために、膨大な一問一答を繰り返し行った。


ナンバーズ(Numbers):

Project Auftaktを生き残った5人(Motif, Obbli, Pizz, Accel, AT)の自称。彼らは7年経った今も定期的に集まり、情報交換と絆の確認を行っている。


罪悪感(ざいあくかん):

ナンバーズが共通して抱える、理由のわからない感情。彼らは「何か重大な罪を犯した」という感覚だけを持ち続けているが、Maestroによる記憶操作(第9話、第10話参照)により、それが何かを思い出せないでいる。


Clef(クレフ) / No.16:

ナンバーズが探している「6人目」の仲間。彼らはMaestroの説明(第10話(170))を信じ、「Clefは自らの意思で合宿の記憶をすべて消去し、どこかで暮らしている」と認識している。そのため、再会しても自分たちを思い出すことはないだろうと考えている。


クロガネ / JOCRE / 文部科学省:

かつてMaestroが招集した「Patron」の構成組織(第1話(010)参照)。ナンバーズは、その出自を知ってか知らずか、まるで導かれるように、これらの組織(および立法・司法・脳科学)の中枢を目指すキャリアを選択している。

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