第10話 Oblio 空白の夏

160 : Motif 1996/08/06


夜半を過ぎたあたりで唐突に訪れた猛烈な眠気に抗いながら、念の為、Clefが来ているかもしれないともう一度だけBCI経由でチャットに接続した。


やはり寝ているようだ。


でも心配はいらないな、と思った。


思考融合や記憶参照を含むBCIセッションを繰り返した今なら分かる。Clefも俺たちと同じだ。全員でのゴールを望むだろう。


さすがに疲労がたまっている。思考が鈍ったぶん、聴覚の抑制もおかしくなっていて、エアコンの音がやけに耳につく。とにかくしっかり寝よう。


朝になったら俺たちにはやることがある。目覚めた時、俺たちは----


161 : Maestro 1996/08/06 暗号化PDA内の個人メモ


No.1からNo.11の子供たちが夜中に目を覚ますことはないだろう。個室の空調から、睡眠を深めるガスを部屋に充してある。順次クリーンルームに搬送し、処置をして部屋に戻す。目覚めた時にはすでに記憶編集は完了している。


全ての始末は段取りがつき、いよいよNo.16の記憶操作を行う。他の子供に対する単なる記憶編集とはことなり、頭蓋内部に微小なBCI端末を直接埋め込み、特定のシナプスを抑制し、エピソード記憶を分離する技術を用いる。


技師らによるチェックの結果、No.16には湖水に落ちたことによる低体温症も深刻な影響の兆候はなく、容体は極めて安定しており、措置に問題はないとのことだ。才能のある少女の記憶を奪うのは忍びない。私の娘と最後まで一緒にいてくれたことへの個人的な感謝もある。だが、プロジェクトの目的と、日本の将来のためにはやむを得ないのだ。


彼女に与えた能力の極大化は記憶とは無関係に有効なので、目が覚めたら突然思考がクリアになって驚くかも知れないが、すぐに慣れることになるだろう。人は、外部操作で拡大された能力と、自然状態での能力との差など、自力では決して判別できないのだから。


No.16の記憶では、夏休みの初めから病院で目を覚ますまでの期間ががごっそりと空白になる。さぞや驚くだろう。目覚めた時、彼女は----


---


162 : 学校提出課題作文:夏休みの思い出 清水 遥 1996/08/25


目覚めた時、私は----病院のベッドの上で、母に手を握られていた。何も覚えてない。医師に今日が8月25日だと言われ、ベッドの上から転げ落ちそうなほど驚いた。


そんなのって、ない。これではまるで、夏休みをまるまる寝坊してしまったようなものだ。私の夏休みは、始まる前に終わりを迎えてしまった。

---


170 : Maestro 1996/08/06


1996年8月6日、すべての処理が完了した子供達をレクチャールームに集めた。支給したナンバーカード、ラップトップPC、指輪型の認証デバイス端末を返却させた。


「二週間のスケジュールもこれで終了。最後までよく頑張ってくれた。


もう実感していると思うが、元々天才的な頭脳やセンスを持っていた君たちの能力はこの合宿で飛躍的に伸び、他の人間とは一線を画すレベルになった。


これから先君たちは、物理的に不可能なこと以外、なんでも思ったことを実現できるほどの能力を得たわけだ。加えて我々からは生活支援・奨学金として、大学卒業まで何の心配も必要なくなる程度の資金をすでに振り込んでおいた。有効に活用してほしい。


No.1, No.2, No.4, No.7, No.11。番号で呼ばれることに違和感があったかもしれない。だがこの数字は、私からのささやかなヒントであり、プレゼントだ。いつか思い返して役に立てて欲しい。


No.16は、本人の希望により、ここでの記憶をすべて放棄、封印することになった。すでに処置を受け、このまま記憶の安定のために入院することになる。将来どこかで君たちと再会しても、彼女は覚えていない。そっとしておいてあげてほしい。安心してほしいが、彼女に関しても同様に支援金は振込済みだ。彼女の生活の安寧のため、申し訳ないが君たちの記憶のうち、彼女の容姿に関する情報をマスクさせてもらった。


もう一つ。初日に辞退した5名を除く他の17名は、こことは別の場所で、二週間の平凡な音楽ワークショップを終え、大いにスキルアップして社会に帰っていった。そのことは認識しておいてほしい。君たちが戻っていく世界では、君たちこそがニューエイジ・ホープ合宿を途中離脱したことになっている。約束通り、君たちはここでの詳細について外部に漏らしてはならない。もっとも、漏らそうにもよく覚えていないだろうが。


さて、これだけの能力と支援を与えたことに対して、私が君たちに望むことはただ一つだ。自分の道は自分で選び、自分がなすべきだと思うことを、その能力で成し遂げなさい。


我々からは何も指示を出したり、要求したりはしない。もうその必要はないんだ。君たちが正しいと考えること、必要と考えることこそが、間違いなく正しいし、必要なのだ。


念の為、どちらかというと君たちの安全のために、しばらくの間は我々が君たちを遠くから見守る。でも君たちに危険が及ばない限り、こちらから接触することはない。


ここを出た後、君たちから我々に接触する方法もない。繰り返すが、今この瞬間から君たちは自由だ。何もかも自分で選び実行しなさい」


私は5人の天才を生み出し、地上に放った。プロジェクト管理AIは受動モードとし、階差数列の子供たちの動向を見守り、必要な支援を与えるように指示を与えた。万が一にも彼らに現実の脅威が及ばないよう、必要な人員も配置してある。あとは見守ろう。子供達の、そしてこの国の行く末を。


---

【用語集 -Notes-】


Oblio(オブリーオ):

今回のタイトル。音楽用語で「忘却」という意味。


記憶編集(きおくへんしゅう):

Maestroが第9話で決定した隠蔽工作。


ナンバーズ(5名):

No.22の記憶を消された上に、初日に脱落し、またNo.16は「自ら記憶を消した」という偽の記憶を植え付けられているが、彼らはそれを認識できていない。


ハルカ:

湖での事故の音声解析および、静花の居室に残された書き置きの宛名として確認されたNo16の名前。事故後、意識不明の状態で保護される。事実隠蔽のため、プロジェクトに関する全ての記憶へのアクセスを遮断する処置を受ける。


清水 遥(しみず はるか):

1996年の夏休み終盤に病院で目覚めた少女。夏休みの記憶がすっぽりと抜け落ちている。

---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る