第8話 Stretto 最後の夜

148 : Maestro 1996/08/05


プロジェクト管制室のモニターが、湖畔の施設に配置した数十台のモニター映像を無機質に映し出している。私は、その一画、自室でピアノの蓋に突っ伏しているNo.22の、私の娘である静花の姿を、もう何時間も視界の隅で認識し続けていた。


昨年末、あの銀座の会議室でPatronのプロジェクト遂行の承認を得た時、私の覚悟は純粋だった。生成AIは、他の多くの戦争勝者や宗主国と同様、最初は職業クリエイター以外の多くの人々から歓喜の叫びで迎えられるだろう。これまで特権階級にのみ与えられ、一般市民は供給を待つしかなかった芸術的創作の権利と喜びが、等しく全ての人に分け与えられるのだから。


しかし、それをそのままにしてしまうと、導入・普及後の文化の変容・・・合理化・単純化と画一化、そして失伝と消滅・・・もまた、やはり戦後の「解放」と同じ道を辿ることになる。


そしてそのすぐ後、あるいはほぼ同時に訪れる可能性のあるシンギュラリティ。


無策で立ち向かうにはあまりにも強大で抗いがたいこの文化の熱的死の未来から、この国の文化の独自性とクリエイティビティの魂を守る。そのために、私はMaestroという仮面を被り、6人の子供たちを踏み台にし、自らの手をどれほど汚そうとも、この「Project Auftakt」を完遂させるつもりだった。


そう、あの日、このプロジェクトの候補者リストの中に、かつて捨てた妻と、誕生さえ知らされていなかった実の娘の名前を見つけるまでは。


静花。私の娘。この合宿に「No.22」として加えたのは、動揺し混乱した私の親心であり、せめてもの贖罪のつもりだった。


だが、やはりそれは間違いだった。彼女の存在は、10年以上かけて鋼鉄で塗り固めた私の任務への決意に、致命的な亀裂を入れた。子供達を、自由な可能性と未来を持つ生きた若者としてではなく、目的のための重要なピースとしてナンバーで認識する、という私の防衛策を無力化してしまった。


今日の午前中の、来るべき生成AI時代の国家としての知財戦略、特にWTO/WIPOや新たな地域経済圏の勃興を見据えた国際条約・国内法整備のレクチャの後の自由時間に、彼女はどうしても緊急にということで、私との個別面談を要請してきた。面談室で、モニター越しではない、生身の娘との、二度目の対話となった。


「……Maestro。私、やっぱりダメみたいです」と静花はテーブルに視線を落としたまま、力無く呟いた。


「泣き言はよしなさい。努力したまえ」と私は、このプロジェクト中何度か彼女にかけた言葉を繰り返した。


「努力……してます。でも、みんなみたいにできない。みんなの思考が流れ込んでくると、私が消えちゃう。私の音は、誰にも届かない……。私、ここにいない方がいいんじゃないかって……」


「確かに、他のメンバーとの能力の差は歴然としている。とはいえ、それは能力の差であって、決して善悪ではない。君は他のメンバーと同様に、ここに来る前の君とは比べ物にならないほど成長している。それは紛れもなくプロジェクトと君の成果だ」


「嘘です。わかってるんです。自分だけみんなの足を引っ張ってるって。それなのに、みんな私は私のままで良いって、そのままで良いって。私だけみんなと同じ風景を見られないことがこんなに苦しいのに・・・そのままでって・・・」


「そうか」と私は、胸をかきむしりたいほど込み上げてくる激しい感情をなんとか抑えつけて、ただ一言、小さく頷きながらそう答えた。


「みんな本当に優しくて、特にC...No.16はずっと私のことを気にかけてくれてて、でもそのせいで彼女の成果に影響が出るなら、私はそんなのは嫌です」


「であればこそ・・・」もっと努力を、と言いかけて、私は思いとどまった。静花はすでに自分の限界をとうに超えている。錯乱せずに正気を保っているので精一杯なのかもしれない。


「少し心身を休めなさい。午後のBCIセッションはスキップして、夕食まで自室で休息を取りなさい」と私は命じた。


今、他のメンバーのBCI仮想ブリッジによる統合人格モデリング実験の様子を監視しつつ、別のモニターの中の静花の肩が弱々しくか細く震えている様子を視界の隅で捉えている。


私の娘は、必ずしも凡庸ではない。おそらくは他のメンバーと比べても遜色のない素質を持っている。だが、彼らとの決定的な違いは、その繊細すぎる脆弱な意志の力だ。No.1のような強靭な精神も、No.16のような剥き出しの自我も持っていない。


静花は、彼らに比べればあまりにも普通の少女なのだ。


・・・そして私は、そんな「普通」の幸福こそを、生成AIの浸透とシンギュラリティ後の社会体制で、文化や表現が画一化し、個性や創造性が埋没してしまう未来から守ろうとしてきたのではなかったか。


独創性・効率のための進化的発想能力の発揮こそが、資源を持たず、国際紛争の武力での解決を放棄した日本という国家が持ちうる唯一の武器だ。それを無効化してしまうのが高度なAIであり、それは特に生成AIによる「最適な表現」という名の画一化として到来する。それを防ぎ、立ち向かうための天才を生み出し、国の中枢である行政と司法、産業と学術、そして情報の分野に配置する。それがProject Auftakt で私が目指していることではないか。


