第7話 Cantabile 魂の共有
146 : A Tempo 1996/08/04
[ATのノートPCの個人メモより・日付:1996年8月4日]
ここに来て、12日目。みんなが言う通り、まだそれだけしか過ぎていないなんて信じられない。毎日の実験は、私の脳を、そして心を、今まで知らなかった領域へと押し広げていく。
投薬と睡眠学習とBCIによる処置で、ほとんど触ったことのなかった楽器が、まるで子供の頃からずっと使っている自分の手足みたいに馴染んだ感覚。複数の国の言語や文化が頭の中に元々あったように自然に取り扱えるようになった、あの圧倒的な情報量と処理能力。そして次の処置でそれが綺麗に消え去った時の、不思議なほどの違和感のなさ……。
Maestroはこれを「人の脳の力の最適化・最大化」と言っている。それはその通りなのかもしれないけれど、私には、脳の力が明らかになる一方で、これまでとても強いと思っていた人の心が、本当はガラスの塔のように頼りなく脆いものに過ぎないのではないかと、そんな怖さを感じる。
でも、怖がってばかりはいられない。私には、どうしても叶えたい夢がある。
私は父を写真でしか知らない。私が生まれてすぐに亡くなった。
両親の出会いは大学の医学部。家系に病気のある父はその対応・治療方法の研究に貢献するために医学を志した。
母は地方の総合病院の一人娘。家の仕事だからと、あまり何も考えずに漫然と医学部に進んだ母は、強い決意と信念に満ちた父に出会い、恋に落ちたのだと私に教えてくれた。
母が私を妊娠したのは二人がまだ学部生の時のことだった。経済的な基盤に疑問を覚えることなく育ってきた母は、迷わず中絶ではなく休学・出産を選択した。
自身、入婿として実家の病院の院長を務めていた祖父も、仮に母が復学できず医師の資格が得られないことになるとしても、授かった命を優先すべきだと味方についてくれた。二人の結婚に向けて、父の家系の病気への予防や対応のための検査費用も用立ててくれた。
・・・その検査の過程で、家系とはなんの関係もない若年性のガンが見つかり、父には余命宣告が下された。私が生まれた時にはまだ自力で行動できていたが、私の一歳の誕生日まで生きて祝うことはできなかった。
結局復学は叶わず、実家に戻って働きながら女手一つで私を育ててくれた母に、数年前に若年性アルツハイマーの診断が下り、合わせて自律神経失調の傾向も見られるようになった。私がニューエイジ・ホープ合宿に参加するにあたって、実家の病院と関係の深い別の施設に一時的に入所して生活している。
母は、私を責めない。誰も、私を責めない。私だけが、私を責めている。
私を授かったたことが、母の運命を大きく変えてしまったのは明らかなのだから、母には私を責め立て、罵り、憎み、そして・・・・できることなら、その上で許して愛してほしい。それが私の願いだ。
すっかり感情の表出が乏しくなった母が、唯一穏やかな満ち足りた表情を取り戻してくれるのが、私の演奏を聴いている時だった。言葉はもうあまり通じなくても、音楽だけは、確かに母の心に届いている。あの安らかな、娘の私から見てもあどけなさを感じるような笑顔を見て、私は音楽療法の可能性を強く信じるようになった。
音楽を通じて、母の本当の思いに触れることができたら、と。
Maestroが私たちに施す投薬やBCI技術は、もしかしたら、私の夢への近道になるかもしれない。思考や感情を直接共有できるなら、母の思いの、もっとも深い部分まで理解できるかもしれない。そして、母が私を許し、愛しているのかを知ることができるかもしれない。
だから、私は誰よりもこの技術に期待しているし、どんな処置や検査にだって耐えてみせる。みんなが対応に苦慮しているBCI酔いにも、私は他のメンバーよりかなり強いようだ。それはきっと、私の「願い」の強さによるものかもしれない、と私は思っている。
BCI酔いと言えば、今日の「相互記憶参照」の実験は本当に衝撃的だった。
みんなの過去の記憶の断片が、喜びも、怒りも、悲しみも、全部、まるで自分の体験みたいに流れ込んできた。セッション終了時点で立ち上がれたのは私だけだったので、先に自室に帰されたのだけれど、みんなもう戻っているだろうか。
私はゴーグル型の簡易BCI装置をセットし、Motifたちの秘密チャットに接続した。
[chatlog:1996/08/04]
---やはり私が最初のログインのようで、しばらく待っているとMotifらがパラパラと入ってきた。
[Motif]みんな、具合はどうかな?俺は、ようやく立てるようになって部屋に帰ってきたところだよ。今日のBCI実験、相互記憶参照。あれは踏み越えちゃいけない一線だと思った。
[Motif]いや、全然「一線」じゃないな。超えても超えてもまだまだ線が現れる。
--Motifの言葉に、私も頷く。本当にそう。一線を越えるたびに、新しい世界と、新しい恐怖が待っている。新しい「繋がり」も。
