第2話 ヨシの順番の学校

朝。プレハブのホワイトボードに、俺はでかく4行書いた。

1. 止める

2. 見る

3. 言う

4. 残す(聞こえなかったらマクロ)


「今日やるのはこれだけだ。増やさない。減らさない」

「はーい!」


みのりが元気よく返事する。今日はちゃんとまだ「ヨシ!」って言ってない。えらい。


朱音はペンを持って、ノートに写してる。

リコはPCを開いて、昨日のマクロにもう1個足す準備をしてる。


「まず“止める”から。“止める”を言わないでヨシを言ってる現場が一番危ない。昔の会社はそうだった」


「止めるって、止まってるじゃないですか。今」みのり。


「今は止まってる。けど朝っぱらからフォークが後ろから来る日があるだろ。そのときに“ドアよし!”って叫ぶと、フォークの人は“何がヨシなのか分からん”ってなる。だから一番最初に“止めます”か“通ります”かを言う。“動いてるものが先”“止めるのが先”って覚えな」


「動いてるものが先、止めるのが先……」みのりが口の中で何回か言う。


「朱音。君は“止まってるかどうかを見る”人。止まってなかったら、声が出なくてもマクロで“動いてたのでヨシまだ”って残す。それが出たら、今日のヨシは一旦そこで止まる。無理に進めない」


「はい。……“まだ”って書く欄、作っていいですか」


「作っていい。リコ」


「はーい」リコがカタカタやる。「“ヨシまだ(動いてた)”って名前で追加しときます。押すと赤くなるやつにしておきますね。簡単なプログラムで」


「赤くなるの、現場大丈夫ですかね」朱音が気にする。


「“赤って表示されるだけ”ならだいたいいける。“ここまだだから”が見えるようにしときゃ怒られない。俺が切られた会社はこれを見えなくしてた」


「見えないように……?」リコが首をかしげる。


「“全部ヨシでいいんだよ”って言う人がいると、“まだ”を出す人が責められるからな。だから“まだ”が書けない」


「それは嫌です」みのりが手を挙げた。「“まだ”って言えないと逆にこわいです」


「そう。だから最初に“まだ”のボタン置いとく。

 “ヨシ”と“まだ”が並んでたら、“まだ”を押した人は正しい。“まだ押したら怒られる”を先に消す。それが俺らの仕事」


3人とも、うん、って表情になった。いい。


──────────────────


「じゃあ実技。今日は“右側通路チェック”でやる」


プレハブのドアを開けて、すぐ外の通路に出る。

そこにはちょうど、パレットがひとつだけ、通路ギリギリまで寄っていた。わざと置いたやつだ。


「これくらいが一番見落とす」俺。


「見えますけどね?」みのりはあっさり見つけた。「パレット出てます!」


「見える子は見える。けど“ヨシって言う気持ちで通ると”見えなくなるんだよ。だからヨシって言う前に、まず“止まります”」


俺は大きめの声で言った。


「止まります。通路、見る。——パレット出てるのでヨシまだ」


「ヨシまだ」朱音が小声で復唱、すぐタブレットに ヨシまだ(パレット) を打つ。リコが後ろでマクロを押す。PCに一行増える。


10:12 右側通路 パレット出てたのでヨシまだ 目視:朱音 記録:リコ


「はい、これで“見たのに進んだ”にならない」


「かんたーん」みのりが笑う。「『通路ヨシ!』って言いたくなったら?」


「その前に“出てたのでよけます”って言え。で、よける。よけたあとで“通路よし”」


「よけたあとで、ですか」


「“通路よし”って言ったら、もう安全ってことになっちゃうからな。通路が安全になってから言う。言ってから安全にするんじゃなくて、安全にしてから言う」


「わかりやすい」


みのりはまた大きめに声を出す。


「パレットよけましたー! 通路よし!」


「はいオッケー。今のならでかくてもいい」


「今のならでかくてもいい……」朱音はおもしろそうに繰り返した。


リコが画面を見せる。「今ので“ヨシまだ→処理済→ヨシ”って一本線で残りました。監査さんでも読めます」


「それ。“ヨシ→でもここ出てました→なおしました”が一本線で読めるようにしておけば、でかい声とか小さい声とか揉めなくなる。声が聞こえなかったら“ここでなおしました”を見るから」