その大きな目標と、たった一人の実の娘の未来。この二つの祈りが、私の内で激しく衝突する。


他の6人は、私の期待、いや、DominantとCadenzaの予測を遥かに超える速度で系統進化レベルの成長を遂げている。彼らは間違いなく私が求めている「天才」だ。彼らこそが、AI時代の日本のために必要な「生贄」であり、未来を導く「使徒」だ。


だが、静花は違う。彼女は使徒ではない。彼女をこのままプロジェクトに残せば、明日予定している最終段階の不可逆の施術に、この繊細で脆弱な精神は耐えられないかもしれない。


私はしばらく目を閉じ、深く呼吸をしてMaestroとして決断した。プロジェクトの成功のために「できそこない」のNo.22を切り捨てねばならない。


同時に、父親としての私は、娘・静花を「守る」ために、彼女をここから逃がさねばならない。


――二つの異なる動機が、奇しくも同じ結論を導き出した。


私は決断する。このプロジェクトの唯一の汚点として、私の身勝手な情を理由として、No.22をこの時点で脱落させる。


監視室のコンソールを操作し、彼女のステータスを「Pending(保留)」から「Drop(除外)」へと変更する。


名残惜しくはあるが、自ら捨て去った家族だ。私が彼女の将来に関与する資格も権利もない。明日の最終工程が始まる前に、彼女をここから去らせる。それが、Maestroとして、そして父親として、私が彼女にしてやれる、唯一の「正しい」選択だった。


149 : Numbers 1996/08/05 チャットログ


[Motif]みんなお疲れ、今日のMaestroの発表で、これはみんなで話すべきだろうと思って。Clefにも改めてアクセス方法を伝えておいた。


[Obbli]せっかくここまでみんなできたのに、最後の最後であと一人脱落なんて、ひどいよ。


[AT]正直、実力や進捗だけで決めるなら、No.22はここで帰されるのも仕方ないかもしれない。はっきりと差がついちゃったし、もう何日も前から心身ともに限界っぽかったし。でもそんなのとても受け入れられない。


[Accel]そうだね。僕ら、この過酷なプロジェクトを、競争ではなく支え合うことでなんとか全員でここまで来たからね。


[Pizz]なあ、Clefたちは入ってるか?夕方のセッションの後、姿を見なかったけど、二人とも自室からBCIで入って来ないかな。


[AT]二人とも寝てるのかもね。・・・・Clefは生活リズムまで含めて自分を厳しく律するタイプだし・・・、あの子はもう疲労困憊だろうし・・・


[Motif]そんなところだろう。彼女のことを一番分かってるClefの客観的な意見を聞きたかったところなんだけどな・・・・


[Obbli]私、やっぱり納得いかない。一緒に最終段階に進んで完走したいよ。あとは明日の最後の処置と検査だけなんだよね。


[Motif]そうだな。みんな同じ意見で嬉しいよ。明日、みんなでMaestroに直談判しよう。


[Pizz]それがいい。できることはやろうぜ。俺たち、いろんな脳の実験の繰り返しで、何度もお互いと直接繋がって、すごく分かり合えたもんな。


[Accel]その実験の詳細の記憶は、明日のプロジェクト終了と同時に編集・消去されることに同意しちゃってるけどね。


[AT]残念ね。みんなと過ごした記憶と、この絆は手放したくないわ。


[Motif]記憶の編集消去は、参加時点からの約束だから受け入れるしかない。だからって、仲間との時間まで差し出すつもりはないよ。その点についてはMaestroから確約をとってある。あくまで、処置や検査の内容のみの忘却に留まるはずだ。


[Pizz]安心したかい、お二人さん?我らがリーダーMotifに抜かりはないぜ!


BCI経由の文字チャットであるにも関わらず、Accel と AT が頬を赤らめながらも心底安堵していることを全員が感じ取った。


[Motif]では決まりだね。Clefも考えは同じだろうから、明日の朝すぐに話せば理解して合意してくれると思う。念の為、メッセージ入れておくよ。目が覚めたら読めるように。


俺はBCI経由でみんなに伝え、実際にそのままClefにもメッセージを飛ばしておいた。


僕らの考えを取りまとめたメッセージだ。Clefも、

   それを読みさえすれば、

      必ず同意するだろう。

    目が覚めた時に、

  彼女は、

Clefは、

  目が覚めた時に、

     それを読みさえすれば、

        メッセージが届きさえすれば・・・


[BCI経由で記録されたチャットログはここで不意に乱れ、途絶えている]


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【用語集 -Notes-】

Stretto(ストレット):

今回のタイトル。音楽用語で、主題(Soggetto)が追いかけるように次々と重なり合って現れ、終結に向けて緊迫感を高める技法を指す。


No.22(静花)を脱落させるというMaestroの冷徹な決断と、No.22を守るというナンバーズの熱い決意が、運命の夜に交錯する様を描いている。


不可逆の処置(ふかぎゃくの処置)**

後戻りできない人体実験。Maestroはその実施前ににNo.22(静花)を脱落させようとしている


Clef(クレフ):

No.16の少女。チャットには参加していないが、MotifはClefもまたNo.22とともにProjectを完遂することを望むだろうと確信している。

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