[Obbli]ほんと、また踏み越えたね・・・・。子供の頃のみんなの視点からの記憶の断片。その時の興奮や怒りや、全部自分の体験のように思えたよ。あるいは、なんというか…家族の一人の体験みたいに感じた。
--Obbliの言う「家族みたい」って言葉、すごくよくわかる。みんなの心に直接触れたことで、今まで感じたことのないような親密さを覚えたから。
[Pizz] みんな、俺が何をどう思ってるかも、もう分かっちゃうんだよな。
[Pizz] 奏太っちはさ、地震の後あんなに大変だったのに、ずっと落ち着いて自分を信じて頑張ってきたんだな。奏太っちすげーよ。リスペクト爆発だよ。
-- Pizzのあの底抜けの明るさの底にある、父親への複雑な想い。Motifが抱える想像を絶する喪失感と、それを乗り越えてきた強靭な精神力。全部、言葉じゃなくて、直接自分自身の実感として体験した。
[Accel] 翔也、落ち着いて。僕たちはみんな同じものを見て、同じことを感じて、それだけじゃなく、自分がどう感じたかも互いに共有した。誰のどの感情も全部自分のもののように、拒否感も違和感もなく完璧に理解できる。こんなことが起こり得るなんて、誰も想像してなかったと思う。
--Accel……迅くんの言う通りね。あんなにも鮮明に、他人の感情や記憶が自分のものとして流れ込んでくるなんて。迅くんの思考の速さ、そして世界を捉える視線の優しさも、はっきりと感じられた。とても気持ちよくて、ちょっとドキドキした。
私もBCI経由で会話に参加した。
[AT]最初のBCIセッションからずっと、私たちそれぞれの脳を解析して、情報に対してどう反応するのか、どう発信するのか、脳の基本パターンのモデルを作られていたのね。あのBCI装置で自分の脳の活動を、瞬時に一人ひとりの脳のモデルに合うように変換して、同時に送受信してるのね。
[AT]とても恐ろしい技術だけれど、それでも、みんなの記憶に触れて、ほんとに…かけがえのない存在だなって思った。なんか…手放したくない、守りたいって思った。
--Maestroたちの実験の目的は、まだ全ては見えない。手放しに喜んで受け入れて良いものなのか、正直なところ少し不安はある。でも、このBCI技術が完成すれば、言葉だけでは伝えきれない深いレベルでの相互理解が可能になる。それは、母のように言葉でのコミュニケーションが難しくなった人や、その周囲の人たちにとっても、大きな希望になるはず。この仲間たちとなら、その可能性を追求できるかもしれない。そう思ったら、胸が熱くなった。
[No.22]私も同じ。みんなが私のことを本当に仲間だと思ってくれているって、今日、初めてほんとに理解したと思う。みんな、ありがとう。自分にそんな価値はないと思ってたけど、そういうことじゃないのね。私はこのままでいいのね。
--彼女のあの繊細で美しいピアノの音色。彼女の心の中にあった不安や、私たちへの小さな期待と信頼。それが今日の相互記憶参照で、痛いほど伝わってきた。彼女の心が、少しでも軽くなったのなら、本当に嬉しい。
[Obbli]そうよ。そうなのよ。だからもう、遠慮したり謝ったりしないでね。一緒に乗り切ろうね。
[No.22]ありがとう。頑張ってみる。それに、Clefも同じように感じてくれてて、嬉しかった。「仲間をを守りたい」って。
--Clef……No.16の彼女の、あの強い意志と、No.22さんへの深い友情も。全部、私たちの心の中で響き合っている。私たちは、もうただの「被験者」じゃない。かけがえのない、大切な仲間なんだ。
[Pizz]そうさ!頑張っていこうぜ!多分これで終わりじゃなくて、まだまだ妙な実験は続くんだろうけど。
[Motif]やりぬこう。俺たちならできるって、そう思えるよ。
[LOGOUT]
---
【用語集 -Notes-】
Cantabile(カンタービレ):
今回のタイトル。音楽用語で「歌うように、表情豊かに」という意味。ナンバーズたちが記憶を共有し、魂で歌い合うような体験をしたことを示す。
AT(エイティー) / 森 友音(もり ともね)
今回の語り手。No.11の少女。闘病中の母を持ち、音楽療法のためにBCI技術に強い期待を寄せている。
相互記憶参照(そうごきおくさんしょう):
今回のBCI実験。前回のリアルタイムの「思考融合」からさらに進み、お互いの過去の「記憶の断片」を、感情ごとダイレクトに送受信する。
No.22 / 小林 静花(こばやし しずか):
この実験を通じて、仲間たちが自分を受け入れていることを初めて実感し、安堵する。
Clef(クレフ):
No.16の少女。今回の実験で、No.22(静花)ら参加者に対して「仲間を守りたい」という強い友情を抱いていたことが判明する。
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