「声でケンカしないで済むやつですね」リコがうれしそうに言う。


「そう。俺が前にいたとこはこれがなかった。“あのとき言っただろ!”と“聞こえなかった!”で、1日終わる。見てるやつがバカバカしくなる」


「見てるやつがバカバカしくなるのはイヤですね」朱音。


「だから朱音が見たやつは全部残す。これからも」


──────────────────


昼前。ひと通りやって戻ってきたところで、部長が顔を出した。


「どうです? うちの“声だけヨシ予備軍”たちは」


「順番は覚えました。止める→見る→言う→残す」


「“まだ”も作ったんですよ!」みのりがアピールする。「“ヨシまだ(動いてた)”!」


「それはえらい」部長が笑う。「“まだ”って言えると事故りづらくなるんですよね」


「言えないと、事故る前提のやつが全部通るので」俺。


リコがPCを回す。「で、これが“聞こえなかった時に残す”マクロです。押すと“誰が見たか”と“何を見たか”を1行で残します。複雑じゃなくて怖くないです、簡単で怖くないです」


「怖くないを何回も言うな」俺がツッコむ。「怖くないって言いすぎると逆に怖い」


「だって友達の会社でマクロ押したら“送信しました”って出て、みんな青ざめてたって言うから……」


「それは正しい」部長も笑った。


──────────────────


そのころ旧工場。


桑名「フォークリフト通路、ヨシィィ!!」

現場A「ヨシィィ!!」

現場B「ヨシィィ!!」


今日も元気だ。

でも今日は、ラックだけじゃなくて充電器のケーブルが輪っかになって床に落ちていた。

輪っかの中を人が通れば、転ぶ。


新人が一応見た。


「あの、ケーブル——」

桑名「ヨシィィ!! 聞こえたな! ヨシだ!」

新人「あ、はい、ヨシです!」


声で上書きされた。

“見えた危ないやつ”より“聞こえたヨシ”が勝った。


今日も紙にはきれいに「通路 ヨシ」が並んだ。


夕方。監査が来て、輪っかを見て言った。


「今日はここにケーブルが出てたようですが、どなたが確認を?」


現場A「全員でヨシって言いました」

現場B「ヨシって言いました」

桑名「俺も言った」

監査「では“どなたが見て、危険をどう処理したか”を出してもらえますか」

桑名「……」


「“全員で”は“誰も”と同じですよ。次回は名前も残してください」


声は通った。

けど“見た”は通らなかった。


桑名は監査が帰る背中を見て、乱暴にメモを取った。


明日から「誰が言ったか」も言わせる

でかい声で

忘れないように


でも、書いてるペン先がちょっと震えてた。


──────────────────


新工場・終業前。


「じゃあ今日のまとめ」


ホワイトボードにチェックを入れる。

・止める→見る→言う→残す できた

・“ヨシまだ”を怖がらずに押せた

・マクロで“聞こえなかった”を残せた

・通路のパレットは先によけられた


「よくできました。もうこれだけで、“ヨシって言ってたのに知らなかった”はほぼ消せる」


「おお〜」みのりが満足そう。

朱音は小さくガッツポーズ。

リコはマクロの名前をもう一回チェックしてる。


「明日は“ヨシって言ったのに直したら怒られた”をやる。旧工場で一番キレてたやつ。こっちは“ヨシって言ったから直す”ってやり方にするから、混同しないようにな」


「楽しそう〜」


「楽しくはないけどな」俺は笑った。「でもあっちよりはマシなやり方だ」


でかい声より、誰が見たか。

それが分かるようになってきた。

あとは、このやり方をあっちに見せる機会を待つだけだ。

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